00 前世、悪女だった。
『今日こそはよい返事を聞かせてもらいたいんだ。家族とはもう一緒に住んでいない。妻とも別れることにした。今日、離婚届を出してきたんだ。だから、僕と結婚してくれないか』
目の前でひざまづき、バラの花束をさしだす男の姿に、女は思わず笑みがこぼれた。この瞬間は何度味わっても快感だ。さあ、どういう言葉を返してあげよう。どんなひどい言葉で突き刺せば、この男を絶望へと叩き落とすことができるだろう。
女の真っ赤な唇がゆっくりと動く。
『あら、やだ?勘違いしちゃったのね。ごめんなさい。私はそういうつもりであなたとお付き合いをしていたわけじゃないの。奥様と別れて私と結婚?そんなの私がいつ望んだの。勘違いしないでもらえるかしら。はぶりがいいから付き合ってあげていただけで、あなたみたいなブス男と結婚なんて、考えただけで吐きそうだわ』
『…どうしたんだ急に?』
男の表情からだんだんと明るさが消えていく。自分をすっかり愛してくれていると信じていた女から言われたセリフがこれでは無理もない。女はとても気分が良かった。
『結婚の話をされたらもうおしまいね。The endよ、さようなら。さてと、次はどの男に乗り換えようかしら』
『嘘だよな?嘘なんだよな。あれだけお前にたくさんの愛と金を注いだのに、その俺を捨てるのか』
『うるさいわね。しつこいのよ。さっき私が言ったこと聞いてなかったの?あなたとはもう終わり。とっとと私の前から消えてちょうだい』
『お願いだ、嘘だと言ってくれ』
『あなたが消えないなら私から立ち去るわね。でわ、さようなら~』
女は男に軽く手を振ると、高いヒールを鳴らして暗闇の中を歩き出した。
高級ブランドのカバンから真っ赤なルージュを取り出して唇にたっぷりと塗る。そして妖艶に微笑んだ。
『ひでー女だな』
どこからか男の声が聞こえて女は立ち止まった。辺りを見渡すが姿は見えない。
『そんなんじゃお前は一生幸せになれないぜ。可愛そうな女』
可愛そう…?
暗闇から聞こえてくる男の声に女の怒りがこみ上げる。
可愛そう?この私が?そんなわけないでしょ。私は今とても最高な気分なの。妻も子供もいる男の愛人になって、男の幸せな家族をぶち壊す。こんなに楽しくて愉快なことはないわ。
女は小さく笑うと、姿の見えない男に向かって声をかける。
『悪趣味な男。覗き見していたのね。いい歳したおっさんが若い美女にプロポーズをしたらひどい言葉で断られるところを』
『ああ見てた。全部、見てたぜ。優しそうなおっさんを騙した若い女のその最低な性格をな』
『あっそう』
『あの男で何人目だ?』
『さぁね。数えたことないから分からないわ』
『お前、絶対にたくさんの男から呪いを受けてるぜ』
『別に構わないわ。その呪いで死んだって構わない。今がものすごく楽しいの。それで満足』
『死ぬだけじゃ足りねぇよ。その呪いはしつけぇから来世にまで持ち越すだろうな』
『来世?なにバカなこと言ってるのよ。私の命は今このときだけ。前にも後にもないわ』
『どうかな。ま、あんたが今世の呪いを来世に持ち越して、どうにもいかなくなったときは俺が助けてやってもいいぜ。あんた性格は最低だが、俺のめちゃくちゃタイプな顔してるからな。俺ならあんたを幸せにできるさ』
その言葉を最後に男の声は聞こえなくなった。
女はその12年後、40という若さで命を落とした。
最期の瞬間までその美貌でたくさんの男を魅了し、虜にして、地獄へ落とし続ける悪女であり続けた――。