六章 第14話 敗北という財宝 ★
曇天の下、俺たちは今日も戦闘学の授業を受けていた。といってもいつもと概ね変わらない内容だ。軽く体を温めてから2人1組で木剣を打ち合う。しばらくはネンスのしたいように打たせながら時々修正させて、後半になるとこちらから攻め込んで対処を学ばせる。その間ずっとメルケ先生とマレシスがチラチラとこちらを窺う。先生はずっと生徒から生徒に指導しながら歩き回っているのだけど、なぜかうちの組には絶対に教えに来ない。仮にも王子殿下相手にそれでいいのかと思う。
「や」
「せい!」
「えい」
「はっ!!」
「それ」
「くっ!?」
今日の後半戦は搦め手を止めて純粋に技巧で攻めている。緩急をつけてぎりぎりガードできる場所へ木刀を進ませるのだ。先生からもらった木刀の再現度は本当に高く、いままで授業でしていた重さ頼りの戦い方を本来のスタイルに戻せた。どうしても普通の両刃剣を扱うときは荒っぽい攻撃になるから嬉しい。
「もっと激しくてもいい?」
「も、もちろんだ!」
今日は正確で素早い攻撃にどこまで彼が耐えられるかのお試しでもある。本人からも了承を貰ったので攻撃の手は加速させる。
「や、と、は」
「ふん!せあ!ちぃ!」
舌打ちにも似た声。ネンスのガードが完全に解けた。無理な姿勢に追い込まれているとも知らず、六合目を受け止めた衝撃で腕が跳ね上がってしまったのだ。その致命的一瞬を見逃すほど俺は剣に関して甘くない。
「おしまい」
木刀を浅く肩に担いで地面を蹴る。そのまま斬るつもりで振るえば殿下の骨が圧し折れること間違いない。代わりに担いだ刀の柄尻に勢いを集約させて胸にぶつける。
紫伝一刀流・柄貫
柄頭で相手の額や胸骨を打ち砕く技だ。
「こはぁっ!?」
まるで恋人の胸に飛び込むように、その実肺の中の空気を無理やり押し出すように。柄頭が余らないように下げた左拳が、ネンスの張った防壁を突き破って胸骨を叩いた。強制的に吐かされる息と大きく開く口。鍛えているだけあってかなりの肺活量だ。
ちょっとミントっぽい……。
素のステータスが高いからか、それともかけている強化系スキルが優秀なのか、とりあえず彼はそのまま気を失うこともなく膝だけついた。咄嗟に剣を杖代わりにしたことで耐えているといった方が正しそうだ。
「げほげほっ」
「大丈夫?」
やってからおもったのだが、彼は剣の稽古の時に痛い目を見るようなことはあったのだろうか。もし英才教育が痛みを体に覚えさせる系でない場合、ちょっとやりすぎたことになる。
「だ、大丈夫だ……げほ……武芸の稽古である以上、これくらい、覚悟している」
とまあ、そんな俺の心配は杞憂に終わった。意外と根性があるようでなにより。
「よかった。今回は」
どこが悪かったか分かるかと聞こうとしたその時だった。すっかり忘れていたもう一つの問題が杞憂でないことを告げにやってきた。
「貴様ァ!!」
怒髪天を突く勢いとはまさにこのこと。眦を吊り上げた近衛騎士が自分の練習相手を放り出して突進してくる。レイルの方は予想ができていたようで「ああ、またか」みたいな目で見ていた。
「殿下、ご無事ですか!?」
「あ、ああ。いいのを貰ったが、怪我はないぞ」
「ああ、よかった……おい貴様!」
「……決闘?」
どう相手をしようか考えてめんどくさくなった。どうせ同じオチにたどり着くならと先に聞いてみる。
「そういう問題ではない!」
「!!」
「なんだその大きなショックを受けたような顔は!人を馬鹿にしているのか!?」
いや、ごめん。最後は決闘に落ち着く馬鹿なんだと思っていた。
とはちょっと言えないので、代わりに練習について言及することにする。
「痛みを伴わない訓練は訓練たりえない。今より上達したいなら骨の10本20本は覚悟しないと」
怪我をせずに、痛みにのたうち回らずにどうこうできる範囲では、もうネンスは上達しきっている。ここから上の戦闘力を得るには骨折、裂傷、捻挫に打撲を重ねまくる必要がある。痛い目に合わずに済むように、必死に体が生きる道を探すよう躾けていかないといけない。殺し合いで生き残るための剣術だ、甘さなんて期待する方が間違っている。
「でも今の、よく耐えた。ネンス偉い」
咄嗟に痛みを堪えて動ける精神と肉体は致死率を大きく左右する。徹底的に痛めつけながら鍛える必要があるのはそういう意味も含むのだ。
「そ、そうか?」
「無礼にもほどがあるだろう!」
褒められて少し嬉しそうな殿下とブチギレる近衛。対照的な絵面で面白いが、声が大きいのは後者なわけで。
「そもそも殿下がこれ以上痛みに強くなられる必要などありません。貴様も不必要に殿下へ打擲を与えようというなら……」
「必要ある」
「ない!殿下の御身は我ら近衛騎士が守っているのだから!」
マレシスは一般的に見て弱くない。近衛騎士になっただけはある。最近の授業のおかげでステータスもスキルもじわじわと上がってきているだろう。しかし、彼の言葉に現実が追い付くのはまだ先だ。
「近衛騎士が抜かれたら、ネンスを守るのはネンスの剣だけ。騎士が立て直すまでの一瞬でも死ぬときは死ぬ」
「近衛騎士が抜かれるなど」
「ない?いつも私に負けるのに」
「……!!」
あ、ちょっと言いすぎた。
思ったところで後の祭りだ。見る見るマレシスの赤かった顔色が赤味を増す。俺と戦うまでもなく脳の血管が切れないか、割と本気で心配になる色だ。しかも怒りのあまり表情が消えかけている。
「いつまでもお前が勝っていると思うなよ、決闘だ!」
「……」
やっぱりするのかと思ったのは俺だけじゃないはず。実際周囲のクラスメイトはほとんどがそんな顔で事態を見守っていた。戦闘学の間限定で最近クラスメイトたちの視線が暖かい。正確には生暖かい。
いいことではあるけど。
占星術かなにかの授業に出席するほとんどの女子と一部の男子からは相変わらず遠巻きな、あるいは冷ややかな視線を送られている。それなのにこの授業の出席者からは何とも言えない親しみのようなものを最近感じるのだ。おそらくマレシスと延々こんなやりとりをしているせいでキャラ付けがなされたのだと思う。理解できないオルクスの姫君から近衛騎士とも臆さず喧嘩しているクラスの女子に変わったのだ、皆の認識が。
そう考えると今がチャンスかもしれない……?
ある程度俺の言葉を聞いてくれるようになったこのタイミングこそ、技術布教にとって一番いいタイミングと言える。
「ん、受ける。おまけで一つ、教えてあげる」
「教えるだと?お前が、俺に?」
マレシスの不快げな視線を無視して俺はメルケ先生にアイコンタンクトを送る。どうしてこの騎士がそこまで絶対的な自信を抱けるのか、ちょっとそこだけ教えてほしい気分になりつつ。
「スキルに頼らない力。知っていて損はない」
「……ふん、下らん」
口では切り捨てつつもマレシスの声には迷いが含まれていた。力が欲しくない者などいないのだ。
~★~
「マレシス……」
「大丈夫です、殿下。今日こそあの思いあがった女を叩きのめして見せます」
準備を整えていると殿下が態々心配して声をかけてくれた。しかし俺は末席とはいえ近衛騎士、守るべき方に心配されるようではいけない。
「先生、盾の使用を許可していただきたい」
「ほう……いいだろう」
俺の依頼に目の前の教師は驚いたような顔をした。
ふん、今までと同じと思うなよ!
何度も何度も屈辱的な敗北を重ねる中で俺はようやく自分の視野が狭かったことを自認した。その点だけはあの女に感謝せざるを得ないだろう。というのも、あの女は俺を打ち負かした後に必ず上から助言めいた言葉を投げかけてくるのだ。今までは己の誇りと相手への嫌悪感から頭ごなしに否定していたそれを、ここは近衛騎士として成長するために恥を捨てて聞き入れることにしたのである。
誇りも矜持もない戦い方は冒険者の得意分野だ。そこにただ向かえば手玉に取られて当然だった……騎士として戦うことでこそあの女を打ち破れるのだと、早く気付けなかったことが今までの敗因だ。
騎士として、全力で。
「準備はいいか?」
左腕にラウンドシールドを装着してあの女と対峙する。あちらは普通の木剣ではなく見たことのない反りのある物を使っている。とうとうスキルを使う気になったのかもしれない。
「いつでも構わない!」
「ん」
「いいだろう。それではルールはいつも通りだ。他の者は見学するように」
あくまで授業の一環としてこの決闘を見せ物にするつもりか。
いい気分ではないが仕方ない。あくまで戦闘学の授業中なのだから。ただ普段は全員を止めてまで見せさせなどしないのだが。
「では、はじめ!」
号令がかかった瞬間に俺は意識を敵に戻す。そしていつもは使わないスキルを多重起動させた。近衛騎士として本気を出すわけではないが、普段は使わないほど高等なスキルまで混ぜる。殿下付きの近衛騎士としてここで負けるわけにはいかないのだ。
『近衛騎士』ステータス強化、『近衛騎士』盾強化、『近衛騎士』剣強化
『小盾術』盾頑強化
一際強い黄色い光がラウンドシールドを包む。『小盾術』は『盾術』から派生したアビリティであり、木製のラウンドシールドを材質に優れる騎士の盾と同じ強度へと引き上げることができる。『近衛騎士』の内包スキル『大盾術』ならばより高い防御力と高度な補助効果が見込めるのだが、残念なことに大盾に類する武具は練習用にないため使用できなかった。
「いくぞ!」
剣を収めた姿勢のままたたずむ敵に吼え、強化した足で一気呵成に突撃する。あの女は剣より投げ技を得意としているので、あの一見細い腕に捕まらないよう意識を集中すればいい。
「はぁっ」
射程圏内に入ったところで剣に青い光を灯す。腕が木剣を軽々と振り上げる感触、全身がそれにつられて一気に加速した。あの女は右手を上にして柄に置いている。まだそのよく分からない構え以上の動きが見えない。
その余裕を今に打ち砕いてやる。最初から全力だ!
『近衛騎士』内包スキル『剛剣術』インパクトスラム
放った俺自身が目で追うのもやっとの振り下ろし。それをあの女は数歩下がって回避した。だがそれしきで逃れられるインパクトスラムではない。切っ先が強かに地面を打つと同時に、剣を覆っていた青い光が伝播する。
ズゥン!!
腹の底に響く音を立てて地面が大きく揺れる。俺の腕や足もわずかに痺れるが、目の前の女は体勢を崩して数歩から先に逃げることができないでいる。インパクトスラムは当たった場所で揺れを起こす大技だ、逃れても機動力を奪われ追いつめられる。最初からこれが狙いだったのだ。
「もらった!!」
使用者の俺はあまり強い影響を受けない。その利点を使ってさらなる大技を叩きこむ。構え直した剣を真横に伸ばすと、またも青い光が木の肌を覆い尽くす。
『近衛騎士』内包スキル『剛剣術』スウィングスラッシュ
風を断ち切るような音を引き連れて木剣は敵へ向かう。足が上手く動かない現在、絶対に回避はできない。腕の骨くらいは折れるかもしれないが、彼女自身そういった荒い練習がいいと言うのだからいいのだろう。そもそも手加減して勝てる相手ならあれほど辛酸を舐めさせられていない。
「シッ」
小さな息遣い。それが目の前の女が発したものだと頭が理解できなかった。真っ直ぐにこちらを見る無表情は普段と何も変わらず、だがどこか違う雰囲気を纏わせていた。
楽しんでいるのか……?
なんとなくそんな気がして背筋が寒くなる。同時に俺の中の何かが警鐘を鳴らした。それがやや遅かったと気づくのは直後のこと。目の前であの女の腕が動いたかと思うと、俺の体が斜め上へ強く引っ張られた。
「なっ」
いつの間にか剣の通り道に相手の剣が出現しており、それに沿って進路を逸らされたスキルが体を持って行こうとしていたのだ。
いつ抜いた!?
まったく見えなかったことに戦慄する。
「胴、がら空き」
「!」
逸らすために剣を裏から支えていた彼女の左手が小さな拳を形作り、剣を振り抜いて開いてしまった俺の右半身へと叩き込まれる。ぎりぎりのところで盾を割り込ませるも、無理な姿勢のせいか防いだ瞬間に腕が悲鳴を上げた。
「くっ」
痛みを堪えてなんとか剣を引き戻す。そして次のスキルへ。
『近衛騎士』内包スキル『剛剣術』トリプルスラッシュ
『剣術』の三連切りを強化した高速かつ高威力の連撃。逸らすことなどできないほどの力とダメ押しの連続攻撃に今度こそ叩きのめせる。そう確信して水平に右、左、右と振り抜く。しかしそれもまざまざと避けられてしまう。なんとしゃがみ込むことで全てを避けて見せたのだ。
「ちょこまかと!」
体格的な差がここまで邪魔になるとは、大柄な人物しかいない近衛騎士団では経験し得なかったことだ。
「大振りすぎ」
窘めるような口調と共に下から顎狙いの突きが。咄嗟に体を反らせば目の前を白い木肌が掠めていく。慌てて下方向へ剣を振り抜く。
「雑」
ひらりと懐から抜け出したオルクスはここにきて見たことのない構えを取った。左足を前にして握り手を右頬につけるような姿勢。そんな窮屈な構えから何ができるのか、思考が追い付かないままに次手を許してしまう。
「やぁ!」
今までほとんど聞いたことのない、腹から出した気合いの声。その声と共に振り下ろされた剣は速かった。成長著しいフォートリンと毎週打ち合っていなければ反応できなかっただろうほどに。だが俺は反応した。黄色い光を纏う頼もしい盾を構えることに成功した。受けきってしまえばこちらのもの。そんな確信と共に後ろへ足を踏ん張る。
ガァン!!
馬車が事故を起こしたような激突音がした。同時に肩がもげるのではと恐怖するほど重い衝撃が左腕にかかる。
「馬鹿な……」
インパクトスラムのような一撃で俺の腕は痺れ、だらりと脱力していた。脱臼はしてないにしろ、感覚がほとんど消えている。
だがこれだけの大技を放ったあとなら……!?
「はぁ!」
地面を打つ寸前で切っ先が翻って跳ね上がった。もともと下がろうとしていなければ首筋を絶たれていた。木剣であることすら忘れて死を覚悟する二撃目は代わりに左肩を浅く打って行った。
痛い、痛い、痛いっ。
歯を食いしばって耐え、今度こそ硬直した隙に大きく後退する。そして足に全力を込めて胴めがけ突きを繰り出す。スキル光は今度も青だ。到達する頃に硬直は解けるだろうが、もう躱せない。これほどの勢いなら逸らせもしない。
『近衛騎士』内包スキル『剛剣術』オックスチャージ
致命的な怪我にならないよう狙うのは腹の横辺りだ。それでも勘違いした初心者組から悲鳴が上がる。あの教師はさすがに理解しているようで割ってくる様子はない。
これで……
「終わりだ!!」
青い光が右肩まで包み込み、渾身の突きがやや下向きに放たれる。時間が数倍になったような没入感を味わいながら、勝利を確信する。
「それは悪手」
どこまでも冷静な声でそう言われた。ついで壁に突撃をしたようなノックバックが俺を襲い、突進の勢いは一気に削がれ、1秒にもみたない時間で完全に停止させられる。
「……は?」
それは非現実的な光景だったことだろう。はるかに大柄な俺が、『剛剣術』の誇るオックスチャージを放った俺が、小柄で細身なオルクスの娘に受け止められている姿は。この女は肩と腰を起点に、まるで親しい者を抱擁するように俺を抱き止めているのだ。横腹を打ちすえるはずだった剣は完全に空を貫いている。突進のエネルギーは、どこへ行ったのか見当もつかない。
どうやった?何をした?スキルか?いや、それよりも止まっては不味い!!
停止した脳を無理やりたたき起こして跳び下がる。とりあえず距離を取って次を考えなければまた投げられると本能が叫んでいた。具体的な次の手は、もう出てこない。
「や」
ああ、また負けるのか。
気のない気合いを耳にして、異様に冷静な部分でそう思う。追いすがるように跳躍したオルクスの剣が、着地した俺の首筋に当てられた。ここからどうこうできるようなスキルは俺にない。それ以上にどうこうする力が沸かない。抜け出したとしてその先がまったく浮かばないのだ。
俺は骨を折るくらい本気だったというのに、こいつは寸止めか……嫌になる。
「それまで!」
号令が耳を打つがどこか遠い所のことのようだ。俺の意識は目の前に立ちふさがった現実に止まってしまっていた。
ふざけるなよ……。
理解してしまったのだ。今の勝負で、俺が目の前の女に勝てないという事実を。
俺は全力を出して戦い、そして負けたのだ。それも圧倒的な負け方で。自分では今までで一番の動きができたと思う。咄嗟の盾使いや大技のタイミング、狙う位置、崩されてからの立て直し……過去最高のパフォーマンスで戦闘をこなした。少なくともそのつもりだった。
「……」
言い訳をしようと思えばできる。たしかにスキルを全て使ったわけではない。近衛騎士の制約上、人前で軽々に披露できない物は全て封印して戦った。それに小盾ではなく大盾の方が得意だ。近衛騎士の鎧さえあれば掠った攻撃も全てノーダメージでやり過ごせたはずだ。
「……ス」
……そんなことは本当にただの言い訳でしかない。
「……レシス」
みっともなくてとても言えないような言葉ばかりだ。それを言えば胸の内は楽になるかもしれないが、ずっと信じてきた騎士の誇りまで折れてしまうのが見えている。だから言えないし、言うつもりもない。俺は間違いなく、今出せる全力を出して負けたのだ。
「マレシス!」
「!」
敗北に打ちひしがれ、鼻の奥に感じるツンとした痛みを堪えていると肩を揺さぶられた。慌てて視線を向けると殿下が笑っていた。なぜかとても嬉しそうに。
なぜそんな顔をされるのですか……?
自分はこうまでも惨めな思いをしているのに。そんな気持ちがわずかに生まれる。しかし続く殿下の言葉に、今日何度目かの空白が思考を席巻した。
「よくやったぞ、マレシス」
「……は?」
「素晴らしい戦いだった。今までお前の訓練を長らく見せてもらってきたが、今日ほど素晴らしい動きをしていたことはない!」
いつも冷静な殿下が興奮に頬を染めて褒め称えてくれている。そのことに余計頭が回らなくなる。たしかに全力は出したし、一番いい動きをできたと思ってはいたが……。
「ああ、正直これほど成長しているとは思わなかった。よくやったぞ、シーメンス」
俺の肩をバンバンと叩く殿下の背後、ぬっと現れた教師が言う。
「し、しかし俺は……」
「ああ、負けたな。だがこれは授業であり試合だ。負けることは死ぬことではない。恥でもない。得難い成長の機会を獲得したことに他ならない」
負けることが恥ではない……?
「しっくりきていないようだな。アクセラ、お前の功績について触れても構わないか?」
にやりと笑った大男は少し離れたところでストレッチをしている女に確認を取る。
「……ん」
何のことかわからないまま俺を含む何人もの視線が2人を往復した。
「知っている者は知っているだろうし、噂を聞いたことがある者もいるかもしれない」
不穏な前置きの後、にわかには信じがたい情報を男は言う。
「アクセラは魔獣を討伐したことがある」
水を打ったようにとはこのことか。そんな場違いな感想が生まれるほどに静まりかえる練習場。
「詳細はギルド預かりなのでオレも知らないが、単独のパーティで8級の魔獣を撃破している。そんな相手を前にこれだけ奮闘し、有意義な負けを経験したんだ」
魔獣。悪神の先兵の中で最も人間殺戮に特化した生粋の化け物。最も低い10級でさえ騎士団が手こずる最悪の獣。それが8級……魔法騎士団や第二以上の騎士団が複数小隊で戦う相手を。
「は、はは……」
我知らず口から笑い声がこぼれる。それを見て殿下がぎょっとしていたが、正直今ばかりはそれどころでない。俺よりも強い騎士たちが命の危機を負って挑む試練。それにこの女は打ち勝っているのだから、勝てる道理など微塵もなかったのだ。
視野が開けたつもりでいたが……これではとんだ道化だ。大馬鹿ではないか。
「人は誰でも弱い所から始まる」
「……」
完全に心が折れかかったところに、折った張本人がそう言った。
「成長を繰り返すことで強くなる」
「……」
「先生が言った通り。君も強くなった」
あれだけ圧倒しておいてよく言う。嫌味か。
よほどそう返してやろうかとも思ったが、余計に情けなくなる気がして止めた。
「嘘じゃない。途中から少し楽しくなってきたし」
褒めているのかわからない言葉を贈られた。ただ確かに今見ている無表情から喜悦を感じた瞬間はあった。それが恐ろしかったのは、もしかすると彼女の中で俺がただあしらう相手から戦う相手に認識が変わったからかもしれない。そう、狩られる恐怖を覚えて竦んだのだ。
「改善点は多くある。改めればまだまだ強くなる」
そこからオルクスはつらつらと、彼女曰くの改善点を列挙しだした。
『近衛騎士』のジョブは防御に重きを置いているのだから突撃は邪道、正道を修めてからでないと成立しない。
大技を繰り出すことばかり考えているが、その間隙を動きや小規模な攻撃で埋めなければヒットし得ない。
大技のために無理に距離をとるのは隙を生むだけなので、距離に合わせた技の選択をしなければならない。
騎士系の連撃スキルはあくまで大型魔物に対して大ダメージを与える技、足元に動きがないので対人では初撃を避けられれば自動的に全て外れる。
「……」
言われてみればたしかにその通りで、いままでの訓練や試合では何故そこを無視してきたのかが分からないくらいだ。これが実戦経験の違いなのか、それとももっと別の部分からくるものなのかは分からない。ただ、勝てないのには理由があることだけ理解できた。
「そうか……そうか……」
俺はただなんとも言えない気分でそう繰り返す。負けるには負けるだけの理由があった。それを克服すれば勝てるかもしれないと示された。
今でもオルクスのことを信用はできていない。できていないが、だからといって突っぱねれば、折角のチャンスをふいにすれば、俺は殿下の騎士でいられるだろうか。
「な、なあ。あの突進を受け止めたのは何だったんだ?」
考え込んでいる間にフォートリンが恐る恐る質問をする。それについては俺も興味があるのでオルクスに視線を向けた。
「あれは魔力強化。体に魔力を流し込んで強化する技術」
「それは強化系スキルと違うのか?スキル光は見えなかったのだが」
殿下が後を継いで尋ねると、これまた常識外れの返事がきた。
「スキルじゃない。ただ魔力を流し込んで強化する、技術というもの」
「スキルではないのにあの効果か……凄まじいのだな、その技術というものは」
戦士でない殿下にはしっくりこなかったようだが、俺はその意味くらい分かる。スキルでない力が、本当に存在するなど……これまでは一笑に付しただろうソレもしっかり喰らってしまってはな。
もう、訳が分からない。
ついに頭が麻痺してきた。思考がうまく回らない。ただ、一言だけ言わないと気が済まない。
「………………オルクス、勉強になった」
「……うそ」
なんとか絞り出した感謝に、それまで徹頭徹尾無表情だった鉄面皮女の目が僅かに見開かれた。
「おい、貴様……!」




