乱戦9
「くそぉ! 何だったんだ、あいつは!!」
地獄で目覚めたケルベロスが雄叫びをあげる。
『随分とご機嫌斜めね』
斜めどころでは無いケルベロスにとっては茶化されているも同然の言葉だ。
「得体の知れない人間だった。万全の状態でもこうなっていただろう……」
その言葉の主への返答は、落ち着いていた。
『オルトロスは?』
「ここに戻って来ないという事は、あの男の言葉通り乗っ取られたか……」
『聞き捨てならないわね、その状況。まがりなりにも私の産んだ娘よ? 貴女同様』
「わかっている。けど、さっき言ったとおり、このままじゃ駄目だ。より完全な状態で地上に顕現しないと……」
『俊紅が必要かしら?』
「ああ、それが手に入れば最高だが、無理ならせめて御子でも……」
『気づいてなかったの? あの施設に俊紅の子が居たのよ?』
「なんだと?! 本当なのか、それは!!」
声の主に掴みかかるようにして、その話に食い付くケルベロス。
「焦らないの、すぐにチャンスは巡ってくるわ。そのチャンスを逃さず、物にすればいいのよ」
しかし声の主は動じる事なく、そのままケルベロスを抱きしめて、優しく諭す。
「わかったよ、母様。いや、エキドナ様……」
『家族だけの時は母様で良いって言ったでしょ?』
エキドナと呼ばれた20代後半くらいの見た目の女性は、優しく地獄の番犬の頭をなでる。
人妖機関支所の中央室前ではエリスとリザードマン兄弟、二郎、五郎との戦闘が続いていた。
巨漢とそれに見合ったパワーとタフさの持ち主である二郎は、本来両手持ちのグレートソードを片手で軽々と扱う肉弾戦要員で、戦闘不能にするにはエリスでも手こずる相手だった。
物理戦闘も妖術もこなす弟、五郎は一見、中途半端に見えて、パワーファイターの二郎と組むと非常に厄介な相手だった。
「食らえっ」
五郎が両手で一度に、10本近いナイフを放つと、エリスはソレを必死に避ける。
この投げナイフ、刃に毒が塗られており、かすっただけでも動きが鈍くなる。
加えて妖術師でもある五郎の投げナイフは、影に刺さるとその影の本体の動きを止めるという『影縫い』効果もある。
さらに自身の影を蛇状にして伸ばし、対象を縛りあげる妖術を併用してくる。
影縫いも影の蛇も、エリスならば力ずくで振りほどく事も可能なのだが、食らえば一瞬、動きを止められてしまう。
そのスキに、二郎の攻撃を食らうというのがエリスにとって最悪のパターンだった。
直撃は何とか避けているが、腕のガード越しに何度か二郎の大振りを食らっており、さらに五郎の投げナイフも何ヶ所かかすめている状態のエリス。
そんなエリスがこのコンビを厄介視する最大の理由が、リミッター解除を使うか使わずに済ますかという、微妙なラインの強さだからだった。
リミッター解除を使えば恐らく瞬殺できるくらいの相手。
しかし、日に2回を上限としているリミッター解除を使うほどの敵なのかと聞かれると、エリスにとっては微妙な相手だった。
五郎の投げた投げナイフ身体の中心では無く、輪郭を掠めるように放たれる。
素手で何本かを叩き落として、残りは回避する。
しかし、壁際を飛んでいたナイフを、同じく壁際を這っていた影の蛇がエリスの顔面に向けて弾く。
「しまった?!」
エリスは心の中で、弟はあくまで補佐が目的という決めつけをしており、ナイフで仕留めにくる事を想定していなかった。
「くっ!」
咄嗟にナイフを掴んで顔面への直撃は避けたが、一瞬動きを止めたエリスに、二郎の大剣が迫っていた。
直撃だけは避けようと、ガードの体勢をとろうとするエリスだったが、それは杞憂に終わった。
駆けつけた愛美がその大翼で二郎を殴り飛ばしたのだった。
「エリスさん、大丈夫? 遅れてごめんなさい」
「先生!」
エリスに余裕が生まれるが、
「二郎兄者、引くぞ!」
敵はこれ以上の戦闘継続の意思を持たない様だった。
「逃がすと思ってるの?!」
「思ってはいないが、それでも上手く逃げ切るのが俺の仕事だ」
そう言って兄を背負うようにすると、リザードマン兄弟は影の中に沈んでいく。
「逃さないって言ってるでしょ!」
エリスと愛美が逃げ切る前に引きずり出さんと急接近するが、突如天井に現れた大きな影からナイフが降りそそぐ。
2人は足を止め、妖力を防御に回してナイフの雨を防ぐが、リザードマン兄弟には逃げられてしまう。
「くっ……。逃げられた」
リミッター解除を使ってでもたおしておくべきだったかと、エリスは後悔する。
リザードマン兄弟やミノタウロスの朔美が使った武器を取り出す術。
その正体は亜空間結界であり、普段から小型の亜空間結界に武器などを収納して持ち歩いているのである。
五郎が最後に使ったナイフの雨は、亜空間にストックしてあるナイフを全てばら撒いただけなのだが、奇襲や足止めには効果的な使い方だ。
そしてもう1つ、五郎は戦闘不能になった兄弟や仲間を『転移する影』を使って施設の外ににがしていたのてあった。
「五郎、それに二郎も一緒か」
「新崎……。1人か? 番犬共はどうした?」
五郎の質問に口ごもる新崎ことサイクロプス。
「私ならここよ。それと姉さんが裏切ったわ。脱出したとき予定の場所に出なかったのも姉さんのせいよ」
その言葉と共に現れたのはオルトロスだった。
その場で意識のあるサイクロプスと五郎が驚愕の表情を見せる。
「馬鹿な?!」
「なぜ? どうして裏切りなんて!」
「理由がわかってたら未然に防いでいたわ。とにかく今後、地獄の番犬ケルベロスは、私達の敵よ」




