中篇 バトル・オブ・シュガー・アンド・スパイス
始めは絶望しかなかった。
屈辱にまみれながらゴミとして業火に焼かれ、次の瞬間はその屈辱を与えた人間の姿だったのだから。
しかし、目を閉じると深淵の闇の中に輝く光を見つけた。
比喩などではない。
何故か私には転生者が何処にいるのかわかる能力が与えられていた。
目を閉じると暗闇に浮かぶ幾つもの光。
その中で一際輝く光。
シュークの光は暖かく優しい光だった。
導かれるままその光のもとへ行くとピンク色の髪の少女がいた。
私はその少女がシュークであると一目でわかった。
彼女も私を見た瞬間、「リームちゃん……」と呟き笑顔で迎え入れてくれた。
私の家は公爵家で大きな屋敷に住んでいたが、彼女の家は伯爵家でも、本妻の子ではなかったので市井にあった。
だから私は、幼い頃いつも屋敷から抜け出し、シュークと街の路地で遊んでいた。
私たちはいつも一緒だった。
大人たちに傅かれながら一人で食べる豪勢な料理よりも、シュークと一緒に口の周りを油まみれにしながら食べた露店の揚げパンのほうが美味しかった。
煌びやかな宝石のついた豪華なドレスを毎日日替わりで着るよりも、平民の子どもの恰好をして泥だらけになって笑い転げるほうが遥かに楽しかった。
シュークさえいれば何もいらない。
純粋にそう思った。
そんなある日、私はお父様に呼ばれた。
いつも私に無関心なお父様から呼ばれるなんて何事だろう。
訝しみながらお父様の部屋を訪れると一人の少年がいた。
金髪に緑の瞳、整った顔立ち。
いや、容姿なんてどうだっていい。
そいつを見た瞬間、私の中で眠っていた憎悪の炎が燃え上がった。
私とシュークと同じように、あいつも転生していたのだ。
あのシュークを苦しめた、ワサビがっ!
気がつくと私はワサビに馬乗りになり、その端正な顔を殴りつけていた。
お父様たちが「王子っ!」と叫びながら私をワサビから引き離そうとしたが、私はお父様や執事たちも殴り、半狂乱で泣き叫んだ。
正直なところ、どうやってその場が治ったのか覚えていない。
気がつくと私はベッドに縄で縛り付けられていたからだ。
ワサビはもちろん居らず、その日の夜、私はお父様に3ヶ月の自室での謹慎を言い渡された。
不思議なことに王子の身分の人間を殴ったのに私は不敬罪に問われず、婚約も破棄されなかった。
3ヶ月の間、特に不自由することはなかったが、シュークに会えないことが一番堪えた。
毎日のように遊んでいたのに急に行けなくなってしまい、寂しい思いをしていないだろうか。
前世同様、今世のシュークもとびきりの美人だから変な男に拐かされていないか心配で夜も眠れない。
そんな私のもとにある日、予期せぬ客が訪れた。
私と同じくらいの歳の青い髪の令嬢だ。
私の家と懇意の子爵令嬢だという彼女は、会うや否や私に抱きつき「久しぶり!」と言った。
私が何のことか分からず目を白黒させていると、彼女は自分が悪役令嬢の取り巻きのモブ令嬢だと言う。
モブ? この世界にはない言葉だ。
ということは彼女も転生者か。
彼女は両目いっぱいに涙を溜め、頷いた。
「実は私、貴女と一緒に冷蔵庫にいたブルーチーズなの」
聞いた瞬間、私は抱きついていた彼女を引き剥がしにかかった。
前世、あの耐え難い異臭に何度気絶したことか!
「ま、待って。今は違うんだから臭いなんてしないはずよ!」
冷静になって辺りの匂いを嗅ぐと、爽やかなレモンの香りがするだけだった。
「まぁ、ブルーチーズは好きでよく食べるけどね」
彼女、ブルーという名前らしい、はそう言って舌舐めずりをした。
ちょっと目が怖い。
「貴女はこの世界が乙女ゲームの世界だと知っているかしら」
今度は私が頷く番だった。
私と彼女は知っていることを話し合った。
私が悪役令嬢であること、私の前世からの親友がヒロインであること、そして私の婚約者が憎むべきワサビであること。
ブルーは私以上に乙女ゲームのことを知っていた。
今はゲーム開始前で5年後に主な主要キャラは強制的に同じ学園に入学させられ3年間過ごすこと、ヒロインはそこで5人の男の子の内の誰か1人と大恋愛すること、悪役令嬢である私はその邪魔をし、あらゆるいじめを行うこと。
「何故そんなに詳しく知っているの?」
「あそこの家のお姉さん、毎晩私みたいな酒のつまみ片手に乙女ゲームやるのが趣味だったのよ。一緒に見ている内に覚えてしまったわ」
「……」
それよりも私がシュークにいじめ?
そんな事あるわけがない!
しかし、それはシナリオの強制力が働き避けられない事だという。
「身に覚えがあるのではないかしら。私も髪を伸ばそうとしても伸びず、ずっと刈り上げおかっぱのままなのよ」
私は今のツインドリルに何の不満もないので、髪型を変えられないとは知らなかったが、言われてみればワサビ王子をフルボッコにしたのに婚約破棄されなかったのは、シナリオ強制力のせいなのかもしれない。
破棄されるのは本編が始まってからじゃないといけないから。
「ちなみにいじめってどんなものを私はやるの?」
「えーと、『卵白はお肌に良いと聞きましたわ。貴女もいかが?』とか言いながら全校生徒の前で生卵を投げつけてたわね」
な、なんてこと!
シュークにする仕打ちとしても許せないが、シュークリームの命、卵様をそんな粗末に扱うとはどういう了見!
許すまじシナリオライター!
私が怒りにこぶしを掲げ震えていると、ブルーはそっと私に歩み寄り、震えたこぶしを両手で包み込んだ。
「あのね、リーム。私がここへ来たのは乙女ゲームの世界を教えることはもちろん、他にも目的があったの」
ブルーは静かに語り出した。
「冷蔵庫の中での貴女は悲しみに沈み、見るに耐えない状態だった。でも前世を引きずっては駄目よ。幸いにもこのゲームの悪役令嬢は婚約破棄されても処刑や没落はしないわ。せいぜい卒業式の時にいじめを暴かれ婚約破棄、『覚えてらっしゃい、ムキー!』ってテレビアニメの悪役よろしくその場を去っていくだけ」
私はブルーの目を見た。
それだけで彼女が私のことを心配してくれていることがよく分かった。
「貴女の意に添わぬことはこれから沢山あると思う。でもそれに抗っては駄目。耐えるの。ゲーム終了までの3年間だけ耐え抜けば、貴女は今世で幸せになれるわ」
「で、でも。シュークをいじめるなんて、私、耐えられない。それに、あんな好きでもないワサビなんかに私が捨てられるなんて、考えただけでもゾッとする!」
「リーム……憎しみは何も生まないわ。私はそれを言いに来たの。私は貴女に幸せになって欲しい」
ブルーはそう言って、私をもう一度ぎゅっと抱きしめた後、帰っていった。
ブルーはああ言ったが、私の憎悪は止めろと言われて止められるものではなかった。
絶対に復讐してやる。
それにブルーの言葉通りならシナリオの終了後のシュークはどうなるのだ。
シナリオ内なら強制力のおかげで幸せかもしれないが、その後は?
シュークが幸せを維持する保証なんてどこにもない。
むしろ前世で散々苦しめたワサビだ。
手のひらを返したように態度を変え、いきなり横暴になる可能性だってある。
やっぱり排除だ。
私はその思いを胸に、行動を開始した。
謹慎が解けて私が最初にしたことは、シュークのもとに行くことだった。
「しばらく用事で会えない」そう伝えると「寂しい」と泣かれてしまった。
別れる時、後ろ髪引かれる思いだったが、私は心を鬼にした。
強制力のおかげで婚約破棄はされなかったが、シュークと私が友達になれたことを考えると、強制力も強すぎることはないのだと推測される。
ゲームが開始される前までにできることはやるべきだ。
シナリオ終了後、王子ワサビから悪鬼ワサビに変貌を遂げた時、手遅れになってはまずいのだ。
妙な手管を使われ気がつけば、駄目な夫につきあう妻の如く「でも、あの人には私しかいないの」と宣って別れもしないDVメンヘラ地獄に落とされていたら私でも救えない。
だから、私はワサビをシュークに近づけさせないよう努めなければならない!
それには手っ取り早く倒すことが有効だ!
強くなって倒す、物理的に!
さぁ、修行だ!
◇◆◇
その日から私は修行に明け暮れた。
始めは南国から亀の甲羅を背負った爺さんを呼び寄せ、師事を受けていたが、度重なるセクハラに解雇。
その後、仮死状態経験のある「無」と書かれた道着を着た爺さんに師事を仰いだ。
血のにじむような修行だったが、おかげで跳びながらアッパーを打てば謎の発光が出、回転蹴りを繰り出せば竜巻が起こる程度には成長した。
体術だけでは心許ないので武器もいくつか密輸した。
そして始まるゲームシナリオ。
ゲームが開始してすぐ、残念ながらシナリオ強制力が働いてシュークとワサビの出会いを阻止することはできなかった。
しかし、それ以外は極力会うのを阻止し続けることができている。
この調子で何の波も立たずに3年が過ぎてくれればいいのだけれど、油断は禁物。
私は密かにワサビの弱点を探した。
そして発見した、奴の奇妙な行動を。
奴は入学早々、学園内にある王国歴史資料館に出入りし始めたのだ。
毎日、授業が終わってすぐに訪れ、寮の門限ギリギリの20時45分に出てくる。
資料館で何を調べているのか探ってみると、どうやら王国で行われた魔術的儀式の記録を調べて知るようだった。
魔術的儀式……。
怪しすぎる。
まさか、その儀式でシュークを手籠めにしようなんて思ってないだろうな。
私は早々にワサビを排除することを決め、そして今日、ここに立った。
「やあ、君なら来ると思ったよ」
奴の言葉で、後をつけていたことがばれていたと知る。
私はもう一度、撃鉄を起こし引き金を引いた。
今度は左胸。
これも半身で避けられる。
が、奴が避けてできた隙を狙って私は突っ込んだ。
持っていたハンドガンを奴の顔面めがけて投げ、第二の隙ができたところで、即座にスリッパ型トンファーを構える。
このトンファーは特注だ。
通常トンファーは手の甲から肘にかけての長さの鉄の棒だが、このトンファーは幅広の板状にすることで防御範囲広くなっている。スリッパでいうところの足先の部分も覆われているので、装着した際手の甲も覆われ拳を突き出した時の攻撃力もアップする。
それに、この乙女ゲームの悪役令嬢は、スリッパを庶民の料理だと言ってヒロインに食べさせようとするシーンがあるそうだ。これほど私に相応しい武器はない。
トンファーを構えた私は、一呼吸も置かず、即座に奴の脇腹を捉えた。
奴が横に吹っ飛ぶ。だが、軽い。手ごたえがなさ過ぎる。
自ら飛んで、ダメージを殺したか。
ワサビは2回転ほど地面に転がって止まり、動かなくなった。
起き上がる余裕なんて、与えてなんかやらない。
私は走り、その勢いのまま奴の腹めがけて、右足を振り下ろした。
右足はワサビの体を捉えることなく、土を削る。
ワサビが、うつ伏せだった体を反転させ、横に避けたのだ。
「しまっ……くっ!」
私が振り下ろした右足首をワサビの左手が捉える。
そのままわさびは私を引き倒した。
形勢を逆転される。
しかし、ワサビは私を追撃せず、起き上がると後方へと下がった。
「すまない。さすがにその、鉄でも仕込んでそうなブーツで踏まれては内臓が破裂するからな」
私はゆっくりと起き上がり、ワサビを睨み付けた。
攻撃してこないとは、私に情けをかけたつもりか?
私は再び胸元でトンファーを構え直した。
「問答無用だな……まあ、前世に俺がしたことを思えば無理もないか……」
奴の口から、前世という言葉が出てきて、私は息をのんだ。
やはり、ワサビも己が転生者であることを知っていたか。
なおさら、私がこの場でワサビを倒さなければならなくなった。
「君が俺に復讐したい気持ちはわかる。親友を守りたいんだろう?」
ああそうだ。
「俺も同じ気持ちだ」
だったら、さっさと私の手にかかって死ね。
「こう言っても信じてもらえないだろうが、俺もシュークは大事だからね」
シナリオ強制力でそう思い込んでいるだけだ。
「俺は、今世ではシュークを傷つけるつもりはない」
信用できない。
「前世から……シュークは大事だった。あれは、あの行為は俺の本意ではない」
はっ! 何をほざく。苦しめたのはお前だろう。
「……やはり、わかってはくれないか」
戦闘態勢を解こうとしない私に対して、ワサビはため息をついた。
「わかった、君の復讐に手を貸そう。俺は君に殺されよう」
急に態度を変えたのは罠か?
私は、トンファーを握る手に力を籠め、警戒した。
「ただし、条件がある。俺にはやり残したことがある。それを君にも手伝ってほしい」
交換条件か。
私はそこで初めて口を開いた。
「条件による」
「そうか、その言葉を聞けただけでも良かった」
私が条件を飲めば殺されるというのに、ワサビは安堵の表情を浮かべた。
そんなに達成できない条件なのだろうか。
それともやはり条件を手伝った後で、私から逃げる算段がついていて裏切るつもりなのだろうか。
「このゲームの世界には転生者が俺たち以外にもいることを知っているだろうか」
私は静かに頷いた。
「ロシアンルーレットの悲劇、その場に居合わせた者が俺とシュークそして君以外にも転生している」
なに?
あの場にいたものが?
他のシュークリームたちだろうか?
それとも……まさか人間が?
いや、でも、私たち食べ物と人間では寿命が違いすぎる。同じ輪廻の輪に乗ったとしても時間が合うわけがない。
「あの場にいた者……クチガネだよ」
「何っ!?」
口金、それは前世シュークの身に大きな穴を開け、ワサビを注入した、やはり私の敵の名!
「あの野郎がこの世界に転生している。リーム、すまない。あの外道を倒すために力を貸してくれ」




