前篇 ワサビ・キラー・ビギニング
日はとうに落ちていた。
遠くの方でガス灯の明かりがちらほらと見える。
王国歴史資料館。
それは学園内の建物ではあったが、特に重要な施設ではなく、学舎や食堂、図書館とは離れた森の中に孤立して建てられていた。
私はその資料館の正面玄関がよく見える草むらに隠れ、あいつを待っていた。
腰ベルトの両サイドには赤錆色のスリッパ型トンファー。
手には隣国から密輸し、自分用に改造したハンドガンを構える。
玄関の誘蛾灯に、蛾が誘われるように舞い近づいていく。
馬鹿な蛾。触れれば死が待っているというのに。
きっちりと巻かれたツインテールの片方を指で弄り、私は口の端だけで笑った。
時刻はもうすぐ20時45分。
今日もあいつがいつも通りの生活を送っているのなら、もうすぐ資料館から出てくるはずだ。
蛾が艶美な青白い光に触れ、バチッと音を立てたのと、ほぼ同時だった。
資料館の扉が開く。
予定通り。
唇をぺろりと舐める。
私が隠れていることに気付かれた様子はない。
私は奴の後をつけた。
森の中、より暗がりへと足を踏み入れ、機会を待つ。
草木の影となり、資料館の光が届かない場所まで来た。
他の人の気配はない。
私とあいつの二人だけなのを確認し、撃鉄を上げる。
相手の得物は腰に下げた剣のみだ。それを抜く前に決着をつけてやる。
私はためらいなく引き金を引いた。狙うのは頭部。
害虫は排除すべし。
暗闇に輝くマズルフラッシュと高らかに響く銃声。
しかし、奴は間一髪のところで交わし、こちらを見た。
「やあ、君なら来ると思っていたよ」
◆◇◆
私には前世の記憶がありました。
私はあるケーキ屋さんのレジ脇の冷蔵コーナーに、1パック6個350円で売られている一口サイズのシュークリームでした。
名前はリーム。
朝一番に焼き上げられて、どんな人に食べてもらえるかワクワクしながらパックに入ったのを今でも覚えています。
同じパックに並んで入ったのは振りかけられた粉糖も眩しい美形シュークリームのシューク。
2個が仲良くなるには時間なんてかかりませんでした。
他の4個のシュークリームと並んで冷蔵ケースのガラス越しに人間たちを眺めます。
「どんな人に食べてもらいたい?」「私は赤いワンピースの似合う女の子に食べてもらいたい!」そんな話をしながら。
「おっ! これとかちょうどいいんじゃね?」
「理想通りじゃん」
私たちを手に取ったのは5人組の男の子たちでした。
理想通り、の言葉に私とシュークは頬を染めます。
きっと美味しく食べてくれる。
胸が高鳴りました。
お店のお姉さんに保冷剤と一緒にビニール袋に入れられて、お店を出ました。
やった! 買って貰えた。
しかし、それは悲劇の始まりでしかありませんでした。
「悪ぃ。隣のゲーム屋寄っていいかな?」
ビニール袋を持った男の子が青い帽子の男の子に話かけるのを見上げながら聞きました。
ビニール袋から見える空は綺麗で、順風満帆のシュークリーム生のように澄み渡っていました。
「えー? なんかゲーム発売されてたっけ? シュークリーム、ダメにならない?」
大丈夫ですよ。保冷剤さんがいるからちょっとの間なら私たちは痛まないですよ。
「でも、ねぇちゃんに頼まれてて」
「はぁ? 姉貴の狗かよ。ダッセェ」
「そんなこと言うなよ、うちのねぇちゃんマジで怖いんだって」
お姉さんの頼まれごとを引き受けるなんてお姉さん思いの良い子なんだな。
少年たちはお店に入って行きました。
「いらっしゃいませ」という機械音とともに、ビニール袋に冷気が流れ込み、私とシュークはホッとしました。やっぱり暑いのは苦手です。
おっと、危ない。
わたしの近くのプラスチックパックが少し開き、冷たい風が吹き込みます。私は身をよじって何とか風を交わしました。
隣でシュークが心配そうに「大丈夫?」と聞いてくるのをシュー皮を寄せて笑いました。
これくらいなら大丈夫。
それよりも風に当たってせっかくのしっとりシュー皮がパサパサになってしまうことの方が大変です。
私たちシュークリームの至上の幸福は、何と言っても人間たちに美味しく食べてもらうこと。
その際には自分が最高の状態で食べてもらいたい。
涼しい空気の中をゆらゆら揺られてしばらくすると、男の子たちは目当てのものを見つけレジに向かいました。
「あ、レジ袋はいらないです」
「えっ、シュークリームと一緒にソフト入れんのかよ」
「だいじょぶ、だいじょぶ、エコだって。それにどうせ、ねぇちゃんのゲームだし」
えこ! 知ってます!
人間たちが環境に優しいことをすることです。
お店のお姉さんたちもえこに気を使っていました。
やっぱり私たちを買ってくれた子たちは優しい人たちなんだ。
そんな彼らを私の体で笑顔でいっぱいにしたい。
私はキュッと中のカスタードクリームを震わせて、嬉しさを噛みしめました。
「つーかさあー、乙女ゲーって、お前よく買えたな。俺、無理だわ」
「俺のねぇちゃんの怒りに触れるのに比べればこんなもん買うの、たいしたことねぇし」
「いやー、でも、このゲーム面白いの?」
「さぁ? 出てくる悪役令嬢のイジメが昼ドラ並みってのは聞いた」
「へぇー」
「なんか、茶色のスリッパをソースに絡めてヒロインに出して『庶民の食べ物ってこんなだったかしら? さっ、召し上がって』とか言うらしい」
「はぁ? ネタかよ」
「ああ、こいつだよ、その悪役令嬢」
私たちを持った男の子が箱のようなものを指し友達に見せています。
「スッゲー! ドリルだ! 目つき悪りぃ」
見せられた男の子は目を丸くして驚きました。
どんな感じだろう。
気になっていると、空からプラスチックの箱が降ってきました。
私たちが入ったパックが揺れ、私はシュークにぶつかりました。
お互い慌てて体を確認しあいます。
大丈夫、中身は出てません。
シュークの綺麗な白い粉糖も乱れてません。
私たちは身を寄せ合ったまま、降ってきた箱を見ました。
そこにはキラキラな目をした男の子たちとピンク色の髪をした女の子、そして目つきの悪い赤い髪の女の子の絵が描いてありました。
男の子たちが言っていた『どりる』というのはわかりませんが、『あくやくれいじょう』とはこの赤い髪の女の子のことでしょうか?
ゲームは知っています。
人間が楽しむための物です。
私はこのゲームさんに親近感を覚えました。
多分ゲームさんは無機物ですから、寿命は私たちよりも遥かに長いでしょう。
でも、人間を楽しませるために生まれてきたのは私たちシュークリームと変わりません。
私たちも短い一生を精いっぱい人間たちを楽しませるために最善を尽くします。
それが私たちシュークリームとゲームさんの使命なのです。
私は親愛を込めて「お互い頑張ろうね」とゲームさんに話しかけました。
シュークも頭の皮を下に傾け、頷きます。
ゲームさんは答えてくれませんでしたが、きっと私たちの思いは伝わったはずです。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「邪魔しますっ」
「さーっす」
「おじゃっしゃーす」
いよいよ家に着いたみたいです。
早速私たちはキッチンに連れて行かれました。
私もシュークも周りのみんなも胸の高鳴りを抑えられず、中のクリームが飛び出すんじゃないかと思うくらいでした。
男の子が真っ白な皿を私たちの隣に置きました。
ああ、やっと人間たちを喜ばせることができる!
男の子たちもテンションが上がっているのでしょう。何事か喚きながら笑っています。
しかし、その笑顔が後に悪魔の笑顔だったのだと私は思い知らされるのです。
「じゃあ、始めますかっ! 第1回、夏のシュークリームロシアンルーレットォォォォッ!!」
「「「「いえーーいっ!!」」」
突然、男の子の一人が叫びました。
それに合わせて他の男の子たちも拍手します。
ろしあんるーれっと?
何かしら? よく煌びやかに着飾ったケーキのお姉さま方が言っていたぱーてぃーというものかしら。
「用意するのはシュークリームと」
男の子が私たちを指します。
私たちのことだわ!
「そして! ジャーーーーンッ!」
男の子の手に何か握られています。
緑色のチューブ状の何か。
何でしょう。嫌な予感がします。
背中の皮が湿気で僅かに重くなった気がしました。
私以外のシューたちも何か感じ取ったようで、ざわざわと小声でしゃべっています。
シュークも心細いのか、「リームちゃん……」と私のシュー皮にくっついてきました。
「ある意味今日一番の主役、ワサビーーーっ!」
ワサビっ!?
聞いたことあります!
人間たちはそれを食べると鼻を摘み眉を潜め不快そうな顔をし、口々に「辛い」と言います。
私たちとは対極にある、人を不幸にする悪魔の食べ物です!
お店で店長さんが「甘みのアクセントにちょっとワサビを入れると面白いかな」と言っていたり、世のスイーツには実際にワサビが入ったデザートもあるようですが、大量に入れると甘味なんて消し飛ぶ劇薬だと聞きました。
私たちの敵!
それが何故このぱーてぃーにっ!
「これ、どうやって入れるの? チューブから直接ぶち込むの?」
「そこは抜かりない。ねぇちゃんから道具借りた」
「そっか。じゃあ、俺らリビングに行ってるわ。ちゃんと見分けがつかないようにしろよ」
「オッケー」
「それにしても暑ぃわ、この部屋」
一人を残して男の子たちが出ていきました。
え? ぶち込む? とは入れるってことですよね?
どこに、何を?
カスタードクリームがふるふる震えました。
私たちは食べられることが幸福です。
食べられる=死、ではありますが、死=恐怖、ではありません。
でも、シュークリームがシュークリームではなくなるのは恐怖です。
シューたちの誰もが、甘いクリームにしっとり皮、口に入れてもらってとろっと広がり、食べた人間たちを笑顔にすることを夢見ています。
それが甘くなくなる、シュークリームじゃなくなるなんて!
ましてや口に入れた瞬間、ツンっと鼻を攻撃し苦悶の表情を人間たちに浮かべさせ苦しめるなんて、なんたる不幸!
おぞましくて皮が縮みます!
「さて、どれに入れるかな」
男の子が私たちを見ました。
その手に握られているのはお店の調理場で見かけたものと同じような絞り袋。
私たちもあれでお腹の中にカスタードを入れられました。
しかし、一点だけ違う点がありました。
ビニールの絞り袋の先端、口の金具が異様に大きいのです。
お店の人たちはそれを口金と呼んでいました。
「あれ、ケーキのデコレーションに使われる口金だわ」
シューたちの誰かが言いました。
デコレーション用!
そんな大きな口金で刺されたら、私たち小さなシュークリームはひとたまりもありません。
場合によっては大きな穴が開き、皮が裂けてしまいます。
カスタードを入れられるときは、もっと小さな口金でお店の人がゆっくり丁寧に入れてくれました。
空っぽの私たちに甘く口溶け滑らかなカスタードが中に入って満たされる、あの感じは幸福そのものだったのに!
男の子が絞り袋にワサビを入れました。
やっぱりあれを私たちに……。
「リームちゃん、私、怖い……」
シュークが身体中の皮に皺を寄せて怯えました。
そして……
「これかな」
男の子がシュークを鷲掴みにしました。
シュークリームの中でもっとも美しいと言われていたシュークの体が、横からの圧力で歪み、持ち上げられます。
「いやっ」と小さく叫ぶシューク。
私も「シューク!」と叫びますが、どうすることもできません。
どんどんと空中へと小さくなるシューク。
「シューク! シューク! シュークぅぅーー!!!」
ああ、あんなに恐怖でしぼんでいる!
シュークリームたちから羨ましがられていた美しいドーム型の体型も、しっとり程良い弾力があったシュー皮も、今は見る影もない!
そしてシュークの底に男の子は絞り袋を押し込みました。
ああ、シューク……。
私は遥か上空の親友を、ただ見ていることしかできませんでした。
シュークの声は遠すぎて私のもとまで聞こえてはきませんでしたが、白雪のようだった粉糖が湿気を吸いドロドロに溶けていました。
それは紛れもなくシュークの涙。
シュークが泣いている!
なんて酷いことを!
男の子はシュークが泣いているのにも関わらず、ワサビの注入を止めませんでした。
体がはち切れるのでは、と思うくらいパンパンにワサビは入れられ、シュークの底には大きな穴。
「やっべ、入れすぎた。垂れる」
その大きな穴から毒々しい緑色のワサビと優しい卵色のクリームが流れでて、私たちに降り注ぎ、シュークは白い皿へと連れ去られました。
「そん、な…………」
パタタ、と私の体に愛しい親友の一部とおぞましくも憎い敵の残滓が付着しました。
緑色の飛沫が私の皮をピリリと刺激し、バニラビーンズの甘い香りが辺りを包み、やがて消えました。
「何とか形は保てそうかな」
男の子の言葉に私は白い皿を見ました。
透明なプラスチックの向こう、シュークは今にも崩れそうな体を必死で支え耐えていました。
ああ、なんてこと!
「それにしてもこのシュークリームだけは食いたくないなぁ、うげぇ」
男の子の言葉が胸に突き刺さります。
食べられなくしたのは人間なのに。
何故嫌そうな顔をするの?
何故食べたくないなんて言えるの?
ああ、食べてもらって笑顔になってもらうはずの人間が今は憎い。
シュークを怯えさせ、内部を蹂躙したワサビが憎い。
でも、今はシュークのところに行きたい!
行って、一人で頑張る貴女を支えてあげたい。
私もワサビを入れられて構わないから、人間よ、シュークのところへ連れて行け!
人間は仲間たちを一つずつ掴み、皿へと運びました。
けれどもワサビを入れられたものは、シューク以外いませんでした。
何でシュークだけ?
一つ、二つ、連れて行かれ、いよいよ最後、私の番が回ってきました。
早くシュークのところへっ!
「これはいいか。ワサビで汚れたし、もう5個あるし」
えっ!
人間は私をシュークのもとへ連れて行ってはくれませんでした。
私だけプラスチックパックに閉じ込められ、人間と仲間たちは部屋を出ていきます。
私は一人キッチンに取り残されてしまいました。
そんな……シュークを助けられないなら、せめてシュークの隣で励ましたかったのに。
その後、外が暗くなってから人間が二人、キッチンに戻ってきました。
「しかし、あいつがワサビ入りを口に入れたときの顔、見た? すっげぇ顔だったよな。速攻トイレ行ったし」
二人の人間は私の入ったパックを冷蔵庫に入れました。
ドアが閉められ、深淵が顔を表す。
私は冷蔵庫の奥へ奥へと押し入れられる。
食べられる喜びにカスタードを震わせていた仲間は一個としていない。
異臭を放つ塩辛とブルーチーズに挟まれて、私は闇を育てていきました。
人間への憤怒、ワサビへの憎悪、シュークのもとに最期までいられなかった憤り。
私のシュークリーム生はここで終わるだろう。
もし、こんな酷薄な世界にも神様がいるのなら、来世ではずっとシュークといられる生涯を。
ワサビに復讐できる機会を。
いや、私の願いをかなえてくれるなら誰だっていい!
悪魔だって、魔人だって。
冷蔵庫から出されたのはそれから半年後。
眩しい光に照らされたかと思ったら、またゴミ箱という暗闇が待っていた。
次に目が覚めたとき、私の体は変わっていた。
シュークリームのような不自由な体ではない、どこへでも歩いて行ける足と、何でも作ることのできる手と、四肢を使い自由に創造できる脳。
鏡を見ると私は、赤い髪をくるくるとドリルのように巻いたツインテールの、釣り上った眼の少女の形をしていた。
それはシュークリームだったころに見た、ゲームのパッケージ描かれていた少女だった。
今なら「あくやくれいじょう」が「悪役令嬢」であることが理解できる。
あのピンク色の彼女がヒロインで、キラキラした目をした男の子たちが攻略対象であることを。
もう一つ。
神様の恩恵なのか、悪魔の戯れなのかは知らないが、誰かが私の願いを叶えてくれた。
この世界に転生したのは私だけではなかったのだ。
ピンク色のヒロインはシュークだった。
そして、攻略対象の一人、悪役令嬢の婚約者である王子はなんとワサビだった。
私は転生したその日に心に誓った。
今度こそはシュークを守り、前世での復讐を果たす!
ゲームの役柄が何だというのだ。
配役の使命なんぞ糞くらえ。




