19. 不均衡な同盟 (1)
第五章 不均衡な同盟
同盟は、恋愛に似ていると誤解されることがある。
だが実際には、もっと商売に近い。互いに欲しいものがあり、欲しくない代償があり、それでも一人でいるよりはましだから手を結ぶ。誤解と計算、恩義と恐怖が、だいたい同じ比率で混ざる。
日本列島がエイルガルドへ転移してから十一日目、最初の本格的な対外会談が長崎県佐世保で開かれた。
正式な国交会談ではない。
日本政府の文書上は「セレス海盟関係者との安全保障・通商・人道協力に関する実務協議」、海盟側の書式では「東海の大国ニホンとの一時盟約を探る船都会談」といったところだった。呼び名の違いだけで、すでに立場の差が見える。
会場に選ばれたのは、海上自衛隊施設に隣接する港湾会議棟を改修した区画だった。全面ガラスの近代的な建物だが、内部は意図的に華美を避け、木目の長机と中立色の壁でまとめられている。金や赤を多用すれば海盟側に「威圧」と取られる可能性があるし、逆に質素すぎれば「格が低い」と見られる。外交とは、こういうところから始まる。
東郷真尋は、会場へ向かう廊下でネクタイを直しながら、自分がここ数日で「装備よりも茶の温度を気にする安全保障担当」になっていることに薄く苦笑した。
廊下の向こうから真田圭吾が歩いてくる。
「通訳班は」
「三層構成です」
真田が答える。
「端末で一次。人間通訳で二次。最後に言語班で意味確認します」
「遅いですね」
「遅いです。でも、誤解よりは安い」
「向こうの席次は」
「アルシアが首位です」
「次にセレス港の船主代表ハルヴェン。軍船監督官メリアド。議会顧問リネア・サルセ。会計書記。導潮術師補佐。護衛」
「やはり議会の縮図ですね」
「ええ。政治家と商人と軍人、それに議会で損得を数える人間が一緒に来る。同盟の会談というより、港湾コンソーシアムとの交渉です」
東郷はうなずいた。海盟は国家というより連合であり、連合というより調整機構に近い。だからこそしぶといが、意思決定が遅い。だが今回は、その海盟がわざわざ上位者を送り込んできた。焦っているのだ。
焦っている相手ほど、取引の条件は重くなる。
会談室へ入る直前、東郷は港湾管理棟の小会議室へ立ち寄った。そこには佐世保基地の補給担当佐官、県の港湾調整官、外務省の現地連絡員が集められている。表に出ない実務の顔ぶれだ。
「確認ですが」
港湾調整官の女性が資料をめくる。
「海盟船の修理を受け始めたら、民間岸壁を削らないと回りません」
彼女は視線を上げないまま続けた。
「漁業団体も物流会社も、黙ってはくれません」
「避難民輸送を優先すれば、通常貨物は遅れる」
補給担当佐官も続けた。
「自衛隊で吸収しきれなければ、きれいに地元へ落ちます」
東郷はうなずいた。同盟は外へ向けた約束に見えて、その実、先に内側の負担配分を決める仕事になる。
「政治的な持ち方は」
外務省連絡員が問う。
「“友好”だけでは弱いですね」
真田は少し考えてから答えた。
「地元には見返りが要る。雇用でも、補償でも、安全の説明でも」
「だから今日、範囲を明記します。曖昧な善意では現場が持たない」
東郷は窓の外の岸壁を見た。クレーンが動き、燃料車が走り、平時のような顔をした人々が異世界との最初の同盟コストをすでに払っている。
「わかりました」
彼は言う。
「会談で取る約束は、必ず国内で説明できる形にします」
「今日、決めるべきことをもう一度」
東郷が言う。
「港は広げすぎない。佐世保、長崎、五島を軸に限定利用」
「船団修理と避難民輸送の役割分担を切る」
「海図、潮流、敵情は相互共有」
「交易品目は一次選定まで」
「軍事協力は共同対処止まり。武器供与は、今日は見送る」
「六」
真田が付け加えた。
「価値観の衝突を、今日いきなり爆発させない」
東郷は目を細めた。
「問題が出ますか」
「出ます。海盟には身分制も、捕虜の取り扱いも、日本とは噛み合わない部分がある。奴隷の問題も含めて」
その一言で、東郷の胃が少しだけ重くなった。
アルシアがこれまで見せてきた理性と誠実さは本物だ。だが、彼女個人の人格と、海盟社会の制度は同じではない。信頼できる相手と、共感できる相手は違う。外交官はその違いを直視しなければならない。
「今日は全面対決しない」
真田が言う。
「ただし見て見ぬふりもしない。曖昧に棚上げするラインを見極める」
「一番嫌な仕事ですね」
「だから我々がやるんです」
真田はそう言って、いつものように感情の少ない笑みを浮かべた。
◆
会議棟の外では、セレス海盟の使節団が艦艇護衛のもと到着しつつあった。
アルシアは船主代表ハルヴェン・デイロスの機嫌が朝から良くないことに気づいていた。五十代後半、恰幅がよく、髭は整えられ、指には商人らしい重い指輪をいくつも嵌めている。戦時の船主というのは、多くの場合、資本家と愛国者と博徒が同じ肉体に同居したような人種だ。ハルヴェンもその例に漏れない。
「港の壁が高すぎる」
彼は窓の外の日本施設を見ながら言った。
「壁が高くて、門は一つ。あれでは税吏と兵にとっては理想だが、商いには窮屈だ」
「窮屈で済めばいい」
アルシアは答える。
「帝国の竜騎が来た時、壁の低い港はよく燃える」
ハルヴェンは鼻を鳴らした。
「だからといって、この国が我らの守護者になれるとは限らん」
「守護者になってもらう必要はない。利害を結べばいい」
隣に座る軍船監督官メリアドが短く言う。
「船主殿、今日ここで感心する必要はないが、侮るのはやめていただきたい」
彼は四十代の痩せた男で、髪を短く刈り込み、左目の下に古傷が走っていた。海盟の軍船監督官は、日本でいえば沿岸警備と傭兵隊長と海軍幕僚を混ぜたような職だ。常備軍の弱い海盟において、彼らは秩序の最後の担保でもある。
「侮ってはおらん」
ハルヴェンはむっとした。
「だからこそ怖いのだ。あまりに大きい。あまりに秩序立っている。ああいう国と手を結ぶ時は、いつも相場以上のものを払う」
アルシアは反論しなかった。その懸念は正しい。日本は今のところ礼を尽くしているが、礼は力の不在を意味しない。むしろ余裕のある強者ほど礼儀正しい。
彼女自身、東京でそれを痛感した。日本人は怒鳴らない。脅しを露骨に口にしない。だが、必要なことは淡々と準備し、記録し、回線と電力と人間を配置してしまう。国家意志が感情の高低ではなく手続きの密度で表現される国。そういう国は、たいてい長く続く。
「あなたは、ニホンをどう見る」
メリアドがアルシアへ問う。
彼女は少し考えた。
「海をまだ知らぬ海の国」
ハルヴェンが片眉を上げる。
「どういう意味だ」
「海を渡る道具は持っている。海を支配する力もある。だが、海で人がどう交わり、どう裏切り、どう飢えるかは、まだこちらほど知らない」
メリアドが静かに笑った。
「つまり、学べる余地があると」
「そう。学ぶ前に帝国が来れば、話は別だけど」
車列が止まり、護衛が扉を開く。目の前には、鋼鉄とガラスでできた異国の会場。アルシアは胸元の封印円盤に触れ、自分の役割を思い出した。
今日は友好を築く日ではない。
海盟が、この新しい巨大国家に呑み込まれずに使いこなせる余地がどれほどあるか、測る日だ。
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