第二十三話 観測の種
目を開けた。
風の音。
草の匂い。
陽の光が、まぶたを透けていた。
——世界は、まだあった。
神谷はゆっくりと体を起こした。
土の感触。
久しく感じていなかった“現実”の重さがあった。
あの白い空間とは違う。
冷たくも温かい、湿った空気。
丘の上だった。
見渡す限り、緑が広がっている。
遠くには小さな村。
煙突から、煙がまっすぐ空にのびていた。
「……戻ってきたのか?」
彼は自分の手を見た。
透けていない。
血の通った手。
心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。
EYE-netの音はしない。
頭の中も静かだ。
けれど、耳の奥に微かな残響があった。
——記録、完了。
風が吹く。
その風の流れに、ほんの一瞬、
“シャッター音”が混ざった気がした。
神谷は笑った。
「……もう幻聴でもいい。」
丘を下りる途中、
一人の少年が道端で何かをしていた。
地面を掘り、何かの“種”を埋めている。
「何をしてるんだ?」
少年は顔を上げた。
まだ十歳くらい。
泥だらけの手で、小さな紙袋を持っている。
「これ。おばあちゃんの“カメラの目”なんだって。」
神谷は目を瞬いた。
「カメラ?」
「うん。昔はこれで“世界を閉じ込める”ことができたんだって。
でも、おばあちゃんは“見ることを許す”ために埋めるんだって。」
神谷はしゃがんだ。
少年の手の中を覗く。
そこには、古びたレンズの破片が入っていた。
「……それを、埋めてどうする?」
「芽が出るといいなって。」
神谷は息を呑んだ。
レンズの破片に、陽の光が反射して虹を作る。
その虹が、少年の頬を照らした。
「お前、名前は?」
「ルイ。」
「ルイか。いい名だな。」
少年は土をかぶせ、手でぎゅっと押さえた。
その手の動きが、神谷には“記録”のように見えた。
「なあルイ。
もし本当に芽が出たら、そのとき何が見たい?」
少年は少し考えてから言った。
「……まだ見たことない世界。」
神谷は笑った。
(やっぱり、人間はそう作られてる。)
——見ることをやめても、
見たいという衝動は消えない。
太陽が雲の隙間からのぞく。
神谷は立ち上がった。
風が丘を渡り、草が波のように揺れる。
遠くの村から鐘の音が響く。
その音が、どこか懐かしかった。
まるで、EYE-netがかつて“起動”する瞬間の合図のように。
「……また、始まるのか。」
その言葉に、風が答えた。
——カシャン。
小さなシャッター音。
どこからともなく聞こえた。
神谷は目を細め、空を見上げた。
太陽の輪郭が、ゆっくりと滲んでいる。
中心に、かすかな“瞳孔”が見えた気がした。
「見てるのか……結衣。」
答えはなかった。
ただ、丘の上で少年が笑っていた。
土の中の“観測の種”が、
微かに光を放っていた。
——記録、再開。




