第三話 視線の主
翌朝、灰色の雲が東京を覆っていた。
神谷は駅前ロータリーの現場に戻る。
夜のうちに立てられた照明塔が、白い光を濡れたアスファルトに散らしていた。
現場テープの向こうでは、鑑識班が三次元スキャンを行っている。
「——防犯映像、解析できました。」
無線から結衣の声。
「二十二台のカメラを統合しましたが、異常が一つ。」
「異常?」
神谷は耳を傾ける。
「被害者が倒れる十五秒前、フレームのノイズが走っています。
一瞬、映像の“中心”が歪んでるんです。まるで——」
結衣が言葉を探す間に、神谷の目の前のガラス壁が僅かに揺れた。
風もないのに、表面が水のように波打つ。
錯覚かもしれない。だが、昨日も同じ“うねり”を見た。
「データを送れ。現場で見る。」
神谷はポケットから端末を取り出し、受信ファイルを開いた。
映像が始まる。
夕方のロータリー、群衆、バス、鳩。
その中央で、ベンチの男が何かに気づいたように顔を上げる。
——その瞬間、画面が一度“沈む”。
ほんの〇・五秒、視点が押し込まれるように歪む。
映像全体が、カメラではなく“誰かの目”の焦点になった感覚。
次のフレームで男はすでに静止していた。
神谷は息を詰めた。
スローモーションにしても、その歪みはフレーム単位で明確だった。
画面中心に走る“黒い点”。まるで、誰かの瞳孔。
「結衣、これを録ったカメラの角度は?」
「北東二番。死角なし。解析班いわく、外的要因では説明できません。
——それと、もう一つ。」
彼女の声が僅かに揺れた。
「映像を反転処理したら、“人影”が映ってたんです。
被害者のすぐ隣に、輪郭だけの——。」
「静止画を送れ。」
端末の画面にモノクロ画像が映る。
白と黒の反転で浮かび上がった、あまりに曖昧な影。
輪郭は人の形をしている。だが頭部の部分だけ、異様に黒い。
まるで、穴だ。
「この形……」神谷が呟く。
「“目”だ。」
「はい。」結衣の声が震える。
「私、夢で何度もこれを見てる気がします。
暗い部屋で、目の前にこの“穴”が現れて——
そこから“誰かの声”が流れ込んでくる。」
神谷は一瞬、沈黙した。
「昨日も言ってたな。夢の話。」
「ええ。でも、今朝は違いました。」
結衣はゆっくり息を吸う。
「目が開いた瞬間、私の視界に“その影”が重なってたんです。
ほんの一瞬、現実の方に。」
「幻視だ。」
神谷は断定するように言ったが、その声にはわずかに迷いが混じる。
——自分も“見た”のだ。あの瞬間の歪みを。
「この映像、警察庁に上げろ。」
神谷は映像データを閉じ、手帳に時間をメモした。
「十五分前の秒単位で、電波ログも再解析。
“何か”が信号を送ってる。」
「それでも説明はできません。」
結衣は静かに言った。
「見えたのは光じゃない。感覚の形。
そして、“感じた”人間だけが死ぬ。」
神谷は眉をしかめる。「つまり、選ばれてる?」
「たぶん、そうです。
“視られる資格”を持つ人が——選ばれている。」
その言葉に、神谷はわずかに身を引いた。
なぜか、胸の奥が冷える。
結衣の声は続く。
「もしこれが意図的なら、“誰か”が映像を通して観測している。
そして観測した瞬間に、対象を——殺している。」
「……霧崎蓮だな。」
「はい。彼の研究テーマ、“観測による知覚支配”。
もし生きているなら、彼が“視線の主”。」
神谷は駅ビルのガラスを見上げた。
通勤客の姿が反射に溶けていく。
その奥、層のさらに向こうで、何かがこちらを“見ている”気がした。
反射なのか、錯覚なのか、区別がつかない。
「霧崎を見つける。」
神谷は言った。
「このまま放置したら、十五分ごとに死ぬ人間が増える。」
「でも、もし霧崎が“現実を見せていない”としたら?」
結衣が言う。
「——私たちが追ってるのは、映像の中の“霧崎”かもしれません。」
神谷はその言葉に反応せず、タバコに火をつけた。
煙が上がり、ガラスに淡く映る。
その反射の奥に、確かに“もう一人の自分”がいた。
目を細め、笑っている。
神谷は息を止め、火を消した。
だが、ガラスの中の自分は——まだ、笑っていた。




