第2話「刺身は豚の餌じゃない!」
ザァッ……ザァッ……。
波の音が耳元をくすぐる。陸に打ち寄せるような、規則正しい音。
ザァッ……ザァッ……。
ジンジンとする頭の痛みが次第に引いていき、意識が現実という世界に引き上げられていく。
そして、次に感じたもの。それは。
「……寒っ!!」
異様なまでの冷たさだった。
――ここはどこだ!?さっきまで俺は回転寿司屋の前にいたはず……。
目をゆっくり開ける。クレヨンで塗りたくったような雲ひとつない一面の青空が網膜に突き刺さる。
手と足に意識を向けると、水らしきものが肌を濡らしていた。
頭を横にする。砂と横たわる何かが目に入る。
「砂……浜?」
どうやらここは砂浜らしい。それなら、ここは死後の世界か?アニメでよく見かけるような天国、もしくは地獄か?
……いや。にしては五感がやけにリアルだ。口の中には海水の塩分すらある。
ならばここは。
「異世界……か?」
そうとしか考えられなかった。ここは異世界で、俺は自分の名前と同じ鮪に当たって死んだか意識を失ったんだ。
足と背中に力を入れ、なんとか起き上がる。
「異世界という割には、現実とあまり変わらないな……」
そう言って立ち上がろうとした時、俺の目にある物がとまった。
それは、大量に打ち上げられた魚だった。
鯛、鰯、鰹……。現実世界とよく似た、けれども少し違う魚がそこら中に打ち上がっている。中には、まだピチピチと跳ねているものもある。
「勿体ないな……」
そう口にした瞬間、背後から鋭い声が響いた。
「おーい!!」
元気そうな少年の声に、肩がピクリと跳ね上がる。
振り向くと、薄めのチュニックに身を包んだ十歳ぐらいの男の子が口に両手を当て叫んでいた。
「おーい!そこの人!」
「お……俺のことか?」
俺は自分の顔を指差し、首を傾げた。
少年はこちらに駆け寄っては、俺の全身を舐めるように見回した。
「あんた、どっから来たんだ?」
「どっからって……日本の首都圏から……」
「ニホン?シュトケン?なんだそれ」
俺はその言葉を聞いて確信した。ここは異世界で、俺は転生者だと。
「あー……まあ知らないよな。ハハハ」
「変な奴だなあ……その服も変だ」
「あ?これか?これはコートって言ってまあ、あったかい服だな」
「ふうん……」
黒いコートの袖を摘んだ俺の手を、少年は白けた目で見た。
「まあいっか、興味ないし」
「そういえば、君は何をしに浜辺に来たんだ?」
「変なこと聞くなあ。決まってるだろ?魚を捕りに来たんだよ」
少年は胸を張って言い切った。
「この浜は魚がよく打ち上がるんだ。うまくいけば、今日の飯が楽になる」
魚。飯。
「この世界にも刺身とか寿司の文化があるのか!?」
「まあ……何言ってるかわかんねえけど、魚は捕るだろ」
少年は腰にぶら下げた網に拾った鯛を放り込んだ。
俺はどこか嬉しくなって、ふふっと笑みを浮かべた。
この世界にも寿司という文化があるなら、今度こそ俺は本当の寿司職人になれる……!
小さくガッツポーズを決める俺を少年は怪奇の目で見つめながら、
「はあっ……とりあえず僕の村にでも来るか?」
と言った。
―――――
少年に連れられるまま、俺は草の生い茂る砂道を進んだ。どうやら村というのは丘の上にあるらしく、道は次第に登り坂になっていった。
見慣れたアスファルトも、コンクリートもない。踏み固められただけの土道。ところどころに、石で補強された階段がある。
息が上がる頃、ようやく視界が開けた。
「……おお」
思わず声が漏れた。
山の上には、木と石造りの壁に瓦屋根で構築された家々が並んでいた。中央には軽い広場と木製の見張り台のような物がある。
どう見ても、日本の村ではない。中世ヨーロッパ風の村だ。
「これが村……」
「だから言っただろ?小さくて悪かったな」
少年はそう言うと、広場の向こう側に駆け足で向かった。俺も従うままに進むと、とある物が見えた。
それは、家畜用の小屋だった。
「ここは……?」
「食用オークの小屋だよ」
――食用……オーク?
俺が頭に沸いた疑問を口にする前に、少年は小屋の木製の扉を開けた。
「来いよ」
小屋に入ると、耳が異様に大きい豚が柵の中に何頭もいた。獣らしさを何倍にも拡張した激臭が鼻の奥を焼く。
「これが、オーク……」
俺は興味の眼差しで獣を見た。
だが、その目はすぐに青ざめた。
少年は壁際にあった木製のバケツを手にした。その中に収まっていた物。それは。
「おい、それって……」
何枚にも切り分けられた魚の死体。つまり、刺身だ。
「これ?餌だけど」
「そうじゃなくて……!それは刺身じゃないか!」
「はあ?だからこれは家畜の餌だって」
少年はそう言うと、刺身をひとつまみしてオークに向かって投げた。オークはそれを美味しそうに食している。
俺はいつしか憤慨していた。
「刺身は豚の餌じゃない!」
「何言ってるかわかんねえ……餌だろ」
「違う!刺身はこう食べるもんだ!」
俺は少年の持つバケツの中から刺身を拝借し、口の中に放り込んだ。
瞬間、生臭さとも違う強烈な悪臭が脳天まで突き抜けた。
「……ッ!!」
それでも俺は刺身を咀嚼し、飲み込んだ。
――臭いはともかく、味は確かに刺身のそれだ。
「これなら……」
しかし、その考えはすぐに覆された。
「ヴォオオエエエエエエ!!!!」
端的に言うと、俺は吐いたのだ。




