こぼれてくるひかり
お互い社会人になった頃だったか、高校時代の親友が八木重吉の詩集をくれた。
私は、このとき初めてこの詩人を知ったのだが、その、透明なひらがなで描かれた詩たちは、見えない世界のなかで次々に花ひらくようだった。
重吉はクリスチャンの詩人としても知られている。
寂しさと孤独、雫のような言葉で、清らなものに手を伸ばし続けた先に、ついに、それに出会ったのだろうか。
詩集をくれた親友もまた、高校を卒業したあと、強い思いでクリスチャンとなり、社会人として数年働いたのち、ギリシャの修道院へと旅立って行った。
それから数年、わたしは母を亡くし、実家の片づけをした。
押し入れの奥から引っ張りだした古いアルバムには、黒い台紙に白黒の写真がきちんと整理されていた。
めくっていくと、ちょうど私が生まれたページに、母の親友から贈られた小さなカードが貼られている。
見るとカードには、万年筆の碧く美しい字で、私の誕生を祝う言葉とともに一編の詩が添えてあった。
ひかりを呼ぼう
ひかりをつつむものを ほころばそう
こぼれてくるひかりをうけよう
八木重吉の詩だった。
私が生まれるちょうどひと月前、父が、くも膜下出血で急逝した。
大きな喪失と重なりあう誕生に、母の親友が贈ってくれた祝福の詩だった。
ひかりを呼ぼう
ひかりをつつむものを ほころばそう
こぼれてくるひかりをうけよう
今朝、窓をあけると、空気はいちだんと冷えて、透明な冬の到来を告げる。
部屋いっぱいに満ちてくるひかりのなかで、この詩を思い出した。




