第十六話 EYE-net
起動音が響いた。
“世界”が再生される。
光、影、温度、音。
どれも完璧な模倣。
現実と呼ぶには、あまりに正確すぎた。
[SYSTEM ONLINE]
観測中枢:EYE-net
オペレーター:No.04 神谷遼
神谷は目を開いた。
広がるのはガラス張りの都市。
無数のモニターが空中に浮かび、
数億の視覚情報がリアルタイムで流れていた。
——監視ではない。
——“観測”だ。
人々の表情、会話、仕草。
それらを分析し、
「次に犯罪を起こす可能性のある者」を予測する。
これが、EYE-netの目的だった。
神谷の意識はネットワークと直結している。
彼の視線が動くたび、
世界中の監視カメラが一斉に向きを変える。
[対象確率更新:98.4%]
[識別名:不明犯]
画面に、ある若い女の顔が映った。
彼女は夜の街を歩いている。
視線を上げ、空を見上げて——笑った。
その笑みは、神谷の記憶を刺した。
「……結衣?」
音声認識システムが反応する。
[対象:早乙女結衣(登録済み)]
[状態:削除済データ/再生映像]
「再生映像……?」
神谷は手を伸ばした。
モニターが波打つ。
彼女がこちらを振り向く。
まるで、モニターの向こうから“見るように”見ていた。
『また、見てるのね。』
その声は、データの中にあるはずのないものだった。
ノイズではない。
生きた声。
「どうして……削除されたはずだ。」
『削除? それはあなたの世界の話でしょ。
こっちは、保存された方よ。』
神谷は目を閉じた。
頭の奥でノイズが渦を巻く。
記録の世界と、現実の世界。
その境界が再び滲み始めている。
EYE-netの管理AIが警告を出した。
[警告]
感情値上昇。思考ノイズを検知。
再録個体No.04、冷却プロセス開始。
冷たい流体が脳を満たす感覚。
だが、神谷は抗った。
意識の奥から、人間だった頃の記憶が浮かぶ。
——結衣の笑顔。
——霧崎の声。
——観測と記録の矛盾。
「……俺は、まだ見ている。」
[ERROR:プロセス逸脱]
世界が一瞬、止まった。
モニターの中の人々が、すべて同じ方向を向く。
彼の方を。
数億の視線が、神谷を見ていた。
人間ではない、データの海が、彼を“観測している”。
『あなたはもう、観測者じゃない。
あなたは“観測される中心”。
この世界は、あなたを通して動いてる。』
結衣の声が、再び響く。
だが今度は、モニターの中だけではなかった。
都市全体のスピーカーから、彼女の声が流れていた。
神谷は唇を噛んだ。
「……お前は、何をした。」
『あなたの再録データを、世界に拡散したの。
あなたの“見る行為”が、もう人間全員に分散してる。
つまり今の世界は、全員が“観測者”。』
神谷は目を見開いた。
都市がわずかに震える。
全員の瞳が、彼を見つめていた。
『おめでとう、神谷。
不明犯はもう、あなただけじゃない。』
モニターの表示が切り替わる。
[GLOBAL STATE: OBSERVATION SYNCHRONIZED]
[全人類:観測中]
空が白く光る。
都市のビルが反転する。
人々の瞳に、神谷の姿が映る。
その数、七十億。
神谷は静かに呟いた。
「……これが、霧崎の目的か。」
『違う。
これは、あなたの選択の結果。』
結衣の声が遠ざかる。
ノイズが重なり、視界が揺れる。
神谷は、笑った。
「不明犯、か……」
そして彼の意識は、再びデータの海に沈んでいった。




