第9話「残念だよ」
それからと言うもの、俺たちは雑用係として一週間を過ごすことになった。
朝四時に起床し、ひたすら床掃除に薪割り、水汲みなどなどを繰り返し、日が変わる頃に寝床につく。一日の九割を店内で過ごすハードスケジュール。なんなら寝床すらキッチンの床に簡単な布を敷いただけの安仕上げだ。
それでも、四日もすれば目と手、そして鼻が鍛えられたのか慣れたのか。理想の"儀式の場"が見えてきた。
まず、床は常に乾いていなければならない。濡れていると、料理を提供する時に危ないのは勿論、儀式のリズムが乱れる。
薪割りだってただ適当に割ればいいだけじゃない。きちんと細く角が整ったようにカットしないと、温度調節が上手くできなくなる。
水汲みもそうだ。井戸で汲んだ水の温度を手で直接触れて把握できるようにしなければならない。ちなみに、この街にはある程度水道設備が整っていて水道橋まであるらしいが、ケリーは「獣臭くてかなわない」とのことで使っていない。
五日目。早起きにも次第に慣れてきた時、ケリーが俺たちを呼び出した。キッチンの中で正座をする俺たちを前に、彼女は腕組みをしていた。
「これまで四日間見てきたわけだけど、まあまあだな。少なくともこれまでの奴らでは上の方だ」
「ありがとうございます!」
俺とドッジの声がキッチンに跳ねる。苦労が認められた歓びの声だ。
「どうだ?キッチンは儀式の場っていうのが分かったか?」
「はい、全てではありませんが……」
「まあ、そんなもんだろ」
ケリーはそう言うと、調理台の方を指さした。
「今日はまな板と包丁の水洗いもやってもらう。まずは手にとってよく観察しろ」
俺たちは促されるままに立ち上がり、調理台に並べられたまな板と包丁を手に取った。
「どうだ?ドッジ。なんか分かることはあるか?」
「いや、なにも」
「まあ無理難題か、マグロ、お前はどうだ?」
「どうって言われても……」
俺はまな板の両面をじっくり舐め回すように見た。大小、深さが様々ないくつもの傷が刻まれている。長年使われてきたのだろう。
だが、分かることといえばそれだけだった。元の世界とはあまり差異がないようにも見えた。
「分かりません」
俺が正直に答えると、ケリーはため息をついた。
「そのまな板は、神樹から採取した木材で作ったものだ」
「神樹?」
「神樹!?」
俺とドッジは正反対のリアクションをとった。ドッジがここまで驚いている姿は初めて見た。
「お前、神樹を知らないのか?」
「あ……ああ、なんだそれは」
「神樹っていうのは、この世に百本ぐらいしかない超貴重な大木だぞ。それを採取できるっつーのは相当な……」
ケリーは壁にもたれかかり、天井のシミを見つめた。
「ああ。あたしの亡き先祖、ナジー・コムスはこのマハー島に巣食う魔王直属の配下を討ち取った、勇者だ」
「勇者……」
俺はその二文字を口の中で反芻した。そんな偉い人だったのか……。
「その魔族、デ・ゴンドラはこのマハー島のいたる場所に毒を撒き散らしやがったんだ。人を絶つにはその根源を。そんな考えだったんだろうよ」
ケリーの声色が次第にブルーになっていく。
「言うまでもなく、人々は食料に困った。餓死者だって沢山出た。一説によれば、この島の四割ぐらいが餓死したらしい」
「そんなに……」
「その中で、先祖は仲間と共に剣を振るい、王女の加護も受けながらついにゴンドラを倒した。神樹はそのご褒美みたいなもんで、王家から頂いたんだ。大地に撒かれた毒も、解毒剤の発見もあって大半が取り除かれたんだが……」
ケリーはバケツで汲んだ井戸の水を手ですくい、一飲みした。口から水滴が垂れる。
「海に撒かれた毒は除くことができなかった。それどころか、ゴンドラを倒したらより濃くなったらしい。まあざっくり、死後の怨念みたいなもんだって言われてるわ」
「それで、魚が食べられなくなったんだ……」
「そう。それまでこの島は唯一毒に侵されてない魚が捕れる地域だったのにね。今じゃわずかに捕れる魚すら王家が独占しちまってる。残念だよ」
俺の胸に冷たく、硬いものがズシリと落とされた。そんな過去があったのかと驚く気持ちと、悔しさ、そして怒りがごちゃ混ぜになる。
「わ……私、その魚料理を作ることを約束しました……」
「約束?誰と?」
「れ……レト王女です……」
レト王女。その名前を聞くなりケリーは目を丸くした。
「レト王女!?あの肉しか食べない王女と!?なぜ!?」
「あの……その……ギルドで王女の態度を諌めたら、そうなりまして……」
「はぁ……それで料理人を目指してんのか」
「いや、それだけじゃないです!私は、寿司というものをこの世界でも作りたくて料理人を目指してます!」
「スシ?」
ケリーが前屈みになって聞き返した。興味があるらしい。
「寿司というのは、生魚の切り身を米の上に乗せて食べる、私が元いた世界で有名な食べ物でして……」
「生の……魚か」
ゆっくり言い直した彼女の目に、微かに光が宿っているのが見えた。
「よし、明後日は修行じゃなくて出かけるぞ」
「え?出かけるって……どこに?」
「ちょっと面白い場所だ」




