六章 第17話 意外な黒幕
視界が回復したのは暗転の直後、時間にして30秒か1分程度のことだろう。かつて天界に転移する際に感じていたような気色の悪い酩酊感と浮遊感、それが消えたと同時に足の下には硬い床の感触が生じた。
「エレナ!」
「大丈夫、見えてる!」
慌てて確認すると彼女はしっかり俺の手を掴んでいた。本当に転移させただけのようだ。
だけ、といっても転移なんてそうそうできることじゃないんだけどさ。
「エレナ、周囲の確認お願い」
手短に指示を出して俺はイメージの集中に移行する。転移という珍しいスキル、あるいはそれを可能にする道具を持った相手。つまりかなりの実力か隠し玉を持った敵ということになる。しかもネクロマンサーだ。
「えっと、さっきの部屋の半分くらいの大きさ」
報告を聞きながら聖の魔力を練り上げて魔力糸に変換していく。この魔法は俺も知っているだけで使ったことがない。気を付けて、しかし時間は限られているので素早く。
「壁は……うわ、完全に人工物だね。石のタイルで、細かい模様が彫ってある。たぶんディストハイム時代の末期じゃないかな」
糸玉のように魔力糸をたっぷりと集めて拳大の塊にする。それを圧縮して爪先ほどに変えてから、同じものを3つ作って連結。これで俺のイメージするこの魔法の形は出来上がった。
「扉が2枚、向かい合ってる。片方が外開きで片方がうち開き。外開きの方が大きいよ」
まったく同じ構造の魔力を形作って両手にそれぞれ持つ。
「大きい方の扉になにか書いてあるけど、もう潰れて読めないね。断片だと……死者、安らぎかな。あとは宮殿と不道徳?」
その断片だけで聡いエレナは事情を察したらしく、親指で下唇を小さくなぞった。そして数度頷いてから推論を口にする。その間、俺はただ魔力を安定化させることとイメージを固めることに集中していた。
「ここ、たぶんディストハイム時代のお墓なんだよ。死者と安らぎって書いてあるし、あれだけのスケルトンが沸くのは墓地くらいしかないはずだもんね」
その点には俺も同意する。あのスケルトンの量はそれ以外考えられない。
「宮殿じゃなくてこれは神殿かな。かすれてて読めないけど。でもお墓の奥に冥界神の神殿があるのはおかしくないし」
ただし、冥界神の神殿だとすればネクロマンサーがいるのはおかしい。あいつらは不死神のもたらす不死の呪いとそれに干渉する死霊魔法を武器とする、悪神の司祭や信奉者なのだ。それが最も対立する神の拠点にいるのは、不自然を超えてただの自殺としか思えない。
「むぅ……そもそも不死神の神殿とか?でも不道徳の意味が分からないし」
ぶつぶつ呟き始めたエレナを放置して詠唱を手短に終える。魔法自体は中級なのでそこまで長くなかった。
「エレナ」
「うん?」
生返事気味に振り返った妹の胸に手を当てる。ディムプレートのひんやりした感触を貫通して魔力が彼女に流れ込んだ。それを抜群の魔力親和性で感知した彼女は一瞬びくりと体を跳ねさせたが、薄紫の残滓を見てか緊張を緩めた。
「今のは?」
「聖魔法中級、プロテクトライフ」
「ああ、なるほどね」
一回でコツがつかめたので今度は無詠唱のまま自分にかける。効果が自分の体に馴染んだことを感覚的に確かめ、扉のレリーフ解読に戻ったエレナを追いかける。たしかに部屋は全て石のタイルが貼られていた。
「……こことここが繋がってるから、意味はたぶん」
「エレナ、先にすべきことがあるでしょ」
どうにも集中モードに入りかけているようで緊張感がないが、俺たちは絶賛ピンチのど真ん中なのだ。転移によっておそらく巨大な地下墓地の奥底へと飛ばされ、どこかにはそれをやったネクロマンサー張本人がいる。倒したとしてどうやって外に出るのかとか、直接的な脅威意外の問題もある。
『ふはははハ』
俺が心中で懸念を列挙した傍から、転移前に聞こえた怖気のする笑い声が聞こえ始める。心底愉快そうに、またどこか切迫した様子で。そして今度は明確に扉の向こうからだと分かる。
『王の前で畏まるのもよいガ、気兼ねなく入ってくるがよイ!』
なにやら気になる一人称を使ってそんなことを言う声。すると扉が重苦しい音を立てて奥へ開かれる。そこはこの部屋と同じく石タイルの空間だが、意外にも明るく照らされていた。
「……なるほど」
エレナの読みの通り、そこにあったのは神殿だ。幅は寮の部屋2つ分ほどだが、奥行きが地表に口を開けていた最初の部屋くらいある。壁際に施された太い柱型の彫刻には燭台が設置され、幻想的なサファイア色の炎が揺らめていた。
「で、君が親玉?」
『君と来たカ……だが今日は解放の聖戦が始まる日、祝うべき日ダ。無礼は許してやろウ』
尊大な態度で笑うそれはもはやというべきかやはりと言うべきか、人間ではなかった。赤茶けた肌は水気を失って樹木のような皺が刻まれ、唇が削げ落ちた口からは白い歯がぎらぎらと見えている。眼窩には不釣り合いに生々しい目玉がギョロっと動き回っていた。顔以外に分かるのは身の丈ほどある枯れた杖を持っていること、真っ青なローブを着ていること、そしてその裾がまるで燃えるように揺らめていることだけ。
自身もアンデッドのネクロマンサー、ネクロリッチか。
『さテ、哀れな生贄に答えをやろウ……なんでも聞くとよイ』
本物の王侯貴族であるかのように優雅な手付きで俺とエレナを指示して見せる。こちらを生贄にすると明確に宣言したわけだが、どうしたことか特に敵意のような物は感じない。あるいは敵ですらないと侮っているのか。
まあ、答えてくれるというなら聞いておくか。
「ここに」
「ネクロリッチ!始めて見た……裾が揺らいでるのは魔力が足りないの?最近生まれたわけじゃないよね。封印されてた?だとしたら復活に時間がかかってミイラ化してたの?それとも最初からミイラだったの?」
『……』
俺を遮って質問をぶつけるエレナ。さすがのネクロリッチも恐怖より何より雪崩のような問いかけが来るとは思っていなかったようで、鷹揚にこちらを指さしたままポカンと口を開けている。エレナ、完全に好奇心が全力全開だ。
「ん、エレナ……」
「そもそもこの墓地で自然に発生したの?外から来たの?最初はミイラでそこからネクロリッチまで進化したのかな?人間のネクロマンサーが死んでリッチ化したって可能性もある?神殿にアンデッドがいて浄化されないのはなんで?そもそもここ神殿?全然神聖な魔力がないし、あの燭台の青い炎も冥界神さまの聖火じゃなくてただ色付けた火魔法だよね?」
『アー、煩いゾ小娘!!』
それまでの尊大な雰囲気はどこへやら、ネクロリッチは肩を怒らせて叫んだ。理性を持ったアンデッドは激情をトリガーに暴走するが、そういう雰囲気じゃない。まあ、誰が見ても普通に怒っただけだ。そして誰だってあのペースで質問を投げかけられれば叫びたくもなる。若干の申し訳なさを感じつつ、ネクロリッチが機嫌を損ねて即戦闘になるのではと刀に手を添える。
『全部答えてやるから順番に聞くのダ!!』
「答えるんだ」
『我は王だゾ。王に二言はなイ!』
キッパリと言いきった死霊はどこか誇らしげに胸を張った。死霊魔法に必要となる莫大な魔力を考えるに、もしかすると本物の王族や高位貴族出身なのかもしれない。
「はい、わたしから!」
『ウム』
お行儀よく手を上げるエレナと指摘して頷くネクロ。俺が色々と考えている間にアンデッドの謎解き教室が始まった。
なんだこれ。
「貴方は元人間ですか?」
『そうダ。偉大なる死霊魔法使いにしテ、いずれ不死者の王になル存在。だがアンデッドはその8割以上が元人間である以上、我も当然元人間ダ』
一から魔法で作られたアンデッドもいないわけじゃない。だがほとんどは死体と死霊を不死神の呪いが繋いで動けるようにしている存在。ネクロマンサーが扱うのもほとんど死体由来のアンデッドだ。どうにも魔法で呪いを固めてアンデッドにするのはネクロ的に邪法らしいと、以前知り合いの魔法研究家が話していた。その割合が2対8だったとは知らなかったが。
「不死者の王ってなんですか?」
『偉大なる不死神アルヘオディス様のお望みは定命の者どもを全て不死者へ変エ、常しえに死を追放した理想郷を作る事!その王になるべき存在がこの我ダ!!』
「へー……どうやってリッチになったんですか?」
『オイ、感動が薄くないカ?まあいいガ……我はネクロマンサーであるゾ。自力で加護を溜めて成ったに決まっているだろウ』
エレナとしては不死神の理想郷がどうこうという下りに興味が沸かなかったらしい。俺もないので仕方ないな。
「ミイラみたいな外見なのは?」
『不死者は外見と精神、どちらを保つにも呪いの力を要求されるのダ』
「あ、だから肉体のないレイス系の方がスケルトン系より思考力あるんだね!」
エレナの理解力が高すぎて大分段階を飛んだ気がする。肉体と魂にリソースを振り分ける関係上、肉体を持たないレイス系の方が肉体を持つスケルトン系より魂の修復や保全に呪いを回せる。だからレイス系の方が思考力も高い。そういうことだろう。
『理解の早い娘だナ。生贄として好ましいゾ』
「あ、どうも。じゃあゾンビがいつかはスケルトンになるのも……」
『肉を保持し続けるだけの呪いを蓄えられないからダ。我が衣がやや明瞭でないのもそのためヨ』
「それじゃあわたしたちを呼んだのは、魔力を奪って完全復活するため?」
『そのつもりだったガ、実際に見てみて考えが変わっタ。我は小娘、お前の肉体を乗っ取ろうと思ウ』
「肉体って取り替えれるんですか?」
どうしようか。色々ツッコミどころがあるままに話が進んでいく。
エレナ、今のは熱心に質問を重ねる所じゃない。
『取り替えるわけではないゾ。肉体を維持する魔力を魂に使イ、小娘の肉体を奪ってしまおうというわけダ』
ネクロリッチ曰く死者は肉体と魂を繋ぐ精神が無くなっているので、肉体と魂を両方持つアンデッドの場合そこも呪いで代用するんだとか。彼のような高位のネクロリッチになると肉体、魂、精神の代替に回す呪いを配分し直すことで適宜自己調整ができるらしい。
「その場合、わたしの魂はどうなんですか?」
『もったいない事だガ、我に吸収されて消滅すル。これは他のアンデッドが融合するときもそうなのダ』
「あ、そうなんだ。じゃないと上位アンデッドなんて思念がゴチャゴチャしすぎるもんね……」
『……複数の魂が主導権を握り切れずに共存する事態は最も避けなければならなイ』
「そうなんですか?」
『複数の魂が入るよう肉体はできていないのダ。魂の在り様に引きずられて見るも悍ましいバケモノへと変わってしまウ。まあ安心するがいイ、我は強力故お前の肉体を損なうことはないと約束するゾ』
「わたしも結構強いですよ?それでですね……」
あ、ダメだ。もう我慢できん。
「エレナ、ほのぼの話してる場合じゃない」
明確に憑り殺してやると言ったアンデッド相手にいつまで悠長なことをするのか。加えて不死者の秘密を探るより聞くべきことがいくつかあるのだ。俺も少し仕組みについては興味があるが、優先度を間違えてはいけない。
「もうちょっと待ってよアクセラちゃん。あと少し、あと少しだから!」
『そうだゾ。落ち着いて待っておレ。我はきちんと答えてやル』
何も間違ったことは言っていないはずなのにエレナからは懇願され、死霊からは嗜められた。
なんで俺が怒られるんだ。
「ここは不死神の神殿ですか?墓地っぽかったから、冥界神の神殿ならわかるんですけど」
そして何事もなかったかのように質疑応答タイムが再開する。
え、扱い酷くない?
『いかにもここは地下墳墓、無数の死者が埋葬されていル。しかしその辺りの事情は扉に書いてあったであろウ?』
乾いた顔で器用に片眉だけを上げるネクロリッチ。尊大すぎてペースに着いて行けないこととズレた感性に目を瞑れば確かに優秀な死霊魔法使いなのだろう。これまで見せた魔法から魔力もかなりあると推測される。
『ハッ!そうカ、お前のように聡明な娘にも教育は施されていないのだナ?』
「え?」
何か勘違いをしだしたネクロリッチ。しかしその発想が彼の中では当然の帰結であるのか、しきりに頷きながら苛立たしげに気炎を上げる。
『あの忌々しい領主一族メ!我が眠っている間に心を入れ替えていたなら不死の園に招くことすラ、やぶさかではなかったと言うのニ!!』
青い衣からにじみ出るように闇が立ち上る。高密度化した上級属性の魔力は現象化するというが、まさにその闇魔力の実体化が起きているのだ。それほどの魔力量と怒りを内包したネクロリッチ、危険度で言えばAランク確定。俺は内心で目の前の存在に対する警戒度を一段上げる。
『必ずや腐り切ったハリスク家に災いヲ、そして不死の名のもとに公平なる楽園を築いてくれル!必ずヤ、必ずヤァ!!』
みちみちと音を立ててネクロリッチの頬の皮が裂け、怒りの咆哮とも決意の雄叫びともつかない言葉が溢れだす。激情に駆られて肉体の許容限界を超えた力が出ているのだ。危険な兆候と言える。
「エレナ、かなり不安定。始末を急ぎたい」
青白い光の中で明確に闇を纏う不死者。その危険性が分からないエレナじゃない。そう思って耳打ちするが、彼女の中では依然好奇心と探求心がやや勝ち気味の様子だ。
「え、えっと……あと2問だけ」
「……ん、2問だけ。あと少年についても聞いて」
「う、うん。わかった。それでネクロリッチさん、どうしてここに封印されているんですか?」
……本当に相手の危険性、分かっている?
薄目で睨み付けざるを得ない軽さでエレナは質問を三度開始した。歪んだ義憤に燃えているらしきネクロリッチの様子も無視だ。
『ア、あア……我としたことガ、怒りで会話を中断するとハ。許セ、娘ヨ。お前の肉体は必ず楽園の礎としよウ。それデ、封印であったナ』
ネクロリッチは一旦纏った闇を散らしてから頬が裂けて緩くなった顎を片手で調整する。呪いを肉体の方に回したのか、見る見るうちに裂傷は元の乾燥肉に戻った。
『此処のこト、噂に聞いたことはあるはずダ。ハリスク辺境伯家が代々モノのように扱っては死なせてきた哀れな女たちの眠る場所、まことしやかに語られる存在を否定された墓所、ハリスクの女塚……それこそがこの地下墳墓の正体ヨ』
「「……」」
どうしよう、そんな噂もそんな悪行のことも知らない。それどころかハリスク辺境伯という名前からして全くピンとこなかった。ユーレントハイムの辺境伯にそんな名前のやつはいないし、なによりここは王都、天領だ。歴史書でも見た覚えがない。ユーレントハイム初代国王が戦った相手は名前が知られていないので、もしかしたらハリスク辺境伯とやらはその時代の領主なのか。
『実質女たちの廃棄場所であったこの場所ハ、我の祖父の設計であっタ。最奥部には確かにお前の推測通リ、冥界神の神殿が言い訳のように存在したとモ』
「でもここは……」
『作り替えたのダ。この我ガ、不死神の神殿へト、死者たちの総意でもってナ!』
「!」
『驚いたカ?だが意外と簡単な事だっタ。巨大な闇は一欠けらの光によって打ち滅ぼされるガ、巨大な光も一刺しの闇によって堕ちル』
顔と同じく乾いた指で天を指し、関節の可動域を無視した動きで地へ指先を変える。小気味のいい音が鳴って反響した。
『珍しいことではなイ』
嗤いを含ませて彼は指先を何度も何度も天と地の間で回転させる。そのたびにコキコキと音がして、首筋がぞっとするような気持ちの悪さが沸き起こる。
『叶わぬ恋を抱いた純潔の女神ハ、嫉妬に狂って悪神へと堕ちタ。かつて王であった下級神ハ、故国を惨たらしく滅ぼされ破壊神へと堕ちタ。最高神の一角であった我が主モ、哀れに死んでいく定命の者を見かねて不死を掲げタ』
神も移ろわぬ者ではない。わずかな感情が元になって堕ちてしまう者もいる。それはかつて天界での宴において恋愛神トーニヒカが囁いたことと同じであった。
『神すら堕ちるのダ、場所を反転させることなど造作もなイ。言ったであろウ……』
一旦区切ってから死霊は両腕を広げて見せた。
『死者たちの総意なのダ。ここに眠る2500余りの哀れな死者が安らかな眠りを拒絶シ、我に力を与えていル。その意味が分かるカ!』
2500人が全員死を受け入れていない?
それが魔力のほとんどない市民や村民だったとしても一体どれほどの力か。神殿の反転や封印の影響でどれだけ減衰しているかは分からないが、物量は世界で最強の力だ。
『ふはははハ!』
俺が慄いている間にもネクロリッチは再び闇を纏って哄笑を迸らせる。その姿はまさに不死者の王、集合と結合を繰り返すアンデッドの頂点に手を掛けたネクロマンサーの風格があった。
『我はこの力を以て領主を亡ぼさんと望む者!そしてその先に平穏なる不死の国をもたらす王なリ!……と言ったら教会に封印されたのだ』
「……」
凄いのか馬鹿なのかわからない。助けて。
『だが封印も解けた今、我は再びこの道を歩むのみヨ。小娘にはそのための肉体に、そっちの白い小娘には力になってもらウ』
「なんで力?」
『さっき言ったであろウ。聖なるを貶めれば我が力となル。お前は聖魔法を操るのだろウ?』
俺の力を反転させて吸収し、完全復活以上のエネルギーを手に入れようということか。頭はいいし力量も確かにあるのに、なんだこの馬鹿を相手にしているようなしんどさは。
エレナをせっつこう。
気疲れしてきたのでエレナの脇腹に軽く肘を入れ、さっさと質問を進めるように促す。はやく会話を切り上げて始末するなり一旦撤退するなりしたいところだ。
「えっと、それじゃあ……この墓地に男の子が落ちてきませんでしたか?」
先にそっちに行ったか。悪くない。それさえ分かれば極論聞くことはないのだから。
『落ちてきたゾ。数日前のことであろウ?というよりモ、それのおかげで我は目覚めたのだからナ』
「ああ、そうくる……」
「むぅ、嫌な予感的中だね」
エレナは尋ねる前から察しがついていたのか。
『毒か何かを喰らっていタ。泣きながら奥へ奥へと進ミ、お前たちを引きこんだ部屋の手前で力尽きたのダ』
「……そう」
やはり遅かった。少年は黄班蝮の毒に侵されたまま穴に落ち、結局その日のうちに死んでしまったのだ。捜索を依頼した教会や今朝話を聞いた他の子供たちには辛い報告を持ち帰らなければならなくなった。一つ気になるとすれば『暗視眼』を発動させていた俺たちがその死体を発見できなかったことか。
『墓所が彼の魂を欲したのだがナ……肉体を対価に天まで逃がしてやったのダ』
こちらの疑問を察したようにネクロリッチが答える。瞼のない眼窩を指して。
『目を再生できずに困っていたところであっタ。おかげでよく見えル』
「目玉が通行料?」
『骨と肉ももらったガ、肉は少なすぎてあまり回復できなかっタ。あと勘違いするナ、通行料に巻き上げたのではなイ。墓所に取り込まれないよう保護してやった対価ダ』
墓所から守る対価……?
もしかするとハリスクの女塚自体に悪霊が憑りついているのか。ネクロリッチはそこから力を得て、ある程度制御している。一種の共生関係にあるのだとすれば、悲惨な死を遂げた2500もの魂とこのやや抜けた人格が両立する意味も分かる。いくら強靭な自我を持っていてもそれだけの悪霊が一つの方向を向いていれば融合して勝てるはずがないのだ。
「少年は不死の楽園に連れていこうとしなかったんですね?」
『……あア、墓所が求めていたからナ。安心せヨ、お前たちは墓所に嫌われていル。我と融合した暁には楽園の礎という栄光だけが待っているのダ』
別の存在で間違いなさそうだね。
墓所の悪霊と融合した先には好ましくない未来があり、ネクロリッチとの融合には後に残る名誉だけがあるらしい。前者はネクロリッチの干渉外にあたると推測できる。
「最後の質問です」
『もう最後カ。久しぶりの会話、なかなかに楽しかったゾ』
含み笑いの中に確かな哀愁と喜びを込めて彼はそう言った。その人間らしい仕草はどうにも刃を鈍らせる。戦闘になったとしたらとりあえずエレナに任せるつもりだが、その辺りを彼女がどう判断して動くのかも見てみたいところだ。
「今はいつですか?」
『……?』
エレナの口から飛び出した質問に不死者は首を傾げるが、俺は逆に息をのんだ。意味が分かっていてしたのだとすれば、なかなかにエグい問いかけだ。好奇心のためか、それとも考えあってのことか。分からないが、思っていたより慈悲のない最後の質問だった。
『意味が分からなイ』
「今がいつだと思ってますか?」
『からかっているのカ?あまり愉快な気分ではないゾ』
「からかってません。貴方は今がいつだって思ってますか?」
三度重ねられた質問は不死者の上機嫌を奪い去るに十分だった。苛立ったように彼は答えを吐き捨てる。彼が思っている答えを、躊躇いなく。
『神帝歴982年に我が封印されタ。つまり今は990年代から1050年代といったところカ。それデ?』
明らかに不機嫌そうに尋ねる死者。そう、彼は己が封印されてからまだ50年程度しかたっていないと思っているのだ。昇神したての俺が死後何年たっているかを把握していなかったように。だからこそ生々しく圧制者であった辺境伯へ怒りを見せ、その打倒を今なお掲げる。
「その、神聖ディストハイム帝国はおよそ1000年で崩壊してるんです」
『……何ヲ、言っているのダ』
「1600年ほど前に建国された神聖ディストハイム帝国は5、600年前に崩壊しました。今はもう、全て過去の中です」
『馬鹿をいうナ!そんなことガ、そんなことがあるはずなイ!ありえなイ!!』
時間感覚を封印の中で失った男にその言葉は槍のように刺さる。痛みに吼えるがごとく叫び、血潮の如く闇をまき散らす。
『それではハリスク辺境伯ハ!?女塚の弔いハ!?我ノ、我々の悲願ハァ!?』
「……」
エレナは無言でネクロリッチを見つめる。早苗色の瞳に込められた感情は読み取りづらく、ただ事実を突きつけていることを強調しているようだった。
『信じなイ……信じなイ!我々の願いはまだ成就していないのダ……』
ネクロリッチの様子がだんだんとおかしくなりだした。目が痙攣するようにぶれ、意味もなく手が宙を彷徨っている。溢れだす闇魔力の具現化は青い衣を黒く染めるほどだ。
『まダ、マだ終わっテなどいナイ!!』
「……もう、終わったんですよ」
「エレナ!」
暴走の瀬戸際にある敵に最後の一押しを加えるような、もっとも残酷で無情な決定的フレーズ。それを躊躇いなく口にした彼女に思わず叱責を飛ばす。普段のエレナなら絶対にしないその行動に、誰よりも俺が驚いていた。
『うるさイウルさいうらサヒうるざ、ザ、ズァ、ざざ、ズァアああアぁア!!!!』
そこだけ生者の物であった目や朧な衣が漆黒に染まり、枯れ木の杖も漆黒の大杖に変貌する。光の届かない暗黒がそこには顕現していた。意味のある言葉を紡がなくなった口からは呪詛のような何かが漏れている。完全に暴走状態だ。
「……エレナ、とりあえず戦うよ」
「……うん」
「私は後ろのを相手する。アレはエレナが相手して」
「……うん」
言葉少なに頷くエレナ。やはり様子がおかしい。
「帰ったら少しお話。あと、危なくなったら介入する」
「……うん」
最後まで最低限の返事しか返さない彼女に、今は構っているだけの時間がない。なにせネクロリッチが暴走しだしたと同時に、俺たちが入ってきた扉からなにやら不気味な気配が近づいてきているのだ。
はあ、今日は大変が山積みだ。
ため息をぐっとこらえて紅兎の柄を握る。そして踵を返し、扉の気配へと駆けだすのだった。
~予告~
何かを思い詰めるエレナ。
荒れ狂う死霊術士との戦いはどうなる!?
次回、即死魔法




