最終話 不明犯
その死は、あまりにも静かだった。
丘の下にある小さな村。
朝の光が差し込む台所で、
老女が一人、穏やかな顔のまま息を引き取っていた。
外傷なし。
争った形跡もなし。
ただ、表情だけが不思議だった。
——まるで、何かを“見た”ような。
その現場を調べた青年の名はカイ。
ルイが姿を消してから、五十年後に生まれた。
“観測のない時代”に育った最後の世代だった。
医師は言った。
「原因はショック死だろう。だが、脳波の形が奇妙だ。
まるで、見えない何かを処理しようとして焼き切れたような……」
カイは眉をひそめた。
ショック死。
その言葉に、なぜか既視感があった。
夜になっても、老女の表情が脳裏から離れない。
穏やかで、恐ろしくて、そして——少し、美しかった。
(何を見たんだろう。)
カイは机に向かい、古い文献を開いた。
そこには、かつて存在したという“観測者”の記録があった。
著者の名は、ルイ。
「見ることをやめた世界に、
それでも光が差していた。」
その一文を読んだ瞬間、
部屋の明かりがふっと消えた。
——カシャン。
音がした。
古いシャッター音。
どこからともなく響く。
カイは立ち上がった。
窓の外。
夜空に、ひとつの光。
星?
いや、違う。
それは、一定の間隔で点滅していた。
——ピッ、ピピッ、ピッ。
規則的な光。
まるで、誰かが見ているような。
カイは無意識に呟いた。
「……EYE-net?」
その瞬間、彼の視界に文字が流れた。
[SIGNAL DETECTED]
[SOURCE: UNKNOWN / LEGACY MODE]
「……遺構モード?」
[SEARCHING FOR OBSERVER]
カイは息を飲んだ。
そのとき、彼の瞳孔がゆっくりと開いた。
視界の奥に、光の線。
街、山、空、人。
あらゆる存在が、白い輪郭線で繋がっていく。
「……これは……」
脳が焼けるように熱くなる。
心臓が暴れる。
息が詰まる。
[OBSERVER COMPATIBILITY: 99.9%]
——カシャン。
音がした瞬間、世界が止まった。
風も、音も、動きもない。
ただ、視界の中の“線”だけが呼吸していた。
その中心に、ひとつの影。
若い男の姿。
笑っていた。
「君が、次の“観測者”か。」
「誰だ……!」
影は答えた。
「名はもう要らない。
ただ、“見る”だけの存在だ。」
カイは気づいた。
それが、自分の中の声だ。
“観測”が目を覚まし、語りかけている。
『見たいか?』
「見たくない。」
『見なければ、世界は存在できない。
それでも見ないと選ぶなら——
君が“最初の不明犯”になる。』
「不明犯……?」
『誰にも見られず、誰にも理解されず、
それでも、世界を生かす者。』
カイは苦しそうに顔を上げた。
星の光が瞳に反射する。
その瞬間、世界が一斉に再起動した。
人の声。
鳥の羽ばたき。
草の匂い。
すべてが戻る。
だが、カイだけは動かなかった。
目を見開いたまま、微笑んでいた。
老女と同じ顔で。
医師の記録。
「本日未明、男性が倒れているのを発見。
外傷なし。脳波異常。
原因不明のショック死。
死に際、笑っていた。」
——不明犯。
それが、報告書に記された唯一の言葉だった。
けれど、その夜。
村の空には、ひとつの星が輝いた。
まるで新しい“観測者”の目が開いたように。
そして、遠い記録の層に文字が刻まれる。
[RECORDING RESUMED]
[NEW OBSERVER: UNKNOWN]
[OBSERVER NAME: UNDEFINED / "不明犯"]
静かな風が丘を撫でた。
観測草がゆらめき、葉の裏に光が戻る。
まるで、何かがまた“動き出した”かのように。
——見る者がいる限り、
世界は終わらない。
——見ることをやめた瞬間に、
世界は再び“見られた”。
丘の上で光が瞬いた。
そこに誰の姿もなかった。
けれど、確かに“目”があった。
[OBSERVATION / ∞]
そして、物語は閉じた。
——記録、終了。




