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第六話 記録された死

雨が降りはじめていた。

小さな粒が窓を打ち、実験室のガラスをぼやかす。

神谷は椅子に腰を下ろしたまま、冷めたコーヒーを見つめていた。

眠っていないのに、夢の中にいるような感覚が続いている。


時計は十七時を指していた。

秒針が動くたびに、頭の奥が“軋む”。

十五分が近づくと、必ず世界が軋みを上げる。

それがここ数日の、変わらないリズムだった。


ドアが静かに開く。

早乙女結衣が入ってきた。

白衣の袖を濡らしながら、手にタブレットを抱えている。

画面には、被害者の神経波形が並んでいた。


「見てください。

 死亡直前の脳波、全員同じパターンです。」


神谷は眉を上げた。

「同じ?」


「はい。まるで“同じ思考”をして死んでいる。

 しかも、最終波形には微弱なパルスが記録されています。

 ——この形、霧崎蓮の実験データと一致しました。」


彼女は机の上にもう一枚のファイルを置いた。

古い研究記録。

表紙には黒いインクで“Project EYE”の文字。


神谷はページをめくる。

そこには手書きの文字と、走り書きの数式。

一部、赤いインクで消された跡があった。

だが、下の文字がかすかに読めた。


「観測個体No.04:KAMIYA RYO」


指先が止まった。

一瞬、頭の奥が白くなる。

ページの文字が滲んで、読めなくなる。


「……なんだ、これ。」


結衣がこちらを見る。

「どうしました?」

「いや……何でもない。」

神谷はページを閉じた。

「これは、誰が書いた記録だ?」


「霧崎蓮です。本人の直筆。

 でもこのページだけ、日付が消されてます。

 五年前の実験で、被験者が死亡したとされてる。

 ただ、名前欄だけ“空白”だったはずなんです。

 ——今日までは。」


神谷は無言のまま立ち上がり、窓の外を見た。

雨が街の光を溶かしている。

信号の赤と、看板の白が、ゆらめいて混ざる。

そこに“誰かの目”が浮かんで見えた。


「俺が……その実験に関係していたと?」


「断定はできません。でも、“記録されたあなた”がいる。

 神谷遼という名前が、五年前の実験で既に使われていた可能性があります。」


神谷は言葉を失った。

自分の記憶をたどる。

五年前、自分はどこにいた?

頭の中で地図を描こうとするが、ある地点から先が“抜けて”いる。

大学、研修、配属——どれも映像のように曖昧だ。

まるで“作られた記憶”を再生しているようだった。


「五年前のあなたの履歴を調べました。」

結衣の声が静かに落ちる。

「警察学校の修了データ、存在しません。

 登録はあるのに、出席記録も試験記録も、消えてる。」


神谷は振り返った。

「……俺の記録が、書き換えられてる?」

「もしくは、最初から“あなた”という存在が、

 誰かの観測によって生まれたのかもしれません。」


ノイズが走った。

蛍光灯が一瞬だけ明滅する。

神谷は頭を押さえた。

瞼の裏に、“黒い円”が焼きつく。

目を閉じても離れない。

輪郭が、声を持ちはじめる。


「——もう一度、視ようか。」


「神谷さん!」

結衣が駆け寄る。

彼は机に手をつき、荒い呼吸を整えた。


「……今、声がした。」

「聞こえたんですね。」

「男の声だ。低くて、……俺の声に似てた。」


結衣の顔色が変わる。

「それが、霧崎蓮です。

 彼は他人の視覚に“入り込める”。

 そして、自分の記憶を他人に上書きすることも。」


神谷は震える指でタバコを取り出し、火をつけた。

煙が揺れて、ガラスに反射する。

そこに、また“自分”が映っている。

だが、反射の中の男は、笑っていた。


「おかえり。」


煙が切れる。

神谷は目を逸らさず、呟いた。

「……霧崎。」


時計がまた十五分を告げる。

17:15。

雨音が消え、世界が浅く止まった。


その刹那、実験室のモニターが一斉に点灯する。

亡くなった被験者たちの脳波データが、同じタイミングで“波形を描き始めた”。

死んだはずの神経が、再び動いている。


結衣が息を呑む。

「——記録が、生きてる。」


神谷はゆっくり笑った。

「違う。“俺たち”が、記録の中にいる。」

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