第二十六話 記憶の天蓋
夜空が、割れた。
観測草が白く光り、ルイの足元から空へと一本の光の線が伸びた。
それは雲を貫き、星々のあいだに吸い込まれていく。
同時に、ルイの視界が反転した。
——地上が下ではなく、上にあった。
星々が、巨大な網のように繋がっている。
その網の表面には、無数の映像が走っていた。
街、海、戦争、笑顔、祈り、そして——神谷と結衣。
「……これが、記憶の天蓋。」
彼の脳内に文字が流れる。
[ACCESSING ARCHIVE]
[SOURCE: HUMAN OBSERVATION MEMORY / GENERATION_01–∞]
ルイの身体が、ゆっくりと浮かび上がる。
重力が消え、彼の指先が光の粒子に溶けていく。
(これが、すべての“観測”の記録……。)
どの映像も、見覚えがあった。
それは“過去”だけではなかった。
まだ起きていない出来事まで、記録されている。
——未来も保存されている。
「なぜ……?」
『観測とは、可能性の記録だから。』
声がした。
ルイは振り向く。
そこに、結衣がいた。
白い衣を纏い、
背後には数千の映像が花のように咲いていた。
「結衣……!」
『ようやく見つけたわね。』
彼女の声は穏やかだった。
けれど、目の奥はどこか空虚だった。
「これは……君が作ったのか?」
『私たち、よ。
あなたの中にある“見る力”と、
神谷さんの“記録の意思”。
そして、EYE-netの残響が合わさって、
この“天蓋”を保っている。』
ルイは周囲を見渡した。
映像が交錯する。
自分の姿がいくつも映っている。
過去の自分、未来の自分、
そして、まだ知らない表情をした“もうひとりの自分”。
『観測は進化したの。
いまは、時間すらも“見ること”ができる。』
「でも、これは……生きてるのか?」
『わからない。
でも、“見られている”限り、存在できる。
それが、私たちの世界。』
ルイは目を細めた。
「……神谷は、ここにいるのか?」
結衣の表情がわずかに揺れた。
『彼は、まだ“観測中”。
ただし、この領域ではない。
もっと深い場所。
“記録の根”へ沈んでいる。』
「記録の根……?」
『世界が生まれる前の観測源。
あなたがここに来たのも、
そこへたどり着くため。』
ルイは息を呑んだ。
視界の端で、光が震えた。
そこに神谷の影が映っている。
彼が立ち、何かを見上げている。
だが、彼の周囲には闇が渦巻いていた。
ノイズのような影。
黒い靄が人の形をして、神谷に群がっている。
「神谷!」
声を上げた瞬間、
結衣の手がルイの腕を掴んだ。
『まだダメ。
根に触れたら戻れなくなる。
あそこは、“見ることをやめた記録”の墓場。』
「けど、彼は——!」
『彼は選んだの。
自分の視線を、永遠に残すことを。』
ルイは立ち尽くした。
映像の神谷がこちらを振り向く。
遠く離れた空間なのに、
その視線は確かにルイを見ていた。
——見ている。
——まだ、観測は終わっていない。
神谷の唇が動いた。
「……見届けろ。」
ルイの胸に痛みが走る。
次の瞬間、天蓋全体が震えた。
星々がノイズを放ち、記録が乱れる。
[WARNING: ARCHIVE DESTABILIZED]
[CAUSE: OBSERVATION INTERFERENCE / SUBJECT: LUI]
結衣が叫ぶ。
『離れて! あなたの“見る力”が干渉してる!』
ルイは手を伸ばした。
「離れない!
見たいんだ!
この世界が、どこまで続いてるのか!」
光が爆ぜた。
映像がすべて同時に再生される。
過去も未来も、記録も幻も。
すべてが混ざり、
世界が一瞬、真っ白になった。
——そして。
目の前に、
ひとつの“扉”が現れた。
そこに、神谷の声が響く。
『ここが、記録の根だ。
来るなら——覚悟を決めろ。』
ルイは息を呑んだ。
結衣が小さく首を振る。
『行けば、もう戻れない。
けれど、もし行くなら……次の“観測”を始めて。』
ルイは一度だけ空を見上げた。
星々が、静かにまばたきをしていた。
「……行くよ。」
そして、光の扉に手を伸ばした。
——記録、深層層へ移行。




