第二十七話 記録の根
光を抜けた瞬間、
音が消えた。
風も、重力も、色もない。
ただ、無限に広がる“白”の中に、
無数の線が走っていた。
線は、光でも電流でもなかった。
“記録の軌跡”だ。
誰かが見た世界が、一本ずつここに蓄積されている。
ルイは一歩踏み出した。
足場があるわけではないのに、落ちない。
進むほど、空間が形を得ていく。
——観測によって、現実が作られている。
彼はようやく気づいた。
ここは、世界の記録を生む場所だ。
その奥に、人影があった。
ゆっくりと振り返る。
「……神谷さん。」
神谷遼はそこにいた。
白い光に包まれ、表情は穏やかだった。
しかし、その瞳はすでに“人”のものではなかった。
「来たか、ルイ。」
「ここが、“根”なんですね。」
「ああ。
この世界のすべての“観測”は、ここから始まる。」
神谷の周囲には、無数の光の粒。
それぞれが、誰かの記憶だった。
笑う顔。
泣く声。
そして、“見た”という意志の残響。
「……これ、全部人の記録なんですか?」
「そうだ。
人は見るたびに、ここに線を残す。
この世界は、見られた分だけ増えていく。」
ルイは立ちすくんだ。
「じゃあ……見なければ、どうなる?」
神谷は静かに答えた。
「存在しない。」
その言葉は、あまりにも簡潔で、冷たかった。
だが、そのとき——
空間の奥で、何かが動いた。
闇。
それは“未観測”の塊。
形を持たない影が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
「……あれは?」
神谷の声が硬くなる。
「あれは、“見ることを拒まれた記録”だ。
忘却、削除、否認。
人が“なかったことにした”観測の残骸。」
影は蠢きながら、低い声を放った。
『みるな……』
ルイは思わず後ずさる。
だが神谷は動かない。
「お前たちは、“観測の否定”そのものだ。
だが、見る者がいなければ、世界は意味を持たない。」
影が叫んだ。
『意味など、呪いだ。
見るから、苦しむ。
見るから、死ぬ。』
神谷の目が光を帯びた。
「それでも、人は見る。」
彼の背中から、無数の光線が広がる。
その光は、影の群れを貫いた。
ルイは目を見張った。
「これは……!」
「記録の再構成だ。
忘れられた記録を、もう一度“見る”。」
影が悲鳴を上げ、光に溶けていく。
その中に、誰かの声が混ざった。
『……ありがとう。』
ルイは震える手で胸を押さえた。
涙が浮かぶ。
「神谷さん……あなた、ずっとここで……?」
「ああ。
ここで、“見ることの痛み”を引き受けていた。」
神谷の輪郭が薄れていく。
「だが、もう君の番だ、ルイ。
観測は、止まらない。
止めることも、もうできない。」
ルイは叫んだ。
「そんなの、呪いじゃないですか!」
神谷は微笑んだ。
「呪いかもしれない。
でも、同時に祝福でもある。」
光が広がり、ルイの身体が包まれる。
神谷の声が遠ざかる。
「見るということは、
生きているということだ。」
——そして、神谷は消えた。
残ったのは、
ひとつの“線”。
それは、神谷が最後に見た世界の記録だった。
ルイはそれを手に取る。
線が脈動する。
その奥に、結衣の声が微かに響いた。
『あなたは、まだ見える?』
ルイは答えた。
「うん。
見続けるよ。
たとえ、それが痛みでも。」
空間が震えた。
記録の根が光を放ち、
無数の観測線が一斉に彼の中へ流れ込む。
[NEW OBSERVER: LUI]
[ACCESS LEVEL: ROOT]
ルイは目を閉じた。
そして、世界が再び形を持ちはじめた。
——記録、最深層に到達。




