赤ん坊と一人の男、そして小さな女の子
昔むかし、鋭い氷山が辺りを覆うように存在し、
眼も開けられぬほどに雪が吹き荒れる国に生まれた赤ん坊がおりました。
その赤ん坊は、
雪が暴れまわるように吹いている大地に置き去りにされており、
積りに積もった雪に飲み込まれそうになっていたところを、
一人の男が見つけ、救い出した事で、
大事に至る事はありませんでした。
男は、自身が救い出した赤ん坊と共に、国の外れにある
誰も住んでいない一軒の家に住み着くようになりました。
家の中の扉を開けた後、
抱いていた赤ん坊の頬を撫でた男は、
言葉が理解できないの承知で、
赤ん坊に向かって優しく言いました。
.「機嫌はどうかな?寒かっただろう。
此れからは私が君を育てようと思う。
君が大きくなるまでの間、私が育てるとしよう。
どうかな?賛成してくれるかな?」
赤ん坊は大きくクリクリとした眼で男をじっと見ています。
その赤ん坊の眼を見た男は、
ニコニコとしながら赤ん坊の頬をゆるりと撫でて、
赤ん坊を優しく抱きながら真新しい椅子に腰を落としました。
その日からと言うもの、
赤ん坊の為にせっせと動いた男の心あって、
最初の頃はいたずらや夜泣き、
眼を離すと何処かへ移動していたりしていた赤ん坊も、
次第に男に着いて周るようになっていったのです。
歩行が出来るようになった赤ん坊は、
今まで以上に眼を離せなくなり、
とにかく男の先を歩き、
来る日も来る日も、大忙しな筈なのに、
いつも男は優しげな笑みを浮かべて、
その赤ん坊を見守っていました。
そんな赤ん坊が言葉を話すようになったある日、
男は窓から見える真っ黒な雨雲と空を難しそうな顔で見ていました。
やがて男はテーブルの上においてあるベーコンエッグサラダサンドと、
壁に立てかけてある柄の部分が灰色のピッケルをじっと見て、
スッと笑顔を見せ、
赤ん坊にこう言いました。
.「そうだ。コレから私のことはベック、其れかベッケルと呼ぶようにしようか。
言いやすい方を選んで構わない。
私を呼ぶときにいつまでも服の袖を摘んで居る訳にはいけないからね。」
その日から、
赤ん坊が男を呼ぶ際の呼び名はベックになりました。
其れから数年が過ぎ、
赤ん坊は少年へと成長していったある日、
少年がパン屋の中で、
商品をじーっと選んでいた居たとき、
横に居たベックが少年へと自身の頼んだものを教えました。
男が頼んだのは、ほのかに柑橘系の匂いが広がる蜂蜜を練りこんだベーグルでした。
其れを聞いて自身も早くを決めないといけないと思った少年は、
焦りながら斜めに置かれていたプレートを指差しました。
そこに書かれていたのは【ベーコンエッグサラダサンド】
少年は長い名称が読めず、
.「べッ……ベッグサンドくださいっ!」と、
大きな声で言ってしまったので、
店の中にいる店員が少しびっくりした眼をして少年を見ながら、
ゆるりと微笑みを返して、
少年の省略した注文に頷きました。
.「パンが焼きあがるまでの間しばく待たなくてはいけないよ。」
と、ベックが少年に声をかけますが、
声を掛けられた少年は、
未だに恥ずかしがって、ベックの話は聞こえていないようでした。
そんな時ふと、恥ずかしがっている少年の耳に、
レジカウンターの後ろの扉から、
【タッタッタ】と何かが走ってくる音が聴こえてきたので、
何かと思って顔を上げると、
少年より少しばかり背の小さな女の子の顔が眼に映り、
【ドンッ】という音と共に少年の意識はそこで静かに途切れてしまったのでした。
眼を覚ました少年は自身がベッドで寝ている事を知り、
辺りを見回し、
今居る場所が見知らぬ部屋である事に気が付いたのです。
(確か、パン屋さんに居たはずなのに、
此処はいったい何処なんだろう)
そう……考えた少年の胸の中から、
どんどんと不安な気持ちが湧き上がってくるのを感じたとき、
【カチャリッ】と音を立てて部屋の扉が開きました。
扉を開けて入って来たのは不安そうにしている一人の小さな女の子と、
パンの入った紙袋を抱えて微笑んでいるベックでした。
少年はベックの姿を見た瞬間、なんともいえない暖かな安心感を感じて、
泣きそうになりながらベックの元へとしがみ付きました。
其れをみたベックはいつもと変わらない微笑みを浮かべて、
少年の頭を撫でました。
すると、安心して泣いている少年を見たからなのか、
小さな女の子も大きな声を出して泣き始めてしまい、
ベックはやれやれと思いながら、
小さな女の子と目線を合わせるためにしゃがみ込み、
小さな女の子にこう言いました。
.「君のお部屋のベッドを貸してくれてありがとう。
此処のパンはとっても美味しいので、また近いうちに買いに来ると思うけれど、
その時はまたよろしく頼むね。」
その言葉を聞いた女の子は、
怒られると思っていたので、
ありがとうと言われた事にびっくりして眼を大きく見開いていましたが、
トコトコと少年の近くに歩いて行き、
.「さっきはぶつかってごめんなさい。
許してくれますか……?」
と少年にぶつかったことを謝って頭を下げました。
すっかり泣き止んで、女の子の言葉を聞いていた少年は、
にこにことした顔で、女の子の眼を見て言いました。
.「もう痛くないし、大丈夫だから、
今度一緒に遊ぼうよっ!」
その言葉を聞いた女の子は、
安心して、大きく頷きました。
その後、パン屋を後にしたベックと少年は、
ベックが抱えてある大きな紙袋を見て、
お互いに苦い笑いを浮かべて帰路に着いたのでした。
【おしまい】
読んでいただきましてありがとうございますッ
いやー久しぶりの短編です。
暑い中書き上げると心地がいいですね~
また関連性のあるものを書くかもしれないので、
お楽しみに~(R・3・)ノ