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序章 第1話 旅の果て

挿絵(By みてみん)



「あぁ……」


 大砂漠に存在する唯一の都市国家エクセララに吹く乾いた風を思わせる、枯れ果てた声が男の口からこぼれる。それは百年前に命尽きた大木のような、やせ細ってもなお屈強な気配を感じさせる男だった。

 その男のよく焼けた肌には骨と筋以外に最低限の、しかし鍛え上げられた筋肉が透けている。身にまとう白い胴着と袴は死に装束のようでもあり、同時に清廉な神官服のようでもあった。彼はわずか5メートル四方の板の間に刀1振り携えて座っていた。


 男は自分の一生を思い返した。

 彼は親すら知らない奴隷として生まれ、脱走する日まで散々虐げられてきた。世界にあまねくスキルという祝福を受けられなかった存在、ブランクとして。逃げ出してからも野盗、コソ泥、物乞いと人に誇れる生き方はしてこなかった。せいぜい外道働きはしたことがないのが救いだろうか。

 そんな男に歩むべき道を示してくれたのは異世界から来た1人の剣士だった。王侯貴族を凌ぐ高度な知識と、スキルに頼らずとも様々なことを成す技術。それらに触れた男は以来異世界の剣士を師と仰いで付き従い、様々な場所に赴いた。

 刀の修行をするかたわら獣人やブランク、奴隷などつまはじきにされた者を多く解放してきた。やりかたの良し悪しはおいておいて、その中で彼は多くの友と大切な子供を2人も得た。子供たちのために、仲間たちのために、男はこの街を作ったのだ。全ての家なき民に帰る家をと願い、人に虐げられてきた者に人として暮らせる場所をと願って。

 良いこともあった。悪いこともあった。嬉しいこともあった。悲しいこともあった。誇れることもしたし、誇れないこともした。街を作ったことは、その中でも一際誇れることだった。


 思い返せば思い返すほど、男は人生の半分をこの街のために使ってきたのだと実感した。

 しかしもう揺り籠の時は終わったのだ。男の息子や娘、その仲間たちの手に街は渡った。もう彼の出る幕ではない。なにより体がもう限界だった。


「ふぅ……」


 男はゆっくりと息を吐く。体に溜まった最後の力からさらに余分なものを削ぐような、見る者がいればゾッとする呼吸。それは赤ん坊が生まれ落ちた時に上げる産声と対を成す仕舞いの息なのかもしれない。

荒涼とした大砂漠に一大都市国家を築いたその男は、まだ消えない渇望を目に宿して立ち上がった。その動きは非常に滑らかで、手には紫の鞘に納められた刀が握られていた。


「……」


 それ以上声は上げず、呼吸もゆっくりとした普通のものにする。男は残り僅かな時間を刀に捧げられることに喜びを覚えた。それこそが残りの半生を捧げてきたものだからだ。

 半世紀以上共に生きてきた刀の鞘を払い帯に挿して留める。冷たい光を放つ刀身を正眼に構えれば、男の血潮はぐらぐらと煮えたぎりだした。


 ああ、愉しい。刀を握るのは、刀を振るうのは、戦うのは、愉しい。


 年甲斐もない興奮と老練な冷静さが同じ体の中で渦巻き1つの力へと収斂されていく。おぞましいほどに闘争的で神聖なほど厳粛な空気を纏い、男はゆっくりと刀を上げた。


 一にして全なる一太刀、紫伝一刀流・雫


 頂点へと掲げられた刀は一拍の静止の後、動へと切り替わる。猛々しく、清々しく、神すら切り伏せるが如き気迫で振り下ろされる。左右に全くぶれることなく、人間の体にあるわずかな遊びさえも御し切った達人の領域のさらに先へと。


 スッ……。


 遥か地平線すら斬り捨てるような剣筋と、不似合いなほど慎ましやかな音。風さえ、音さえ、あるいは時間さえもが斬られてしまったような静寂が訪れる。やがて残心を解いた男は美しい動作で刀を納めた。


 「ふ……ふふ……ふははははは!はっはっはっはっは!」


 男はけたたましく笑いだした。ひたすら愉快そうに、燃え尽きたあとの力の残滓まで使い切るように。自身の前、ちょうど刀の切っ先が撫でたであろう空間を見つめて。


 「はっはっはっは!勝った……師匠に勝ったぞ!はっはっはっはっは!」


 男が見つめているのは何もない空間ではない。そこにはたしかに、不自然な光景が存在していた。厚みのない切れ込みが、なにもない空中にただ浮かんでいるのだ。うっすらと七色の光が揺蕩うその傷跡は、男の刀が次元を斬り裂いた証であった。師ですら不可能だと言っていた空間を斬り裂く一太刀である。


 「紫伝一刀流・雫の変化、虹雫とでもしようか」


 弟子に聞かれれば呆れられそうなほど安直な名前を付けて満足気に笑ったところで、とうとう力つきて(くずお)れた。


 「師範!大丈夫ですか、師範!」


 燃え滓のように軽い体が床板を打つ音に、遠くから男を呼ばう声がした。若い娘の声だった。


 「師範……!」


 襖が外れるような勢いで小さな部屋に入ってきたのは、やはり少女だった。藍色の髪を臙脂の組紐で括った、獣人の少女だ。


「誰か、兄さん!司教殿と薬室長を!早く!!」


 駆け寄って男を抱き起した少女は腹の底から轟くほどの叫びをあげて人を呼ぶ。その音に驚いたのか、近くの部屋で稽古をしていた弟子たちが慌ただしく動き始める気配がした。


「はは……ナズナ、見てみろ」


 男は少女の焦りを無視して、節くれだった指で虚空を指し示す。


「こ、これは!」


 未だ色濃く残る空間の傷跡を見た少女の口から驚きの声が漏れた。しかしそこに困惑はみられない。彼女は自分の師ならばいつかそれくらいはしてしまうのではと、ある意味馬鹿馬鹿しい予感を数年前から抱いていた。


「俺はとうとう師匠を超えて見せたぞ……」


「ええ、ええ!」


 頷きながら少女は男の体を自分の膝に上げて抱きしめ、回復の魔術をかけた。しかしその手は直ぐに止まってしまう。師の体の軽さにも、回復魔法の手ごたえのなさにも、少女は涙を堪えることができなかった。


「ナズナ、泣かないでくれ……俺はお前に喜んでほしいんだ……」


「は、はい。もちろん、嬉しいです……!」


「俺はここまで来れた……お前とカリヤならもっと先にも……コホッ」


 男は言い終えるよりはやく咽る。色を失った唇の端から反対に濃い色の液体が零れた。


「師範!?」


「コホコホッ……ここは道場だが、今は例外にしよう。なぁ?」


 突然言われた言葉の意味を少女はすぐに理解した。道場でのルールを今だけ忘れようと言われているのだと。


「はい、父さんっ」


 そっと少女はハンカチで父の口元を拭いた。


「父さん、もうすぐ兄さんが来ますよ。司教殿と薬室長も一緒です。大丈夫ですから、大丈夫ですから!」


 少女の目から大粒の涙がこぼれる。彼女自身、司教にも薬室長にももはや手に負えない状態だと言うことは分っているのだ。それでも言わずにはいれなかった。


「ナズナ……お前には、辛い役目を、させてしまう……」


「いいえ、何でも言ってください」


「これを持て」


 男は自分の手にあった刀を少女の方へと押しやった。もはや持ちあげるだけの力も残っていなかった。


檀切綱守(まゆみぎりつなもり)、よろしいのですか!?」


 男がこの街で再現に努めてきた未完成の代物ではない。師匠がこの世界へと持ちこんだ異世界の、本物の刀。コアオエ派から分派し諸国を漫遊しながら刀を鍛えた稀代の天才が作と師匠が自慢していた代物だ。その銘は(まゆみ)の大木を一刀で切り伏せたことに由来すると言われている。


「書斎にもう一振り……掻雲丸綱兼(かぐもまるつなかね)がある……それはカリヤに、譲ってくれ」


 男の師匠が愛刀とした掻雲丸は檀切綱守を打った綱守の息子綱兼が作だ。刃紋がまるで雲を掻き乱したような姿をしていることからその名がついた。


「今日からナズナが、仰紫流の……カリヤが紫伝流の総師範だ」


「はい、承知しました……!」


「カリヤは外が好き……だったな。ナズナは……内が好き……だろう?」


「う……ぁ……」


 声にならない喘ぎが少女の口から零れて中に溶けた。たしかに少女の兄は街の外を好み、少女自身は街の中で生きることを好んでいた。紫伝流は異世界の剣術、その性質は放浪と伝道。仰紫流は男が紫伝流に魔法を取り入れた流派、その責務はエクセララの技術の支柱となること。子供たちの気質を踏まえて与えられる刀と言葉が、男の遺言であることは誰にも明らかだった。


「ふっ……」


 男は小さく笑う。


「手がかりは……掛け軸の裏だ……」


 男は今まで様々なところに流派の秘伝書を隠してきた。彼等に与えるのはその鍵だけ。探す工程そのものもまた修行だった。


「必ず全て受け継ぎます!受け継いで広めます!私と兄さんが、父さんたちの意志は必ずっ!」


「そうか……ありがたい……だが、己の幸せも……大切にな……」


 遠くから慌ただしい足音が聞こえるのを、男は聞きながら残念な思いで胸がいっぱいになるのを感じた。最後に息子にも会いたかった。それが心残りだ、と。


「ナズナ……カリヤをよろしく……あれで意外と……繊細だからな……」


 息を吸って吐くたびに命が燃えて行く。生きるとはこんなにも力の要ることだったのかと、男は今更ながらに驚いていた。


「父親らしいことは……なにもしてやれなかったが……ナズナ……カリヤ……愛しているよ」


 一番伝えたい言葉を紡ぎ切ったとき、男の命の灯はあっけなく消えた。


「父さん、私も愛しています……愛しています!愛して……あい……うぁああああああああああ!!」


 少女の嗚咽は道場の外、表通りにまで聞こえるほどだった。慌ただしかった足音はいつの間にか止んでいた。代わりに、とても珍しいことに、街には雨の音が聞こえ始めていた。


~★~


 男の名はエクセル=ジン=ミヤマ。

 紫伝一刀流の師範代であり、仰紫流刀技術の開祖にして総師範。

 大砂漠に都市国家を切り拓き、世界に技術という新しい風を吹かせた人物。

 あえて最も困難な敵に喜々として刀一振りで挑む狂人。

 これはそんな刀に魅入られた男の旅路の果て。


 あるいは始まりなのかもしれない……。


とうとう連載を始めてしまいました……

どうも、作者の一響です。ヒトヒビキと読みます。イッキョウではありません。

坊さんみたいと言われたこともありますが、お経読めません。


「技神聖典」(メーカー希望ニックネームは「技典」)は準備にめちゃくちゃかかっているので、連載できてもう万感の思いと言ったところです。

読者の皆様に愛される物語に、彼らの生涯をしていけたらと思ってます。

たんまり書き溜めてあるので、しばらく安定したペースで更新できるますからご安心。


感想がないと寂しくて滅んでしまうので、感想や意見などジャンジャン送ってください。

雑談も混ぜてくれてええのよん?


~予告~

長い旅を終え、エクセルは眠りについた。

彼が目覚めることは・・・ない。

次回、新番組が始まります!


エクセル「おい待て、出落ちかっ」


※※※変更履歴※※※

2019/5/4 「・・・」を「……」に変更

2021/6/16 表紙が完成したので挿絵として追加

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― 新着の感想 ―
[良い点] 壮大なプロローグ。 ここから物語が始まるんてすね。 [一言] Twitterから来ました。 大長編なので、ゆっくりと読ませていただきます。
[良い点] 1/145 ・描写が素敵すぎる! [気になる点] かけじくの裏ってロマンありますね。 [一言] ブクマとお気に入り登録確定ですわ!
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