第四話 幻覚仮説
神谷は科学捜査研究所の地下実験棟にいた。
薄暗い部屋の中央に、金属の椅子とモニターが並ぶ。
頭部に電極を装着した被験者が静かに座り、前方のスクリーンを見つめている。
「照射、開始します。」
技官が指示を出す。
スクリーンに白黒の点滅映像が映る。
パターンは無作為だが、周期はすべて“十五分”を基準に設計されていた。
映像開始から三分後、被験者の脳波が乱れた。
モニターの数値が跳ね上がる。
「後頭葉のα波、異常ピークです。視覚野の活動が……これ、異常だ!」
神谷は眉を寄せ、技官の肩越しに覗き込む。
「何を見てる?」
「ただのパターン映像です。だが、本人は“何かを見た”と言ってる。」
被験者の唇が震える。
「目が……ある。壁の中に。」
次の瞬間、心拍モニターが悲鳴を上げた。
警報が鳴る。医師が駆け寄り、電極を外す。
被験者の瞳孔は開き、意識は消えていた。
「……心停止。」
室内が一瞬、凍る。
神谷は低く呟いた。
「映像だけで、心臓を止めたってことか。」
「視覚刺激による脳内ショックの可能性があります。」
技官の声が震える。
「ただ、映像自体には何の異常もない。
“見る人間”の脳が、何かに反応して壊れているんです。」
「反応って何に?」
神谷の問いに、答えは返ってこなかった。
ガラス越しに見ていた結衣が静かに言った。
「それが“観測”です。
誰かがこの映像を通して、被験者を見た。
——視られた瞬間、視覚が感染した。」
神谷は彼女に向き直る。
「まるで宗教だな。信じる前提が必要な理屈だ。」
「でも、信じなくても起こるのが現実です。」
結衣はモニターに目を落とした。
「彼らは、見た。それだけで死んだ。」
沈黙が落ちた。
機械の冷却音が、規則的に響いている。
神谷は腕を組み、考え込む。
「霧崎蓮の研究は、この仕組みを狙ってたんだな。」
「そうです。彼は、観測による現実の書き換えを試みた。
“視せる者”になれば、世界を設計できると。」
結衣の声は落ち着いているのに、どこか遠い。
神谷は目を細めた。
「……まるで、知ってるみたいだな。」
その言葉に、結衣が一瞬だけ黙った。
目の奥が揺れる。
「五年前。霧崎研究所にいました。
心理評価のインターンでしたけど……被験者としても、少し。」
神谷は初めて彼女をまっすぐに見た。
「被験者?」
「実験内容は、“共鳴視覚”のテスト。
複数の人間が同時に同じ幻覚を共有できるか、というもの。
結果は失敗。ですが、ひとりだけ——“成功した”人がいました。」
「誰だ。」
「霧崎蓮、本人です。」
沈黙。
結衣は続ける。
「彼は自分自身を実験台にして、“他人の視界”を覗いた。
その瞬間から、彼の脳波は正常な形を保たなくなった。
でも、笑っていた。『視た』って。」
神谷の胸に冷たい感覚が広がる。
映像、ノイズ、十五分。
全てが、ひとつの“観測装置”に繋がっていく。
「つまり霧崎は、誰かの目を通して今も生きてる可能性がある。」
「ええ。」
結衣は静かに頷いた。
「彼の視線は、ネットワークを介して伝播します。
——“見る”ことそのものが、彼の身体なんです。」
神谷は無言で背を向け、観察室を出た。
ドアの閉まる音が、やけに大きく響いた。
廊下の窓に、自分の姿が映る。
肩の線、髪、顔。
だが、反射の奥に“もう一人の自分”が立っているように見えた。
ほんの一瞬、口が動いた。
「ようやく、視えたね。」
神谷は目を瞬かせた。
反射はただのガラスに戻り、何もない。
だが、その言葉の残響だけが、耳の奥に焼きついていた。
——幻覚ではない。
これは、“誰かの観測”だ。
時刻は、十七時十五分に近づいていた。




