六章 第10話 マレシスの迷い
「やぁ!」
打ち込まれる木剣を自分の木剣で受け止める。乾いた音がして、手になかなかの重さがのしかかってきた。それ以上押し込まれないように踏ん張りつつ、筋力強化のスキルを上乗せして押し返さんと試みる。
「うお!?」
驚いたように俺の相手、レイル=ベル=フォートリンは一歩下がった。そこへ『騎士』の斬撃スキルを重ねて弾き飛ばす。彼の手から剣が抜け落ち、この一本は俺のものとなった。
「はぁ、はぁ……さすがってカンジだな。マレシスって強いわ、やっぱり」
剣を拾い直し、腕で額の汗を拭ったフォートリンがそんなことを言う。
俺が強いのは当然だろう、近衛騎士だぞ。
そうは思うものの自分でどうにも納得ができない。夏までは少なくとも練習相手となるこの男に対して、俺はそこまで優位に立ち回れているわけではないのだ。カンがいいとでもいうのか、的確なところで攻撃を弾かれてしまうことがある。
それにあの女……アクセラ=ラナ=オルクス。あいつに雪辱を果たせていないではないか。
「お前もなかなかだ。さすがは鬼首のフォートリン伯の長男だ」
フォートリンのお父上はこの国の第一騎士団で副団長を務めるほどの強者。それも鬼首の異名が示すように、オーガの上位種を相手に多大な戦果を挙げた救国の人物でもある。その長男である彼が弱兵なはずもない。
それだけ由緒ある家柄で、血統からしてスキルにも恵まれているはずの彼が何故あんな奴と親しくしているのだ。
フォートリンだけではない。彼の婚約者やトライラント伯爵家の嫡男、噂によればアロッサス子爵家の双子もあの女と仲がいいと言う。オルクス家を嫌う武闘派が多く揃っているにもかかわらず、そのことを教えてくれた者曰く非常に和気藹々と語らっていたらしい。
「意味が分からん」
「え、なんか言ったか?」
「いや、なんでもない。今ので手がしびれてしまった、少し休もう」
「お、そうだな。オレも実は手がしびれててさ」
授業時間での打ち合いはほとんど自分たちのペースでしていいことになっている。というのも俺たちは基礎以上の剣を既に学んだ組だからだ。時折あの教師が見回りに来ては助言を寄越すが、その時以外は誰もが自由にパートナーと剣を交えていた。
「……」
練習場に置かれた大桶に持参したタオルを漬けて絞り、その間に殿下の様子を盗み見る。だいぶ離れたところで殿下はあの女と打ち合っていた。
打ち合って、というより打たせているのか?
顔を拭きながら見続けていると不自然なところがいくつもある。あれは互いに切りあっているのではなく、あの女が殿下に打ち込ませているように見えた。
なにをしているんだ……。
意図はまったく分からない。しかし殿下はスキル光を纏っていないにもかかわらず、とても美しい動きをしている。認めたくはないが、あの女の動きはさらに美しい。
「なんだかな」
あの女がどういう人物なのか、俺には最近わからなくなってきてしまった。
主家を裏切って敵対派閥に鞍替えするという、貴族の間では忌み嫌われる行為を行ったオルクス伯爵の娘。何度か伯爵本人を見たことはある。何かに憑りつかれたような眼差しの肥満男だ。オルクスという武門の当主でありながら戦闘も戦略も秀でたところのない、ただ小賢しく汚い金をつくるだけの。とはいえ汚い金といえども金は金、今の主であるザムロ公爵は妙にこのオルクス伯爵を気に行って使っている様子だ。
反吐が出る!
騎士道に身を置く者でないとはいっても陛下の、いずれは殿下の家来となる者が奴隷の違法売買で金儲けなど汚らわしいにもほどがある。
「だが……」
先日の殿下のお茶に来たあの女はこちらの予想と随分違うことを言っていた。領地の屋敷で育ったため父とはほとんど接触してこなかったと。それが本当ならオルクス家であると遠ざけようとしてきた俺はとんだ間抜けということになる。
いや、腹は立つがそれはいい。
嘘である可能性も等しくある以上は俺自身態度を変えないつもりだが、もし違っているならそれに越したことはない。危険視した相手が本当に危険な敵ではなく無害な他人であるなら、それ以上に俺たち近衛に良い結果などないのだ。
「よし、続きを始めよう」
ひとしきり殿下とあの女の稽古を見てからフォートリンに声をかける。
「おう!」
木剣を手に対峙するフォートリンからはいつも以上に真剣な気配がする。試合に臨む前の先輩騎士を彷彿とさせるそれだ。
「気合いが入っているな。どうかしたのか?」
剣を構えながら尋ねる。いつもなら彼が相手でも滅多に話さないのだが、何故か今日は無駄話も悪くないかと思ってしまった。きっと殿下に少し肩の力を抜けと言われたからだろう。練習中に私語をするのは近衛騎士団では禁止である。そう考えれば学院の授業とはいえ肩の力を抜くことにもなるはずだ。
「お、珍しいな。マレシスから授業中に話しかけてくるなんてさ」
やはりそう思われるか。フォートリンは前からときどき話しかけてきたが、俺の方からはなかったことだ。
「まあいいや。で、気合が入ってるかだっけ?」
フォートリンは当然のようにしゃべりながら剣を構える。そのまま彼の全身にうっすらと赤い光が灯った。俺も『近衛騎士』の内包スキルで身体強化を施して光を纏う。
「そりゃあな!」
言葉に気合いを乗せて踏み込むフォートリン。突進系スキルではなくあくまで脚力によるものだ。振り下ろされた剣に『近衛騎士』のパリィを当てて相殺し、勢いのなくなった打ち込みと組み合う。
「戦闘力を測る試験を受けて冒険者登録するんだぜ。いいだろ?」
「……冒険者、か」
至近距離にある満面の笑みがそう答えた。
冒険者、忌々しい。またソレか。
そんなものの何がいいのか分からない。栄えある貴族が、騎士団でも上位に位置するフォートリン家が、誰よりも気高い騎士の血を持つ者が手を伸ばすべき未来ではない。あのような欺瞞と野心にまみれた卑しい仕事は。
「ふん!」
目の前の冒険と言う心躍る言葉と手っ取り早い栄光に目がくらむとは、少し目の前の男を過大評価していたのかもしれない。そう思いながら強化系スキルを重ね掛けする。そのまま木剣を押し込んで別のスキルを放つ体勢へ移行、真っ直ぐに睨み付けてやる。
「うおっと!?」
「お前は騎士になるのだろうが!」
怒りを声に出し、『近衛騎士』の連撃を放つ。初撃で相手の剣を押しのけて2回切りつけるブレイクスラッシュという大技だ。深い赤の光に包まれてフォートリンの剣を押しのける。力に負けて崩れた姿勢へと次の一撃が放たれる。ろっ骨の1つくらいは折れるかもしれないが、それくらい安い授業料だと思ってもらいたいものだ。
「そこまで!」
あの教師の声が聞こえるが、もう遅い。一度放ち始めたスキルは止まらない。それにどうせフォートリンの甘えた考えを打ち砕くだけだ、最後には彼のためになる。骨折以上の怪我になる武器でもない。
「はぁっ!」
深紅の光に突き動かされるまま振り抜いた剣は、しかしフォートリンに当たることはなかった。手がびりびりと痺れるほど硬いモノ……メルケの上腕に受け止められていた。フォートリンは驚いたような顔で倒れている。襟を後ろに引っ張られて軌道上から退かされたようだ。
「馬鹿者!」
迫る拳が見えなかったわけではない。ただ、避けられなかった。あの教師の大きな拳が額を打ち抜くまで俺の体はまったく反応ができなかったのだ。
「が!?」
「連撃スキルは禁止だと伝えただろうが!」
揺れる視界と強烈な痛みに膝をつくと、頭の上から落雷のような怒声が轟いた。たしかにまだスキルを使用しての戦いは許されていても連撃の攻撃スキルは禁止だった。ついカッとなってそのことを忘れたのは俺の不徳である。
「も、申し訳ありません……」
「今日はもういい。お前は医務室で額の手当てを受けて少し頭を冷やして来い」
教官にそう言われてはどうしようもない。悪いのは俺なのだから。
「……はい」
立ち上がってみると周りは皆こちらを見ていた。上級者組だけでなく全員が稽古の手を止めて。おそらく俺が叫んだあたりからだろう。みっともないところを見せてしまった。
殿下、申し訳ありません、
視線で主に謝る。それからフォートリンに目を向けるが、どうにも謝罪の言葉は出てこなかった。授業の禁止事項に抵触したのは俺の非だが、彼に対して感じた怒りと失望感は今も変わらないのだから。
~★~
「マレシス……」
先生から退場を言い渡されてしまった我が騎士を見ながら私はため息をつく。奔放なレイル=ベル=フォートリンとは同じ騎士の系譜ということで意外と馬が合う様子だったというのに、一体何があったのか。
おおよそは想像がつくが……。
騒動のさなかに聞こえてきたあの怒りの声から察するにマレシスの騎士感に合致しないことがあったのだろう。ただレイルのことは奔放とはいえ根は真面目で善良と聞く。一般的な騎士の道に背くことはないはず。つまりマレシスだけが激怒する内容……となるとほぼ1つに絞られる。
「アクセラよ。レイルは……」
「いつまで惚けてるの?」
「なに?」
確認をしようと戦闘学での相棒に目を向けようとしたときだった。呆れ声が耳元で聞こえた。何か私の中の深い部分が警鐘を鳴らす。しかしその警鐘の意味が理解できるより早く滑らかで熱い何かが首を撫でた。妙に心臓が高鳴る感触だった。次の瞬間、体が後ろに引っ張られる。
「ぐっ!?」
強烈な力で首が締め付けられる。抗えずに膝が屈しかけ、海老反るような姿勢で無理やり固定される。肩から後頭部にかけて柔らかい何かが当たり、その無理な姿勢を支えている。首が両側からきつく圧がかけられた上で斜め後ろへ引っ張られ、息は吸えるのに吸えている気がしない。
「がっ……な、なにを……!?」
突然のことに頭が追い付かず両腕を動かすも、肩の上を何かが通っているせいで水平より上がらない。どこからともなく香木のような優しく甘い香りが漂ってきた。場違いにもその匂いに私は一種の安らぎを覚えてしまう。
「いつまでもよそ見してると、トドメを刺される」
アクセラの声だ。聞きなれたそれがいまだかつてないほどの至近距離で聞こえた。頭頂部から頭蓋に響くように。
「お、おまえ……か……!」
ようやく状況が理解できた。私の背後から跳びかかった彼女は首に腕をかけてそのまま引き倒し、細腕からは想像できない筋力で首を締めあげているのだ。
ちょ、ちょっとまて!馬鹿者、これは、まずい!
状況を理解すると同時にとんでもない事態であることへの焦りが湧く。なぜならば、今私は相当に一紳士として問題のある状態だからだ。慌てて締め付ける腕を掴むが、まるでそういう形の石かなにかのようにびくともしない。森の中にあるような香りは彼女の纏う香水、背後に感じる柔らかさは彼女の体、囁きの距離はゼロにも等しい。心臓が変な鼓動を刻みだして、頭がくらくらとし始める。成人間近な男女がこれほど密着するのは道義的に問題がある、という以前に周囲から誤解されかねないし、何よりもマレシスが見たら真剣で斬りかかってきそうないや彼は今いないのだからしてなんだかずつうがしてきたんだがとりあえずここはもりのなかだったか……か……かはぁ……
「我慢もいいけど、そろそろ落ちるよ?」
「う……ぁ……」
「ネンス、降参して?」
こう、さん……?
ああ、だめだ……しかいがせまく。
もりの、もりのなかに……くらやみが……もり……やみ……。
「……」
「ん、最後まで屈しないのは偉い。でも」
私の耳に彼女の言葉が最後まで届くことはなかった。ただ、森の香りの中で闇に包まれ、浮遊感を味わいながら眠りについた。
~★~
「うぐ……」
包帯で巻かれた額に指を当てれば、医務室で軟膏を塗りたくられたその場所が疼くように痛む。素のステータスからして防御力が高い俺がこれほどの目にあうとは、やはりあの教師は素直に強いと認めざるを得ない。噂ではかつて魔法騎士団で高い地位を占めていたと聞く。不正を働いたことで放逐されたとも聞いたことがあるが、父曰くそれは間違いらしい。やる気に満ちて清廉潔白なよい騎士だと、堅物な父は評価していた。
聞いていたよりは覇気のない男だと思ったが、心は折れても実力は変わらずか。
もったいないと、そう思ってしまう。優秀な騎士が策を弄する人間に貶められてしまうことは、本来国や陛下のためにもあってはならないことだ。だが残念なことに今のユーレントハイム王国ではよくある話の1つにすぎない。明確な証拠がないからと見え透いた不正義が裁かれずにのさばり、スキルも忠誠心もある優秀な男が報われずに終わる。その一方で冒険者などという無頼の輩が王都の中心まで侵入を許され、はぐれの魔物を狩っては武勇を言いふらして回る。
「チッ」
腹立たしい。そんな状況にも、我が物顔のオルクスのような連中にも、膿を排しきれない父たちにも、今すぐに立ち上がって変革を起こせない無力な自分にも。
「結局は力か」
金や地位という力がオルクス伯爵のような人間には多く、中には武力を持つ者もいるだろう。それを覆せるだけの力がシーメンス子爵家にも俺にもないのが、この国を腐らせている最大の理由だ。力が欲しい。今すぐに全てを覆してこの国を、いずれ殿下の治めることになるこの地を清める力が。それなのに当の殿下はと言えば、この俺に趣味を見つけろなどと……優しく穏やかであることが彼の方の美徳ではあるが、いささか苛烈さというものが足りない気がするのだ。
いや、もしかすると……。
俺を自由に動けるようにしたのは殿下なりの激励かもしれない。比較的安全な学院にいる間に力を付けろということか。
「……すまない、シーア」
小さな声で婚約者への謝罪を唱える。殿下のお言葉通りにもう少し時間を割こうかと思っていたが、もし殿下が本当はそんな期待をされているのであれば。
明日より夜間の練習をするとしよう。
場所は学院の施設をどこか借り受ければいい。近衛騎士としての訓練だと言えばさすがに身分を鑑みない学院と言えど考慮はしてくれるだろう。これであの女にも打ち勝つことができるはずだ。
「……」
あの女に打ち勝つ。そのことを思い浮かべたとたん、また心に迷いが生じたのを自覚する。
しかたがないではないか、あんな顔をされれば……。
お茶会の間、俺はあの女が殿下によからぬことをしないかとつぶさに観察していた。毒や小刀による暗殺と色仕掛けの両方、どちらでも防げるように。だがそんなことは一切なかった。かわりにあの女は殿下と色々な話をしていた。たとえば育ったという屋敷のこと、怒ると恐ろしいが愛情深い乳母のこと、穏やかだが頭のキレる家宰のこと、距離が近すぎるくらいに親しい使用人たちのこと。始終無表情ではあったが、どこか穏やかな様子だった。
あのオルクスの家の者が、と思う程度には意外だったな。それは認めよう。
もっと陰湿で狡猾で心の貧しい者だと思っていただけに驚いた。仮面をかぶっているだけかもしれないが。だが雰囲気とは偽りにくいものだとかつて……兄と慕ったあの男が言っていた。あんな男の言葉を真に受けるのは癪だったが、雰囲気を偽る方法は俺自身思い浮かばないので否定もしづらい。
だがあの女は試合で俺に恥をかかせた!
脳裏に嫌な思い出が浮かび上がってきてまたイライラがつのる。教官は勝手に条件を加えたのは俺の方だと言ったが、それにしたって試合と言う以上は最低限の礼節を持って臨むべきだ。たしかに『体術』を考慮しなかったことは俺の非だ。なら他はどうだと考えてみれば、スキルを使わずに殴りかかってきたことや剣を棍棒のように扱ったことは向こうが野蛮なだけだ。
蛮族とでも戦う想定で来いということなのか?学院でそんなことを教えて何になる。
「ああ、頭が痛い!」
物理的に痛みがあるというのに、色々と考えすぎて別の頭痛までしてきた。
とりあえずは殿下を寮まで送り届けて、しかる後に学院側へ稽古場所の申請をしよう。今年中になにか一つでも新しいスキルを身につけ、『近衛騎士』のレベルも上げなくては。そうして最後にはあの女を正々堂々と俺の騎士道でもって下し、その心根の正体を見極めてやるのだ。その後であれば、殿下のお傍へあの女が近づくのも許そう。当然見極めた結果がよければだが。
どうにか結論を出したのと時同じくして俺はクラスにたどり着いた。施設が充実している変わりに、どうしても広すぎるのが学院の悪い所だ。どうも既にクラスは解散しているらしく、扉は開かれてクラスメイトたちが出てきていた。まだB以下のクラスは担任から一日の締めくくりを聞かされているようだった。
「……おい、殿下はどこに行かれた?」
教室を見ればもう殿下はおられず、困惑を胸にそこにいた生徒に俺は質問した。トライラント伯爵家の嫡男だ。なぜかあの女と親し気にしているうちの1人でもある。
「え……あーっと……もう帰りましたよ?」
歯切れの悪い回答に不安が首をもたげた。
「俺を待たれずにか?何があった」
「……怒らないで聞いてくれますか?」
「確約しかねるが努力はしよう」
その瞬間彼の顔に浮かんだ絶対ダメだという表情に少し気分を害するが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「それで?」
「模擬戦でアクセラさんに締め落とされて……」
「あの女ぁぁあああ!!」
次回は紋章イラストの第二弾を掲載させていただきます!
エレナの紋章はどこだったかな?
思い出したら楽しみに一週間待ってやってください(笑)
~予告~
新しい杖を求めるエレナ。
蒔いた種を確認するアクセラ。
次回、杖と魔道具




