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【 BL以外 】 ・翅(はね) ・チョコレートを買いに ・キャンドル物語

チョコレートを買いに

作者: 吉田来世子

「ついに来たわね、しーちゃん」

「ついに来たともさ、章代あきよ

 2月に入ったある放課後。陽気はまだまだ寒いながらも、日差しはすでに春らしくなってきて、窓際はさしずめ『まどろみの楽園』。その至福のひとときを満喫しているあたしの横で、二人の乙女が手に手を取り合って何事かを確かめ合っていた。

「……何が何だって?」

 あたしはちょっと不気味なものを感じて、そんな二人を見やる。すると、章代が頬に手を当てて、まぁ、と酷く気の毒そうな目であたしを見た。

 純和風な章代は近年稀に見るお嬢様で、家業の卸問屋は江戸時代から続いているらしい。取引先はほとんどが外国とかで、父親不在の結構寂しい幼少時代を過ごしたようだが、その環境は彼女の性格には一片の陰りも与えられなかったらしい。まったくこんなんで生きていけるのかと心配になるくらいのおっとりマイペース屋だ。

「何言ってんだ、花菜(かな)! 今日は何月何日だか知ってて言ってんのかッ?」

 章代の感嘆符を引き継いで、忍が険しい目であたしを睨む。

 忍は一言で言えば『男』。すらりとした長身、整った顔立ちは美人と言うよりはハンサムの部類に属する。中でも特に性格が男だ。家は街中に一軒だけ残った銭湯で、あたし達はしょっちゅうお邪魔している。でかい壁一面に描かれた富士山を眺めながら一番風呂に心ゆくまで浸かれるひと時は、まさに天国だ。銭湯万歳!

 二人から非難の目で見られたあたしは、居心地悪く教室の壁に貼られたカレンダーを見る。しかし、なにぶん薄ぼんやりの頭は『考える』という行為を面倒臭がった。

「……2月10日」

 ちょっと考えてから、黒板の右端、日直の名前の上に書かれた本日の日付を読み上げる。いつもは放課後になると日直が次の日付に書き変えるのだが、今日はまだ直していなかった。職務怠慢の日直さん、ありがとう。すると、忍がいきなり『パン!』と手を打ち鳴らす。

「そう! 2月10日! 2月10日といえばッ?」

「2月10日といえばぁ……?」

 語尾と一緒に視線も上げる。そういえば、明日は何とかいう祝日で学校は休みだ。黒板には明後日の日付を書かなければと考えていると、忍が腹でも痛いかのように悲痛な声を上げた。

「ううううう……! 花菜のアンポンタン! そんなんだから彼氏すら出来ないんだよ!」

「はあッ?」

 普段から変な奴だとは思っていたが、今日はいつもに輪をかけて変だ。だいたい、アンポンタンって何だ、アンポンタンって。すると、複雑な目で見られていることに気付いた忍が、焦れたように足をジタジタさせて怒鳴った。

「ニブちん! 2月と言えばバレンタイン! バレンタインと言えばチョコレートだろッ?」

「ああ、バレンタインデーね」

 あたしはちょっと気抜けして、椅子の背もたれに寄りかかった。

 三年生は受験の真っ只中でそれどころではないだろうが、あたしら二年生はまだまだ余裕だ。去年は先輩の気迫に押されてチョコを渡すのも遠慮がちだったようだが、今年はみんなの気迫が違う。昨年の鬱憤を晴らすかのように、あっちでもこっちでもその話題で持ちきりだった。

「そういえば、クラスの女子たちが騒いでたなあ。でも、あれは14日でしょ?」

 いくらあたしでも、バレンタインデーが14日だということくらいは知っている。小指で右の耳穴をほじほじしながら言うと、忍は理解力の乏しい子供に言い聞かせるように、人差し指を立ててあたしの鼻先に突き付けた。

「今年はバレンタインデーが日曜日だから、学校で渡したかったら金曜日に持って行かなきゃならないんだよ。ということは、ゆっくり選んで買おうと思ったら、もう明日の建国記念日しかないってこと。わかる?」

「チョコレートなんか当日の夕方にでも行った方が、特売とかしててお買い得なんじゃないの?」

 同じものを買うなら安いに越したことはない。ケーキと違って賞味期限が切れるわけじゃなし。実際、特大のポッ○ーやア○ロはこの時期でないとなかなか手に入らないので、結構自分で買って食べたりするのだ。あたしがのほほんとそう言うと、途端に忍の目尻がつり上がる。

「特売~~~ッ? あんたは特売のチョコレートで愛の告白をしようっていうのッ?」

 忍が特売の『い』の字を長く伸ばして喚き、あたしは思わず耳を塞いだ。

「そうよ、花菜」

 すると、それまで黙って聞いていた章代が、やけに諭すような口振りで参加してくる。

「チョコレートのような日持ちのするものは、随分前から店員さんが包装をするのよ。しかも、大勢の人が手に取ったり落としたりするから中身が破損する可能性大なのよ。ハート型のチョコレートが真っ二つに割れていたら、貰った人はイヤな気持ちがするでしょう? やっぱり早く買うに越したことはないのよ」

「そ、そうなのか……」

 確かにそうかもしれない。ああいったものは既に包装されてしまっているから、中身が割れているかどうかを確認する方法はないのだ。まさか振って音を確かめるわけにもいかないし、振った拍子に割れてしまう危険性もある。それに、手に取った時点では割れていなかったとしても、レジを打つ段階で、財布を覗いて小銭を確認している隙に店員さんが落としてしまうという危険もあるのだ。自分から落としたことを自己申告してくれるような良心的な人に当たればいいが、素知らぬ顔で次々とカゴに移されてしまったら、果たして自分にその行為を見抜くことが出来るだろうか。そこまで考えたあたしはハタと気付く。

「……あたしも買うのか?」

「あなたも買うのよ」

「当然だろう」

 当然なのか……。あたしはちょっと脱力する。何だかよくわからないが、どうやらクラスの女子共同様、二人の意気込みも例年になく凄いらしい。こういう時は変に抵抗をするとかえって痛い目に遭うのだ。すると、あたしが大人しくなったのに満足したのか、それともバスの時間なのか、章代がすっくと立ち上がった。

「それじゃあ、明日ね」

「へっ?」

 あたしは一瞬目が点になる。慌てて章代を見上げると、彼女はにっこり微笑んで隣の忍に、遅れないでね、と念を押した。

「それじゃあ明日な。遅れるなよ」

 気のせいではなかったらしい。鞄を手に立ち上がった忍が確かに自分に言ったのを見て、あたしも慌てて立ち上がる。

「あ、明日?」

 すると、教室のドアに向かって歩き出した章代が、まあ、と言って優雅に振り向いた。

「聞いてなかったのね? 明日の朝10時にTデパート前に集合よ」

「聞いてなかったっていうか……言ってなくない?」

 こめかみを押さえて尋ねたが、既に諦めが先に立つ。たぶん話は既に別の場所で決まっていて、あたしは決定事項を聞かされただけなのだ。そんな感情が顔に出たのであろう。忍がイヤな笑みを浮かべて、さも楽しそうにあたしの顔を覗き込んだ。

「遅れたら館内放送で呼び出すからね~」

 あたしは思わず持っていた鉛筆を握り締める。そして、いっこうに埋まらない日直日誌に大きなため息を落とした。




「……凄いわねぇ」

 その翌日。Tデパートに赴いたあたし達は、開店と同時に雪崩れ込む人波に流されて奇しくも目的の売り場に辿り着き、立ち尽くす。平棚の上に所狭しと並べられ積み上げられた色とりどりの小箱に、普段は『大和撫子』であろう娘達と、たぶん昔は『大和撫子』だったであろうオバさん達が群がっていた。一見長閑な風景にも見えそうなシチュエーションだが、しかし彼らの目は真剣だ。一心不乱に見本の品を見比べ、次々と手に取っては置いてゆく。

「……凄いわねぇ」

 口元に手を当ててその様子をおっとりと眺めていた章代が再び呟く。確かに凄い。朝も早よから何食ったらあんなに気合いが入るのか。ふと気付けば、人波に呑まれ、押し流されているうちに、お気に入りのセーターはあちこち引っ掛けられて毛糸が飛び出し、ベージュのコートは肌蹴て肘まで落ちている。あたしがこれでは、おっとり者の章代はもっと酷いのではないかと思って見ると、彼女はお姫様よろしく忍にしっかりガードされていた。

 身長178センチの忍はジーンズに白のダウンジャケットといういでたちで、本日は短めの髪をムースで後ろに流している。腕に制服姿の章代をしがみ付かせていると、言っちゃあ何だが本当に本気で男に見えた。って言うか、男よりも男らしい……。

 章代はとにかく制服が好きだ。学校があろうとなかろうと、平日休日関係なく制服を着ている。いつクリーニングに出すのかと心配したこともあったのだが、洋服ダンスいっぱいに掛けられた制服を見た時、あたしは『貧富の差』というものを実感した。なぜ三年間しか着られないものを何枚も何枚も着きれないほど買う必要があるのか。ならばその金で有名ブランドの服でもしこたま買い込めばいいのにと言うと、章代はおっとり微笑んでのたまった。

 『だって、制服は今しか着られないでしょう?』

 そりゃそうだ。

 白のブラウスに紺のブレザー、『微妙な』フレアーのスカートという全く平凡極まりない我が校の制服は、彼女が着ると、明治時代からいっさいデザインを変えていないらしいという噂は真実なのではないかと本気で思わされる。前髪を眉の位置でばっさり揃えたつややかな黒髪を腰まで垂らした彼女は、おっとりと頬に手を添えると、ホォッと何度目かの溜息をついた。

「……凄いわねぇ」

 ただただ感心したように、本日三度目の『凄いわねぇ』を言う。しかし、いつまでもこうして餓鬼の群れのような民衆を眺めているわけにもいかない。なぜならば、今日は祝日、国民の休日。こうしている間にも続々と新しい客がチョコレートの平棚目指して集まって来ているからだ。このままでは平棚の端に取り付いて商品を選ぶことすら出来なくなる。あたしは肌蹴たコートを直すと、腹を括って隣を見た。視線の先で、忍も腕まくりして親指を立てる。

「行くぞ花菜! あんたの明るい未来の為に!」

 忍が特攻隊長よろしく突進して行く。

「……あたしのかい」

 その後を、制服姿の章代とよれよれのあたしが続いた。




「見て! クマの○―さん!」

 章代が最初に拾い上げたのは、どうやら有名なキャラクターを型取ったチョコレートのようである。頭がでかくて短足で、しかも恐ろしく腹の出たクマが不気味に笑っている。チョコレートだから、もちろん色は焦げ茶だ。

 あたしが拾い上げたのはカエルの顔をデフォルメ化したチョコレートで、大きく口を開けてウィンクしながら笑っている。こんなものを貰って誰が喜ぶと言うのだろうか。すぐ隣にはブタの顔をしたチョコが、更に向こうには耳の垂れた犬が斜め目線で嫌味な笑みを浮かべている。これは知っているぞ。ナントカいうキャラクターの犬だ。だとすると、このブタも何か有名なものなのだろうか?

 それにしても、ちょっと見ただけだが動物系が多いように思うのは気のせいか。すると、やはり同じことを考えたらしい忍が隣の平棚を覗き込んで指差した。

「あっち行こ、あっち」

 どうやらここは子供用の平棚だったらしい。他より若干空いていたのはそういう理由だったのか。他の平棚は若い女の子やOL風の女性でいっぱいで、既に割り込む隙もない。それでも若干空いている平棚を見つけて近寄ったあたしは、げッ、と言って仰け反った。

「チョコトリュフ、5コ入り2500円ッ?」

 あたしは思わず我が目を疑う。250円の間違いかと思ったが、バーコードは後付けのものではなくてメーカー独自のものだった。

「信じられない……」

 呆然と呟くと、すぐ隣で章代がチョコレートの箱を手にしてちょっと興奮した声で言う。

「これは新宿にあるチョコレート専門店の名前だわ。きっとこの日の為に仕入れたのね」

 だから何なんだ。チョコをコネくり回して丸めたものが、1つ500円もしていいわけはない。『甘いねえ』『美味しいねえ』だけで人はいくらまで払えるのかは知らないが、自分で食べるのならいざ知らず、たかが男にあげる為にこんな高いものを買う必要は絶対にない。すると、忍が金色の箱を食い入るように見詰めて呟いた。

「凄い、さくらんぼリキュール入りチョコボンボン、3,000円。どんな味がするんだろう……」

「たぶん、高校生は食っちゃダメ」

 あたしは忍の手からその箱を取り上げると、平棚に並んだ箱をざっと眺める。やはりどれもゼロが1個多い。他の棚よりも若干空いていた理由がすぐにわかった。

「だめだ、他の棚に移ろう。ここは金の使い道に困っている金持ちか、ホストに血道を上げている有閑マダムが買う場所だぞ、きっと」

 しかし、何だってこんな事に付き合わなければならないのか。ぶつぶつ言いながら場所を移動したあたしは、ふと気になって忍を振り返る。

「それにしても、忍が誰かにチョコをあげるなんて珍しいね。チョコはあげるもんじゃなくて貰うもん、ってのが信条だったのに」

 すると、忍が目を丸くして心外そうにあたしを見る。

「なに言ってんのさ。付き添いに決まってんだろ」

「だよねぇ」

 あたしはすぐに納得する。なんたって忍は校内一チョコをたくさん貰うことで有名な女なのだ。そのファン層は同級生だけでなく、上級生や後輩、果ては既に卒業されたお姉様にまで至る。ちなみに、言っておくが我が校は共学である。世も末とはこのことだ。

「毎年毎年、同性からチョコなんぞを貰って情けなくはないのか?」

 やっかみも込めて非難すると、忍が澄ました顔で、別に、と答える。

「そう言うあんたは人が貰ったチョコを盗み食いして情けなくはないのか?」

 反対に問われて、あたしは、ウッ、と言葉に詰まった。

「……ウマいものはウマい」

 真理である。

「でも、去年は男の子からも来たわよね」

 それを聞いていた章代が忍を弁護して言う。それは初耳だったので、あたしは、えッ、と忍を見た。

「そうそう、見たことのない子だったよね。章代とバスで帰る途中で、車内で渡されたんだよ。ゴディバのミントチョコ。あたしが好きなの知ってたのかなぁ」

 忍はのんきにそう言うと、『ああ、またゴディバが食べたい』だの『あの子は今年もくれるだろうか』などとたわけたことを言う。だいたい、見知らぬ男から食い物を貰って何の疑いも無く食べる奴がいるか? あたしは思わず頭を抱えた。

「章代は? 章代は誰にあげるの?」

「わたし?」

 章代は小首を傾げると、可愛い目をくりっと動かして笑う。

「あたしはお父様にあげるの。今年も海外に出張していていないけど」

 そういえば、父親はいつも出張が多いので誕生日もクリスマスも母子家庭だと前に言っていたのを思い出す。

「そうか、早く帰って来て渡せるといいね」

 ちょっとしんみりして言うと、章代が、ふふふ、と笑って首を横に振った。

「いつもはね。でも、今年は滞在先がわかってたから空輸で送ったの。ちょうど日曜日には着く筈よ」

「そっかー。ぬかりがないなぁ」

 あたしも思わずつられて笑う。そして『んっ?』と首を捻った。

「じゃあ、誰へのチョコレートを買いに来たわけ?」

 すると、章代が先程の忍と同じように目を丸くしてあたしを見る。

「何を言ってるの? 花菜の付き添いに決まってるじゃない」

 そうか、あたしのか……。あたしはがっくりと肩を落とす。

「で、あたしは誰に……?」

 力なく尋ねると、章代が神妙な顔で瞬きをした。

「普通は意中の人とかにあげるんだけど……いないの?」

「……残念ながら」

 よく考えてみれば、三人が三人とも『誰々にあげる』という話はしていなかったのだ。と言うか、『誰々を好きになっちゃんたんだけどぉ……』という、女の子だったら絶対にありそうな甘々の会話すらあたし達の間には普段から無い。ただ『女の子はみんなバレンタインデーにはチョコレートを買いに行くのが当たり前』というセオリーに則って今回の企画も発動した可能性が大だった。

「そう……」

 章代も企画の失敗に気付いたのか、思案顔になると、意欲的にチョコレートを漁る忍を見てから再びあたしに視線を戻す。

「そうね、じゃあこういうのはどうかしら。お世話になった人に感謝の気持ちを託すの。誰か、日頃の感謝をお伝えしたいような方はいないの?」

「日頃の感謝……」

 それはいい案のような気がしたが、しかし誰に? 必死に思い出そうとしたが、誰の顔も浮かんではこない。

「そうね、じゃあ花菜もお父さんにあげるとか」

「うちの親父はチョコよりお猪口」

 無類の酒好きの父には母が毎年バレンタインを買っている。もちろん酒の方だ。だいいち、あげたい人が先にあって『チョコを買う』という行為が成立する筈なのに、なぜに『チョコを買う』という行為が先にたって、あげる人をあれこれ考えなければならないのか。既にあたしは帰りたかった。

 右を見ても左を見ても、みな必死にチョコレートを選んでいる。その風景が今のあたしには羨ましくすら思えるのは気のせいか……。

 だいたい誰だ! こんな日を考えた奴は!

 よく考えてみれば、男に告白するのを躊躇うような女など、現代の日本には存在しないに違いない。もし万が一いたとしても、悠長にバレンタインデーまで待っていられるような気の長い奴なんか絶対にいない。せいぜいが自分の人気を確認する為のバロメータにするだけで、貰える奴は嬉しいだろうが、貰えない奴にとっては最悪の日に違いないのだ。

 しかも、災難は男だけに留まらない。女の子にとっては『え~ッ? 誰にもあげないの~ッ?』などと要らんお世話なことを言われたり、特に好きでもないが誰にもあげないのも寂しいから、という理由だけで散財することになったりするのだ。そして『義理チョコ』という、チョコレート業界にとっては救世主のような存在が誕生する。

 すると、チョコレートを前に苦渋の表情を浮かべてあれやこれやと考えているあたしを置き去りにして、章代が忍に歩み寄る。そして、平棚の前に並んであたしに背を向け、何事かをごそごそと相談し始めた。やがて振り向いた二人の手には、各々思い思いの箱が握られている。そして、顔には満面の笑み。

「これ! わたしはこれが欲しいな!」

 章代が握り締めているのは、さっきあたしが手に取って放り投げたカエルチョコだった。こんなに色々あるのだから何もそんなものを選ばなくても、と呆れたその目が、章代の隣でニヤニヤ笑う忍の手元に吸い寄せられる。それは間違いなく先程の金色の箱だった。

「さくらんぼリキュール入りチョコボンボン、3,000円!」

 思わず叫ぶと、忍がニヒヒとイヤな声で笑う。

「いつもお世話してるからね~。これくらいは買ってもらわないと」

「はあッ?」

 いったい何を言い出すのか。寝言は寝てから言え、と言うと、章代がカエルチョコを胸前で抱き締めて言った。

「これ、バレンタインデーにちょうだい」

 既に『ちょうだい?』でも『買って?』でもなかったが、350円のカエルチョコなど安いものだ。

「章代はいいけど、忍はだめ!」

 きっぱり言うと、忍が贔屓だ差別だとぶうぶう言って拗ねる。

「なんだよ! あたしが貰ったチョコレートをいつも一緒に食ってるくせに!」

 忍の言葉に、あたしも負けじときっぱり返す。

「よく考えてみれば、忍の為にくれたものをあたし達が食べてる方がおかしいんだよ」

 実はいつも思っていたのだが食欲に負けて言えなかった正論を言うと、忍がウッと呻いて一瞬引いた。

「本当にあげないよ! 今年は絶対に、ただの一つも分けてあげないからね!」

 忍が更に語気を荒げる。

「またゴディバのミントチョコ貰っても、花菜には一本もあげないから!」

 ゴディバ!

 あたしはちょっと慌てる。あれはウマい。

 それに、確かに知らない男から物を貰うという行為は大層危険極まりないことのように思えるが、食っても大丈夫という実績は去年で出来ているわけで、しかも去年は『知らない男』でも、今年は『去年の男』である。だいいち、見知らぬ相手から思いのたけを込めて渡されるのがバレンタインデーの醍醐味なのだから、それをいちいち怖がっていては始まらない。とはいえ、チョコのお裾分けの見返りに3,000円のチョコボンボンは高過ぎる。あたしは隣の平棚に手を伸ばすと、ひとつ掴んで忍に突き付けた。

「協議の結果、あなたへの感謝度数はこのブタチョコに決定しました。感謝して食すように」

 忍が薄べったい箱を見てプウッと頬を膨らませる。随分ハンサムではあったが似たような顔に、あたしと章代は思わず噴き出した。

「あげるのは日曜日だからね! それまでお預け~」

 あたしは二人から箱を取り上げると、さっさとレジに向かって歩き出す。その後を、それでも嬉しそうな顔の二人が続く。あげるのは親友になってしまったが、それなりに『乙女な買い物』を楽しんで、あたしもそれなりに満足だった。


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