後篇 シュープリーム・スイート・エンド
ワサビによると、クチガネはこの世界の隠し攻略キャラである魔王に転生しているらしかった。
このままストーリーが進めば最終学年の年に、出現する可能性があるという。
「待てっ! クチガネは金属だろ。何故私たちと同時期に転生できる? 寿命が違いすぎる。それに何故そんなにゲームについて知っている」
金属製のクチガネが私たちと同じ寿命なわけがない。下手したら、人間よりも寿命が長い場合もある。
普通に考えれば、まだ前世にいるだろう。
それにワサビがゲームのことを知りすぎていることも怪しすぎる。
私を油断させるための罠かもしれない。
「この世界に関しては、僕と同じように転生したワサビ仲間に聞いた。前世、あの家のお姉さんは板わさも好物だった。これだけ言えば君はわかるんじゃないかな」
「……あー、まぁ」
私はブルーの顔を思い出した。
それにしても転生者、多くないか?
「クチガネの寿命に関しては俺も最初は疑ったが、俺が外道の転生の光を見誤るはずかない」
転生の光……。
私はこの世界でシュークに会った時のことを思い出した。
輝く光に導かれて、私はシュークを探し当てたのだ。
「俺がこの世界で目覚めて知覚した光は2つ。1つは暖かく優しく輝くシュークの光。そして、それとは真逆の禍々しく仄暗く輝くクチガネの光だった」
そんなことがあるのか。
いや、それよりもどうしてワサビはこんなにもクチガネの名を口にするとき、苦虫を噛んだような顔をするのだろうか。
まるで私がワサビのことを考えるときのように。
「お前はさっき、前世でのことを弁明していた。私がお前に復讐しても仕方ないとも言った。そのお前がクチガネを語る時、憎々しげな顔をする。クチガネとお前の何が違うというのだ。やったことは同じだろう」
「同じ? あんな外道と一緒にするな!」
それまで大人しかったワサビが突然激昂した。
「あの野郎は前世でシュークに穴を開けた時、笑っていたんだ。それも、さも楽しそうに高笑いだ。無抵抗のものをいじめる快感は何物にも代え難い、と言いながら!」
怒りに息は荒くなり、肩が上下する。
「百聞は一見にしかず、だ。君も会えば分かる」
言いながらワサビは一冊の本を取り出した。
「会う?」
「ああ、そうだ。君が俺を排除したがるように、俺も魔王クチガネがシュークに会う可能性を潰しておきたい」
ワサビが本を開いた。
禍々しい妖気が本から発せられる。
ワサビの足元の地面に、紫色の光で図形のようなものが描かれていく。
「こ、これは……魔法陣?」
「そう。これからその、魔王クチガネを召喚する。俺はこの数日間、その方法を探していた。そしてついに見つけたのだ」
ワサビを中心に風が吹き荒れ、思わず私は一歩、後退った。
「俺は今から魔王クチガネを倒す。最終学年にシュークが出会い傷つけられる前に。君はクチガネを見て倒すべき相手かどうか見極めればいい。さぁ、出でよ! 魔王クチガネ!!」
ワサビが言い放つと、魔法陣よりもワサビよりも上の空間が裂けた。
その空間の裂け目から長い黒髪の妖艶な青年が現れる。
そして……
「グヒョヒヒャヒヒュヒョヒヒャハハハハハッ!」
「えい」
ドッゴーーーーンッ!!
奇妙な笑い声に私は反射的に卵型の白い爆弾を投げつけていた。
「……リーム? 確かに俺は見極めろとは言ったが、見極めが速すぎじゃないか?」
「いや、悪い。笑い声が生理的に受け付けなくて……」
爆破はしたが、空間の裂け目はまだ閉じていない。
「ウヒョへヒフへヒョハフハハハハッッ!!」
「えい」
ドッゴーーーーンッ!!
煙をたなびかせながら、再び寒気のする笑い声で出てこようとする黒髪に卵型爆弾を投擲する。
「ヘヒョハハ」
「えい」
ドッゴーーーーンッ!
「グヒョ」
「えい」
ドッゴーーーーンッ!
「あの、ちょっ」
「えい」
ドッゴーーーーンッ!
「リーム……笑い声が気に食わないのは分かったが、その、モグラ叩きみたいに出てくるたびに爆弾投げつけるのは止めないか」
「いや、だってあんな笑い声の奴がいい奴なわけがない」
空間の裂け目はそのまま開いたままだが、“妖怪笑いおばけ”は出てこなくなった。
「ああ、もう。出てくるたびに爆破されるから相手も萎縮して出てこなくなったじゃないか」
「だって無理」
「向こうの空間は奴のテリトリーだから完全にこっちに出てこないと回復ループなんだ。ちょっと我慢してくれ……」
「むう」
「あ、もう攻撃しないんで、大丈夫なんで出てきてOKです」
空間の裂け目が少し大きくなり、そして……
「ふははははははは」
「あ、空気読みやがった」
「ちょっと無理してるっぽいけど空気読んだ」
始めの奇声とは似ても似つかないハスキーな腹声と共に、黒髪ロングが艶めく青年が現れた。
上半身だけ。
「ふははは!俺の名はクチ」
「早くそこから出ろ」
「……サーセン」
卵爆弾を振りかぶる構えで言う。
黒髪の青年はぺこりと頭を下げると裂け目を跨ぎ、魔法陣光る地面に降り立った。
なんだ、意外にいい奴じゃないか。
「俺の名はクチガネ。何の目的で俺を呼び出したかは知らんが、お前らをさっさと捻り潰し、あの女を蹂躙してやるぜヒャッハーーーっ!」
あたりに冷たい空気が流れ出す。
「あいつ駄目だわ」
「だろ?」
ワサビが腰の剣を抜き、私はスリッパ型トンファーを構えた。
なんかいろいろ聞きたいことがあった気もするが、今の一言でどうでもよくなった。
一回沈めて後でじっくり(拷問的な意味で)聞けばいいか。
そこからは私もワサビもラッシュの嵐だった。
ワサビが剣で空気も唸る連斬を繰り出せば、私も負けじと体重の乗った連撃をお見舞いしてやる。
ワサビが一閃で周囲の木も薙ぎ倒す剣技を見せれば、私は岩をも破壊する抉るような一打をクチガネに叩き込んだ。
笑う暇も反撃する間も与えぬ攻撃で、クチガネはものの数分で沈黙した。
激しい攻撃だったが、ワサビも私も傷一つつかず、ワサビに至っては汗すらかいていない。
こいつ、強い……。
少年マンガならここで、「お前、なかなかやるな」「お前もな」でがっちり握手、仲間フラグが立つのだろう。しかし残念! ここは、ざまぁ上等の乙女ゲーム転生世界。女の戦場である。
どこからか取り出した縄でクチガネを縛っているワサビ。
私は奴に背後から忍び寄り……
「ぐがっ!」
渾身の一撃をワサビの頭上に落とした。
「なっ……背後からとは、ひ、きょうな……」
クチガネに折り重なるように倒れ伏すワサビ。
「お前、強いからな。私は強い者と戦いたいのではなく、憎い相手を確実に仕留めたいのだ」
「だからって……」
「それに、あれほどお前が憎悪すると豪語していたクチガネを、縛って終わりとは生ぬるい対応だ。やはりお前たちはグルで、この戦闘も私の目を欺く芝居なのかもしれない」
「そん、な」
「悪く思うな、これも全てシュークのため」
「くっ!」
私はワサビに止めを刺すべく拳を振り上げた。
これで私の復讐は果たされる。
思えば長く苦しい日々だった。
大好きなシュークには会えず、髭のジジイにセクハラされたり、朝ごはん前に無茶な水汲みさせられたり。
それもこの瞬間で報われる。
この時の私の顔は喜色満面の笑みだっただろう。
虐げられた前世のどす黒い憎悪と、これまでの努力が報われることへの達成感と、シュークの未来を守れることの喜びが、ない交ぜになったことでクチガネの不気味な笑いではないが高笑いしたいほどだった。
しかし、振り上げられた拳はワサビに降ろされることはなかった。
私を止めた者が現れたのだ。
「リームちゃん! やめてえぇぇぇ!!!」
少女の叫びが森に響く。
「えっ?」
叫び声のした方を向くと、そこにはピンク色の髪の美少女、シュークが立っていた。
「シューク? 何でここに?」
シュークが私に駆け寄ってきて振り上げた方の腕にしがみついてきた。
「私、今日のことワサビくんから聞いて知ってたの。それでずっとそこの草の陰で見てて」
「ワサビくんって、そんな親しげに……え? 二人は最初に会ったとき以外にも会ってたの? ちょっと待て、何その行動、ビッ」
チ、と言いかけて我を忘れそうになる自分を宥めた。
めくるめく妄想が頭の中を駆け巡る。
いや、待て落ち着け自分!
二人が私の知らないところで会っていたからといって、そんな爛れた関係になっているとは限らないじゃないか。
清く正しかったかもしれないじゃないか!
いや、でも私に隠してコソコソ会ってることからして疚しくない?
ちょっ、突然過ぎて頭が追いつかないんだけど!
「ワサビくんとは下駄箱で手紙のやり取りをしていたの。表立って会うとリームちゃんが嫌がると思って」
「そんな!」
あ、でもちょっと安心した。直接には会ってないのか。
安堵するも疑問が消えたわけではない。
「でも、こいつは前世、シュークを散々苦しめたワサビなんだぞ」
「リームちゃん……それは違うわ。確かに前世、ワサビくんが私の中に入ってきたときは私が私じゃなくなりそうで、怖かったわ。ワサビくんと私のカスタードが混ざり合う度に灼けるような激痛が走った」
シュークがその時のことを思い出し、身を震わせ私の腕をさらに強く握り締める。
「許容以上に中身を詰められシュー皮は裂けそうになり表面が微かに痛みと共に悲鳴をあげる」
前世シュークリームだった私には分かる。今、シュークが語っていることがどれほどの恐怖なのか。それは耳を塞ぎたくなるほどだった。
「でもね。そんな中でも、彼、ワサビくんは私を励ましてくれた。すまないと謝りながら、頑張れって言ってくれたの」
シュークが僅かに微笑んだ。とても綺麗だった。
「彼自身だって苦痛だったはずなのよ。私たちがワサビを入れられて、シュークリームがシュークリームでは無くなるのと同様に、ワサビもカスタードと混ざればワサビでは無くなる。自己が崩壊していく恐怖は一緒なのに、私にゴメンって言って、なるべく私と混ざらないように自分の身を縮こませて」
シュークがワサビを見た。その顔は今まで見たこともないくらい穏やかで慈愛に満ちていた。
「最期の最期まで励ましてくれたの」
そこまで言うとシュークは私の腕を離した。
「本当言うとね、私、この世界に生まれてワサビくんに会えて良かったって思っているの」
シューク……やめて、それ以上は聞きたくない。
「だって前の世界では私はシュークリームで彼はワサビ。絶対に相容れない存在の二つだったもの」
シューク、お願い……もう、いいから……。
私は耳を塞いだ。
「だけどこの世界では一緒に居られるの。お互いを傷つけ合うこと無く、ずっと寄り添って居られるの」
シュークはそう言って、うっとりとした様子で笑みを零した。
それは乙女の表情だった。
これが乙女ゲームの世界だからとかではない。
シュークはその前からワサビに恋をしていたのだ。
そう悟った瞬間、私の頬を涙が伝った。
「私はワサビくんを恨んでなんていないわ。だから、身勝手かもしれないけれど、リームちゃんもワサビくんのことを許してあげて」
「でも……」
「今の私の幸せはワサビくんと一緒にいることなの、だから、ねっ」
その言葉は私には残酷すぎた。
私は膝からその場に崩れ落ちる。
「……そうしたら、今までの私の行動は無駄だったの?」
シュークの内情も知らないで復讐に燃えていた私。それは空回りで、ただの道化だったとでもいうのか。
「ううん、無駄じゃないわ。だって、ワサビくんと一緒にクチガネを倒してくれたじゃない。あの男はワサビくんと違って本当に最低だった」
私を抱きしめるシューク。
「多分、クチガネを放っておけば、私はクチガネに苦痛を与えられていたと思う。それを阻止して守ってくれたんだもの。リームちゃんは私のナイト様だわ」
「それは、ワサビもだろ」
「ええ、そうね」
とろけるような笑顔を返される。
くっ、これが私に向けられたものじゃないなんて。
「……そうか、シュークは今、幸せなんだな……」
「ええ」
「分かった」
私がいなくてもワサビが入ればこの笑顔は守られるのか。
少し寂しくはあるが、幸福になれない絶望が待っているかもしれないと怯えるよりはましだ。
そう、自分に言い聞かせて私は立ち上がった。
ワサビもクチガネの上から身を起こすのが見える。
呻いてはいるが、シュークは回復魔法が使えるので問題はないだろう。
「じゃあ、私は行くよ」
「え? 行く? どこに?」
不思議そうにシュークが見つめる。
「どこだろうな。シュークがいないところならどこでも」
「え? 何で?」
「何でって、私は悪役令嬢だからな。このままだとシナリオ強制力に従わされてシュークをいじめることになる。どれだけ抵抗出来るかはわからないが、まあ、足掻いてみせるさ」
最後に私はシュークの姿をこの目に焼き付けようとシュークを見た。
シュークは笑っていた。
ああ、親友が去るのを笑顔で見送ってくれるんだね。
それでいい、私も最後に見たシュークが泣きっ面だと心が沈む。
あの路地で遊んでいた頃、しばらく来れないと言ったときシュークは泣き顔で行かないで、と私に縋り付いてきた。それを思い出すと胸が引き裂かれる思いになる。
別れは笑顔がいい。
…………でも、ちょおおっと笑顔を過ぎませんか、シュークさん?
「その点は大丈夫!」
「へ?」
「リームちゃんはどこにも行かなくていいんだよっ」
「はい?」
ガシッと両手をシュークに掴まれた。
それは、もうどこにも行くなとでもいうように強く。
「だって、悪役令嬢役はぜぇーーんぶクチガネに押し付けちゃうからっ」
「ええ?!」
◇◆◇
それから数分後。
シュークは鼻歌を歌いながら、スカートのポケットから何やら取り出している。
ドレス、イヤリング、ネックレス、靴……一体ポケットどんだけ広いんだよ! とツッコミを入れたくなるくらいのたくさんの物が出てくるのを見ていると
「ああ、これはヒロイン特典でね、いろいろ収納できるポケットなの。他にもキャラの紹介ウィンドウとかステータス画面とかいろいろ開けて。ヒロインって便利なんだよねー」
と、事も無げに言った。
その横でワサビは何やら白い錠剤をクチガネに飲ませている。
錠剤を口に入れ、水を流し込み、口と鼻を塞いで無理やり飲み込ませる。
「なんだ、自白剤か? 拷問なら手伝うぞ!」
と言って身構えたら
「違うから。君はこの書面に何も言わずサインして」
と紙切れを2枚と万年筆を渡された。
「シューク、もういいかな」
「うん、これとこれとこれとこれ着せてあげてっ!」
私が紙切れに何が書いてあるのか、首を傾げながらと読んでいると、シュークはさっきまで鼻歌まじりに選んでいたドレスやアクセサリーをワサビに渡していた。
「じゃあ、あっちの草むらで着替えさせてくる」
ドレスを肩に掛け、アクセサリーと靴はクチガネの体の上に乗せて、ワサビがクチガネをずるずる引っ張っていく。
そのあとをシュークが嬉々としてついて行こうとすると、ワサビはそれに気がついて手で制した。
「や、お願いだから着替え見るのはやめてあげて」
男として、そこは譲れない情けらしい。
急に手持ち無沙汰になったシュークは、先の戦闘でワサビがなぎ倒した木に座りにこにこと私を見ている。
私はその横で紙切れを見ているのだが、シュークの笑顔に当てられて気が散って仕方がない。
と、ある事に気がついた。
「ん? この書類、うちの公爵家との絶縁書じゃないか! こっちは……ブルーの所の子爵家との養子縁組書?」
「うん、そうだよ!」
「ワサビの野郎、私に家を裏切れっていうのか!」
「ああ、違う違う。リームちゃん落ち着いて!」
怒りで立ち上がった私を再びシュークがガシッと掴んだ。
「これはクチガネを悪役令嬢の身代わりにするためには大事な事なの」
「何?」
「詳しく話すね」
そう言ってシュークは今回の悪役令嬢身代わり計画を話し出した。
◇◆◇
この世界が乙女ゲームの世界であるために重要な事が幾つかあります。一つはヒロインを中心に世界は回っているということ。
あ、自分で何言ってんだこの女とか思ったでしょ。
まぁ、思われても仕方ないんだけどね。
私が何を言いたいかというと、『ヒロインが知覚すると未来の分岐が一つ確定される』ってこと。
これはキャラクターのルートに関わってくる事なんだろうけど、私が分岐点を通る度にそのシナリオに沿った強制力が働くの。
その力は強く、もし他のキャラの意に沿わない事でも必ず実行されるみたい。
それから、そのシナリオ強制力。
これは一番厄介ね。
今話したように私がルートを決めなければみんな自由に行動できる、というわけではないようなの。
確定されてない未来はもしかしたらこれから起こるかもしれない、ということでシナリオ強制力が働いてしまう。
あ、ほらリームちゃんがワサビくんとゲーム開始前に婚約破棄出来なかったことが、それに当たるわね。
婚約破棄は学園に入ってからワサビくんルート突入で起こるイベントだからね。
でも、多分私がルートをワサビくん以外の人と確定させれば、リームちゃんは円満に婚約解消することも、ワサビくんと結婚できる可能性もあるのよ?
ルートを確定させちゃえばワサビくんとは接点が薄れるからシナリオ的にはどうでもよくなるのね。
ああもう、そんな顔しない!
私だってワサビくんを諦める気なんて……うああ、自分で何言ってるんだ! つ、つぎ、次に行きます!
もう一つこの世界には重要な要素があります。
それはキャラクターの設定ね。
ほとんどの人には役割が与えられてます。
私であったらヒロイン、リームちゃんは悪役令嬢、ワサビくんは王子様、クチガネは魔王、といった感じに。もちろんモブにだってあります。ブルーちゃんも悪役令嬢の取り巻きその1として役割があって、いざとなったらブルーちゃんにも強制力が働いて、私をいじめる側になるでしょう。
でもね、ヒロインから離れるほど、ストーリーに関わらないキャラクターになるほど、強制力は弱まり自由度は増すの。
それはひとえにゲームで決められた出番や設定が少なくなっていくから。
キャラクターがキャラクターたらしめているものは設定なのよ。
では設定とは何でしょう。
それはキャラクターのヴィジュアル、そしてゲームのパッケージや取説、設定資料集に書かれたプロフィールです。
悪役令嬢で言えば赤い髪でツインドリルで目つきが悪く、公爵家令嬢であること。
名前はあまり関係ないみたい。このゲームのモードに夢小説モードっていうのがあって、ヒロインだけじゃなくて全キャラクターの名前が変えられるモードがあったようだから。
ねぇ、リームちゃん。
もし、この“設定”を、世界を動かしている誰かさんにバレずに、上手く他の誰かに押し付けちゃえば悪役令嬢が悪役令嬢じゃなくなると思わない?
私が前世、シュークリームじゃなくなったように。
ワサビくんがワサビじゃなくなったように。
貴女も、悪役令嬢じゃなくなるの。
シュークの囁きは世界、そして神をも欺く甘言だったのかもしれない。
私は悪魔と契約したのかもしれない。
それでも、親友を傷つけるよりはマシだった。
「わかった。その計画、のってみるよ」
私は2枚の書類にサインをした。
◇◆◇
「あ、安心してね。学園生活が終わったらまた養子縁組は破断にして公爵家と復縁もできるから」
「そうか。婚約破棄に躍起になってたのに、婚約の前に親子の縁を破棄することになるとは思わなかった……あ、でもうちの親がよく許したな……それだけ娘に関心がないってことなのかな。ははは」
どうもいろんなことがありすぎて疲れた。
乾いた笑いが出てくる。
「そんなことないよー。書類にサインしてもらうのに大変だったんだから」
「そうなのか?」
「うんうん。おたくのお子さんは悪い魔法使いに呪いをかけられていてこのままでは近いうちに死んでしまいます。一度親子の縁を切って身代わりの子を養子縁組してくださいって言ってやっと納得してもらったんだからぁ」
シュークは明るい声で言い放ったが、それってかなり悪どい詐欺なんじゃ……そしてお父様もお母様も身代わりの子は見殺しにする気なのか……。
この世には私が思っている以上に悪魔が多いらしい。
「そろそろ向こうも終わってる頃かな? あ、着替え終わったらワサビくんがクチガネにペンを持たせて公爵家の養子縁組書に、サインさせる予定だったから、もしかしたら1、2分だけでもクチガネとリームちゃん、兄妹になってたかもね」
シュークは楽しそうに言うが、私は鳥肌が立った。
ああ、でも悪役令嬢を仕立て上げるには私だけが動いても仕方がないのか。
私が悪役令嬢の設定を1個捨てるごとにクチガネの悪役令嬢の設定が1個増えると……。
「……ちょっと待て、重大なことが1個解決されてないんだが」
「え?」
「クチガネは男だろ。まさかドレス着せて『心は女です』とでも言うのか?」
「それも抜かりないよ。さっきワサビくんが飲ませた錠剤は性転換の魔法薬で、飲んでから15分後にクチガネくんの体はクチガネちゃんになってます」
「はぁっ!?」
え、笑顔で何てことを。
いや、復讐には最適なのかもしれないが。
「これもちゃんと学園生活終了後に元に戻すから心配しなくてもいいよ」
「だ、誰が敵の心配なんかっ!」
と、そこでワサビが草むらからずるずると、クチガネを引きずって出てきた。
「とりあえず、だいたいは終了したんだが……すまない、これは無理だった……」
ワサビがひらひらの一枚の布切れを放り投げた。
女性ものの下着……しかも紐パンだと?
「大丈夫だと思います!」
「やっぱりそれは無理かぁ」
げんなりと肩を落とすワサビ。苦笑いの私。心底残念そうにしょんぼりするシューク。
それぞれの思惑が交錯する中、目の前に美男ではあるが長身の男がドレスを着せられて倒れている。
これが1分の間でも私の兄だったのか……。
そしてその元兄はこれから元姉になるという。
世の中何が起こるかわからない。
あ、すね毛処理完璧だ。
ワサビ……王子なのに……ナンデ?
「女性化まであと5分くらいか」
ワサビが懐から懐中時計を取り出した。
「そうね。目つきが悪いのは元からだから大丈夫だし。そうだリームちゃん、そのスリッパ型のトンファーと卵爆弾全部ちょうだい?」
「あ、ああ」
私がトンファーと爆弾を渡すと、シュークはクチガネの手にトンファーを持たせ卵爆弾を脇に置いた。
「悪役令嬢はスリッパで私を苦しめようとして、卵を投げつけてくる、うん、完璧!」
指をさして確認している。
「そして公爵家令嬢で目つきが悪い。あとはツインドリル」
「そうだ!髪型!」
私はブルーの言葉を思い出した。
『私も髪を伸ばそうとしても伸びず、ずっと刈り上げおかっぱのままなのよ』
髪型は無理やり変えられないのだ。
「うん、だからそれは最後の仕上げ」
シュークがポケットから何やら赤い毛玉のようなものとハサミを2本、取り出す。
赤い毛玉はツインドリルのウィッグだった。
「クチガネの女性化が始まったらクチガネにはこのウィッグを被せて、リームちゃんはツインドリルを切り落として」
シュークがワサビにツインドリルのウィッグを渡し、私にはハサミ2本を差し出した。
ハサミは律儀にも右用と左用だった。
「いい? クチガネのウィッグを被せるのとツインドリルを切り落とすのは同時じゃなくちゃダメよ? 乙女ゲームってヴィジュアルが大事らしいから、タイミングずれると世界にはすぐバレてウィッグが定着しなかったり、ツインドリルが切れなかったりすると思うの」
「んん? ウィッグが定着しないって?」
「これは魔法アイテムで一度装着すると被せた者が外さない限り取れないカツラだ。一度つけると本物と変わりなくなる。ただし、無理やり取ろうとするとハゲる」
ワサビが苦り切った顔で言った。
ハゲは男の敵だものな。
「じゃあ、2人ともあとはよろしくね」
「ああ、わかった」
シュークが今までとは違い、少し寂しそうに笑った。
「え? よろしくって。シュークどこか行くのか?」
「行きはしないよ? ここいるよ。だけど、さっき言ったでしょ? 世界の重要な要素。『ヒロインが知覚すると未来の分岐が一つ確定される』。私が魔王クチガネの存在を知ってしまったから、魔王ルートも今、分岐の一つになってしまっているの。それではクチガネを身代わりにはできない。シナリオ強制力が働いているからね」
「えっ! じゃあ何故クチガネを身代わりしようなんて思ったんだ。無理ならここまでやる意味がないじゃないか!」
「意味はあるわ。一つは復讐のため。そしてもう一つは魔王が隠しキャラであるから。ある条件を満たせば可能になると分かったから」
「えっと……それはどういうこと?」
「隠しキャラって、手順を踏まなければ出てこないキャラなんだって。だから乙女ゲームをするプレイヤーの中にはその存在すら知らずにエンディングを迎える者もいる」
シュークがチラッとワサビを見た。
ワサビがそれを見て小さく頷いているのが端で見えた。
「私が魔王クチガネの存在を知って、この計画を立てたのが一週間前。だから消すの。一週間分の記憶を。記憶していなければ知覚してないも同然だから、魔王ルートは無かったことにされる。クチガネもこの世界にはいるけれど、シナリオの中ではいないことになる」
ワサビがシュークの側まで来た。その手には黄色い錠剤が握られている。
クチガネに飲ませた魔法薬に似たものなのだろう。それで、シュークの記憶を消そうというのか。
「だから、記憶を消すの。そうすればクチガネを身代わりに出来て、リームちゃんに嫌な思いをさせずにすむわ。私だって何かを得るのに代償無しで得られるとは思ってない。これは正当な取引なの、世界との」
シュークの目に、キラリと光るものがあふれた。
「怖くないのか?」
「そりゃこわいよ。少しとはいえ記憶が消えるんだから。でも私には頼もしいナイト様が二人もいるからね。それに、これから3年間いっぱい思い出を作るんだ! 一週間分なんて安いものだったって思えるくらい、たっくさん!!」
「そうか…………分かった」
シュークの思いは誰にも変えられそうになかった。
私が復讐のために、シュークのために強くなって戦ったように、シュークも復讐のために、私のために、そして好きな人と一緒にいるために知恵を絞って戦っていたのだ。
ならば、そんなシュークには敬意を払わなければならない。
「これから、悪役令嬢がどんな卑劣な手段を使ってシュークをいじめようとしても絶対守るよ」
「ありがとう、リームちゃん」
シュークは泣きながら笑っていた。
「じゃあ、そろそろお別れだ、一週間分」
ワサビが錠剤をシュークの口元に運ぶ。
「あ、折角だから口移しがいい。これまで頑張ったご褒美に」
「それは……多分、シナリオに反するからできないと思う。キスができるのはエンディング前でってのが相場だ」
「それもそうね。じゃあ、それまで楽しみに待ってる」
シュークの口に黄色い錠剤が放り込まれ、ワサビ手ずから水を飲ませる。
そしてシュークの喉がなり、薬が嚥下されるのを確認すると、ワサビの唇がシュークの唇にゆっくりと近づいた。
しかし近づいただけ。
お互いの唇には触れ合わず、お互い目も閉じないで見つめ合う。
キスをする振りだけ。
そしてその目にはお互いをしっかりと焼き付ける。
例え一週間分の記憶、今、この瞬間の記憶も消えたとしても。
そこで私は気がついた。
彼らはここに来てから一度も触れ合っていない。
手も握っていないし、熱い抱擁もしていない。
前世から思いあっているのに、だ。
多分触れれば、シナリオに抵触するから。
会話だけなら日常会話で処理されているのだろう。乙女ゲームには放課後イベント、というものがあるらしいし。
しかし、ヒロインに攻略対象者が触れるとなると別だ。
触れた瞬間、それは立派なメインイベントになる。
しばらくの間、触れ合えない恋人たちは見つめ合ったままだったが、突然シュークが、糸の切れた人形のようにその場に倒れた。
記憶消去の副作用で気絶したのだろう。
慌ててワサビが抱きとめる。
「触っても大丈夫なのか」
「ああ、ヒロインが知覚してないからね」
ワサビは大事そうに抱きしめた後、額にキスをした。
ぐぬぬ、シュークの意識がないのにこいつは、ハレンチなことをしやがって!
と、思わなくもないが、唇にしなかったのは評価しよう。
ワサビは自分の上着を脱ぎ、地面に引いてその上にシュークを寝かせた。
「強い女だろ? だから俺も放っておけなくてね」
愛おしそうに髪を撫でて整えるワサビの顔は、シュークがワサビのことを語る時の顔に似ていた。
2人が過ごした時間は、私とシュークが過ごした時間よりはるかに短いはずなのに、深い絆で結ばれていて、私の胸はチクリと痛んだ。
「さぁ、こちらも最後の仕上げだ」
ワサビが立ち上がり、クチガネの元に向かう。
クチガネの体はすでに変わり始めていた。まつ毛はより長くなり、女性らしい輪郭へと変わっている。
広かった肩幅は狭くなり、厚くはあったが平べったかった胸は豊満に盛り上がっている。
多分見えないが、その、下の方もあったものがなくなったり、ないものができたりしているのだろう。
「……これ、どうやって完全に女になったか判断するんだ」
「この薬は上から下へと変わるんだ。最後に変わるのは足、男性らしいサイズから女性らしいサイズに変わった時点で完全に女になったと判断していいと思う」
「そ、そうか」
少しホッとする。
やはり女でも元男の身体を、見聞するのは抵抗がある。
「足が変わったと判断したら、せーので俺はカツラを被せる。君はせーので髪を切れ。いいか?」
「分かった」
クチガネの足が変わっていく。
腿、膝、ふくらはぎ。
元々細かったが、より女性らしい美脚に。
そしてくるぶし、足先の変化が始まった。
「よし!今だ」
ワサビが叫んだ。
「「せーの!」」
最後は二人で叫んでワサビはカツラを被せ、私は両サイドのドリルに刃を入れた。
ジョキリと小気味のいい音と共に私の頭からドリルが離れ、カツラはクチガネの頭に定着した。
◇◆◇
あれから2年が過ぎた。
私たちは学園の最終学年となった。
あれからシュークは一日中眠り続け、すっかり一週間分の記憶を失っていた。
しかし、お見舞いに私が訪れて「もう悪役令嬢じゃなくなったよ」と言うと、「その髪型、似合っているわ」と嬉しそうに笑って私の頭を撫でてくれた。
クチガネは意識を取り戻した後、自分の変わり果てた姿に呆然としていたが、「まぁ、やることに変わりはない」とゲスい笑みを浮かべてシュークをつけ狙い始め、私はそれを見て嬉しくなった。
ここで憔悴しきって大人しくなったら叩きのめしがいがない。けれどこれなら良心も痛まないで完膚なきまでに叩きのめせるというものだ。
ワサビとシュークの関係は順調に進んでいる。
始めは触れ合うこともできなかったが、イベントをこなして行くうちに、一緒に居られるようになり、手もつなげるようになった。
このまま進めば、あの日約束したエンディング前のキスも無事、果たせそうである。
ギリッ!
それから悪役令嬢のイジメだが、もう、学園の風物詩になりつつある。毎週のように懲りずにクチガネが仕掛けてくるのだ。
もう、乙女ゲームというよりは毎週放送の子供向けアニメのようである。
「きゃーー! リームちゃーーん!! 助けてーー!」
ほら、今日もどこかでシュークが叫んでいる。
なんかちょっと楽しそうに。
悪役令嬢のイジメは攻略対象者のイベントに繋がるもの以外、私が対処してもシナリオ的に問題にならないようだった。
今の私はちょっと格闘術が得意なモブ。
イベントに触れない限り何をやっても許される立場にある。
なので、ヒロインがまだ悪役令嬢をざまぁする時期じゃなくても、ざまぁすることができる。
まぁ、完全にとどめはさせないんだけどね。
現場につくと、悪役令嬢クチガネがシュークに白い卵爆弾を投げつけようとしているところだった。
「さぁ! 庶民は卵を栄養価の高い高級品と崇めているのでしょう? 存分に召し上がりなさい? おーほっほっほっほっほっ!」
随分、悪役令嬢も板についてきたなぁ。
高笑いが堂に入っている。
私は素早くシュークとクチガネの間に身体を割り込ませ、携帯して持っていた折りたたみ式の棒を引き延ばす。
棒はあっという間に私の身長と同じくらいの長さになり、私はその棒を振り回した。卵爆弾が棒にあたり跳ね返る。
「な、なんてことっ!」
爆弾は全弾、クチガネに命中し、クチガネはあっという間に黒焦げになった。
「うっきーーっ! 覚えてらっしゃいっ!!」
逃げっぷりも堂に入ってきたなぁ。
「シューク、大丈夫だった? 怪我はない?」
「うん! いつもリームちゃんありがとう!」
シュークが満面の笑みで答えてくれる。
うん、大丈夫そうだ。
「そうだ、この後暇ならお茶でもどう?」
「うーん、私はね、いいんだけど……この時間って、そろそろカラシくんが来る頃じゃない?」
「えっ」
この2年間で知り合いもたくさん増えた。
大体が好ましい友人だったが、中には受け入れがたい者もいた。
その筆頭がカラシ。
この国の第二王子、ワサビの弟である。
「リーム姐さぁーーーーんっ!!」
「うげっ!」
「ほら、やっぱり」
金髪碧眼の彼はワサビによく似ていたが、ワサビよりも幼い顔立ちの愛くるしいイケメンだった。
そして何故か私に好意を持っている。
しかし、そんなことは関係ない。
問題なのは彼も名前の通り転生者であることだった。
私は記憶にないが、どうも冷蔵庫時代、私が憎しみに沈み、カビの生えた体に耐えていたころ、カラシは冷蔵庫のドアポケットの方からそれを見ていたらしい。
一度、私の何が良いのか聞いてみたことがある。
すると彼はこう答えた。
「前世で一目惚れしました。貴女がその悲しみに耐える姿に胸がキュンとなって!」
え、弱ってるやつを見てキュンとなるっておかしくない? それって真性ドS様じゃない?
私はそれを聞いて背筋が凍った。
それ以来、私はとりあえずカラシが来たら逃げることにしている。
ドS様の餌食に、なるものかっ!
私はMじゃないいいぃ!
「なんで逃げるんですか!」
「いや、ドS様の相手は私には務まりませんから!」
「え? 僕、Sじゃないですよ?」
「いやいや。それにチューブ系男子は苦手ですから!」
「ワサビ兄さんと昔確執があったのは知っていますが、それは僕には関係ないはずです!」
「あああっ! もうっ! しつこい!!」
私たちのやり取りにシュークが笑ってる。
良かった。今、シュークは幸せかな?
笑ってるから幸せだよね?
私はどうだろう。幸せかな?
追いかけてくるカラシは迷惑だけど、多分幸せなのかもな。
だって、シュークが近くにいて笑ってくれている。
それに実はこの2年間で他のシュークリーム仲間にも会えた。
みんな笑っていた。
だからやっぱり幸せだと思う。
まだ最終学年は数ヶ月続き、憎い悪役令嬢クチガネもいるけれど何とかなるだろう。
多分学園卒業後も幸せな未来は待っているはずだ。
今はただ、そう信じたい。
END
カラシとシュークの間に、後でこんな会話があったらしい。
「なんでリーム姐さんは逃げるのでしょうか?」
「んー。なんでだろうねぇ」
「前世で、悲しみに打ちひしがれ耐える姿に、僕の胸はキュンとなりました。そして同時に苦しくもなりました。あの人のところに行って支えてあげたい。力になってあげたい。これって恋ですよね?でもリーム姐さんは僕のこの気持ちを否定するんです」
「カラシくん。それはね、まだ君には押しが足りないってことなのよ。女の子は押しに弱いわ。押して押して押して押しまくるのよっ!」
「うわっ!なんかちょっと聞いたことあるセリフですけど、わかりましたシュークさん!僕、頑張ります!」
「うん、頑張ってね〜!」
そんな会話は繰り広げられていたことを私が知るのは、ずっと後の話である。




