幸せの通信ケーブル
昔から不運な体質だったおかげなのか、理不尽な状況に順応するのは、おそらくみんなより慣れていたのだろう。病院での生活にもすぐに慣れた。
車との接触事故で、左腕を骨折してしまったのだけれど。不幸中の幸いとでも言えばいいのか、右利きの僕にとっては、生活ができなくなるほどの怪我ではなかった。
どちらにしても、事故に遭って骨折している時点で、不幸以外のなんでもないとは思うが。
「にーまるよん、にーまるよん……久田里王……ここかな」
見なれた顔が桜色のマフラーにうずもれながら、病室の入り口へ顔を出す。
「おっ、いたいた。りょうくん、怪我の調子はどうだねっ?」
彼女の父である、この病院の院長、麻木先生の真似でもしているのだろうか。それなら、とんだアホ面の先生がいたものだと言うしかなくなるが。
「なんだい、凛五。ニヤニヤしてどうしたんだ? 気持ち割るよ?」
「割る!? 気持ち悪いじゃなくて!? 何を割るんだい? もしかして私の顔かな? 兜割なのかな!?」
病室だというのに気持ちのいい大反応を見せてくれる、まるで自分の家に居るようだ……まぁ、彼女の家もこの病院と同じ敷地にあるわけだし、と言うかこの建物の三階だし、間違ってはいないのか。
「ああ、兜割って、技の名前っぽいけど、実は道具の名前なんだよね」
「ちょっと! そんなことは訊いてないよ!――ってえぇぇぇ!!? そうなの!? じゃあ今までウチがりょうくんにやってたやつはなんだったのさ!!?」
「あれは、僕の頭を撫でていただけだよ」
「そんなばかなっ! つまりウチは今まで怒って攻撃したつもりでも実は頭を撫で撫でしてただけということなのっ!」
「当たり前じゃん」
「なっ……なんで教えてくれなかったのさぁ! このぉおお、兜割ぃっ!」
ガシガシガシ、と頭を撫でられた。凛五の口から兜割なんて単語を聴いたのは今日が初めてだよ。
……なんだろう、ヒトに話すほどのことが起きてるわけじゃないし、話してる内容も驚くほどくだらない冗談劇場だけど。この真っ白な部屋で、ベッドに身をうずめているよりは、ずっと有意義な時間を過ごしている様な気がした。
「おい……やめろって。頭が割れたらどうするんだよ」
「あっれぇぇ……」
ウチ今うまいことやったと思ったのに。と、高めの自己評価と現実の差異にやや落胆している。
ちなみに、魚のさばき方で、頭部を正面から割るようにしてさばく事を兜割と言ったりもするらしい。
「それで、なんの用だよ」
「なんの用って。勿論お見舞いに来たんだよ」
「兜割を?」
「お見舞いに乗じて兜割をお見舞いしに来ましたぁ!! って、ウチは鬼か! 金棒とか振り廻しちゃうのか!」
なんとも清清しい乗り突っ込みをどうもありがとう。
「振り廻すのは兜割だろ?」
「兜割はどうでもいいの! 忘れて!」
ちなみにちなみに、兜割とは十手の様な形状の武器らしい。
「もう、普通に様子見に来ただけだよ」
少しだけ落ち着いた声でそう言った。
確かに、凛五はスーパーの袋を手に持っていた。自分の家から自分の家へ行く様なものなのに、寒空の下わざわざ見舞いの品を買いに行ってくれていたようだ。
「そうか、それは御苦労さま」
一言だけ労って、なんとなく彼女が歩いて来たであろう窓の外の風景を見つめてみる。ベッドで上半身だけ起こして、窓の外を見つめるなんて、そんな入院あるあるに数えられそうなことをよもや自分がすることになるとは思っていなかったな……。
高い建物がある訳でもなく、遠くまで見渡せる。雲を半纏の様に羽織った薄い緑の山々を見ると、今日の空は低い気がした。雨でも降ってきそうだ。もしくは雪でも降ってきそうだ。
まあ、遠くの方まで見えるとは言ったものの、流石に二階のこの病室では、僕が事故にあった道路までは見えなかった。もしかしたら、屋上に上がれば見えるのかもしれない。この辺りでは、三階建てのこの病院より高い建物は、そうない。
「お父さんは四、五週間で治るって言ってたけど、大丈夫? 痛くない?」
「そりゃあ痛いよ、ギプスは邪魔で不便だし、不幸をギフトボックスで贈り付けられたみたいだ」
「うぅ、ごめん」
「おいおい、なんで謝るんだよ」
と言いつつ、訊くまでもないことだった。
それは、僕が居なければ、事故に遭っていたのは凛五で。その場合、おそらく彼女は死んでいたからだ。
「だって、ウチのせいで……」
「前にも言っただろ? 凛五は悪くない。誰も悪くない。僕の運が悪かっただけだって」
そう、いつものことだ。
いつも通り、僕の運が悪かった。それだけのことだ。
あの日もそうだ。
運悪く、車道も歩道も狭かった。
運悪く、凛五は車道の方を見ていなかった。
運悪く、僅かに凍った水たまりで自動車がスリップした。
運悪く、凛五はそれに気付かなかった。
運悪く、凛五を突き飛ばした僕は逃げ遅れた。
運悪く、轢かれた僕の左腕の橈骨は折れた。
それだけのことだ。
「いつものことだろ」
「……はぁ、そうだね。りょうくんはまた。いつもみたいに、勝手にヒーローみたいなことをして勝手に不幸になっちゃっただけなんだよね」
「なんだよ、そんな言い方したら、まるで僕がいい奴みたいじゃないか」
「ウチはりょうくんよりいい奴なんてみたことないよ?」
「僕より不幸な奴を見た事ない、の間違いだろ」
「捻くれたことばっか言って……そのくせ性格は超まっすぐなんだから」
分かった様な事を言ってくれるな。
「ふん、まあなんでもいいや。おかげでタダで病院に泊まるという貴重な体験ができるわけだし」
「ウチのお父さんの病院だしね。そのくらい当然だって言ってたよ」
「そうか、後で改めてお礼を言っておかないとな」
「……やっぱり律儀じゃん」
小声で凛五が何か言ったようだけど、気にする程の事ではないのかな?
「きっとお礼合戦になっちゃうよ」
「僕が勝つよ」
「勝たなくていいよ! むしろここは負けるべきところだよ!」
「負けていい勝負があると?」
「そんな意味で合戦て言葉使ってないから!」
なんだそうなのか……勿論、分かっているけど。
はあ、とため息をつきながら、僕の傍に――ベッドの上に腰を下ろした。
「そっちの椅子に座れよ」
「やだよ」
「僕もやだ」
「やだとか言うな! ウチが傷付くだろ!」
矛盾していないかい? 大丈夫かい?
はあ、まったく。とため息をつき直す凛五。
「りょうくんがふざけるから言いにくいじゃん」
「なんだ、用があるなら早く言えばいいじゃないか」
「別に、用ってほどじゃ、ないんだけどね…………兜割、兜割……」
気安く僕の頭に触れながら言う。
「ありがとね」
確かに、用と言う程の事ではなかったみたいだ。
まあ、悪い気は、しないかな。
「…………兜割、気に入ってんじゃん……」
「もうっ! うるさいなぁ!」
この場所には、ただの平穏しかなかった。