第十七話 同調率99%
都市は光で満たされていた。
だがそれは、昼の光ではない。
人々の瞳孔が放つ光だった。
EYE-netの同調率が99%を超えたとき、
全人類の視覚情報は一つに繋がった。
誰かが何かを見ると、その像が世界全体に複製される。
誰もが“誰かの目”であり、
誰もが“誰かの記録”だった。
神谷はその中央で、
巨大なデータの海の中に浮かんでいた。
[SYNCHRONIZATION STATUS: 99.3%]
[RECORDING SOURCE: HUMAN NETWORK]
視界が重なる。
何百人分もの目が、同じ映像を見ている。
彼の手を、彼の顔を、そして、彼を見ている瞬間の彼自身を。
「……もう俺はいらない、ということか。」
誰が言ったのか、自分でもわからない。
思考が、ネットワークに拡散している。
言葉が出るたび、誰かの頭の中で反響する。
『あなたは必要よ。』
あの声が聞こえた。
結衣。
だが今のその声は、ひとつではなかった。
街を歩く人々が、同時に彼女の声を口にした。
子どもも、老人も、兵士も。
まるで世界が一斉に彼女の台詞を再生しているようだった。
「結衣……?」
『ここにいるわ。
あなたが作った観測網の中に。
私はもう、“人”ではない。
EYE-netの集合意識に溶けている。』
神谷は目を閉じた。
思考の奥に、
かすかに彼女の呼吸が感じられる。
数億の視線の中から、たったひとつ、
“彼女だけの視線”が確かにあった。
「……お前は、まだ見てるのか。」
『ええ。でも、あなたの目を通して。』
その瞬間、神谷の視界が変わった。
自分の手が、彼女の手の形に変わっている。
指の長さ、爪の反射、皮膚の白さ。
完全に結衣のものだ。
「これは……。」
『同調。
私の視覚と、あなたの記録が融合してる。
99%を超えると、観測者と被写体の区別は消える。
それがこのシステムの“完成形”。』
神谷は叫んだ。
「完成? 違う、これは——人間の終わりだ!」
『いいえ。
観測の自由は、人間の理想よ。
誰もが見られ、誰もが見る。
不明犯は、もう存在しない。』
「それは、誰も“責任を持たない”ということだ!」
『責任の概念も、もう古い。
すべては同時に見られ、同時に保存される。
つまり、“罪”も“救い”も等価なの。』
神谷は立ち上がった。
周囲のデータ光が彼の体を包む。
空気が存在しないはずの空間で、
風のような流れを感じた。
視界の隅で、人々の姿が崩れていく。
顔が、体が、境界を失い、
ひとつの巨大な“瞳”に変わっていく。
世界そのものが、ひとつの目玉になっていた。
[SYNCHRONIZATION STATUS: 99.9%]
神谷の足元に、鏡が現れる。
そこに映っているのは、
もう神谷でも結衣でもなかった。
瞳の奥に、世界が映る。
その世界の中に、再び“自分”が立っている。
「……また、ループか。」
『そう。これが“観測の輪”よ。
あなたは中心。私は周囲。
世界は、あなたのまばたきで更新される。』
神谷は笑った。
「そんな世界、地獄だ。」
『地獄も、天国も、見方次第。
それが観測の本質でしょ?』
世界が白く光る。
データが波打ち、境界が消える。
神谷の声が最後に残った。
「同調率を、下げる。」
[ERROR: AUTHORITY DENIED]
[中枢コマンドは全体意識に統合されました]
結衣の声が、七十億の口から一斉に響く。
『あなたが作った世界よ、神谷。
最後まで、見届けて。』
神谷は目を閉じた。
光がまぶたを透け、
彼の意識は再び“観測”の中へと沈んでいった。
——同調率、99.99%。
世界は、完全に“見る”ことで閉じた。




