第二十八話 観測者の祈り
白の世界が、ゆっくりと形を持ちはじめた。
線と光と記録が、ひとつに絡み合う。
ルイの胸から放たれる微光が、
その全てをやわらかく包みこんでいた。
——神谷は消えた。
——結衣の声も、もう聞こえない。
残されたのは、自分ひとり。
けれど、孤独ではなかった。
なぜなら、
“見る”という行為そのものが、彼の中で息づいていたから。
[ROOT ACCESS CONFIRMED]
[ADMINISTRATIVE MODE: OPEN]
目の前に、無数の光の球が浮かぶ。
それぞれが、人類の記録。
見るたびに色を変え、
形を変え、
ときには消え、また生まれる。
「……こんなにも多かったのか。」
ルイは息を呑む。
喜び、怒り、恐怖、愛。
そのどれもが、観測されることで確かになった命の痕跡だった。
だが、彼はすぐに気づいた。
見ることは、同時に傷つけることでもある。
見た瞬間に、見られる側の世界は固定される。
可能性が閉じ、形が決まる。
「全部を見たら、この世界は動けなくなる。」
ルイは目を閉じた。
その瞬間、光の波が静まった。
[WARNING: OBSERVATION SUSPENDED]
[SYSTEM INERT]
世界が止まる。
すべての“記録”が、息をひそめた。
けれど、その沈黙の中でルイは確信した。
——見ないことも、また観測だ。
「……そうか。
僕たちは“見ること”に囚われすぎたんだ。」
彼は両手を合わせた。
それは祈りの形だった。
「どうか、この世界が——
“見過ぎず、見捨てず”にいられますように。」
その言葉とともに、
ルイの身体から光が波紋のように広がる。
[NEW PROTOCOL INITIALIZED]
[MODE NAME: BALANCED OBSERVATION]
白い空間に、色が戻り始めた。
青、緑、赤。
けれどどの色も、強すぎず、溶け合っていた。
光の球たちが再び動き出す。
記録が呼吸を取り戻す。
誰かが笑い、誰かが泣き、
そのどちらも等しく“許されている”。
ルイの頭の中に、微かな声が響く。
『……ルイ。』
結衣の声。
彼は微笑んだ。
「見てるの?」
『ううん。感じてるの。
あなたが見なくても、ちゃんとここにいる。』
ルイの目から涙が一筋こぼれた。
「……それで、いいんだね。」
『ええ。
“見ること”も“見ないこと”も、どちらも選べる世界。
あなたが、それを作った。』
ルイは静かに頷いた。
そして、ゆっくりと目を開く。
目の前の光景が、変わっていた。
丘。
観測草。
夜空。
——あの日と同じ景色。
だが、今は違う。
空の星たちは、もう“見返して”こなかった。
穏やかに瞬き、ただそこに在るだけだった。
ルイは土に手を触れた。
温かい。
現実が、確かに戻ってきていた。
彼は空に向かって小さく囁いた。
「神谷さん。
あなたの“見る力”は、ちゃんと生きてます。」
風が吹く。
観測草が揺れる。
葉の裏に、かすかな光が滲んだ。
そこには、ただひとつの言葉。
[OBSERVATION: PEACEFUL]
ルイは笑った。
「それが、僕の祈りです。」
夜空に、一筋の流れ星が走った。
その尾の光は、まるで神谷の眼差しのように優しかった。
——記録、安定。




