俊紅
その日の放課後。
「母さん、その羽しまわないの?」
と、言う走矢の質問に対して、
「アタシ、羽大きいから迂闊に仕舞うと次に出すとき服を破いちゃうのよ」
バサバサとコウモリの翼を動かしながら応えるエリス。
今日の授業で一番後ろの席に陣取っていたのも他の生徒の視界を翼で塞がないためだったと言う。
「ちょっと比べてみていい?」
そう言って自分のコウモリ羽を広げて、エリスの羽と並べて見る直。
確かに母の翼の方がひと周り大きい。
思い起こせば今まで、走矢は母が羽を仕舞うのを見たことがなかったがそんな理由があったとは。
「本当に変わらないわね、条牙咲さん……。じゃなくって今は佐伯さん、だったわね」
そう話しかけてきたのはこのクラスの担任、相沢 愛美だった。
条牙咲は母、エリスの旧姓だ。
なぜそれを相沢先生が知っているのか、走矢は疑問に思った。
「佐伯くん、貴方のお母さんとお父さんはこの学校の卒業生で、私は2人の担任だったのよ」
走矢の疑問を見透かしたかのように説明する愛美。
そして、その話は走矢がはじめて聞かされる話だった。
「ご無沙汰です、相沢先生」
そう言って頭を深々と下げる母。
相沢愛美がヴァンパイアであると言うことはクラスの者は全員知っていた。
しかし、その人ならざる姿を生徒に見せたことは一度もなかった。
翼も牙も人前には晒さない、落ち着いた大人の女性という認識だった。
「先生、この後少しお時間よろしいでしょうか?」
「ええ……、良いわよ」
母の言葉に少し困った表情で応える愛美。
「あの間野 羽月って子についてです」
2人っきりで屋上に出ると、たまらずエリスが本題に入ってくる。
「この町に素性を隠して入り込むなんて普通の妖にはできないはずです。何か大きな後ろだてとかなければ……」
走矢達が住むこの町というのはヴァンパイア人口が多く、ヴァンパイアというのは非常にルールや掟に厳しい妖だ。
そのヴァンパイア達の目を誤魔化して正体を隠し続けた羽月自身も相当得体のしれない存在という事になる。
そして愛美はエリスから見ても手練のヴァンパイア。
その彼女のクラスに入り込み、愛美の目を欺き続けた事になる羽月。
ここでどうしてもエリスに疑念が生まれてしまう。
愛美も共犯だったのでは、という疑念が。
「彼女の正体を見破れなかったのはひとえに私の実力不足です。ご迷惑おかけして大変もうしわけありませんでした」
そう言って深々と頭を下げて謝罪する愛美。
「私の事を疑っているのね。でも私には『信じて』としか言えないわ」
「アタシも先生がそんな事をするはずが無いと信じています。だって先生は新矢の……」
「ただのご近所さんよ」
そう言って微笑む愛美だった。
今から20年以上前、新矢が今の走矢と同じ高校1年生だった頃、エリスが彼と同じクラスに転校してきた。
「それでね、貴方に条牙咲さんの事をお願いしたいの」
職員室で新矢にエリスの事を気にかけてくれるように頼み込む愛美。
「別に構いませんけど……。なんで俺に?」
「え〜と……。貴方はヴァンパイア慣れしてるし……。その〜、距離感がバグっているっていうか……。私の見立てじゃ貴方が適任なのよ」
「バグッてるって本人前にして言っちゃいますか、普通……。まぁいいんですけど」
「自分だって自覚はあるんでしょ? とにかくあの娘、人を寄せつけないというか近づく事を許さないというか。このままだとチョットまずいわね」
両腕を組んで真剣に語る愛美と、それを緊張感の無い表情で聞く新矢。
「それってヴァンパイア的に見てもって事?」
「ええ……。ヴァンパイアは社交性の強い妖よ。彼女の様な者は疎外されやすいの。人からも妖からも距離を置かれかねないわ」
「よくわかんないけど、他ならぬマナ姉のお願いだしやるだけやって見るよ」
「コラッ、学校ではその呼び方禁止って言ったでしょ。シン!」
新矢の実家のお隣に住む愛美。
彼女は新矢が幼い頃からの付き合いで新矢は彼女を『マナ姉』と呼び、愛美は彼を『シン』とか『シン君』と呼んでいた。
「アタシ、羽はしまわない主義なんで」
その日転校してきた条牙咲エリスは開口一番、そう宣言すると一番後ろの席に陣取った。
「アタシに構わないで。授業を受けに来ただけだから。学校に馴染むつもりはないわ」
そう言って同級生とのコミュニケーションを拒んだ。
新矢には話さなかったが、愛美はエリスの態度の理由がなんとなくわかっていた。
転校する少し前に彼女は父親を亡くしているのだという。
おそらくそれが心の深い傷となって、他者と新しい絆を結ぶ事を避けさせているのだろう。
時間が経てばその傷も癒えていくだろうが、その頃にはもう手遅れになっているかも知れない。
相手がヴァンパイアだろうが他の妖だろうがお構い無く距離を詰めていく新矢ならば何か突破口になるのでは、と愛美は考えたのだった。
「でさぁ、あたし達だって佐伯の件、協力したんだから下の名前で呼んでもいいよね」
翌日、一同が集まった中休みの時間で直が言う。
「そうねぇ、なんか桜だけしれっと下の名前で呼び捨てにしているし、私達にだってその権利あるわよねぇ」
春香が直に続く。
「私は別に……」
イマイチ乗り気ではなさそうな咲花。
羽月の一件以降、走矢と桜が下の名前で呼び合っている事に対するヴァンパイア女子の意見だ。
「別に、無理に下の名前で呼ばなきゃいけないって事じゃないのよ。呼びたい人がそう呼べればって話」
と、春香。
「俺は別に構わないけど……」
「じゃあ、ソウちゃんって呼ぶね! ソウちゃん!!」
走矢が承諾すると、早速直が名前で呼ぶ。
「じゃっ、改めて宜しくね。走矢君」
春香も名前で呼んでみる。
「あっ、え〜と……。走矢……、って呼び捨てにしちゃった?!」
1人でアタフタする咲花。
「別に良いよ呼び捨てでも、咲花。直と春香も」
「私はこの方が言いやすいだけだから、気にしないで」
「あたしも〜。ソウちゃんの方が言いやすいだけ〜」
走矢の言葉に応える春香と直。
「って、なんかコソコソ相談してると思ったらそんな事だったのか」
呆れる桜に対し、
「本当は昨日この話するつもりだったんだけど、エリちゃんと先生の話に全部持っていかれちゃって」
笑いながら直が話す。
その話を聞きながらかつての新矢との学生生活を思い出すエリス。
「佐伯 新矢! なにアタシの羽に触っているのよ!」
エリスが転校してきた翌日、ちょっとした事件があった。
数学の男性教師が彼女に羽をしまうように言われ、エリスは実際しまって出して見せて、自分の制服を破ってしまったのだ。
男性教師は謝罪とも誤魔化しともとれる対応で有耶無耶にし、エリスは制服の代わりに体育で使うジャージに着替えようとしたのだが、羽が上手く羽穴に通せずにいたところを新矢が手伝ったのだ。
「アンタねぇ、ヴァンパイアに限らず妖の羽とか人外の部位は迂闊に触っていいものじゃないのよ!」
「でもあのままじゃ、ジャージまで破っちゃいそうだったし。もしそうなったら着るものなくなっちゃうでしょ」
「うるさい、アタシに構わないでって言ってるの!」
そう言ってバサリと翼を羽ばたかせる。
当時、父親を失って間もなかった事から荒れ気味だったエリス。
今思い出すと反省しなければならない事ばかりだった。
エリスは両親と妹、そして自分の4人家族。
そして当時、母のお腹には新しい命が宿っていた。
妹は自分がお姉ちゃんになると喜んでいたが、その願いは叶わなかった。
父が妖同士の争いを止めようとして命を落としたとき、母もそれに巻き込まれたのが原因で流産してしまったのだ。
父と我が子を同時に亡くした母は悲惨な状態だった。
いつもは甘えん坊の妹が必死に母を支えようとしていたのを憶えている。
「だってアタシはお姉ちゃんなんだもん」
涙目で微笑みながらそう言った妹の顔を見て、長女としてこの家族を守ると誓った。
「ちょっとエリ、大丈夫?!」
自分と似た呼び名に反応し、声の方向を向くエリス。
そこには具合の悪そうな表情の女子生徒と彼女を心配する、おそらく友人なのだろう少女が居た。
「ちょっと絵理子を保健室に連れて行くから、授業はじまっちゃったらそう言っといて」
そう言い残して2人は教室を出る。




