六章 第4話 天文学
天文学は午後の2限目、選択授業の1つだ。戦闘学や占術学の裏なのでとっても生徒が少ない。同じ学年の全クラス集めてようやく教室一つ分。特にAクラスからはわたしともう一人女の子、アレニカさんだけ。ちょうど、目の前を歩いてる苺金の髪の少女だ。
「そういえばアレニカさんて魔法の授業何も取ってないんですね」
途中まで占術学のクラスと道が同じだから、この廊下にはまだ何人もAクラスの人がいる。でもそれは女の子ばっかり。男の子は皆が戦闘学に行っていて、アクセラちゃんと他数人の女の子もそっち。
「ええ、そうですわよ」
両サイドで短く結んだ特徴的な色の髪を揺らしながら、アレニカさんが隣の女の子と話してる。盗み聞きとかじゃないけど、聞くともなしにわたしはそれを聞く。
「もったいなくないですか?だってアレニカさんて……」
髪の毛以上に特徴的な珊瑚色の瞳を思ってか、一緒にいる少女はそんなことを言う。魔力過多症の証拠であり、強力な魔法使いの素養とも言われている特徴だ。
「いいんですのよ。私はお母様のようになりたいんですもの」
「お母上、ルロワ夫人のようにですか?」
「ええ、お母様は大きなサロンを定期的に開いているんですの。多くのご婦人方が憧れる、とても立派なサロンですわ」
大魔法使いになるより社交界の女主人になりたい……わたしにはよくわからないけど、人の目標はそれぞれだ。
「それは素敵ですね」
社交界かぁ……考えたことなかったけど、わたしやアクセラちゃんもいつか行くのかな?
よくよく考えてみれば貴族のお披露目パーティーにわたしは行ってないから、社交界の方もたぶん行くことがないはず。逆に言うとアクセラちゃんは出席することになるのだろう。本で読む社交界は煌びやかで憧れを抱くようなものだ。でも実際はきっと違う。貴族の世界はそう綺麗な物じゃないと、さすがにわたしも理解してる。
「そういえば例の噂聞きました?」
「どの噂ですの?」
「あら、知らないんですね」
アクセラちゃんとは違う、本物のお嬢様らしいお嬢様たちの話題はころころ変わる。もっとも少年少女の会話なんてどこでもそうかもしれない。
それより、その聞き方で分かるわけないと思うんだけどなぁ。
「ヴィヴィアン先生と戦闘学のメルケ先生、お付き合いされるんじゃないかって」
「ヴィア先生が?メルケ先生という方は存じませんけど、どういった殿方ですの?」
ああ、またその話題か。
アクセラちゃんもメルケ先生とお話してそんな印象を受けたって言ってた。どうもわたしたちの決闘がきっかけになったようで、ちょっと複雑な気持ちだ。
「よくは知りませんけど、もとは魔法騎士団にいた方らしいですよ。でもなにか問題を起こしてこちらに移られたとか」
「そうなんですの」
「ヴィヴィアン先生、お人がいいですから……なにか変なことにならないといいのですけど」
言葉は選んでいるけど、つまりメルケ先生に騙されているんじゃないかと言いたいらしい。ちょっと嫌な気分にさせられる。わたしは直接知らない先生だけど、アクセラちゃんがとても気に入っている人だ。きっと悪い人じゃないはず。
「実はわたくし、3年に従姉がいるんですよ」
「あら、色々なお話はその方からですのね」
「本当に交友の広い従姉でして、上級生のことはたくさん教えてくれるんです」
「羨ましいですわ。私、年の近い親戚っていませんのよ」
「お兄様がいらっしゃったと思ったんですけど」
もう1人の女の子が情報通というのは本当のようで、アレニカさんが言った言葉に被せるように質問をした。それに対してアレニカさんの言葉は少し遅れる。
「お兄様とは少し年が離れているんですの。尊敬はしていますけど……」
けど、の先が彼女の口から語られることはなかった。どことなく後味の悪いその言葉を境に、わたしの前を行く2人の会話は止んでしまう。ただわたしが名前を覚えてないもう1人からは、特に気まずい雰囲気は感じられない。
「では、こっちですから」
「ごきげんよう、カーラさん」
そのまま新しい話題がでることもなく、その子は途中の教室に入っていく。それまで廊下を歩いていたほとんどの人が入って、まっすぐ進むのはわたしとアレニカさんと知らない同級生が数人。わたしたち2人以外はそれぞれ知り合いがいるみたいでお喋りを続けている。
「……」
「……」
人数が減ったからといって私たちはお互いに話すこともなく、視線を交えることすらなく天文学の教室にたどり着く。そこは薄暗い部屋で3人掛けの長机が整然と並んだ場所だ。個人用の机椅子が多い学院じゃ珍しい教室になる。そこでわたしが座るのはいつも後ろの方。魔眼持ちの例にもれず、わたしの視力はアクセラちゃんすら凌ぐ。アレニカさんは逆にいっつも一番前だ。
「あ!」
鞄を開けてつい声を上げてしまう。天文学の教科書がどこを探しても入っていなかった。
寮を出るときには鞄に入れたのに……。
1-Aの教室に忘れてきたらしい。天文学は教科書がないとまともに理解できない科目だ。ないととても困る。とはいえここは2階の端で、1-Aは4階の反対端。脚力を魔法で強化して全力ダッシュすれば往復も不可能じゃないけど、それをすれば交通事故は確実。
これは……しかたないよね。
荷物を纏めて最前列へいそいそと向かう。定位置と化した座席から移動するわたしを、他のクラスの男の子が珍しそうに見ていた。天文学を唯一受講する男の子だ。
「アレニカさん」
「……な、なんですの?」
急に声をかけられて驚いたのか、アレニカさんは眉をひそめてこっちを向いた。整った顔立ちと気の強そうな目のせいで、まるで睨み付けられているような錯覚を覚える。これだけ間近で見たのは初めてだ。全体は赤っぽい金髪なのに毛先で朱色の変わる不思議な髪と深紅の瞳、どちらも白い肌によく映える。
アクセラちゃんとは真逆だけど、すっごい綺麗だなぁ……いやいや、今はそうじゃなくて!
「アレニカさん、テキスト忘れちゃって……隣で見せてもらえないかな?」
わずかな沈黙が流れる。他に見せてもらうアテがないことや教科書がないと授業が分からないことは彼女も知ってるはずで。
「……仕方ありませんわね。どうぞ」
眉根を寄せたままアレニカさんは教科書を長机の真ん中に置いてくれた。
「ありがとう!この授業大好きだから、どうしようかって思ってたんだ」
「そ、そうですの」
眉間には皺を寄せたままどことなく嬉しそうに口元をほころばせるアレニカさん。ちょっと器用だなと思ってしまう。
「じゃあ横失礼します」
あんまり負担をかけないように真ん中の席に座る。両端で同じテキストを見るよりは彼女も見やすいはずだ。
「ちょ、近いですわよ」
「でも薄暗いし、アレニカさんが少しでも見づらくないようにしないと」
「う……そ、そういうことなら」
なんで教室がこんなに暗いかというと、天文学担当のキング先生が明るさにうるさい人だから。いつも頭から砂漠に居るみたいにスカーフを被って、大きなサングラスで目に入る光を抑えてる。目が弱いのかと最初は思ったけど、どうも星のわずかな光まで観察するために一日中目を馴らしてるみたいだ。本当に意味があるのかはちょっと……今度リニアさんにでも聞いて見たらいいかもしれない。
ノートや万年筆を出して準備を終えたころ、ちょうど先生が入ってきた。入口に頭をぶつけそうなほど背が高い男の人。それなのに足首まである大きなコートを纏っていて、やっぱり頭には使い古しのスカーフを何重にも巻いている。鷲鼻の上には大きなサングラス、口元には真っ黒のルージュ、歩幅はわたしの半分くらいでシャカシャカと歩く学院で一番変な先生だ。
「皆さん、こんにちは。今日も太陽ばかりが出しゃばっていますね」
「……こんにちは」
明るい声でそんなことを言われてもちょっと困る。
「ではではでは早速始めて行きましょう。前回は天文学の歴史とおおまかな概要を説明しましたね……ここでクイズです、アレニカさん!天文学最大の謎はなんでしょうか」
教卓に荷物を置くが早いか、先生は細長い指でアレニカさんを指す。日に焼けた様子のない、青白い指だった。
「私たちの世界は星なのかどうか、ですわ」
「よろしい、正解ですよアレニカさん。ではでは星1つあげましょう」
ひょろ長い足を小刻みに動かして近寄ってくるキング先生。ちょっと昆虫っぽい。そして懐からやっぱり長い腕がにゅっと伸びてきて、アレニカさんの前に小さななにかを置いて行った。それは星型のシールで、羊皮紙から手作りされた先生なりのご褒美だ。わたしも5枚持っていて、どれもちょっといい匂いがする。
「ありがとうございます、先生」
それまで眉間に浮かべていた皺を解いて笑うアレニカさん。彼女はいそいそとノートの最後のページにシールを張った。その数なんと12個。
最前列で12回も星もらってるんだ。好きなんだね、天文学。
彼女はいつもわたしの苦手なクラスメイトたちと集団でお話してるので、てっきりあんまり合わないタイプの人かと思ってた。教科書を見せてもらうのも断られないかと心配していたくらいには。
「さてさてさて、我々の立っているこの場所が星なのか否か。実に面白いテーマですよね、皆さんそう思うでしょう」
語りかけるように、独り言ちるように、とにかく楽しそうに先生は喋る。
「授業の最後ではそれまで習ったことを使って、この天文学最大の難問に皆さんの見解を綴ってもらいたいと思っています。もちろん正解も不正解もないので自由な意見をつらつらつらと書いてくれれば構いませんのです」
正解のないレポートは好き嫌いが分かれる。わたしは大好きだ。でもほとんど生徒はそうじゃないみたいで、後ろの方からはため息がいくつも聞こえてきた。横をこっそり窺うと、アレニカさんの口元は小さくほころんでいる。
うん、やっぱり仲良くなれそう。
「そもそも星とはなんぞやということですが、これは前々回お話しましたね。つまり夜空に輝く星は恒星、太陽のような存在なのですよ。それに対して月であるとか特定の道具やスキルを使って観測できる光らない大きな球体を惑星と呼ぶのです。基礎中の基礎の基礎ですから覚えておいてください、特に後ろの3人組」
恒星と惑星の考え方はお屋敷の書庫でも読んだことがある。この内容だけはアクセラちゃんもあんまり教えてくれないので、逆に一時期ハマって読み漁った。ちなみにエクセララだと天文学と他のいくつかの学問が遅れているらしい。基礎になる異世界の知識がこっちで通用するか不明だから、だそうだ。
「我々が今立っているこの大地が果たして惑星なのか、それとも別のなにかなのか……興味は尽きませんよね、そうでしょう。それを解き明かそうとするのが天文学でありながら、しかし我々天文学者は知ってもいるのです。解き明かせる日はおそらく来ないのだろうと。実に切ないこの思い、皆さん分かりますか。いえ今わからずとも伝えるのが私の使命なのですが」
黒い唇をひくひくさせながら陶然と語る先生は、その衣装と相まってどこまでも危ない人だ。でもその情熱が本物であることは危なさが逆に証明してくれる。きっとアクセラちゃんが気に入るタイプだろうな。
いつか紹介しよう。
「せんせー、解き明かせないって分かってるのになんでやってるんですか。暇なんですかー」
顔も知らない誰かが後ろから質問を飛ばす。それが真面目な質問でないのは口調からも言葉選びからもすぐ分かった。でもキング先生は気分を害した様子もなくニィっと笑って見せる。
「とてもいい質問ですよ、たしかキュールさんですね。実にいい質問をしてくれた君にも星1つあげましょう」
またシャカシャカと歩いてシールを渡しに行く先生。星は多く集めると最後に何かくれるらしい。
「なぜ一見不毛にも見えるこの取り組みを我々がずっとしているのか、その理由をこそ知ってもらいたいのがこの天文学の授業です。さあさあさあ、それでは本題を始めようではありませんか、ねえ皆さん」
嬉々として語りだした先生の言葉を、アレニカさんは丁寧にノートにまとめていく。わたしは大体覚えられるからとノートをおろそかにするので、見習わないといけないことだ。
さて、なぜ天文学者がわたしたちのいる場所を星とすればいいか迷っているか。それは彼らの重んじる観測と計算による結果、水平線が曲がっていることが証明されたことに端を発する。地面は傾斜があるので海で観測しようと考えた天文学者が、波のせいではありえない規則的なズレを見つける。それは水平線がわずかに歪曲しているために生まれた誤差だった。
「スキルで計測すればぴったり合うのに道具で計測するとズレる。その面白すぎる歪みを補正しようと多くの天文学者が道具の改良を試みました。結果として彼らはスキルでは織り込まれているその歪みこそ、この大地の神秘を解き明かすため神が与えたもうた鍵であると気づくのです!」
ばっと両腕を天に掲げるキング先生。
積年の観測と研究の結果、この大地は大きな球体ではないかという説が持ちあがる。つまり日ごろから観測している惑星なのでは、と。だがそれを証明するにはぐるりと一周回って元の位置に来れると示さなければ。大陸が2つしか知られていないのに、巨大なこの星を一周するのは無理だった。
まあ、最悪2つの大陸以外停泊する場所のない海だけってこともあるしね……。
「ああ、神よ我ら天文学者を哀れみたまえ!といくら祈ってみてもその神も真実を教えてくれることはないのです。己で調べて知らなくてはいけないのだということなのか、それとも鍵を与えたつもりすらなく我々がうっかり見つけてしまっただけなのか」
色々な神様の神殿や教会を巡って神託までお願いしたものの、誰一人真相を教えてくれることはなかったという。たどり着いてはいけない真実なのか、それとも自力でたどり着かなくてはダメなのか。そのどっちでもあの神様たちならありえそうでわたしはなんとも言えない顔になる。
「しかし私はこうも思っているのです、皆さん。そこまでして探し回っている我々天文学者に対して神々が止せと言ったことは一度もないのです。ただの1人も怒れる神の火に焼かれた同胞はおらず、あるいは相対した使徒から不敬であると責められた同胞もいないのです。これはすなわちですよ皆さん。すなわち、我々天文学者が止める必要もないくらい愚かな勘違いをして首のない鶏のように走り回っているか……」
先生は一度言葉を切ってまっすぐに生徒たちを見回した。サングラスに覆われスカーフの闇に潜むその視線がしっかりとこちらを捉えているのが分かる。一際わたしの隣の少女を見た気がするが、ほんとのところは分からない。
「あるいは神々にその努力を認めらているということなのです!」
満面の笑みを口元と声だけで表現して、キング先生は高らかに笑いだした。どことなくリオリー魔法店でお世話になってるマイルズさんや、戦闘で興奮しだしたアクセラちゃんを思わせる危うい雰囲気だ。ちょっと親近感が増すあたりわたしも相当キてるのかもしれない。
でも、アレニカさんにも親近感が沸いてきたな。
薄暗い教室の中、頬を染めて先生の言葉を書き留めるお嬢様にそんな思いが生まれた。
~予告~
アクセラ、ネンス、マレシス。
3人の関係が少しずつ動きだす。
次回、殿下のお茶会




