第二十一話 亡霊の目
夜は、驚くほど静かだった。
街のどこにも電気がない。
音もない。
けれど、その“静けさ”の奥で、確かに何かが動いていた。
神谷と少女は廃ビルの裏通りを歩いていた。
月明かりだけが、彼らの影を細く引き伸ばす。
遠くの屋上に、赤い光が瞬く。
点滅ではない。
呼吸をするように、生きていた。
「……あれが、そうだな。」
神谷が呟く。
少女は小さく頷いた。
「誰も近づかないの。
あの光を見た人は、次の日には“いなくなる”から。」
神谷はカメラを構えた。
ファインダーの中で、赤い光が歪む。
まるでこちらを見返しているようだった。
「いなくなる、とは?」
「わからない。
でも、みんな“見られた”って言ってた。」
神谷の胸がざわつく。
(見られた、か……)
かつてのEYE-netのコードが脳裏に浮かぶ。
[観測は記録であり、記録は存在の再生である。]
それを作ったのは霧崎。
そして、最後にそれを止めたのは自分。
だが、まだ“残っている”というのか。
彼はゆっくりと屋上への階段を上がった。
鉄の手すりが、錆びた悲鳴をあげる。
最上階。
風が強い。
空が低く、雲が這っている。
そして、あった。
屋上の中央に、古いカメラの三脚。
その上に、小さな球体。
まるで目玉のように、赤い光を放っていた。
少女が息を呑む。
「なに、これ……。」
神谷は近づいた。
それはかつてEYE-netで使われていた観測端末のコアユニット。
ただの鉄の塊のはずだった。
なのに、脈を打っている。
赤い光が点滅する。
——ピッ、ピッ、ピッ。
[RECORDING... ACTIVE.]
古い電子音が、風の中に漏れた。
神谷の背筋が凍る。
「まだ、生きてる……。」
少女が怯えた声で言う。
「壊そうよ、こんなの。」
神谷は首を振る。
「待て。まず“何を見ている”のか、確かめたい。」
カメラを構え、ファインダーを覗く。
次の瞬間、
——視界が、反転した。
屋上が消え、世界が赤く染まる。
音も温度も、すべてが過去の記録に置き換わる。
映像の中で、人々が歩いている。
明るい街。
笑顔。
その中央に——結衣がいた。
神谷は息を呑んだ。
(……結衣?)
彼女が振り向く。
笑う。
その口が、ゆっくりと動く。
『また、見てるのね。』
ファインダー越しに、
過去の結衣が今の彼を見ていた。
「違う……これは記録じゃない。」
神谷の声が震える。
「これは“再生”だ。」
[RECORDING... SYNC COMPLETE.]
赤い光が強くなった。
屋上全体が脈打つ。
鉄骨が揺れ、風が止まる。
少女が神谷の腕を掴んだ。
「もう帰ろう! これはおかしい!」
だが神谷は動けなかった。
赤い光の中心で、確かに聞こえた。
——シャッター音。
次の瞬間、
少女の姿が消えた。
残ったのは、風と赤い光だけ。
神谷は震える手でカメラを確認した。
フィルムの最後のコマ。
そこに映っていたのは、
自分と少女が立つ屋上の写真。
だが、二人の後ろに——
もう一人、結衣が立っていた。
その目が、真っ赤に光っていた。
[RECORDING CONTINUES]
神谷は呟いた。
「……亡霊じゃない。
これは、“観測の続き”だ。」
風が吹く。
赤い光が静かに瞬いた。
——見ることは、終わらない。




