第8話「覚悟はあるんでしょうね」
「すみませんでした!!」
男子は二人並んで見事な土下座をしていた。あまりにも綺麗すぎて謝罪の教科書にでも載りそうなぐらいだ。
「……どうしても謝りたいってんなら食材買ってこい。お前はネイズ通り、お前はグランゼ通り。ほら早くいけ」
赤髪の女が両手を叩き合わせると、男子は「はい!」と言って裏口の方へと走っていった。
――こんなに怖い人なのか……。
身震いするほどの圧倒的威圧感。元の世界ならパワハラで訴えられてもおかしくない程だ。
――でも、ここで踏み出さなければ……。
俺は間違いなく牢屋行きだ。それだけは避けなければ。
唾をゴクリと飲み込み、足を一歩踏み出す。
「あ……あの……」
「あ?」
女性の目が鋭く光る。虎の尾を踏んだような恐怖感が背筋を走る。
「わ……私、こ……ここで修行を……」
眼光は依然俺を睨んで離さない。いつのまにか後ろに立っていたドッジが援護射撃をする。
「俺たち、ここで料理人の修行を受けようと思ってんだ」
「……はぁ」
ため息がキッチンに充満する。呆れ返ったような、疲れ果てたような声。
「また使えねえ奴が来たか……。どうして今日はこんなにツイてないんだか……」
女性は壁にもたれかかった。
「あたしはケリー・コムス。ここ、ロンゴン通りイチの料理人だ。あんたらは?」
ケリーというらしい女性の顎がクイっとこちらをさす。
「わ……私は、本間鮪、と言います。こっちは……」
「ドッジ・ランドクだ!」
再びため息が紅色の唇から吐き出される。
「どっちもまあ個性的ね……褒めてないわよ」
ケリーは手にトマトに似た野菜を取った。
「いい?あたしたちは底辺職に見えて、その実、傭兵や冒険者にも勝るとも劣らない程の重要職なの」
彼女はトマトにかぶりつき、話を続ける。赤い果肉が唇につく。
「全ての生物は分け隔てなく輪廻転生する……ジェラグ教の教えよ。このトマーテもそう。新たな生命へと生まれ変わる……」
天井を眺めたケリーに、それまでなかった哀愁が漂う。
「あたしたちはその輪廻の手助けをする、まさに神々の仲介者みたいな存在だ。それが分かってない奴らのなんと多いこと……」
再び鋭い眼光がこちらを睨みつける。俺の背中を刺激が走る。
「あんたらは分かってるんでしょうね?」
「は……はい!」
突然の質問に俺は情けない声で答えた。ケリーは「ふーん」と声を上げ、トマーテをテーブルに置き、
「まあ、ならアイツらよりはマシか」
と呟いた。
「で?修行したいって言ったわね。覚悟はあるんでしょうね」
「もちろん!なんだってするぜ」
ドッジが威勢よく答えるのを、俺は口を結んで見ていた。
――余計なことを……。
その懸念はものの見事に的中した。
「なんでも、と言ったわね?いい度胸じゃない。じゃあやってもらおうじゃないの」
そう言うと、ケリーは床に置いてあったボロ雑巾を拾い上げ、俺たちの前に投げつけた。
「これで床掃除をしろ、埃一つ残すな」
「……え?」
「聞こえなかったのか?床掃除だ、早くしろ」
俺が困惑する中、ドッジはさっさと雑巾を手にし、客席の方へと向かっていった。ケリーが床の雑巾を指さす。
「ほら、早くやれって」
「し……失礼ですが、雑巾掛けが料理人に繋がるとはとても……」
確かに、現実世界では雑務として床掃除やゴミ出しもする。だけど、魔法もありそうなこの世界で、わざわざそんなことをする必要はあるのだろうか?
そう疑問に思っていると、ケリーは看破したのか、
「はぁ……。そこまで言わないとダメか?」
うんざりしたような顔で額に手を当てて言った。
「……あんた、料理を作ることが単なる作業だと思ってる?」
「え……?」
問い返した俺に、ケリーはゆっくりと視線を向けた。その目は、さっきまでの怒号とは違う、底冷えするほど静かなものだった。
「料理っていうのは、一種の儀式よ。さっきも言ったように、輪廻転生のね。儀式には適した場所と、方法があるの。あんたはそこらへんの路地裏で儀式をするのか?」
「いえ……しません」
「儀式は確かに魔法でもできる。だが、手ですることで食材、ひいては生き物への感謝を伝えることができる。そのことをよく覚えておくんだな」
俺は灰色の雑巾を見つめた。
――食材への、感謝……。
胸の奥で、何かが静かに噛み合った気がした。
俺はゆっくりと雑巾を手に取る。湿り気を帯びた布は思った以上に重く、指先に冷たさが伝わってきた。
「……分かりました」
そう答え、俺は膝をついた。石造りの床の硬さが膝にダイレクトに伝わる。
「ところで、一つ聞いてもいいですか?」
「……なんだ」
「さっきの二人はどうして叱られてたんですか?」
顔を上げる俺を見ないようにするためか、ケリーは顔を逸らしてこう言った。
「……アイツら、トマーテを半分残しやがった。ふざけやがって」




