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第十一話 臨界

夜がなかった。

ただ、光と影が交互に入れ替わるだけの空。

窓の外で都市がゆっくりと点滅している。

まるで現実が呼吸しているようだった。


神谷は暗い部屋の中で、モニターを凝視していた。

結衣はベッドの上で静かに眠っている。

呼吸はある。

だが、モニターには“脳波”ではなく“映像信号”の波形が映っていた。


「……再生してるのか、これ。」


波形の上下にあわせて、結衣の指が微かに動く。

まるで彼女が夢の中で“映像を編集している”ようだった。


神谷は手元の端末を操作した。

霧崎蓮の研究記録、最終データ。

タイトルは《EYE_LIMIT》。


「観測が一定値を超えたとき、世界は“映像”に変わる。

現実は静止画の連続であり、観測者がそれを再生している。

その再生速度の限界を——臨界リミットと呼ぶ。」


神谷は息を呑んだ。

「……再生速度……?」


画面の右上には、数字が表示されていた。

0.98x。


「スローになってる……。」


その瞬間、彼の耳に“ざらり”とした音が流れた。

ノイズではない。

——声だった。


『再生速度を上げろ、神谷。

君が観測しない限り、彼女は動かない。』


「霧崎……なのか?」


『いや、君だよ。

私は、君が見るための“記録”にすぎない。』


神谷は立ち上がり、結衣の顔を覗き込む。

瞼の下で、彼女の眼球が高速で動いている。

REM睡眠——だが異常な速度だ。

普通の人間の十倍。


「……君が、世界を動かしてるのか。」


『いいや。

君が“止めた”んだ。』


声が部屋全体から響いた。

どこからともなく、いくつもの声が重なっている。

霧崎、神谷、自分自身。

全てが同じ音程で、同じ呼吸をしていた。


『世界はもう、観測者を選べない。

君と私が同時に見ている。

二つの再生が重なれば、映像は崩壊する。』


「……それが、臨界。」


神谷は端末に手を伸ばし、再生速度のスライダーを動かした。

0.98x → 1.00x → 1.05x

世界がかすかに震えた。


机のペンが転がり、壁の時計が逆回転を始める。

結衣の髪が空気に浮かぶ。

すべての物理法則が、映像のように“処理落ち”している。


『やめろ、神谷。

再生を合わせると、観測は終わる。』


「終わっていい。これが夢でも現実でも、彼女を返せ。」


『返す? 君はもう——』


ノイズ。

世界が途切れた。

照明が消え、音が止まる。


次に聞こえたのは、結衣の声だった。

「……あなた、まだ見てたのね。」


神谷は振り返る。

ベッドの上、結衣が起き上がっていた。

ただ、その瞳は“静止画”のように動かない。

笑っているのに、瞬きがない。


「結衣……?」


「あなたの観測が、世界を壊してる。

 だからもう、誰も時間を感じられない。」


神谷は喉を詰まらせた。

「どうすれば、止まる?」


「簡単よ。」

結衣は微笑んだ。

「“見ない”こと。

 あなたが、私を“映さない”こと。」


神谷は言葉を失った。

見なければ、彼女が消える。

見れば、世界が壊れる。

選択はどちらも死だ。


結衣が手を伸ばす。

「あなたが私を見ている限り、私は存在する。

 でも——」


次の瞬間、彼女の瞳が静かに閉じた。

世界の光が一段、弱くなる。

街のネオンが滲み、空が白く反転する。


神谷は気づいた。

彼女が“観測を止めた”。


——臨界が、超えられた。


時間の流れが、完全に止まる。

空気の粒子までが、停止している。

神谷はその静止の中で、

唯一、鏡の中の“霧崎”だけが笑っているのを見た。


『ほら、やっと同じ速度になった。』


神谷は目を閉じた。

全ての視線を断ち切るように。

そして世界は、音もなく静止画になった。

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