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少女の悲鳴は響かない


 凛五が帰って。

 西日が差して。

 日が暮れて。

 町が暗くなって。

 麻木先生が僕の様子を見に来て。

 誰かが夕食を作って。

 配膳されて。

 食べて。

 トイレに行って。

 またベッドに戻って。

 窓の外を眺めて。

 真っ暗で何も見えなくて。

 時計を見て。

 七時になって。

 七時十三分になって。

 七時十七分になって。

 七時四十九分になって。

 八時になって。

 八時一分になって。

 八時二分になって。

 八時四分になって。

 八時五分になって。

 八時十二分になって。

 八時十六分になって。

 八時四十一分になって。

 九時四分になって。

 九時五分になって。

 九時十四分になって。

 九時二十七分になって。

 九時三十一分になって。

 九時三十六分になって。

 九時四十分になって。

 九時五十二分になって。

 九時五十八分になって。

 九時五十九分になって。

 十時になって。

 病院が消灯して。

「そろそろ寝ようかな」

 一人で、何もせずに過ごす一日はやたらと長く感じられた。何度、鈍足な時計の針を目で追っただろう。凛五と話していた時間が今日だったということも忘れてしまいそうだ。

 普段はどんなことをして一日を過ごしていただろうか。

 高校時代までなら、学校の授業が終わってからは大抵グラウンドに居ただろう。陸上部では部長だった。まあ、運の朽ち果てている僕は、不運に付き纏われ、一度も大会に出場できたことはないから、公式記録と言うものは持っていないのだけれど。それでも、純粋に運動能力という面で見れば、同級生や後輩に示しが付く程度の水準だったということなのかもしれない。まあ、試合に出たことが無い以上、僕が海の広さを知らない間抜けな蛙だという可能性も、まったく否定はできないけれど。

 そんな考え事をしつつ、毛布にもぐりこんだ時だった。月明かりも雲に沈み、浅暗い視界の中で、少しだけ敏感になっている僕の耳は、どこかから、何かを壊した様な乱暴な音を拾って来た。

「なんだろう、上で凛五が皿でも割ったのかな」

 いや、そんな音ではなかった。それに、気のせいでなければ、今の音は一階から聞こえた。この時間、下にヒトはいないと思うのだが……他の入院患者が出歩いていたのだろうか?

「ん……んん、気になるな」

 見に行ってみるか。一日中横になっていたからそんなに眠いわけでもないし。骨折と言っても、足が折れたわけではないのだから、少しくらい歩いておかないと身体が鈍ってしまう。

 スリッパを履き廊下へ。ぼんやり浮かぶ、丸い頭に角ばった体の人間が非常口へ駆け込むイラスト。緑色の誘導灯に照らされる廊下は、雲の中を歩くように先が見えない。病室に備え付けられた懐中電灯は、暗い廊下を歩く高揚感に負けて置いてきてしまった。まあ、五分もすれば、僕の目も暗順応して多少は見える様になるだろう。それまでは、壁伝いにでも歩けばいい。そんなに広い病院でもないし、暗くても一階に降りるくらい問題はないはずだ。

 ぱたん。

 ぱたん。

 足の裏とスリッパの隙間が、一歩ごとに音を立てる。

 白い廊下。白は好きだ。でも、白い天井と白い壁に沿って続く四角空間は、まだ僕の視覚に黒しか見せない。

 そろそろと歩いていると、なんとなく曲がり角があるのが分かった。

 そこを曲がればすぐに階段があるはずだ。と、そこで。そこまで来て、一瞬の違和感を感じた。その一瞬だけ、廊下を曲がった先から、こちらに見える位置に光が差した……気がした。見間違えでなければ、懐中電灯の光を当てた様な……部分的な、廊下の照明が光ったにしてはかなり不自然な、そんな光り方だった。

「……何か……光ったか?」

 失敗した。

 もしくはこういうべきか……。

 運が悪かった。

 僕がほんの少しだけ、声を発した直後だった。

 僕が足を掛けようとしていた廊下の曲がり角から何かが覗いた。

 合った。

 いつの間にか、僕の目は闇に慣れていたのか。

 それとも、あまりにも距離が近かったからなのか。

 目があった。

 上から見下ろすように、僕を一瞬で捉え。引っ込んだ。

 そいつの目は僕の知り得る『人間』のものではなかった。

 僕の知り得ない『人間』のものだった。

 昔から不運な体質だったおかげなのか、理不尽な状況に順応するのは、おそらくみんなより慣れていたのだろう。

 十年近くもグラウンドに費やしたこの脚は、僕の恐怖心より先に走り出していた。

 忘れ置かれたスリッパの音は響かない。

 慣れてしまえばこの廊下もそんなに暗くは感じない。どこかに身を隠さねば。

「かぁ、はぁ、あれは、多分まずいだろ……」

 自分の病室に駆け込み、靴と靴下を履く。

 ここは、町で一番大きな病院だ。それはつまり町で一番……。

 最初に聞こえた音は。壊れる様な音? 何がだ?

 廊下に映った光は。あれの正体は? どうして気付かなかった?

 あの目は……どこに居た? 階段の近くだった。

 そして、消灯後のヒトが少ないこの時間……。

 僕の予想が正しいのか分からない。正確なことも分からない。だけどこれは、おそらくまずい。



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