第3話 四つ葉の王子様の正体
※※
「わぁ……すごい」
「三日後がグランドオープンだ」
私は修哉と一緒にタクシーに乗って到着したホテルのエントラスを潜り抜けた瞬間、感嘆の声を上げた。天井にはダイヤモンドがあしらわれキラキラと輝くシャンデリアに、目の前には絵本に出てくるお城のような螺旋階段、更には床は全て大理石で金と銀の細かい粒が埋め込まれていて、いたるところに瑞々しい薔薇が飾られいい香りが漂っている。
豪華絢爛な内装に魅入っている私に修哉が小さな声で耳打ちする。
「気に入ったか? ここは式場も併設してあるんだ。気が早いがもし恋さえ良ければ大安の日を押さえてもいいぞ」
「え……っ、ちょっと……」
「はは、気が早かったな。大丈夫。恋の気持ちが固まるまでは何事も急かしたりしないから」
修哉は大きな目をふっと細めると、そのまま大宴会場の扉を開けた。すでに三百人ほどの来賓が飲み物を片手に談笑をしている。
「順番に挨拶をしていく。有川さんは僕が挨拶をしたあと、軽く挨拶してくれたらそれでいいから」
「あ……はい、わかりました」
(気を引きめなきゃ)
会場に入った途端、一人称『僕』、私のことは『有川さん』呼びをする修哉の凛々しい副社長モードに私の心臓がどきんと跳ねた。
「──お久しぶりです、山田支配人」
修哉が真っ先に声をかけたのは高級なスーツを身に纏った四十代くらいの男性だ。
「おぉ、これは四葉副社長お久しぶりですな。いつロスからご帰国を?」
「数週間前です。無事にこうしてお祝いの場に駆けつけることができて嬉しい限りです」
「ははは、こちらこそお忙しい中パーティーに参加して頂き有難う御座います。楽しんでいってくださいね。副社長、そちらの方は?」
(きた──)
「こちらは僕の秘書なんです」
私は背筋をピンと伸ばしたまま笑顔で挨拶をする。
「四葉副社長の秘書を務めております、有川恋と申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます」
「こちらこそ。また四葉副社長とは一杯やりたいと思ってるので今後とも宜しくお願いしますね」
「はい、こちらこそ宜しくお願い申し上げます」
私がお辞儀を終えると、修哉もにこやかな笑顔を支配人に向けながら軽く会釈をして、私たちはその場を離れる。
そしてそのあとも次々とクローバーデザインと取引のある大手不動産会社建設会社、ホテル関連と錚々たる企業の取締役や上役達と挨拶を交わしていく。
「──では失礼致します」
もう何十人挨拶したかもわからなくなって、私の笑顔が引きつってきた頃だった。
修哉が私を連れて会場の隅に移動する。
「大丈夫か」
「あ、はい。大丈夫です」
「喉が渇いただろう、これを」
修哉は会場の左右の端に並んでいる飲み物の中からオレンジジュースを取ると私に差し出した。
「ありがとうございます」
「いや、無理させて悪かった」
修哉はシャンパンに口づけながら申し訳なさそうに私を見ている。
「全然です、私こそ気を遣わせてしまってすみません。挨拶するだけなのに……」
「気にしなくていい。俺からしたら今日の恋は百点通り越して五百点満点だ」
「あの、ちょっと俺って……」
会場の端に居るため、私たちの会話が誰かに聞かれることはないが急に副社長モードを解除されると戸惑ってしまう。
「主要な取引先への挨拶は済んだから、恋は好きなものでも食べて休憩しているといい」
修哉は会場の前方にある料理の数々に視線を向ける。
「確かチョコレートケーキがこのホテルの一押しだ。あとは和食に定評がある。ここのホテルの料理長が去年開かれた創作コンテストで優勝したとか」
「すごい……食べてみたい」
「やっと笑ったな」
「修哉……」
「俺はもう少し挨拶が残ってるから終わったら迎えに行く」
「わかった」
私が頷くと修哉は私に頷き返してから大勢の人の中へとまた戻って行った。
私はオレンジジュースを飲み干すとグラスを返し、料理を取りに歩いていく。
その時──私の肩がグイッと引っ張られた。
「え……っ」
私が振り返ればすぐによく知っている顔を目が合った。
「ひ、ろき……」
「やっぱ恋だ。久しぶりだね」
二週間ぶりにあった博樹は少しだけ痩せたように見える。
「なんで……博樹がここに?」
「あ、このホテルの料理長になった人が去年コンテストで優勝してさ、その時の記事書いたご縁で招待されたんだ」
「あ、そうなんだ」
「なんか恋ちょっと変わった? てか綺麗になった?」
「えっと、ありがとう。もう行くね」
あんな風に私を傷つけたにも関わらず、何食わぬ顔で平然と話しかけてくる博樹に私は心の中で大きなため息を吐いた。
「恋、ちょっと待ってよ」
「ついてこないで……」
「話したいことあるからさ」
「私はないからっ」
そうぴしゃりと言った私に向かって博樹が突然私に向かって頭を下げた。
「恋っ、許してくれ!! あん時は俺が悪かった!!」
「え、ちょ、ちょっと……」
周りにいた人たちの視線が私と博樹に向けられて私は唇を噛み締める。
「あ、恋ごめん。俺……、ちょっと静かなところで話そう?」
「…………わかった」
私は博樹と一緒に会場をあとにすると、博樹に促されて地下駐車場へと向かった。
※※
「……話って何? 私、仕事中だから手短に話して」
博樹はスーツのズボンのポケットに両手を突っ込こんだまま、少し黙ってから唇を湿らせた。
「あのさ、未希ちゃんから聞いたんだけど四葉って奴の秘書してるってほんと?」
「それがどうかした?」
「あと、婚約者っていうのもほんと?」
「…………」
「やっぱそうなんだ」
博樹はそう言うと私へと一歩距離を詰める。
「その四葉と恋ってどういう関係なの? 未希ちゃんがいきなり恋を秘書に抜擢して婚約者だなんておかしいって。何か理由があるはずだって聞いて俺……」
「博樹に関係ないじゃないっ! そんな話なら私もう行くからっ」
そう言って私が博樹の脇をする抜けようとすれば、直ぐに博樹が私の手首を掴んだ。
「ちょっと、離してっ」
「嫌だ、離さない」
「何なのっ!?」
「──俺とやり直そう?」
私はすぐには博樹の言葉が理解できない。
「何……言って……」
「俺、あれから未希ちゃんと付き合って分かったんだ。未希ちゃんってわがままだし、お金もかかるし趣味も合わないしさ。この間もちょっと遅刻したくらいで一時間も怒られてさうんざりなんだよ」
「…………」
「恋にはほんと悪かったと思ってる。でも俺には恋しかいないってわかったんだ。未希ちゃんともすぐ別れるからさ、もう一回俺とやり直そう?」
博樹は何を言ってるんだろうか。こんな自分勝手で浅はかで愚かな人間と一瞬でも未来を夢見た自分が恥ずかしい。
「ふざけないで!! 」
「怒んないでよ。まだ二週間じゃん。俺らきっと元に戻れる。今度こそ結婚前提でまた一からはじめよう?」
「ほんと自分勝手ね! あいた口が塞がらないってこのことよ!」
「怒らないで。誕生日のやり直ししたら機嫌直してくれる? それとも婚約指輪とか買っちゃう? どうせその副社長からしたら恋なんて遊びに決まってるじゃん」
「それは……」
そんなことないとは言えない。けれど修哉を信じたい。あの真剣な瞳に嘘はないと思うから。
「……私は修哉を信じてるから」
「強がるなって。俺との方が気楽に付き合えるよ」
博樹がジリっと私に近づく。
「こっちこないで!」
博樹と至近距離で話すだけで嫌悪感から吐き気がしてくる。もう私の中に博樹はいない。
「恋、マジで意地張るなよ」
「……っ!」
博樹の腕が伸びてきて私は咄嗟に身を捩るが、博樹が強引に私の腰をぐっと引き寄せる。
「や、やめて!」
「キスでもする? そうすれば思い出す……痛って!!」
(え──?)
見れば博樹がふいに現れたその人物によって腕を捻り上げられると、そのままコンクリートの地面に向かって突き飛ばされた。
「俺の恋に触るとはいい度胸だ」
「あ、あんたは……」
「しゅ、うや……」
修哉はよろよろと起き上がる博樹を冷たく見下しながら博樹をギッと睨みつけた。
「よく聞け。次、彼女に触れたら容赦しない。彼女へのつき纏い行為として警察に被害届を出した上、彼女に精神的苦痛をあたえ侮辱した罪で俺の顧問弁護士から君と君の職場宛に訴状を送る」
「そ、そんなことできるわけ……」
修哉が博樹の胸ぐらをぐっと掴んだ。
「くっ……」
「俺は本気だ。わかったら二度と恋の前に現れるな!!」
「っ……くそっ……覚えとけよっ」
博樹は苦虫を噛み潰したような表情を見せると、修哉の手を払いのけ、勢いよく駆け出した。
修哉は博樹の姿が見えなくなると、すぐに私の背中に手を当て私をのぞき込む。
「ごめん、遅くなって。他には何もされなかったか?」
「うん、大丈夫……私こそごめんなさい……勝手に抜け出して……迷惑かけて」
少し声が震える。
怖かった。
まさか博樹があんな風に強引な事をするなんて。
「迷惑なんかじゃない、恋を守るのが俺の役目だから」
「修哉……」
私が両手を伸ばせばすぐに修哉が優しく私の身体を抱きしめてくれる。そして私の方へ顔を近づける。
俊哉が何をしようとしているのか察した私は静かに呼吸を止めたが、俊哉はすぐに私から顔を離した。
「恋、このまま抜け出さないか?」
「え?」
「全部話すよ──俺のこと」
そう言うと修哉が形のいい唇をゆるりと持ち上げた。
※※※
修哉が私を連れてきたのは修哉の住むタワマン最上階の自室だった。
「どうぞ」
「あ、お邪魔します」
私はパンプスを脱いで玄関先にそろえると、修哉についてリビングに向かう。修哉の自宅に来るのは泥酔したあの日以来だ。部屋中に修哉の匂いがしてドキドキしてくる。
「恋、紅茶とココアがあるがどっちがいい?」
「あ……ココア」
「了解。ソファー座ってて」
修哉は手際よくマグカップにココアの粉末を入れるとお湯を注ぐ。すぐに甘い香りが鼻を掠めた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
修哉はソファー前の木製のテーブルにココアをふたつ置きながら私の方を見てふっと笑った。
「緊張してる?」
「それは……うん」
私はここに来るまでに修哉ついてどんなの話を教えてくれるのか尋ねたが、修哉は家についてから話すと言って答えてはくれなかった。
「恋に俺のこと話すって言ったよね?」
「うん」
「見せたいものあるんだ」
「え? 私に?」
「ああ。なぜ俺が恋じゃなきゃダメなのか全部わかるよ」
「……?」
修哉はそう言って立ち上がると、目の前のガラス戸がついてチェストから一冊の分厚い本を取りだした。
「これなんだけど」
「え……っ、これ」
修哉が私に手渡したのはA4サイズで淡い緑色をしており『ツナグ学園幼稚園 第50回卒園アルバム』と記載されている。
「ツナグ学園幼稚園って……」
「ああ。俺はここの幼稚園の卒業生なんだ」
「嘘……っ、修哉も?!」
私は思わず口元を覆っていた。
私は両親が亡くなったことをきっかけに祖母の街に引っ越したため卒園アルバムは持っていないが、ツナグ学園幼稚園はまぎれもなく私が通っていた幼稚園だ。
「もしかして恋も?」
「え? あの……私……」
修哉の全てを見透かすような余裕たっぷりの笑顔に私の心臓はとくとくと淡い期待と一緒に音を奏で始める。
「恋に見て欲しいのはこのページ」
修哉が長い指がアルバムの後方の集合写真のページを開けば、そこには懐かしい校庭の風景と一緒に幼い私が男の子と一緒に映っているのが見えた。
「あ……っ!」
「うん。これが恋だよね? そして……」
驚きすぎて声が出ない私を見ながら修哉が写真の中の私の隣を人差し指で指さした。
「こんなこと……」
「俺が誰だかわかった?」
修哉がいたずらっ子のような顔をすると涙が滲んだ私の目じりをそっと拭った。
「しゅう、ちゃん……だったんだね」
「そうだよ。あの日本当に……偶然、酔った恋の声を聞いて俺も驚いたよ。恋なんていう名前なんて珍しいし、思いっきり面影あるし、でも一応咄嗟に確認したら名字まで有川で同じだったから確信したけどね」
「全然……知らなかった」
あの夜、修哉がすぐに私だと気づいてくれていただなんて。
「俺の初恋、恋だったんだ。ずっともう一度会いたいって思ってた。まさかもう一度会えるなんてな」
「あの……私の初恋も修ちゃんだったの」
「ああ。あの夜、それを聞いて俺は酔ってる恋に悪いと思いつつすぐに契約書にサインしてもらったから」
「えっ! そうだったの?」
「あの時、もう絶対に離さないって思ったね」
「〜〜〜〜っ」
そう言って子供みたいに白い歯を見せる修哉に私も顔が熱くなったまま笑顔を返せば、今まで修哉と出会ってから感じていた違和感も疑問も雪がとけるようにあっという間に消えていく。
「恋……」
修哉が私の頬にそっと手のひらで触れると、私の目を真っすぐに見つめた。
「──恋が好きだ」
「……っ、私……」
胸がいっぱいで嬉しくて私の両目からは勝手に涙が流れていく。勿論悲しくてではなくて嬉しいから。
「困ったな。おまじないしようか?」
「……え? ぐすっ……お、まじない? 悲しいの悲しいの、飛んでいけ……?」
修哉からのおまじないと言えば浮かんでくるのは『悲しいの悲しいの飛んでいけ』だ。
「違うよ。恋を笑顔にする魔法のおまじない」
そう言うと、修哉が私の気持ちを確かめるようにゆっくりと私を抱き寄せる。私は修哉からの想いに応えるように修哉の背中を両手でぎゅっと抱きしめた。
「して、修哉のおまじない」
「いいよ。これから飽きるほどするから」
私たちは顔を見合わせると、少しの間気恥ずかしさをごまかすように笑い合う。
「修哉、大好き」
「俺もだよ」
もう二度と恋なんてしないなんて思ってた自分はもうどこにもいない。
甘い恋の味ををもっともっと貴方と一緒に知りたい。
もっともっと貴方と恋したい。触れ合いたい。わかり合いたい。
私がそっと目を閉じれば修哉から甘いキスが落とされる。
私は重ねられた唇の心地よさに身を委ねながら、これから始まる幸せいっぱいのクローバーのような恋物語にそっと想いを馳せた。




