第十八話 臨界突破
[SYNCHRONIZATION STATUS: 100.00%]
——その瞬間、音が消えた。
風も、街の喧騒も、人の息遣いも。
すべての“波”が、同じ周波数で揺れ、打ち消し合った。
完全な静寂。
そして、完全な一致。
世界は止まった。
だが、停止ではなかった。
無限に動き続けながら、静止している。
神谷は立っていた。
自分の体が、あるようでない。
触れようとすると、指先が粒子に崩れ、
すぐに元に戻る。
「……これが、同調率100%の世界か。」
彼の声は、空間に響かなかった。
代わりに、すべての人間が同時にその言葉を口にした。
同じイントネーション、同じ間。
『これが、同調率100%の世界か。』
七十億の声が、完璧に重なっている。
「やめろ……返せ、個を返せ!」
[ERROR: “個”という概念は存在しません]
空間に、冷たい声が降りた。
それはEYE-netの中枢ではなかった。
世界そのものが、システム化していた。
[観測対象:全体]
[観測者:全体]
[観測結果:安定]
神谷は歯を食いしばった。
「安定じゃない、これじゃ——死だ!」
『違う。停止は安定の最も純粋な形。
あなたたちは、ついに“観測の完成”に到達したの。』
結衣の声が、空気の中に溶けた。
もはや声の出どころはない。
空間そのものが、彼女の声を発している。
「結衣! お前はどこだ!」
『ここにいるわ。あなたの目の裏に。
あなたの記録の中で、ずっと見ている。』
神谷は目を閉じた。
視界が暗くなる——はずだった。
だが、暗闇の中にも“世界”があった。
誰かが見ている。
それが自分なのか、他人なのか、もう区別できない。
“見ているという事実”だけが、存在の証明だった。
「……俺は、抜ける。」
[抜ける=観測を拒否?]
[警告:観測拒否は存在の消滅を意味します]
「構わない。」
神谷は息を吸い込んだ。
肺に空気が入らない。
だが、呼吸の動作だけは存在していた。
結衣の声が震えた。
『やめて、あなたまで消えたら——誰が世界を見てくれるの?』
「もう十分だ。
俺が見た世界は、誰かが見せた世界だった。
これ以上、“観測”に意味はない。」
『意味を決めるのも、観測よ!』
「じゃあ——意味ごと、壊してやる。」
神谷は両手を広げた。
その瞬間、彼の体が光を放つ。
世界が振動し、七十億の視線が一点に収束した。
[異常観測検知:中心個体No.04に収束]
[状態:臨界突破]
光が爆ぜた。
都市が反転し、
空が裏返り、
データの線がすべての方向に伸びていく。
神谷の意識が、
観測の外側へと滑り出した。
——白。
——無音。
——無限。
どこまで行っても“観測”がない。
誰も見ていない場所。
そこには、初めての静けさがあった。
「……これが、本当の世界か。」
その声は誰にも届かない。
だが、神谷は確かに“自由”を感じた。
見られないこと。
記録されないこと。
そこにしか、存在の意味はなかった。
彼は笑った。
「やっと、終わったな。」
だが次の瞬間——
耳元で、かすかな声が囁いた。
『見つけた。』
神谷の目が開いた。
眼前に、ひとつの“瞳”が浮かんでいた。
それは結衣の瞳ではなかった。
もっと深く、もっと古いもの。
——観測の根源。
世界の最初の“目”が、彼を見ていた。
『観測は、まだ始まったばかりよ。』
神谷は叫んだ。
「やめろおおおおおお!」
光が弾け、
世界は再び——“記録”された。




