運命の航路
あの日、日本から来た人々と出会ってから──
私はずっと胸の奥に、故郷にはない鮮やかな色への憧れを抱いていた。
海の向こうにあるという伯父の故郷、「日本」。春には桜が満開に咲き乱れ、秋には紅葉が山を燃えるように染める。その話を聞くたび、私の心は不思議なほど惹かれていった。
あれから五年、私は十四になった。
「なあ、桃蓮。おまえも一緒に来るか?」
再び遣唐使に随行するという伯父が、私にそう声をかけた。父の面で影がある優しい笑顔に、私の頬は緩んだ。
「はい」
伯父は明日、日本へ戻る。私はその船に同乗することを許された。数年間の滞在──見知らぬ国をこの目で確かめ、学ぶための旅が始まる。
父は驚いた顔をしたものの、反対はしなかった。
「タオの目で見て、学んでこい。ただし!兄上の言うことはよく聞けよ」
母は心配そうに私の髪を撫でながら、そっと耳元で囁いた。
「桃蓮、その簪を決して手放してはなりませんよ」
それは、私の名前にもある「桃」の花を象った簪。生まれた時に父が細工師に特別に作らせたもの。私にとって一番大切なお守りだ。この簪は、私が故郷と繋がっている証だ。
───
こうして次の日、私は、伯父や遣唐使らと共に船へ乗り込んだ。大海原を越える長い旅路。胸は高鳴り、足取りも軽かった。
──だが、
船出から幾日も経たぬうちに、それは訪れた。
轟く雷。怒涛のごとき波。船はまるで大きな獣のようにうなりを上げ、櫂は折れ、帆は裂けた。冷たい潮風が肌を刺し、塩の匂いが鼻をつく。叫び声と祈りの声が渦巻く中、私は必死で伯父の姿を探した。だが、濁流と化した人の渦と黒い波に呑まれ、声は届かなかった。
私はただ、必死に折れた簪を握りしめていた。
「父上、母上、伯父上…!」
そして、すべてが瞬く間に荒れた海へと崩れ落ちた──
───
目を開けたとき、私は砂浜に倒れていた。
潮の匂い。濡れた衣。
“生きている”──そう気づいた瞬間、安堵の涙が私の頬を伝った。
近くに人影があった。日に焼けた顔の漁師たちがいた。
「おい、娘っ子が流れ着いとるぞ!」
彼らは言葉を荒げながらも優しく、私を抱き起こしてくれた。身振り手振りでどこから来たのか、今後どうするのかと尋ねてくる彼らの一生懸命さと良い人柄に、私はまた涙を零しそうになった。
そんな中、嵐の中で見失った伯父の姿と、伯父が楽しそうに語った都の記憶が蘇った。
「...ヘイアンキョウ」
拙い発音だったが、漁師たちは顔を見合わせ、やがて頷いた。
それから、私はとある商人の老人とその孫娘が商売で京へ行くことを言伝に知った。彼らは小舟に塩を大量に乗せていた。
「わしらも京へ行く。乗せていってやろう」
老人が孫娘だと紹介した少女は私とそう年も変わらなかった。名を「初音」と言った。長い黒髪にキラキラとした瞳を持った美しい少女だった。決して言葉は通じなかったが、彼女は旅の間もずっと私に寄り添ってくれた。
淀川をさかのぼり、大津を経て。山の稜線が連なり、霧の向こうに広がる景色に、私は心を奪われた。
──ここが伯父の語った日本、「平安京」なのだ。
やがて、都が近づいた。
平安京の南の大門、羅城門。人と荷を選り分け、厳しく監視する門衛の眼差しは鋭かった。
「おい、そこの小娘、見慣れぬ格好だな。何用あってこの門を潜る!」
私が質疑応答に戸惑っていると、背後から声がした。
「待て。そなた、この国のものではないな?」
振り返れば、一人の僧が立っていた。面識はなかった。けれどその僧は、私をかばうように前に出て、門衛に深々と頭を下げた。
「迷い人を拒むのは、仏の道に背くこと。どうか、この者を通してやってはくださらぬか」
門衛は渋い顔をしつつも、僧の言葉に従い、私を門の中へと通した。
私は何度も僧に礼を述べたが、彼はにこやかに首を振るだけで名も告げず去っていった。
──そして
硝子細工や漆器が並ぶ出店、こじんまりとしながらも活気のある工房。
そこに住む人々との出会いが、この先の私の運命を大きく変えていくのだった。




