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止まらないダンス

作者: 山川雷太

この作品はハートフル・レジェンドという短編集にある物ですが、読みやすいサイズだし、結構好きな人が多いので、個別に投稿します。なお、あくまでも伝説逸話を基にしましたフィクションです。実在する人物や組織とは一切関係ありません。

 ミラバイが体を捻り、バネが開放されるように回転すると、玉の汗が伸ばされた手先や撓る毛先から飛び散った。日の光りが汗を無数の銀の粒のように煌かす。はっとするような独特のリズムに筋肉が躍動し、体は次の瞬間、宙に舞う。薄いシルクのサリーは空気の流れではためき波打ち、肩から僅かに外れ、胸の谷間が柔らかく深くなった。顔を隠すベールは泳いで捲れ、濃いまつげに彩られたエキゾチックな漆黒の大きな瞳に、歓喜が宿っている。細い顎先は僅かに上を向き、額からは汗が滴り落ちてベールを濡らす。羽毛のような軽さで地に戻ると、片膝が軽く上がり、再び回転が加わる。時に緩く、時に素早く、サリーは崩れ、肩は顕に、ベールが外れて笑顔をさらしたミラバイが踊る。

 十五世紀、北インドのメワール国では、厳しい仕来りがあった。全ての女性は家の外で、他人に顔や肌を見られてはならなかった。でも、この国の王女、ミラバイは気でも狂っているか、城門の人だかりの中で踊り続けている。

「あの狂い女を何とかしろ!」

 ビクラ王が叫んだ。

 メラタ国の王女ミラバイは十八才の時にメワール国へ嫁いで来た。相手は王子ラジャ・ボージャだった。しかし、夫は結婚後直ぐに回教徒との戦いで戦死してしまった。新国王になった義理の弟、ビクラ・マジタは未亡人ミラバイが厄介者にしか思えない。

《くそ! あんなにふしだらな格好して、人前で踊り続ける売女め》

 ビクラ王は心の底から兄嫁をなんとかしたいと思っていた。王家に泥を塗る他国の女を殺したいとさえ思った。だが、兵士を差し向けて踊りを止めさせようとすると、ミラバイに見つめられた兵士達は皆萎えてしまう。ミラバイにクリシュナ神、ヒンズー教の神の一人が宿っていると言うのだ。そうでなければ、あのように、顔は美しく可憐に輝かないと言い訳した。

 兵士達を鞭でいくら打っても、ミラバイを敬う兵士がどんどん増えるばかり。毒殺しようとすると、毒を盛った飲み物がいつの間にかミルクに変わってしまう。花束にコブラを忍ばせても、クリシュナ神の彫り物に入れ変わってしまうのだ。ビクラ王は、彼女を崇拝する人間が増えていることに苛立つが、どうするか決め手に欠き悶々としていた。

「王よ、ミラバイをこの国から追い出すか、幽閉するべきです」

 重臣が言うのも尤もだ。でも、ミラバイは隣国メタラの王女。メタラ国との関係も考えねばならない。しかしこれ以上、家紋に傷をつけるわけには行かない。王はミラバイを追放するために兵士を呼び集めた。するとそこへ、ミラバイは笑顔でやって来る。

「ビクラ王、ありがとうございます。クリシュナ神が私にささやいて、あなたが私を勘当してくれるとお聞きしました。私もこれ以上、王女として因習にまみれた生き方が辛くて仕方が無かったところです。喜んで今すぐ城を出て行きます」

 ビクラ王はあいた口が塞がらなかった。なぜ我らの話の内容を知っているのだ? そう思ってミラバイを見つめると、ミラバイはその華奢な顔立ちを少し横にかしげて微笑んでいる。ビクラ王はミラバイをふしだらで貞操の無い女と思い込んでいたが、よく見ると、兄が惚れただけあって美貌だ。だが、許せない。兄が戦死したら、妻は自分の身を焼いて後に続くのが国の仕来り。なのに、このミラバイは後追い死もせずに、自分の夫はクリシュナ神と言って憚らないばかりか、顔と体を人前でさらし、毎日踊り狂っているのだ。

「ミラバイ王女、あなたの日々の行動が、王家の顔に泥を塗っているのだ。もう二度と戻ってこないで欲しい。再び貴方を我が城で見たときには、我が剣が貴方を貫くだろう」

「クリシュナの妻、ミラバイを殺す事があなたにできるでしょうか? 私はすでに自由で虚空!」

 ミラバイはそう言うと、大きな鉢植えが涼しい影を落としたテラス側の通路を、僅かに踊るように、爽やかな笑みをこぼして去って行った。

《馬鹿女め! 王の権威に服しない、我がままの極地に狂った女は、これから世間の苦しさに彷徨い苦しむのだ》

 ビクラ王はミラバイの喜び溢れて浮かれるような後姿を、忌々しく睨んだ。

 ミラバイは社会のしがらみから自由になったことが心から嬉しく、着の身着のまま城を出た。牧草地を緩く曲がる小道、ゆっくりと風に吹かれて歩いて行く。小道は涼しい森に誘われ、いつしかミラバイはクリシュナを称えて歌う。



 切ない愛に 満たされて

 ミラバイは 溺れてしまいそう

 道から道へ さすらえば、

 そこかしこで あなたと出会える

 王家の娘は もうすでに

 あなたを求める さすらい人

 どうして 城にもどれよう


 

 風の中に自分の歌が聞こえ、咲き乱れる花々の色彩がミラバイの歌を聴いている。花々の匂いが放たれ、拍手が起こっているのだ。木立の木漏れ日は風に揺れてざわめき、ミラバイの歌を密やかに聴いている妖精達の息吹を感じる。涼しい森にミラバイの歌が流れて、ミラバイの喜びが森の小道を照らし、小鳥達が飛び交いながら唱和した。

 沙門ミラバイはクリシュナを称えて踊り歌い、純朴な村人達に支えられながら旅を続け、クリシュナ神が幼少時を過ごした聖地、ヴァリンダヴァンに着いた。そこにクリシュナを祀る最も有名な寺院があり、敬虔な聖者として名を馳せたジーヴァ・ゴースワミが主席僧侶として勤めていた。このジーヴァは、僧侶になった時に、これからの生涯、どのような女性も見ないと言う誓いを立てた。そして、三十年間それを守り通したために、寺院を一度も出たことが無かった。

 ミラバイは踊る。寺院の門前に人だかりができた。ミラバイは人々に囲まれても、ミラバイが見つめているのは己の内側のクリシュナただ一人。クリシュナの心がミラバイに流れて来ると、顔が輝き、体が躍動した。クリシュナがミラバイの踊りを見つめると、ミラバイは歌った。クリシュナが歌を聞くと、ミラバイは宙を舞い踊った。体が火照っている。汗が噴き出した。ミラバイの喜びが見物人を感動させ、その内の一人がクリシュナを賛美するマントラ(唱言)を唱え、回転しながら踊るミラバイに祝福の水を浴びせる。水しぶきがあがり、光りの粒が飛び、虹が現れる。ミラバイの顔はさらに歓喜を増し、見物人は跪いた。門の衛兵もいつしか魅せられ、役目を忘れ去った。

 ジーヴァは日課のクリシュナへの祈りを捧げていた。門から歌が聞こえてきた。だが、彼の祈りは深い。クリシュナを求め、クリシュナの教えに従い、クリシュナの声を聞くために、三十年間一度も怠らなかった日々の行だ。何があろうと、この祈りを妨げる者は今まで誰も居なかった。なのに、いつの間にか、ジーヴァの直ぐ後ろで、敷き詰められた石畳の庭を誰かが飛び跳ねる音がする。刹那、驚いて怒りがむくむくとジーヴァを捉えた。

「だれだ! 私の祈りを邪魔する者は?」

 ミラバイは地を蹴り、飛び上がった。地に着くと、歌いながら体を捻り、片足を高く上げ、回転する。ベールもはずれ、サリーは崩れて、身体が顕に見えた。ふり向いたジーヴァは両手で目を覆ったが、遅かった。彼の目には美貌のミラバイが映ってしまった。顔も体も見えてしまった。手のひらで覆った顔が惨めに怒りで歪む。

《なんと言う事を! 三十年間の誓いが……》

「出て行け! ここは女人禁制の場所、早く出て行ってくれ!」

 ジーヴァは目を覆いながら叫ぶ。手足と声が怒りで震えた。だが、その乱れて狂ったような女はジーヴァを見て、心を見透かしたように優しく微笑んでいる。この世の者とは思えない喜びを湛えた微笑、そしてジーヴァを見つめる瞳は、指の間から覗くジーヴァに、狂気では無く、静かで、正気で、聖なる瞳として写った。ミラバイは何も言わず、じっとジーヴァを見つめ続ける。愛に溢れ、優しく、女性そのものの眼差しが、ジーヴァの拘りを打ち払い、迷妄を融かす。ジーヴァは顔を覆った両手をだらりと下げてしまった。誓いは破られたのだ。

 ミラバイは数歩ジーヴァに近づくと、ジーヴァを見つめて静かに言う。

「神の前では、人は全て女性です。あなたもよ! 聖者ジーヴァよ、三十年もクリシュナを礼拝して来て、それでもあなたは、自分が男だとでも仰るのかしら?」

 ミラバイはそう言うと、クリシュナの奥殿に向かって歌い始めた。



 住んでくださいませ 私の目の中に クリシュナよ


 その褐色の肌の色、お顔の輝き、眩い横笛を吹く赤い唇 胸に掛けたビシュヌの首飾り

 

 住んでくださいませ 私の目の中に クリシュナよ


 鈴の音が光りを誘い 麗しき足元にひれ伏せますように


 ああ、私の中のクリシュナよ 歓び満たされ神々しく あなたは私の目の中に 

 住んでくださいませ



 ジーヴァは歌声が遠くから聞こえたり、耳の近くで聞こえたりした。ジーヴァが心の中で歌を聴いていたからだ。自分の心を開いて、歌を聴く。生まれて始めての体験に驚愕してしまった。それに気づくと、ジーヴァはその女が自分よりクリシュナと親しい事がはっきりと判った。否、きっと女はクリシュナの使いなのだ。己の誤謬を諭すために使わされた。三十年間、ジーヴァは寺院の中のクリシュナを、頑なに礼拝するだけだった。だが、この女は歌と踊りをずっと己の中のクリシュナに捧げてきた。ジーヴァは体の力が抜け、女の前に額ずいてしまう。自分の都合で立てた誓いに何の意味があろう。この女は顔も体もさらしながら、乞食のような身なりに成り果てても、クリシュナを感じている。感じているから愛せるのだ。

《神の前で人は全て女性》

 その言葉こそ、ジーヴァを貫いた。神を感じ、愛し、そして仕える者。クリシュナは我が礼拝より、この乞食の女の歌をお聞きになり、踊りをご覧になった。ジーヴァは自分の世界が大きな音を立てて瓦解して行くことに気づいた。

「我が目に、三十年ぶりに触れた女性よ! もう一度あなたの踊りを私に見せてはくれぬだろうか?」

 ジーヴァはやっとの思いでミラバイに小さく言った。ミラバイの顔が見る見る内に輝き、体が撓る。ジーヴァの前を美しい女神が飛んだ。寺院に風が吹き込み、ミラバイのサリーがそよぎ、髪の毛が流れる。黒い瞳は内側のクリシュナを写して、ジーヴァを見つめる。ジーヴァは震え、涙が止め処なく溢れる。ジーヴァは初めて師を見出したと思った。


 ミラバイが去った後のメワーラ国は、因果応報、災難に見舞われていた。世間体を気にして、家柄や体面をひどく気にするビクラ王の時世は、隣国との関係がどんどん悪化して行った。王室の権威や建前を守るために、ミラバイを追い出したようなビラク王の考え方と政治は、どこかいびつなのだろう。民衆や兵士達はミラバイ王女を懐かしがった。ミラバイが居なくなって、人々は王女がキチガイ女と揶揄されながら、自ら率先して因習を打ち壊し、自由の雰囲気を国にもたらしていたと悟ったのだ。

 他国との不和が高じれば、やがては戦となる。外敵が侵入して来るのは当たり前かも知れない。やはり稀に見る大きな戦が起こった。かつて無いほど、多くの兵士が死んでしまった。残された女子供も、国の仕来りで自害せざるおえなくなり、民衆は悲しみ、憤りと怒りを王ビクラに向けた。国は暗くなり、人々はミラバイを追放した天罰だと口々に叫んだ。ビクラ王は民衆をなだめるために、ミラバイを呼び戻す事を考えて、ドルワカと言う若者を使わした。ドルワカは昔からミラバイに帰依していた兵士の一人だった。

「ミラバイ王女、是非ともメワーラに戻ってください。人々があなたを求めているのです。戻っていただけなければ、私はここで死ぬまで断食致します」

 ビクラ王の本心がわかるミラバイは、戻ればまた、つまらぬ世間の争いに巻き込まれることを知っていた。しかし、ドルワカの熱意と彼の民衆を思う気持ちは本物だった。困ったミラバイは少し考えて言った。

「ドルワカ殿、では、一晩、私に寺院の中で祈る時間をください。翌日の朝、あなたと共にメワールに戻れるでしょう」

 ドルワカは嬉しかった。一緒に戻ってもらえれば、民衆は安心できる。そして、国も立ち直るだろう。そう思うと朝が来るのが待ち遠しい。

 しかし翌日の朝、どうしたことか、礼拝の間の中央にミラバイの美しい髪が切られて束ねられ、その脇にはミラバイの衣服がきちんと畳まれて置かれていた。ミラバイは消えたのだ。いや、人々は囁き合っていた。

《ミラバイは天に召された》

 ドルワカは置かれた髪の毛を抱きしめて、思った。

《ミラバイ王女は何処に行かれたのだろう?》

 途方にくれるドルワカの肩に優しく手を置いた者がいた。ふり返ると、聖者ジーヴァだった。

「ドルワカ殿、ミラバイ王女がどこに消えたのかを訊ねてはなりませぬ。人の体の中で、長く腐らぬものは髪の毛ばかり。女性として最も大切な髪の毛をあなたに残した意味を受け取り、あなたの国へ帰国あれ」

 ドルワカはミラバイの髪を大事に持ち帰り、民衆に言った。

「ミラバイ王女は自らの髪を我らメワーラの民に遣わし、御身はクリシュナと共に歩まれている。ミラバイ王女は言われた。我はいつもメワーラの民と共にあり」

 この時から、夫への追死の変わりに、女は髪を切って供えたと言う。ミラバイの髪は、メワーラの寺院に置かれ、因習に囚われない自由な女性の象徴として、今も人々の信仰を集めている。



(了)


自分の作品の中で個人的に好きな作品を上げれば、この短編です。芸術でもスポーツでも忘我の境地にある人々はきっと、ミラバイのようにクリシュナや天の声を聞いているに違いないと思うのです。

あるいはあなたの側に歌いだしたり、踊り出す人がいないでしょうか? もし居たら、ミラバイと同じように世界を感じているのかもしれませんね。

このサイズのお話を継続して書いてゆきたいのですが、なかなか難しいのです。お読みいただきありがとうございました。またいつか。

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