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釈迦の手のひら戻り方  作者: 黒田挙響


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総じてぶっ倒して

「昔から――餓鬼の時からあった。いつも視界の端っこでぼんやり行燈のように光るただの虹の輝き、只それだけだった。涅槃寂静ここの入口だなんて思ってもみなかったぜ。触ったこともある、別になんでもなかった、空に触れるのとまったく同じ、時々出てくる只の景色の一部、本当にそれだけさ――。でも十二の時だ。初めて知ったよ、この光は俺にしか見えないものだってことにな……。当たり前に見てたんで聞くことでもなかったが、夜の奇襲――目立って仕方がねぇ光だってのに、誰も反応しないから気付いたんだ。俺にしか見えない謎の光――。いつもの景色の一部だったのに、その事実を知って俺は久しぶりに、幼少期のように好奇心で近づいて触ってみることにしたんだ。戦中――それも奇襲するんで隠密しなきゃいけねぇのにな。『こんなに大きかったんだな……』なんて言ったかもなー……。昔は手一個入らない大きさだったのに、その光は俺の上半身位はあったからな。昔と変わらず空に触れて終わり――そう思ったが、その日は違った。……虹は膨らみ俺を囲って世界をどんどん飲み込んだ。何もかもスゥーっと包みこんで俺はすぐに逃げようとしたが、世界は段々縮んで逃げることは出来なかった。そうして俺はここにたどり着いた」


拾右衛門は涅槃寂静ここに入った理由を教えてくれた。その経緯は明らかに違うけど俺と同じ虹色の光に包まれてこの世界に来たようだ。


「本……本とかなかったですか?俺はこの世界に本を通して来たんです。もしかして"悟り"に関しての本を昔に読んだんじゃ……」

「本?俺は一生涯本なんて読んでねーぜ。そもそもこの世界に行く本なんて……あー、お前の場合は神隠しか」

「神隠し……?」

「ああ、お前は―――おい、名前聞いてなかったな……ほれ、名前」

「えっ……泉華いずみはなです」

「華ー?女みてーな名だな……」

「悪かったな……」

「泉って呼ばせてもらうわ。んで戻すと泉――平山あいつのこと友だちとか言ってたな……もしかしてあいつと共通した物とか持ってたりしたよな」

「はい……それが本です」


俺は一度だけ小さく頷いた。


「それを通してこっちへ来た――って感じか?」

「そうです……あっ――それが神隠し……ですか」

「そうそれ……いやぁー神隠しなんて珍しいな。俺もここに長くいるが泉が初めてだぜー。見える側と違って理解できないし、ましてや他にも条件があるから普通入れるはずがないからなー」

「じゃあ……本で入った場合って言うのは―――……」

「だからそれが神隠しだぜ。あいつと共通した、思い出ある本を通して来たんだよ」

「違うんです―――平山はその、拾右衛門さんの言う見える側じゃなかったんです」

「………なんだ、どういうこった―――………」


俺の一言を聞くと――拾右衛門は眉を潜めて頭の後ろで組んでいた手を腰に当て、座っていた俺を見下ろした。


「この涅槃寂静(世界)ってのは所謂見えるやつだけが行けるとこなんだぜ、俺やきっとお釈迦様なんかは理由は知らんが見えちまう人間でつまりは才能みたなやつなんだ。それがどうして、見えないやつが神隠しを使わずにここに来れる?もしそうなら……ここに入れちまう本ってのは一体なんだ。そんな常識外れ――平山あいつが今まで見えることを隠してたって方が完結で納得が出来るぜ」

「俺もそっちの方が納得できますよ。けどそれなら、なぜそんな本がこの世に在るんでしょうか―――」

「分らねぇ………五百年ここにいるがそんな本初めて聞いたぜ」


二人して何か不穏な感覚を覚え沈黙を起こしてしまった。

それは暗黒で再び俺の前に現れてより大きく大きく口を開け始めた。

涅槃寂静に行き着いて尚も不気味に感じるその不安は、

きっともう――これからも取払うことは出来ないだろう……。


「待てよ……もしやそれってつまりはよぉ〜……」


拾右衛門は何かを思いついたのか頬の皺が上がり始めた。


「もしや、その本で入れるって事は逆に出れるってことじゃねぇか?」

「でも――入ったら二度と出れないとか」

「じゃあなんでその本は涅槃寂静を知っているんだ?」

「それは……」

「フハハハッ――とうとうか………とうとうとうとう!ここから出られるのか」


拾右衛門は口を大きく開けて笑い出すと、拳を固く握りしめ、力強く肘を引いた。

歓喜のあまりに瞼は閉じると端々から涙を垂らし始めた。


「そうかそうか……良かった……こんな時が来るなんて……泉……ありがとな」

「ああ、はい……」


別に拾右衛門に何かをした訳でもなければ逆に助けてもらった側だ。

それに、本についても初めは平山から出たものだったし……。

俺は拾右衛門の言葉を素直に受け止めることが出来なかった。


「でも、その入った平山が出られないって言ったんですよ。あいつはきっと全部読んでいると思うんです」

「どうかな?実はこの涅槃寂静には帰れる方法があって、でもそいつなりの歪んだ考えならば、あれは偽物の世界で言わば悪という扱いで……逆にここにいることは平和で正義とか思ってたらどうだ。泉を呼んだのは救うつもりで、帰ろうとするなら止めようと嘘をついてたりなんて……まあ、どのみち?その本を確認しなきゃ分らねぇことだし、そんじゃ泉――その本を想像してみてくれ」

「……はい、やってみます」


俺は拾右衛門の考えを否定することは出来なかった。平山は別に人の考えを押し付けたり言いくるめたりするやつじゃなかった。けど、涅槃寂静ここに来てからはそうとも言えなくなっていて、俺に攻撃した時のあいつはたしかに―――異常だった。

もしかしたら、俺の知る平山はもうこの世にはいないのかもしれない――……。

そんなとりとめのない複雑な感情だけを残して俺は目をつむり、ここに連れてきた本――"悟り"を想像した。見た目は多少の日焼けを起こして古臭い、表紙が黒く皮で出来た本。内容は全く読めていないが数字が振られていてそれが数百と沢山書かれていて――。記憶にある、あるだけの特徴を思い出して俺は手元に本を作り出そうとした。


「……ダメか」

「……え?どうして……なんで作れない」


俺の手元には最後に触れたあの表紙の感触があった。けれども目を開くと感触は消えていて初めから本なんて存在しなかった。


「想像が弱いんだ……感触、味、ページ数、内容、大体八割程度の想像が出来ないと作れないんだ」

「でもっ……平山といる時、俺は簡単な想像で金の時計を……あれっ、無い」


右手に付けてあった金の時計はいつの間にか消えていた。たしかにあったはずの金の時計――見るまで、意識するまでには絶対に重みがあったはずなのに……。


平山そいつ……相当この世界に馴染んでやがるな……。人間無意識でも目に入る物を物と区別出来るように必ず理性の下で物を想像して作り出すはずなんだが……。やつは手順どうこうの筋道の常識を完全に捨てやがったみたいだな。それも周囲の人間にも影響を及ぼすほど……」

「拾右衛門さんは出来ないんですか」

「出来るかっての……ここじゃ確かになんでも叶うがな、あくまでも意識の下での話だ。無意識にまで影響させるなんてのはゲロやべーんだよ。そこまで出来んなら見たこともないその本を想像することも出来ちまうわ」

「じゃあ、どうすれば……。平山なら分ると思うけど今のあいつは―――………」

「そうだな……平山ってやつなら確かに何か知ってるかもなー。でも、どうしようともそいつは話さないだろう―――………。クフフッ、じゃあどうすりゃいいか……ゲロお困りの泉君に良いことを教えてやろう」

「良いこと……いや、そんなの……それって―――………」

「お察しが良いね泉君……そうだ、話さないなら奪えばいい!」


それは――平山が俺にしようとした時の……。恐ろしい……記憶を奪う行為のことであった。


「本当にやっていいんですか……。そんなこと―――………」

「そりゃどういう意味だ泉……法律か?それともモラルの話か?」

「正直俺もよく分らないです。平山にやられかけた時、俺は苛ついてたし、必死だったからあまり感じなかったんですけど、振り返れば、あれはとても恐ろしい気がして―――………」

「………泉ー、お前……フッ、すげぇ察し良いじゃねぇか!そうだぜ、記憶を取るってのはこの世界でも禁忌なんだぜ」

「禁忌……それは、ルールみたいな?」

「いや、別にここにルールは無いと思うぜ。禁忌っつったのはあくまでここに来た人間が作ったルールだ。クフフッ、少し話したくなったなー、ちょいと長いがその経緯を話してもいいか」

「ええ、どうぞ――」

「ずっと昔に――まあ俺がここに来て間もない頃だ。俺以外にも何人かここに来るやつが多くてよー、初めは俺含め皆好きなようにこの世界を遊びまわっていたんだが、百年も遊んでると皆飽きちまってよ。暇を潰すためにどうするか考えた結果、戦争を始めたんだ。戦国時代の性だからかな、結局戦争が好きってオチな、だけどこの世界には死の概念が無いんでな、ごっこ遊びで終わっちまったんだよ。それ以降暇を潰すことも出来なくなって、その後は皆何もしなくなって、ボケーッと突っ立ってたり、たーだ寝てたりを繰り返すようになった。今、俺と泉しかここにはいないだろ?実はここらにも数人はいるはずなんだぜ……やっぱりいないか?というのも廃人とかしたやつは皆死にたがって、でも死ねないんで、そこらに見える建物に同化して世界の一部になろうとしたんだぜ。まあ、意識は残ってるだろーがな。そんな時、誰かが思いついたんだよ、記憶を奪えばいいってな。記憶を奪えば思い出と思考――自分の知らない体験を得られるからな、奪うことは新たに生きがいとなって楽しみとなったんだ。皆して……相手の体を飲み込んで記憶を全て奪いまわってな、だが逆に、生きがいである一方この世界の事実上の死ともなった。全てを奪われ忘れるとそいつは廃人にすらなれず奪った人間の一部になってしまうんだ。まあ別に死ねるんで悪くないと思うやつもいるだろーがな……。ある時、奪うことを思いついたやつは思ったんだよ……。全てを奪った先にあるのは結局孤独――だってな。気付いたんだろうな、楽しみも生きがいもその果て――終わりが来るってことに。それならまだ、奪わずに廃人の人間数人と生きていたほうがまだマシだってことに……。なんなら、今度は自分から飲まれて死のうと思ったらしく体を差し出したんだよ。けど飲み込まれる時に感じたのは耐え難い苦痛でそれこそ死ぬより恐ろしい感覚だったみたいだ。それで逆に飲み込み返したらしいんだがな……。それ以降そいつは二度とその苦痛を誰も起こさないように記憶を奪う行為を禁忌の行為として取り締まったんだ。もうずっと昔の話だがな、俺もその時代の人間としてしっかりと取り締まってるつもりだ。あの時、泉が記憶を取られそうになった時に駆けつけたのはこれのお陰だからな、禁忌を破ったし平山あいつにはきっちりとケジメつけさせるつもりだ。まあ本のことで俺が奪うのは別として――」

「そんな過去が……そうだ、拾右衛門さん―――」

「なんだ……?」

「……途中で"思いついた人"のことをやけに詳しく話してましたけど……仲いいんですか?その人なら俺達に協力してくれるかもしれないですし―――」

「………」

「拾右衛門さん?」

「さあな、そいつが今どこにいんのか俺も知らねーよ、詳しかったのはたまたま聞いただけだよ、たまたまな……」

「……そうですか。拾右衛門さん話を戻して奪うって言いましたけど具体的にどうやって」

「あん?んなもん簡単だよ、ぶっ倒すんだよ」

「でも、平山は俺に攻撃した石とかを作って……」

「俺も作ったろ?いいか泉、恐れる必要はない、涅槃寂静はイメージが物を言う世界だ。恐れを抱けばそれこそ負ける。平山がどう戦おうが結局は戦国の世も知らないただの餓鬼だ。俺は元侍、殺しは俺の専門だ、絶対に負けんよ」

「でも――さすがに、作戦とか練らないと」

「ゲロ大丈夫!言ったろーが、殺しは俺の専門って、どんなことがあろうが、総じてぶっ倒して終わりよ」


拾右衛門は右腕で胸を叩いて、自信満々に豪語した。


「はあ、分りました。でも――その右手で」

「んあ、気付いたか――」


拾右衛門の右腕にあるはずの、先に見えるはずの手はどこにもなく存在していなかった――。


「こいつは泉のお友だちさんに付けられた棘の起こした影響だ。もっと言うと棘に腕の記憶を少し奪われたってところだな」

「記憶を奪われて、体が……」

「そうだな、この世界は意識が形を形成するからな、右手の記憶を奪われるとそのまま無くなっちまうんだ。ちょいと弱体化しちまったが大したことねぇよ」

「何か手伝うことはありますか……」

「うーん、お前は平山あいつの動きを何かしらで止めろ」

「何かしらって……」

「なんでもあるだろ、会話――そう、話して時間を稼げ」


すると拾右衛門は俺を左腕でまるで荷物のように持って力強く飛び出した―――。


「よっし、行くぞ」


そういえば平山に記憶を奪われかけたときからか、平山の顔を俺は思い出せないでいた……。


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