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第1話 裏切りとプロポーズ


(こい)──ずっと自分の名前が嫌いだった。


学生の頃は恋愛体質の私にピッタリの名前を付けたもんだと死んだ両親に納得したこともあったけど今は違う。


こんな思いをするくらいならもう恋なんてしたくもない。


誰かを恋しいと思うことも誰かに恋したいと願うことも、もう恋と呼ばれるすべての感情をなげすてて海に沈めてやりたいくらいだった。


それなのに、あの日の夜、あなたに魔法をかけられてからもう動くことがないと思っていた恋時計(こいどけい)の針は動き出す。


あなただけを見つめて

あなただけに恋して 

あなただけに恋焦がれる


──私は『四つ葉の王子様』に永遠に恋をした。



大手インテリア会社であるクローバーデザインに入社して五年。私、有川恋(ありかわこい)は恋に仕事に邁進する日々を送っていた。


時刻は二十一時。


ノー残業デーに指定されている金曜ということもあって既婚者の多いうちの課は私ともう一人以外はすでに退社している。


(やっぱ……ダークブラウンよりチョコレートブラウンかな……)


私は来週、得意先に提出するイタリアンレストランの改修工事についての見積書と悪戦苦闘していた。


今度、改修工事するイタリアンレストランは創業三十年の老舗でレンガ造りの建物で外でも食事が楽しめるよう小さな庭がついているのだが、老朽化が進んでいるため全面的に建て替え、庭も内装も一新したいというのが先方からの要望だ。


「今のあったかいイメージそのままに流行りの要素もいれたいなぁ……」


私は独り言をいながら、自社のカラーサンプルと納品予定のテーブルとチェアを見比べる。


「恋先輩、まだ帰らないんですか~」


鼻にかかった高い声が隣から聞こえてきて私は眉間に皺を寄せそうになった。


未希(みき)ちゃん、さっき話した見積書は部長に提出してくれた?」


「しましたよ~、もうばっちりです~」


近藤(こんどう)未希は今年で入社二年目の二十四歳でこのクローバーデザインにはコネ入社している。


なんでも未希の父親が中規模の会社を経営してるとかでうちの人事に顔が利く上、常務とも仲がいいとか。全部未希が勝手にしゃべっていたことなので鵜呑みにはしていないが、まるっきりの嘘でもないと私は感じている。


「未希ちゃんはもうあがっていいよ、私はもう少しやってから帰るから」


「え~、私がさき帰ったらまた私のせいで恋先輩に迷惑かけて残業させてるみたいで心苦しいです~このままじゃ恋先輩の来期の評価下がっちゃうんじゃないかって夜も眠れないんですぅ」


(そのしゃべり方からすでに迷惑だけど……)


「そんなことないから。未希ちゃんに残業させてる時点で私の能力不足だし」


「ふぅん、恋先輩って真面目ですよね」


「普通だと思うけど」


未希は自分のパソコンをシャットダウンしたあとも、私のデスクの前で明るめのベージュの巻髪の毛先を指先でくるくる回している。


「あ、そう言えば~恋先輩明日お誕生日ですよね?」


「え……っ、なんで知ってるの?」


私は思わずパソコンの画面から顔をあげた。


「え~、ずっと前に恋先輩がご自分で言ってたじゃないですか~五月一日生まれだから『恋』って名前なんだって」


(そう、だっけ……?)


私はすぐに記憶を辿るが思い出せない。


「彼氏の博樹(ひろき)さんとデートですか~?」


私は事務所に誰も居ないことを確認してから未希に返事をする。


「……まぁ、そうだけど……その話会社ではしないで」


「今誰も居ないしいいじゃないですか。いいな~去年の懇親会でお会いさせてもらいましたけど~博樹さんって、すっごいカッコいいですよね~背も高いし~雑誌の編集さんだし~羨ましいです~」


「悪いけど、おしゃべりしてるだけならもうあがってくれる?」


自分でも少しとがった言い方になったかなと思ったが、私は未希のことが苦手だ。


可愛くて美人で愛嬌があって若くて……私にはないものばかり持っている。別に僻んでいるわけではなく、未希というキャラに私というキャラが性質的に合わないのだ。



「もしかして、一昨日の得意先に間違ってFAX送ったことまだ怒ってます~」


「別にもう謝罪して先方にも納得してもらったから、次から気をつけて貰ったら」


「了解です~良かった~恋先輩が根に持ってまだ怒ってるのかなって」


未希はてへへと笑うと、ペロッと舌を出した。


(根に持ってってなによ)


「次からは間違えないように気をつけまぁす」


「そうしてもらえると助かるわ。あとその語尾伸ばすのも気をつけた方がいいわよ、もう二年目なんだから」


「はぁい」


「じゃあそろそろ帰ってくれる?」


「言われなくても帰りますよ~、明日は博樹さんと素敵なディナー楽しんできてくださいね」


そう言うと、未希はピンヒールの音を響かせながら事務所から出ていく。


「はぁああ……ようやく行ったわね……ってあれ?」


私はふとさっきの未希の言葉を反芻する。


(あした博樹とのデート……なんでディナーって……?)


「あー……余計な事考えちゃだめっ、キリのいいとこまで早くやって帰ろ」


私はうんと両手を伸ばして軽くストレッチしてから、すぐにまだパソコンを叩き始めた。


※※


(結局、十時か)


私は一人暮らししているマンションにつくとコンビニ弁当を温めて遅い夕食を食べ始める。


「はぁあ……今週も疲れたなぁ」


元々インテリアや雑貨が好きだった私にとって大手インテリア会社であるクローバーインテリアへの就職を勝ち取ったことは、自分の人生で二番目に褒めてあげたいことだと思っている。


そして一番は──。 


「ひとりぼっちだけど……私……頑張ってるよね」


私には家族と呼べる人がいない。時折、こんな風に仕事にも人間関係にも疲れた夜は寂しさが募るのも事実だ。


「恋の一番良いところは、頑張り屋なとこじゃない。そうだよね、おばあちゃん」


私はそう言葉に出すとチェストの上の写真立てをそっと見つめた。そこには私と両親、そして両親が事故で亡くなってから私が大学を卒業するまで親代わりとして育ててくれた祖母が写っている。


「明日で二十八歳……おばあちゃんが天国に行ってから五年か……」


祖母は五年前に心臓の発作で亡くなっている。大学を卒業し、就職が決まった矢先、祖母は安心したのか私を置いて天国に旅立ってしまった。


「ウェディングドレス姿……おばあちゃんに見せてあげたかったな」



私の幼い頃からの夢は絵に描いたような『お嫁さんになること』だった。


幼稚園の時に両親を亡くして以来、幼心にお父さんがいてお母さんがいる、そんなありふれた家族というものにあこがれていたんだろう。


「……そう言えば、もう忘れちゃったけど……小さい頃はしゅうちゃんのお嫁さんになることだったな」


私は久しぶりにその名前を口にすると、口元を緩めた。

幼稚園の時に好きだったふたつ年上の「しゅうちゃん」。


幼かったからだろう。

もう顔も名前も思い出せないが、私が泣いているといつも『おまじない』をして励ましてくれた。



『悲しいの悲しいの飛んでいけ……っ』


私が悲しいことがあって涙を溢すたびにそう言って小さな手で何度も頭を撫でてくれたのを思い出す。


私の大事な初恋だ。もう、会うことなんてきっとない。それに会ったところで互いに分かるわけもないだろう。


けれど私は、小さいことから今も悲しいことがあるとこの『おまじない』に随分と助けられてきた。


本当に悲しい気持ちが飛んでいくみたいで、言葉にするだけで救われたから。


「ふふ、しゅうちゃんも大人になってるんだろうな」


そう言いながら、私は最後の一口の白ご飯を食べ終わると同時に、テーブルに置いていたスマホが震える。


スマホをのぞき込めば恋人の村田(むらた)博樹からLINEメッセージが届いている。



──『恋お疲れさま、明日なんだけどレストラン予約してみた』


そしてすぐに私のLINEにレストランのQRコードが送られてくる。


「わぁ……すっごくオシャレなとこ……これ、前に私が博樹が担当したグルメ雑誌で行きたいっていってたとこ……」


私はすぐに博樹に『ありがとう、楽しみにしてるね』と送った。


私と恋人である博樹との交際は丸二年になる。


博樹は得意先との飲み会で知り合い、博樹は出版会社勤務でインテリア雑誌やグルメ雑誌の編集者をしている。


博樹は私より一つ年上で、互いの趣味である映画鑑賞とマンガから意気投合し交際が始まった。少々優柔不断なところがある博樹だが一緒に居て楽しく、気を遣わない関係が居心地よく今までにケンカらしいケンカはしたことがない。


「二年か……いつか博樹と家族になる日が来るのかなぁ……なんてね」


私がそう言いながら空になったコンビニ弁当をビニールの袋に入れたとき、再びスマホが震える。



──『あと明日、恋に大事な話があるんだ』


「えっ……!!」


私は博樹からのそのメッセージを二度見する。


(こ、これって……)


私は先日、国民的俳優が司会を務めるドキュメント番組で一般男性が恋人へ高級レストランでプロポーズするという映像を見たばかりだ。



「……誕生日に今まで行ったことないお洒落なレストラン……大事な話って……嘘でしょ……?!」


そう言いながらも、私の胸は淡い期待でとくとく鼓動が加速していく。


「えっと……ミシュラン一つ星レストランに着て行けるようなワンピースってあったかな……!?」


私は慌てて立ち上がる、すぐにクローゼットを開け洋服たちとにらめっこを始めた。


※※


ドキンドキンドキン……。


(どうしよう……博樹もいつもより緊張してる?)


博樹が予約してくれていたお店はミシュラン一つ星に認定されたばかりのイタリアンで、土曜日の夜ということもあり満席だ。

カップルが多く、皆ワイングラスを傾けながら談笑しているのが見える。



博樹がたどたどしく、店員に飲み物を注文すればすぐに私たちの前に置かれたワングラスには年代物の赤ワインが注がれた。


「えっと……じゃあ乾杯する?」


「あ、うん。博樹、今日はこんな素敵なお店予約してくれてありがとう」


「全然、恋が喜んでくれてるみたいで良かったよ」


「ちょっと緊張するけど」


私が素直に心の内を明かせば博樹がふっと笑って「俺も」と付け足した。


「じゃあ乾杯ね。恋、お誕生日おめでとう」


「ありがとう」


チンッとガラスとガラスが合わさる心地よい音とともに乾杯を済ませると、私はワインを一口口に含む。


「わぁ……すっごく美味しい……」


「恋、お酒よわいけど、お酒好きだもんね」


「うん、誕生日にこんな美味しいワイン、幸せ。博樹の誕生日の時もこれたらいいね」


「う、ん……そうだね」


博樹が歯切れ悪くそう返事すると、急に真面目な顔をする。


「博樹? どしたの?」


「あ……今日は恋に大事な話があるんだ」


博樹が静かに言葉を吐き出すと唇を湿らせた。


(えっ、……大事な話? それって……)


私は戸惑いながらも今日の為に着てきたシックな紺色のワンピースの裾をそっと握りしめた。


おしゃれな店内にはバラの花が生けられていて良い香りが漂っている。


すでに食事のコースは事前に予約してあるのだろう。聞いたことのあるクラシックが流れて耳を掠めていくが、それよりの自身の鼓動の音が気になって私は高鳴る胸を押さえつけるようにワイングラスを手元に引き寄せると、再度そっと口づけた。


「……うん。なに?」


どうしたら良いのか、何を言ったらいいのか分からない私は博樹の言葉に疑問形で返した。


「あのさ。有川恋さん……」


(すっごいドキドキする……どうしよう……っ)


博樹は形の良い唇をきゅっと結んだ。


(プロポーズってこんないきなりくるんだ……)


私はあまりの緊張から酸素が薄く感じて何度も浅い呼吸を繰り返す。


「俺と……」


どきんどきんと収まらない心臓の音に博樹の私の名前を呼ぶ声に私は無意識に呼吸を止めた。



「──別れて欲しい」


(──ん?)


緊張のあまり聞き違えてしまったようだ。


私は一生に一度のプロポーズの言葉を聞き間違えたことに罪悪感を感じながら再度、博樹に訊ねた。


「……博樹ごめん、もう一度言ってくれる?」


博樹が小さく咳払いすると私を真っすぐに見つめた。



「ごめん、誕生日にこんなこと……好きな人が出来たんだ。だから俺と別れて欲しい」


「……え……?」


(今、何て言った……?)


理解できないまま見つめた博樹が深くテーブルにつきそうなほどに頭を下げた。


「ほんとにごめん! 恋とは付き合ってて楽しかったし、飯もうまかったし、いろいろと相性もよかったと思うんだけど……なんかこう……恋も二十八歳とか思うと段々重いっつーかさ……それに今日みたいにさ、何かイベントとか記念日の度にそうやって着飾って、メイクもバッチリにしてさ……なんかサバンナで肉食獣に狙われてるトムソンガゼルの気持ちになるっつうかさ……」


テーブルをはさんで50センチほどの距離にいる博樹が一気に遠くに見える。


(重い……肉食獣……それって私……?)


私のワンピースの裾を握りしめていた拳は震えてくる。


「あ、恋?大丈夫? ごめんな、マジで誕生日に……でも普段はなかなか言い出せなくてさ。俺ら二年だろ? 俺だって情もあるしさ~でも今日、恋のその気合入ったメイクと服装で確信したっていうか、やっぱ俺このまま恋とは付き合えないって実感したっていうかさ。俺達、結局合わないと思ったんだ」


「何それ……デートやお洒落なレストランにちゃんとメイクしてワンピース着てきちゃダメなの……? それに……二年付き合って合わないとか……意味がわかんないんだけど」


辛うじて言葉にだした声は震えていて、目の前が滲みそうになる。私は目の奥に力を入れて涙を喉の奥に引っ込める。


「うん。そうだよな。ほんと勝手でごめん。でももう決めたから。恋とは別れて、未希ちゃんと付き合うことにした」


「え、未希ちゃんって……」


私の心臓はすぐに嫌な音をたててドクドクと波打つように早くなっていく。


「あー。ほんとごめん。二カ月ほど前? 恋の会社の人たちと懇親会で飲み会あったじゃん?」


私はその時の記憶を手繰り寄せる。そしてその時に未希にせっつかれて博樹をこっそり紹介したのを思い出す。


「まさか……」


「マジでごめん! あの懇親会のあとちょっとしてから未希ちゃんから恋のことで相談したい~って言われてさ」


「相談?」


「そう、てか。いくら若くて可愛いからって、ちょっとミスしたぐらいで怒るのどうかと思うよ」


「なにそれ……っ、未希ちゃんから何言われたのかしらないけど博樹に言われたくないし……なんで未希ちゃんの味方するような言い方なの?」


私の言葉に博樹がめんどくさそうにため息を吐き出した。


「そういうとこだよなー。なんか可愛げがないっつーかさ。俺から指摘されたらすぐ不機嫌なるし、結構仕事優先だしさ。素直にそうだよね、とか、ごめんねとか言えねぇもんな」


博樹は目の前のワインをぐっと飲み干す。


「それに比べて未希ちゃんはさ、いっつも笑顔だし、俺が疲れてたら癒してくれるし、なんといっても俺がいなきゃダメだなっていうさ~女の子特有の弱さ? あれがたまんないの。それにまだ若いから結婚とかも意識しなくていいしラクでさ~」


「…………」


「まぁ、言っちゃうともう一カ月前から未希ちゃんと付き合ってて。恋とはちゃんとお別れしなきゃって思って今日こうして会ってるんだ」


「最低っ!! 自分が何言ってるかわかってんの!! 一カ月間って……! ずっと私のこと騙して……罪悪感ってもんないの?」


思わず声のボリュームをあげてしまった私に、まわりで食事をしているカップルたち数人の視線が向けられた気がしたが構ってられない。余裕なんて全然ない。


博樹は小首を傾げると頬を掻いた。


「うーん、あるとしたら恋と切れてない俺をずっと待ってくれている未希ちゃんにかな」


「な……っ……」



博樹はもともと優柔不断なところがあった。私と出会った飲み会の場でも、連絡先をきいてきておきながら、メールは食事に誘っているのかいないのか微妙な書き方でやきもきしたのを思い出す。


実際交際が始まってからも、デートに遅刻したり二日酔いでドタキャンしたりとだらしないところがあった。


でも、互いの趣味である漫画や映画の話をしたり、美味しいものを食べるのが好きという共通点も多くて、私はできればこれからもずっと一緒に居たいと思っていた。


私はキツく結んでいた唇をそっと開く。


「いっつも優柔不断で……はっきりしなくてだらしなくて……付き合うときだって、私からどうするって聞かなきゃいってくれなくて……でも別れるときだけそうやって自分だけで決めちゃうんだ?」


「あ……怒ってる?」


「あたりまえでしょっ、二年だよ……二年付き合って……誕生日にこんなこと……っ」


「え、ちょっと泣くなよ?最後くらい楽しく飯食って、思い出話しながら今日は最後に恋の誕生日祝いたいって心から思ってるし」


博樹のずれた優しさに心の底から腹が立つ。


「ふざけないでよっ! 勝手に好きな人できたとか、私のこと重いとか、肉食獣とか失礼極まりないし挙句、二股して誕生日に別れてくれって、こんなとこでこんなに日に言うなんて最低だよっ!」


「な、なんだよ……俺と別れたら恋が一人きりで誕生日過ごすのかわいそうだなって思って別れ話、今日にしたのに……それに俺、恋のこと嫌いなわけじゃないからさ。これからは友達として仲良くできたら……」


「できる訳ないでしょ!!」


「そんな怒るなよ……」


博樹が眉を下げると悲しそうな顔をする。


「博樹が被害者みたいな顔しないでっ」


「そんなつもりないけど、恋があんまりにも怒るからさ」


(信じられない……っ、こんなやつと二年も付き合ってたなんて)


怒るなんてモノとうに通り越してもはや失望と軽蔑だ。


私は残っていたグラスのワインをすべて飲み干した。


「いま自分が情けない。あんたみたいなのと二年も付き合ってたなんて!」


「また怒るし……」


「十人いたら十人怒るわよっ」


「ふう。そうだよな、恋の言うことはいつも至極まっとうっていうか正論だと思うし。そういう他人の俺とかにも真剣に怒ってくれる真面目なとこ好きだったよ」


編集者という職業柄なのか生まれつきの人格の問題なのか、博樹の私への同調が今の私にとっては嫌悪感と軽蔑でしかない。


私は二十代後半の二年もの期間をこんな人の為に費やしていたのかと思うと情けなくなくて堪らない。



その時だった。テーブルにやってきた店員が私と博樹の目の前に白いプレートをことりと置く。


──「お客様、前菜の真鯛と帆立貝柱のマリネでございます」


店員が流ちょうに前菜の説明をするがまるで頭に入ってこない。そして店員がお辞儀をして厨房へと戻って行くと博樹がナイフとフォークを手に持った。


「せっかくだし……たべよ?」


私は生きてきて一番大きなため息を吐きだした。


これがプロポーズのあとだったなら、私は生きてきて一番の笑顔でこの真鯛と帆立貝柱のマリネを食べたかもしれないが、今この瞬間から世界で一番嫌いな食べ物がこの真鯛と帆立の貝柱のマリネになったのは確かだ。



「ん?恋?」


「いらない。この二年無駄にしたわ……どうぞ二人末永くお幸せにっ!さようなら!」


私はテーブルに両手と突っ張ると勢いよく立ち上がる。


「ちょ……っ、恋……」


「…………」



後ろから博樹が何か私に話しかけていたが、私は振り返ることなくそのまま店を後にした。


※※※


私はレストランをあとにすると、そのまま家に帰ることなど到底できずコンビニで缶チューハイを3缶買い、たまたま目についた公園のベンチに座った。


すぐにプルタブを開けてカルピス酎ハイを一気飲みする。


「ぐす……っ、人生でいちばん最悪の誕生日……」


金曜の夜だからだろうか、公園には誰もおらず、公園前の道路には仲良く肩を寄せ合い歩くカップルの笑い声が聞こえてきて虚しくなる。


「うっ……ひっく……」


私は涙を拭きながら右手にレモン酎ハイ、左手にブドウ酎ハイをもってゴクゴクと喉を鳴らして胃に流し込んでいく。


はっきりいってお酒は好きだが弱い。


でも今日だけは飲んでこんな悲しく惨めな記憶は飛ばしてしまわなければやってられない。



「……悲しいこと悲しいこと飛んでいけ……っ……」


いままでも悲しいことがあるたびにこうやって、おまじないを唱えて自分を慰め奮い立たせてきた。



「ダメだ……しゅうちゃんのおまじないも全然効かない……今日ばっかりは……悲しいよ……ひっく……」



──ブルッ


「え?」


私はスマホが震えたことに気づいて慌てて鞄に中に手を入れる。



(もしかして博樹?)


そしてすぐにスマホの画面をのぞき込んだ私は画面に浮かんだメッセージに奥歯を噛み締めた。


──『恋先輩~(泣)博樹からいま連絡きました』


──『まさか相談乗ってもらってるうちに博樹とこんなことなるなんて~』


──『ずっと言えなくてほんとにすみませんっ、恋先輩の分も幸せになります!』


最後に送られてきた未希からの可愛らしいウサギのスタンプには『頑張ります』と書かれている。



「何よこれ……っ」


私は既読スルーすると、スマホの電源を落とした。


(全部知ってたんだ……だから未希ちゃんは博樹とディナーのこと……)


「……私が何したっていうの……ぐす……」


アルコールが身体を巡ってふわふわしてくる。

泣きたくなんかないのにやっぱり涙は込み上げてくる。


アルコールの効果なのか悔しさと情けなさが入り混じって、一度溢れた涙は止まらない。



「もう恋も……恋なんて名前も大っ嫌いっ!!」


私は大きな声でそう叫ぶと、手に持っていたチューハイの空き缶をグシャリとつぶしゴミ箱をめがけて放り投げた。


──ガコッ


私の投げた空き缶はゴミ箱の淵に当たり、コロコロと転がっていく。


「もう……っ」


私は立ち上がるとフラフラとした足取りで空き缶を拾うべく歩いていく。


そして地面に転がっている空き缶を拾い上げようとした──その時だった。



「大丈夫ですか?」



私が伸ばした手より先に大きな手が空き缶を拾い上げた。


「え? あ、の……」


見上げた男性は艶やかな黒髪を夜風に揺らしながら柔和な笑顔私に向けていた。


(だ、誰……このイケメン……)


「大変失礼ですが……恋、さんというんですか?」


「えっ……と……」



(なんで名前……)


私の頭に浮かんだ疑問符が表情に現れていたのか男性が肩をすくめてみせた。



「すみません。さっき、その……あなたがそう言っているのを偶然聞いてしまったので……」


「あ……はい……有川恋、と言います」


そう答えてから私は慌てて口を手のひらで覆った。


(なんで私、こんな知らない人にイケメンだからって名前……)


「素敵なお名前ですね。ちなみに僕の名前は修哉(しゅうや)と言います」


「ええっと……ご丁寧にお名前すみません。あとなんか……お恥ずかしいところを色々お見せしてすみませんでした。それでは、あの、失礼します」


私は修哉と名乗った男性にぺこりと頭を下げると、空き缶を拾いゴミ箱に入れる。お酒を飲んでいるせいでやっぱり頭がぼんやりする。


(やばい、飲みすぎた……はやくタクシー乗らなきゃ……)


そう思うのに足元がおぼつかない。


「あ……っ」


私がよろめけば、すぐに修哉が私の背中を支えた。


「危ないな、タクシーで送りますよ」


「え……っ、あの……だ、大丈夫ですから……っ」


「大丈夫というなら、僕こそ恋さんを送るくらい何てことないですよ」


(ちょ……名前……)


修哉に名前を口にされた瞬間、心臓が跳ねてカッと身体が熱くなる。


「行きましょう」


「あ、の……いえ、タクシー拾いますので……」


そう言って私は修哉の手を押し返して道路に向かって歩こうとした時だった──。


(あ……れ……?)


目の前がくるんと一回転して視界が暗くなると同時に私の意識はふわりと宙を舞った。




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