01 償いの人生。
「すまない、フィリア。サムとの結婚だが相手はお前ではなく、やはり妹のミリーナにしようと思うんだ」
自分にすっかり無関心な父親から珍しく部屋に呼び出された。何事だろうとフィリアは思ったが、やはりそれは悪い知らせだった。
「分かりました、お父様」
ずっと聞き分けのいい良い子だったフィリアは、こんなときでも何も言い返すことができなかった。
父親からの話はその一言だけだった。父親は眼鏡をかけると手元にあった本を読み始める。『用は済んだからもう行け』という無言のサインだ。
「失礼します」
フィリアは父親に軽く頭を下げて挨拶をすると部屋を後にした。
理由すら教えてもらえなかった。なぜ結婚式を一週間後に控えた今、突然それが破棄されたのか。
自室へと続く長い廊下を歩きながら、フィリアは必死に涙をこらえた。泣くのは一人になってから。少しでも早く部屋に戻りたいフィリアだったが、可愛らしい声に呼び止められてしまう。
「フィリアお姉様」
振り向くとそこには今一番会いたくない人物の顔があった。
「お姉様。あの…その…なんとお声をかけてよいか」
そう伏し目がちで話しかけてきたのは妹のミリーナだった。
「私も動揺していて…。その…本当ならフィリアお姉様とサム様がご結婚されるはずだったのに…突然それが私になるなんて。お父様が決めたこととはいえ、私、お姉様に申し訳なくて…」
「気にしなくていいのよ、ミリーナ。サム様と結婚してこのアクシュワード家を継ぐのはやはり私ではなくミリーナの方がふさわしいとお父様の意見が変わったのよ」
「…でも、」
「いいの。気にしないで。この話はもう終わりにしましょう、ミリーナ」
フィリアは何となく気付いていた。父親から今回の婚約破棄の理由をしっかりと教えてもらえなかったけれど、おそらくミリーナが自らフィリアの婚約者だったサムと結婚をしたいと父親にお願いをしたのだろう。フィリアがサムのことをずっと好きだったように、ミリーナもまたサムのことが好きだったから。そして、フィリアよりもミリーナを可愛がっている父親はそんなミリーナの願いを受け止めた。そうしてフィリアの婚約は突然に破棄されたのだ。
気付いていても、気の弱いフィリアは父親も妹も責めることができずにグッと我慢をした。
ミリーナに【何か】を取られることには慣れていた。小さい頃からミリーナは、フィリアのお気に入りをなぜか欲しがった。髪飾りやドレス、ぬいぐるみ……。たとえ血の繋がった妹だろうと気の弱いフィリアはそれを断れない。そうやっていろんなものを何度も奪われたけれど、まさか婚約者まで取られるとは思わなかった。
「そうだわ、お姉様!私、いいこと思いついたの!お姉様のお相手にピッタリな方がいるわ」
フィリアから大事なものを取ったあと、ミリーナは決まって別の何かを押し付けてくる。これも小さい頃から変わらない。お気に入りの髪飾りを取られたときはぼろぼろになった髪飾りと交換させられた。ドレスのときは取られたものよりもはるかに安物と交換させられた。そして今回もまたミリーナは代わりをフィリアに押し付けようとしている。
「サム様のお兄様のギルバート様なんてどうかしら?イクスドール家の当主で、守備隊の隊長もしているギルバート様なら、真面目で大人しいフィリアお姉様にピッタリだと思うの。ね?素敵だと思わない」
ミリーナの提案にフィリアはゆっくりと首を横に振った。
「素敵な提案ありがとう、ミリーナ。でも、いいのよ。私のことは気にしないで。ミリーナはサム様と幸せになってね」
静かにそう告げると、フィリアはミリーナに背を向けて歩き出す。自室へと続く廊下がとても長く感じた。
―――――ああ、私の人生やっぱり不幸でできている。
****
フィリアが前世の記憶を取り戻したのは今から8年前、彼女が10歳のときだった。
廊下に置いてあったバケツに足をひっかけて転び、パーティー用の華やかなドレスが水浸しになり、おまけに転んだ拍子に鼻を強打し骨折、合わせて出血、その一連の羞恥を片思い中の幼馴染サムに見られたとき、フィリアの頭の中に膨大な記憶が飛び込んできた。
前世のフィリアはなかなかの悪女だった。【絶世の美女】と言われていたフィリアは多くの男を魅了し、虜にした。
数々の男と付き合い、そのどれもが妻子持ちの男だった。そういう男を自分に惹き付け、その男の妻に自分の存在を自らバラし夫の不倫を告げる。それを知ったとき、それまで仲の良かった夫婦の関係は一瞬で壊れてしまう。
前世のフィリアは絶世の美女で、幸せな家族を引き裂くのが大好きだった。何度も何度も壊しても、また次の家族を壊したくなる。フィリアの人生は40年で幕を閉じたのだが、最期を迎えるときまでそんなことを繰り返して遊び続け、不幸の種を捲き続ける人生だった。だからきっと神様が罰を与えた。生まれ変わったフィリアの人生には何一つ良いことがなかった。
フィリアは名門貴族アクシュワード家の三姉妹の二女として生まれた。父親も母親も姉も妹も顔はいたって平凡だが、二女のフィリアだけはまるで血が繋がっていないのではないかと噂されるほどの美貌を持っていた。どうやら顔の良さは前世から引き継いだらしい。
そして、父親も母親も姉も妹も明るく前向きで活発で誰からも愛される性格だったのに対して、二女のフィリアだけはその正反対の性格をしていた。人見知りで大人しくてネガティブ。誰に何を言われようと「はい」と返事をしてしまうような気の弱い子だった。性格だけは前世のものを引き継がなかったらしい。
そしてフィリアはとても運が悪かった。生まれて間もなく誘拐をされ、3歳の頃にもまた誘拐をされ、5歳の頃にもまた誘拐をされた。4歳のときに庭の池で溺れ、その次の日には川に流されて溺れた。8歳のときに可愛がっていた猫に頬をひっかかれ、その傷跡は今でもうっすらと残っている。その後すぐに大型犬に噛まれて手を縫った。そのときの傷もうっすらと残っている。その他にも、家族旅行へ出かければ一人だけ屋敷にうっかり置いていかれ、王族のパーティーに一家で呼ばれたかと思えばフィリアだけ高熱にうなされて置き去りにされ、6歳の頃に入学した貴族の令嬢が通う学校では卒業までずっといじめにあっていた。
10歳のとき、前世は悪女だった自分の記憶を取り戻したがそのときはまだ気付かなかった。14歳になり、どうしてこう自分ばかり不幸なことが続くのかと夜も寝ずに考えたら気付いてしまった。それはきっと前世の自分に原因がある、と。
悪女だった前世の自分。おそらく神様が罰を与えるために今の自分に不幸な人生を与えたのだろう。そうなればおそらくこの先一生、フィリアには不幸がついてまわる。私の人生は償いだ、とフィリアはとうとう気付いてしまったのだ。
それからは不幸なことがあってもこれは自分に与えられた罰だと割り切れるようになった。グッと歯を食いしばってどんなことにも耐えてきた。
しかし、18歳になった今、不幸だったフィリアにもようやく幸せが一つ見えた。それは幼馴染でありずっと片思いをしていたサムとの結婚話だった。
サムは、フィリアの実家である名門貴族アクシュワード家に次ぐ名門貴族イクスドール家の次男だ。三姉妹のアクシュワード家には跡継ぎの男子がいないので、イクスドール家の次男を三姉妹の誰かと結婚させて次期当主にさせようとした。
アクシュワード家の長女リリアンはすでに第2王子のもとへ嫁いでいたし、三女のミリーナはまだ学生だった。そこで目を付けられたのが二女のフィリアだった。フィリアはサムと同い年であり、今年学校を卒業したばかりの18歳。結婚にはちょうどいい年齢だった。そこでフィリアとサムの結婚が決まった。
フィリアは喜んだ。5歳のとき、パーティーで一目惚れしてからずっと好きだったサムと結婚ができる。しかし、その喜びは結婚式一週間前に儚く崩れ去った。父親に呼び出され婚約の破棄を言い渡されたのだ。
サムとの結婚という大きな幸せを目の前にして浮かれ、フィリアは忘れていたのだ。自分のこの人生は償いであると。良いことなんて何ひとつ起きないし、起きてはいけないのだと。これは、前世、悪女だった自分の償いの一生なのだ、とフィリアが改めて思い知った瞬間だった。