死に戻り王女カレンデュラの地獄〜死に戻るのは処刑の一時間前、「紅茶の時間」です〜
バッドエンドなのでご注意ください
「――――これより、旧フォンセ王家最後の生き残り、第一王女カレンデュラの処刑を行う!」
――――青空と、ギロチンの刃。
処刑の日は、いつも決まって快晴です。
特に処刑に関して、「青天の日に限る」だとかいう、慈悲深い決まりがあるわけではないのに、わたしが死ぬ日はいつもこうでした。
多分、慈悲深いのは神様なのでしょう。
これから死ぬ者に最後に青空を見せてやろうという、御心のお美しさを感じます。
少しだけ、わたしの家族の話をさせてください。
お父様は、革命の日に死にました。
その首は今でも広場に飾ってあるようですが、とっくに腐り果てた頃でしょう。
お母様は、その次に死にました。とはいえ、処刑の手にかかったわけではなかったので、それは良かったと思います。元からお身体がお強くはなかったので、牢獄生活の中で衰弱死されました。
……まあ、その死体は革命軍の兵士たちに一度下げ渡されたようですが。熱持たぬ器と情交を交わして、何が楽しいのでしょう。生娘のわたしには、生涯わからないことかもしれませんね。
お兄様と妹は一緒に処刑されました。お兄様の往生際が悪かったのは、妹が一緒だったからです。今のわたしと同じように、手を前に縛られながら、お兄様はそれはもう暴れたそうです。あの子を死なせたくなかったのでしょう。
でも、最後は男三人がかりで無理矢理抑えつけられて、ギロチンにかけられました。
「死ね、忌まわしいフォンセの王族が!」
「血税で入る風呂はそれはもう最高だっただろうな、カレンデュラ!」
「「こ、ろ、せ!こ、ろ、せ!」」
民衆の憎悪に吠える熱気の中で、べとりとした感触を感じました。頭目掛けて投げられた卵が、命中したようです。「朝食にあいつらは毎日卵を食べる」と革命を起こしたくせに、笑えますね。
わたしの腕を縛る縄を引く男が、さらりと金髪を揺らして振り返りました。彼は、わたしの処刑人です。
青空の下、彼の黄金の髪が太陽のようでした。一瞬、卵の白身がついた醜いわたしの髪を見ましたが、それだけです。
あとはもう、ただの流れ作業です。
わたしは特に抵抗を示さず、民衆はわたしという王家最後の象徴に罵詈雑言を吐き、わたしは黙ってそれを聞く。処刑人の彼が、黙ったまま、わたしをギロチンへと導きます。
「(――――――あ)」
前を行く、彼の靴を踏みました。彼は特に気にもしていないようですが、わたしは少しだけ、気になりました。なんだか目覚めが悪い気がします。まあ、これから死ぬのですけれど。
殺せ。
カレンデュラを殺せ。
早く、首と胴体が分かれるところを見せろ。
そんな悪意に満ちた願いに包まれながら、わたしはギロチンに首を預けます。わたしに刃が振り下ろされるその瞬間まで、この熱気が止むことはありません。いえ、多分、わたしが死んだら、もっと盛り上がるのでしょう。我ながら少し馬鹿なことを言いました。
「何か、言い残すことは」
彼が、わたしの耳に囁くように言いました。
彼の瞳に、視線を向けます。しっかりと、ガーネットのような瞳と、視線が交わりました。
わたしは、眉を下げて微笑みました。
「ごめんなさい」
「……何をだ」
「あなたの靴を踏んでしまいました、レオン。わざとではなかったのですけれど」
それでも、ごめんなさい。
そう言って目を伏せたので、もう彼がどんな顔をしているかは、わかりませんでした。
そして、ギロチンの刃が降りてきて。
今回も、わたしは死にました。
✴︎
わたしの名前は、カレンデュラ・フォンティーヌ。
元フォンセ王国の第一王女です。
元と、そう語ったのは、夏のある日に起きた革命でわたしたちの王国が倒れたからに他なりません。わたしには両親と、兄が一人。それから、かわいくて幼い、5つ下の妹がいます。
でも、みんな革命で死にました。
まあ――――でも、ある程度仕方がないかなと、そう思います。父も母も兄も、家族には優しいし大好きでしたが、民を虐げても、何も思わない人たちでした。
わたしもわたしなりに、ちっぽけな慈善活動をしたりしましたが、まあ、そんなものは付け焼き刃に過ぎません。
なんなら、わたしが出資していた孤児院の子供達は、わたしがわざわざ貧しい民を嘲笑いに来ていたと思っているようでしたから(実際、処刑の場で笑いながらわたしを見ている彼らを見ました)、まあ、あまり良い評判ではなかったわけです。
そしてわたしたちは、父、母、兄と妹、そして最後にわたし。そういう順番で死にます。
「――――――ラ。カレンデュラ」
――――意識が浮上します。
わたしはあえてゆっくり、目を開けました。
「カレンデュラ・フォンティーヌ。処刑まであと一時間だ。フォンセ共和国法第十二条に基づき、死刑受刑者は最期の食事を摂る方ができる」
鉄格子の向こう側から、金髪の男が言いました。わたしをついさっき殺したばかりの男、レオンです。いつも通りの淡々とした顔は、相変わらず何を考えているのかよくわかりません。
「君が頼んだのは……紅茶だったな。用意させてある」
彼はそう言って、わたしの牢の扉を開けました。もちろん、これは自由などではありません。わたしが幽閉されているこの塔の一階まで、わたしは、自らの足で降りさせられるのです。そしてそこで、最期の食事を摂り、死ぬ。
いつも通りの、死へのカウントダウンです。
✴︎
用意されたのは、ローズヒップティーです。
カレンデュラ――――遠くの方の国では、キンセンカと呼ばれているらしい、そんな花の名前をつけられておきながら、わたしが最期に頼んだのは、妹の名前の由来である薔薇の花の紅茶でした。
そっとティーカップのハンドルに手を添えて、口に運びます。冷めた紅茶でした。まあ、仕方がありません。それにしても、ポットで用意されると困ってしまいます。こんなに沢山は飲めません。
一時間後にギロチンで首を斬られてしまうことが決まっているのですから。下手に頭部と分かれを告げた後の体が、弛緩してしまったら大変です。
紅茶をいっぱい飲んだせいで、死後に粗相でもしたらと思うと……耐え難いものがあります。淑女として、美しき王妃たる母の娘として、姉として、流石にわたしもちょっと、考えるというか。
少し考えて、わたしはいつも通りの行動に出ました。
「レオン」
わたしの少し後ろに、見張りとして立っていた彼は、ぴくりと肩を震わせました。剣の柄に添えていた指先が、少しだけ動きます。わたしは、カップを置いてから、ポットを手に取りました。振り返って、少し困ったように言います。
「この紅茶、多すぎるの。一緒に飲んでくださいますか?」
✴︎
彼は相変わらずの無表情で、紅茶を飲んでいました。
まあ、彼が無表情なのは昔から変わらないのです。昔はそれでも笑う時があったのですが、最近はめっきり笑わなくなりました。
「冷めていても美味しいですね。ローズヒップティーにしてよかったです。アッサムと迷ったのですけれど、あれは冷めたらあまり……」
「……渋みとえぐみが目立つ」
「そうそう、そうなんです。さすが、レオン」
わたしが微笑みながら言うと、彼はバツが悪そうに、カップを持つ手をそのままに目を逸らしました。まあ、それはそうかもしれません。今から自分が目の前の女を殺すのですから。
――――彼とこの紅茶を飲むのは、何回目でしょうか。
もう、数えきれないような気がします。それだけ、わたしは、この死ぬ前の最期の晩餐を、繰り返していました。
わたしは、処刑されると、その一時間前に戻るのです。
頭がおかしくなった訳ではありません。
幾たびもの死痛で気が狂ったのかと言われれば、「ギロチンは痛みを感じないように設計された人道的な器具なのですよ」と反論をしたいところです。まあ、実際に痛いかどうかは……ちょっと、秘密ということで。
始まりは至って単純でした。
わたしは、先ほどのもう何回目かわからない処刑の時と同じく、特に抵抗をせずに、断頭台まで歩きました。吐かれた罵詈雑言のセリフから、卵が当たることまで、そっくり同じです。
わたし、青空は神の慈悲ではないかと、そう言った気がしています。
――――実際に、神の慈悲はあったのです。本当に。
だからわたしは今もこうして、死ぬ一時間前に戻って、彼と紅茶を飲むことができているのだと思います。何度も、何度も、何度も。
……数えることすらできなくなるぐらい、何度も。
死に続け、戻り、紅茶を飲み、死ぬ。紅茶の数と同じだけ、わたしは死んでいるのです。
「……ふふ、レオンと紅茶を飲めるのなら、お茶菓子でも頼めばよかったですね。ごめんなさい、わたしにはいいかなと思って頼まなかったのです」
「………………カレンデュラ」
「でも、頼めばよかった。だって、せっかくのお茶の時間です。…15時のティータイムには少し早いけれど……」
「……カレン」
レオンが、珍しい呼び方をしてきたものですから、わたしは紅茶を運ぶ手を止めました。少し首を傾けて、にこりと笑います。
昔なら、長い銀髪が揺れたものですが、処刑には邪魔ですから、肩口までで切り揃えられてしまいました。
――――そういえば、彼は、わたしの長い髪を梳くのが好きでしたね。
✴︎
レオンは、現共和国では『共和国筆頭騎士』と『国民代表議員』の二つの称号を持っています。
革命軍の英雄だった彼は、その前――――旧フォンセ王国では、騎士団長を務めていました。兄の親友でもありました。
そして、わたしの婚約者でもあったのです。
レオンはわたしの五つ年上で、兄と同い年です。わたしは昔から彼が好きでした。王侯貴族にしては珍しく、レオンとわたしは惹かれあってから婚約をするという、少し逆転した順序で婚約者になりました。レオンレオンと、彼にわたしがまとわりついていたのもあるのでしょうが……レオンがわたしの手を握って、
『俺も、君が好きだ』
『共に生きる名誉を授かることを、どうか許してほしい』
と、そう言ってくれた時は――――本当に、天にも昇りそうな気持ちでした。
この婚約をわたしが最初に報告したのは、妹、ローズにでした。
普通はお父様とお母様、その後でお兄様。そして最後に妹、と行きそうなものですが。わたしは、それでも最初にあの子に報告したかったのです。よくお兄さまに「お前はローズに甘すぎる」と言われるぐらいには、わたしはちいさな自分のかわいい妹が大好きでした。
妹のローズは、わたしの五つ年下。11歳でした。
婚約が決まったのは今よりももう少し前なので、あれはまだあの子が一桁の頃だったかもしれません。
「あのねローズ、お姉さま、あなたにいわなくちゃいけないことがあるの」
「?なあに、お姉さま!」
ローズは嬉しそうにわたしの膝の上にどかりと座ってきました。
「ふふ、もう、レディでしょう、ローズ」
「だぁって、レディの前にお姉さまの妹だもの」
「ふふ…………」
わたしと同じ銀色の髪を梳いてやりながら、せわしなく振り返ってくるローズの耳に口を寄せます。じつはね、あなたに新しいお兄さまができるの。きょとんと、やっぱりわたしと全く同じアメジストの瞳を瞬かせたあと、ローズは口を開きます。
「もしかして…………っ!」
「ふふ、そう!レオンと結婚するの。だから、」
「お姉さま、よかったわねーーーーーっ!!!!」
「わ、っ!」
振り返ったローズが、勢いよくわたしに抱きついてきました。凄まじい勢いだったので、そのままソファに倒れ込んでしまいました。咄嗟に、ローズを抱きしめます。なんとか抱えられてほっとしました。あまり危ないことはしてはダメよと苦言を呈そうとして、
「えへ、えへへ、えへへ」
…………あんまりにも、嬉しそうに笑っているものですから。
毒気を抜かれて、怒る気がなくなってしまいました。そんなことだから、ローズに甘いと言われてしまうのですけれど、こんなにかわいいのだから仕方がないのです。
「ふふ、どうしてローズが嬉しそうなの」
「だぁって、お姉さまが嬉しそうなんだもの!ローズ、お姉さまが嬉しいのが一番、うれしいの!」
「ローズ……」
「お姉さま、だってもう、ずっと、ずーっとレオンのこと好きだったものね!」
「ちょ、ちょっと、ローズ!声が大きいわ!」
いくら周知の事実といえ、言われると気恥ずかしいものがあります。
お兄さまの親友として初めて会った時から、わたしは彼のことが好きでまとわりついていました。
わたしが彼のことを好きなのと同じように、彼がそう言ってくれたこともたまらなく嬉しいものでしたが、大きい声で言われてしまうととても気恥ずかしいのです。
「えへへ。だってうれしいの。ローズ、お姉さまがいっちばん、だいすきだから。レオンが旦那さまになるからって、ローズのことを忘れてしまったら、拗ねてしまうんだから」
「ふふ、忘れないわ。むしろ、レオンのことを忘れてしまうかも。お姉さまも、ローズが大好きだから」
ちいさなちいさな妹を抱きしめて、笑います。ローズがわたしに頬擦りをしました。さらさらの銀色の髪の感触、いつもあたたかい体温。うんと小さい頃、この子が赤子の時から変わりません。
「誰が忘れられるって?」
少し拗ねたような声で言いながら、レオンが部屋に入ってきました。ローズを抱きしめたままソファに倒れこむわたしの横に座ります。じいっと、ローズに目線を合わせようとしますが、ローズは口角を上げてにんまり笑いながら、目線を逸らしてわたしに抱きつきます。
「こいつっ!」
「きゃ、あは、きゃっ、くすぐったい、レオン!」
「はは、…ふふ、お返しだ!」
レオンがわたしからローズを抱き上げて、ぐるぐると回しました。まるで、兄が小さな妹を相手にしているようです。彼は一人っ子だったので、昔から弟や妹が欲しいとよく言っていました。二人は嬉しそうに笑っていました。見ていると、なんだかわたしまで、幸せな気持ちになります。……だって、大好きな二人が笑っているのですから、こんなに嬉しいことはありません。
「ローズ」
「なあに?レオンお兄さま」
レオンが破顔しました。
それから彼はわたしに顔を向けて、愛おしそうに――――わたしの頬を撫でるときのように、目を細めました。わたしは、口に手を当ててくすくす笑いながら、しっかり彼の目を見返して、頷きます。
レオンは、抱き抱えたローズに言いました。
「ありがとう。君の兄として、君の大好きなお姉さまの夫として。…絶対に、君たちを守るよ」
ローズは、頷きました。まるで女王さまかと錯覚するほどの威厳を持ったように、しっかりと。ローズが、小指を差し出します。
レオンは少し驚いたようにそれを見た後、自分の小指を差し出して、しっかりと絡めました。
「やくそくね、レオン!」
「ああ、約束だ」
わたしのちいさなかわいい宝物と、わたしの愛しい人が約束を交わしていました。わたしはそれを、眩しいものを見るように見ていました。柔らかな陽の光が差し込んで、愛した人と、愛しい妹がわたしに振り返りました。
――――今でも、何度死のうが忘れがたい。
あれがきっと、わたしの、最後の春でした。
✴︎
「…………怖くはないのか」
微睡から目覚めるように、わたしは視線を上げました。
紅茶の表面、その水面を、まるで波打ち際を眺めるように見つめてしまっていましたから、レオンが一瞬、何を言ったのかわかりませんでした。
「死ぬことが、恐ろしくないのかと。……そう聞いたんだ」
彼は少しだけ苦しそうに、そう言いました。
わたしは特に、驚きはしませんでした。
彼は慈悲深い男です。革命軍の一派として父を殺したときも、母を捕らえたときも――――それから、自分の親友である兄を殺し。自分の妹になるはずだったローズを殺したその時も、彼はきっと、吐くほどに苦しんだのでしょう。眠れぬ夜を過ごしたのでしょう。
わたしはカップを置きました。
少しだけ、音が鳴ってしまいました。
レオンに手を伸ばします。そっと、彼の頬を包みました。
いつか、こんな風にしたことがあるのです。それから、指先で彼の目元をなぞります。色濃い隈が刻まれていました。彼がどんなに悩んだか、苦しんだか、そしてどれほどこの日を迎えたくなかったか。それを考えるだけで、頭がどうにかなりそうでした。
「怖くはありません。でも――――この時間が終わってしまうのは、少し、怖いです」
でも、わたしの恐れは訪れない。
またきっと、この時間に戻るのです。
彼と一杯の紅茶を飲み、穏やかに語り合い、昔の愛しさを思い出しながら。もう開かなくなってしまった宝石箱。ガラスでできた宝石箱。触れることのできない中の宝石を眺めるような、そんな時間が、また続くのでしょう。
だって、それこそが、わたしが最初の死の間際に願ったことなのですから。
レオンは、顔を歪めます――――前も、彼はこんな顔をしていました。確かあれは、革命が起きるそのほんの少し前でした。
✴︎
そもそも何故、騎士団長であるレオンが革命軍に行ったのか。
それは、我が国の宰相による革命の動きがそもそもの発端でした。我が国の宰相でもある彼の父が、民を顧みないお父さまにしびれを切らし、革命の動きを見せていたのです。
「……せめて、お兄さまが即位された後、その結果次第でというわけにはいかないの?」
「何度もそう言った。次の王子には俺が何度も民への意志を説いている。少し待って欲しいと。だが、父はもうフォンセ王家を見限る気なんだ、カレン」
「………」
あの忌まわしき革命が起きる一年ほど前。
わたしの部屋で、レオンとわたしは議論を交わしていました。レオンは焦っているのか、口調が少し、畳み掛けるようでした。
「騎士団も八割以上が父に従った。もう彼らは、「やるかやらないか」の段階じゃない。「いつやるか」だけなんだ、カレン」
「…………騎士団がそうであるのならば、フォンセ王家はあっさりと敗北するでしょう。革命は、成功するのですね。レオン」
わたしは、彼ほど頭は回りません。
ですが、状況ぐらいはわかります。
きっとお父さまとお母さまは、危機感を覚えていないのでしょうけれど。お兄さまは……どうでしょうか。お兄さまは、わたしたち家族や友にはたまらなく優しい方ですが、民草には意識が向いていない方ですから。レオンはお兄さまを賢君にしようとしていますが、宰相たる彼の父君がしびれを切らすのも、無理がないように思いました。
「……わたしが、一番最初に生まれていればよかったですね。そうしたら、わたしの伴侶であるあなたが、王になれたでしょう。宰相もそれであれば、納得したかもしれません」
「カレン、そんなことを言わないでくれ。……君が君を、どうしようもないことで攻めるのは、見ていて胸が裂けるようになる」
わたしは目を伏せて、「ごめんなさい」と一言、口にしました。彼が美しい顔を歪ませるものですから、罪悪感に胸が痛みます。
「国王陛下と王妃様に、共和制に賛成なさるようにはお伝えできないか」
「……無理だと、断言できます。お父さまとお母さまは、自分たちのお立場がお好きなお二人です。下手に騎士団の勢力が革命を企てていることや、国論が共和制に寄っていることなど、わたしの口からお伝えしたのなら…………それこそ、滅茶苦茶な死刑を執行しかねません」
宰相を殺せだとか。
騎士団を粛清しろだととか。
そういったことを言いかねない恐ろしさが、お父さまとお母さまにはありました。――――だって、ギロチンを作らせたのはお二人です。
もっとも残虐に、見せしめになるような処刑器具を作れと。逆らうものは殺してしまえと。
レオンの提言で、当初の残虐極まりない処刑器具から、あの見た目の割に受刑者の苦しみが比較的少ない、ギロチンへと姿を変えました。ですが、死刑の数は変わりません。
多分、ご意見をお伝えしたところで、お父さまとお母さまが身内であるわたしを殺すことはないでしょうけれど、わたしにそんなことを吹き込んだ宰相を、騎士団を、それに――――レオンを殺せと、言うことは、十分にあり得てしまうのです。
「……できません。絶対に」
わたしの瞳に、レオンは確かな意志を見たのでしょう。……苦しそうに、わたしに背を向けました。前髪をくしゃりと握りながら。噛み締めた歯と歯の隙間から漏れ出るような、苦悶の声で言葉を紡ぎます。
「………………、国王陛下と王妃様は殺されるだろう。…次期国王もだ」
自分の親友であるお兄さままでもが殺される。
その確実な死に、レオンは拳を強く、強く握りました。
「いや、それどころではない!王家の……王家の人間を皆殺せと、そう言うだろう!民衆の怒りは、限界まで達している。器から溢れ出した水は、洪水となり、フォンセ王家を全て飲み込むまで、止まらない。止まらないんだ、カレン。そうなったら、俺は――――!」
「……レオン」
わたしは、レオンをそっと後ろから抱きしめました。
彼の体が、小さく震えます。
できることは、これしかありません。何を言っても、彼を傷付けることは、分かっていました。わたしが何かを口にすれば、それは彼を縛り付ける残酷へと、姿を変えてしまうのです。
「……………………カレン、」
「はい」
「……革命軍へ、参加しようと思う。そこで、俺が……俺が、武勲を立てる。……………要求を、通すことができるぐらいに。……君と、…ローズの助命を、嘆願できるぐらいに」
お前の父の首は、自分が討ち取る。
お前の母は、自分が革命軍の部下たちに下げ渡す。
自分の友でもあるお前の兄は、俺が殺す。
――――それは、そういう宣言でした。
胸が軋むように痛みました。民草にとっては最低な王たちでも、わたしは、自分の家族が好きでした。愛していました。でも、目の前で震える、この人も愛していたのです。……わたしの前で交わした約束を、震えながら守ろうとするこの人が、たまらなく愛しくて、哀しかったのです。
わたしは、目を閉じました。
脳裏に、あの春の記憶がよぎりました。お姉さまお姉さまと笑う妹と、愛おしい男。わたしのいちばん大切な宝物、ちいさなちいさなローズと、わたしたち姉妹を守ろうとする、棘が突き刺さって血を流す手に、胸が締め付けられるようでした。
「レオン」
そっと、その背中に頬擦りをします。
「愛しています」
レオンが、小さな嗚咽を漏らしました。
今にして思えば、きっと、この言葉を言ってしまったのが、わたしの最大の間違いだったのでしょう。
✴︎
わたしは、一口だけローズヒップティーを残しました。
全部飲んでしまう気はしませんでした。
こんなにこの紅茶の時間を繰り返したわたしですが、ローズの死に方は知らないのです。幾度ものループの中で、レオンはそれだけは口を割ってくれませんでしたから。
わたしにそれを聞かせることが、どれだけ酷か、分かっているのでしょう。
わたしは、レオンを愛していました。
でも、最愛が誰かと聞かれると、その質問には少し、困ってしまうのです。五歳のわたしがはじめて、自分の妹というものに触れ合った時―――――ちいさな五本の手で、わたしの指をそっと包んでくれた時のあの気持ちを、ずっと、宝箱にしまって生きてきたのです。レオンか、妹のローズか。どちらかしか生きられないとして。その選択肢が自分に与えられていたら、わたしは自分がどちらを選ぶのか、わかりません。それぐらいに、わたしは、二人のことを同じぐらい、愛していました。
レオンも、ローズを愛してくれていました。二人は、よい兄妹でした。少なくともわたしにはそう見えていたし、実際、何もなければ、本当にそうなるはずだったのでしょう。
「(――――でも、それだけでしたね)」
「……、カレン?」
わたしは、少しだけ残ったローズヒップティーの水面を眺めて。それから、目を閉じた後。最後に残ったそれを、やはり口に運びました。ひどく冷めていました。
「レオン、もう時間です。行かなくては」
もう、わたしの処刑が始まる時間です。
一時間というのは、やはり短いものですね。今回もすぐに、終わってしまいました。わたしは立ち上がって、微笑みと共に彼にそう促しましたが――――彼は、動く様子を見せませんでした。
「………………レオン、ほら。ちゃんと立たなくては」
わたしは彼の背をさすって、自分の両腕を前に突き出しました。彼の紅い目がわたしの手首を捉えて、視線を揺らします。
少しの静寂。時計の針の音だけが響きました。
ですがもう、処刑の15時まではあと、10分もありません。秒針が進む音を30回聴いた頃。
わたしは、彼の背中を抱きしめました。いつかそうしたように。
そしていつかそうであったように、レオンが、肩を振るわせます。
「…………だ…、」
「…………………レオン?」
ほんの小さな、囁き声でした。わたしはそれを聞き逃さないように、彼の背中にぴとりと耳をつけました。
「もう、君を殺したくない…………!!」
彼が漏らしたのは、苦悶の声でした。わたしはその瞬間に悟りました。繰り返しているのは、わたしだけではなく、彼もだったのだと。この、紅茶を飲み、そしてわたしを処刑する時間を、何度も、何度も彼は繰り返したのだと。
「どうして……っ、どうして、一時間前なんだ!もっと前なら、もっと前なら、君を助けられたかもしれなかった。そのもっと前なら、君の家族だって……」
レオンの声が、少し震え始めます。わたしは黙ったまま、彼を抱きしめていました。
「……………神は残酷だ。慈悲などない。全くやり直しのつかないこんな時間を、永遠に繰り返すのだから…!」
「……いいえ、レオン」
わたしは、そっと彼の髪を撫でてやりました。柔らかい金髪は、まるでちいさな頃のローズの髪の毛を思い出させるようでした。
「神は、いらっしゃいます。わたしたちを見ていてくれています」
「ならば、何故……ッ!」
「……神は、わたしの願いを聞いてくれました。わたし、あなたと……紅茶が飲みたかったんです。初めて死んだ時、それを願ったんです。あなたとまたずっと紅茶が飲みたいって。その願いを、神は叶えてくれました」
レオンの体の震えが、ほんの少しだけ止まりました。
彼が、わたしを振り返ります。紅い瞳が、わたしを見ました。その瞳の奥の光が、未だに愛しくてたまらない女を見る瞳だったことに、心が震えるほどの歓喜を覚えました。レオンが、口を開こうとしました。ですが、わたしは彼の両頬を包んで、そっとその口を塞ぎました。
――――長いようで、一瞬の口付けでした。
実際、時間としては短かったのでしょう。秒針が進む音を、5回も聴きませんでした。
「願いが叶って、わたし、ほんとうに…嬉しかったんです。震えるほど。あなたが、わたしと紅茶を何度も飲んでくれて、とても嬉しかった。あなたと紅茶を飲む時間が、嬉しくてたまらなかった……」
レオンが、涙に潤む瞳でわたしを見ていました。
これからこの女を、自分が殺さなければならないという、絶望と哀哭が、彼を包んでいるようでした。
――――私はやはり、歓喜に震える心を抑えられませんでした。神は確かに、いらっしゃるのです。だって、神はこの時間を与えてくれました。神は、ただ終わるはずだったわたしに、機会をくれたのです。
「――――だって、一緒に紅茶を飲んだ回数分。あなたは、わたしを、殺す羽目になるでしょう?」
また、時が止まりました。
いえ、秒針は進んでいるので、時は進んでいるのですが。そんな錯覚を起こすような沈黙が、降りました。
✴︎
「……カ、レン……?」
「ごめんなさい、変なことを言いました。どうか泣かないで、レオン」
わたしは、彼を抱きしめる腕を解いて、そっと彼の涙を拭ってやりました。薄い膜が張った紅い瞳は、ほんとうに宝石のようでした。
―――― 一瞬の聞き間違いを期待するような、そんな瞳をしてもいました。
「出来もしないのに、あなたを殺したくなりますから」
だから慈悲深く、わたしはすぐにそう言いました。
レオンは何かを言おうとしました。口をはくはくとさせて、でも、何も言えないようでした。酸素を求めて喘ぐようなその姿が、ひどく滑稽に見えました。
「あなたとは沢山の話をしましたね。でも、この革命についてのわたしの想いは、語らなかったかもしれません」
ちらりと時計を見ます。まだ少しだけ時間はありました。
わたしは、子守唄でも歌うように柔らかく言葉を奏でます。
「革命については、仕方がないと思っています。お父さまが死んだのも、お母さまが亡くなったのも。……お兄さまをあなたが殺したのも。……誤解しないでね、本当に、父も母も、兄のことも愛しているの。でも、仕方がないと、思うことはできるの」
父は、民を殺せと命じました。
母は、それを見て笑っていました。
兄は、それを全く見なかったのです。次期国王であり、何度も何度もレオンに忠告をされていたのに、兄は、自分が愛するごく僅かな人の幸福にしか目を向けず、民の不幸を無視していました。
間違いなく、それは彼らの罪です。
そして、わたしにも罪はあります。
わたしは、道理がわかる年齢なのに、彼らのためにわたしがしたことといえば、己の私財を少しばかり投げ打って見せただけ。
今でも思います。本当に、本当に民を思うのなら、わたしこそが革命を起こすべきだったと。わたしこそが王になり、あなた達を救うのだと、そう示すべきでした。
それが家族との別離になろうとも、そうすべき、でした。そうしたら、そうしたら。このわたしが、父と母、兄を殺したのなら、そうできていたのなら、どれだけ、
「だから、わたしが殺されるのも、わかるの」
「ッカレン、それは――――」
「でも、ローズが死ぬのだけはわからない」
わたしに追い縋ってきたレオンの手を払いました。
明確な拒絶に、彼はひどく狼狽したようでした。
「最初。本当に一番最初。わたしとあなたが、このループに囚われる前。……"わたしの処刑を回避できた"と、あなたがわたしに教えてくれた日」
――――そう、わたしは、死ぬはずではなかったのです。
それなのになぜ死ぬのかと言われれば、他ならないわたし自身が、「殺せ」と、そう言ったからな過ぎません。
わたしの処刑が一番最後というのも、おかしな話です。
だって、わたしはローズの姉なのです。順当に行くのなら、お兄さまの次か、それとも、お兄さまとローズ、二人が処刑された時か。その時に死ぬのが妥当です。でも、そうはなりませんでした。
――――カレン、聞いてくれ。君は死なずに済む。
あの時。
お兄さまとローズの処刑の日の夜。
レオンは、少し息を弾ませながら、鉄格子越しに、わたしにそう言いました。その目の下の色濃い隈を、わたしはあの時、確かに心配したのです。
だって、その日がお兄さまの処刑日だと。"お兄さまだけが死ぬ日"だと、そう思っていましたから。親友であるお兄さまを殺すというのは、相当、彼にとって堪えることだったはずです。
わたしは、鉄格子の隙間から、彼の手を握りました。
彼はそっと、わたしの手を握り返しました。――――その手に、ほんの少しだけ、血が残っていました。洗い損ねた血、だったのでしょう。お兄さまの血だと思いました。でも、あの血は、それだけではなかった。
レオンは弾ませた息を整えて。
しっかり、わたしのことを見て。
まるで希望を告げるように、言ったのです。
安堵の笑みすら、浮かべていました。
「『最後に残った君だけは殺さなくても良いと、議会の承認が降りた』――――でしたね」
最後。
最後って、一番終わりに残った、たった一人のことです。
それだけのことなのに、あの時のわたしには、それが飲み込めませんでした。
「あなたは、ローズを殺しました。わたしに伏せて、秘密裏に。あなたは、わたしとローズを天秤にかけて、全く罪のないあの子を殺しました」
――――殺される理由のないあの子を、レオンは殺しました。
レオンはローズを愛していると思っていました。わたしと同じように、大事にしてくれていると思っていました。でも、違いました。違ったのです。
「…………言い訳のしようもない。俺は、」
「そうやって、誠実にあの子の死を悔いた所で、あなたがしたことは変わらない。あなたは、黙って、わたしに何も告げずに、あの子を殺したの!わたしが、気が付かなければ――――っ、あなたは、わたしを、騙したまま、あの子の屍の上で、生きさせようとした!!」
レオンは、愛した女の宝物を大事にしようとしてくれただけでした。その宝物を壊すのと、愛した女が死ぬこと。彼は、当然のように、愛した女を取りました。わたしがレオンとローズ、どちらかしか生きられないと言われて選べないのと、訳が違ったのです。
無理もない。
無理もないことです。だって、所詮、恋人の妹は恋人の妹です。
呼吸を一度、整えました。
理性をかき集めて、声色を無理やり落ち着けます。
「分かっています、レオン。仕方がないことです、あなたにとっては、本当に、仕方のないことなのだと思います。――――でも」
革命は仕方がない。
父と母、兄が死んだのも仕方がない。
レオンがわたしを取って、ローズを捨てたのも。
――――「やくそくね、レオン!」
――――「ああ、約束だ」
…………わたしたち姉妹を守るという、あの子との約束を破ったのも、仕方がないのです。でも、その結果は、わたしにとって、仕方がないことではありませんでした。だって、あの子はまだ11歳でした。死ぬ理由は何一つありませんでした。殺されていいわけがないのです。そんな、「仕方がない」だなんて、あっていいわけがない!
――――でも、もし、そんなことが通るのなら。
そんな、"仕方のない"が、通ってしまうのなら。
「わたしが、あなたを何度も、"愛した女を殺す地獄"に堕としてやりたいと思っても、仕方がないでしょう?」
この男が好きでした。この男を愛していました。
今でも、もしかしたらそうなのかもしれません。だからわたしは、この男を激しく憎みながら、こんなことを告げているのかもしれません。
でもどこかで、わたしがまだレオンを愛せていることに、安心してもいるのです。
だって、わたしが、かわいいかわいいあの子を殺したレオンを愛せているのなら。
自分に永劫の苦しみを与えてくるわたしという女を、彼はきっと、愛し続けてくれるはずです。
……………レオンは、呆然と顔を伏せて、動かなくなりました。
わたしはまた、彼の背をさすりました。レオン、時間ですよと。そう言って。でも、彼はぴくりとも動きませんでした。ちらりと、時計の針に目を向けます。15時まで、あと1分しかありません。今から広場に行っても、とても定刻には間に合わないでしょう。
ですが、それでも、レオンは動きそうにありませんでした。
わたしは、そっと彼が越しに提げた剣を抜きました。力無く垂れた彼の手に、握らせようとしました。でも、できませんでした。彼はそれを拒むように、手を固く握り込んでいました。
長針と短針が重なろうとしていました。長いようで、とはとても言えない時間です。少しだけ、秒針が一つ進む分だけ考えて、わたしは、彼に最後に声をかけました。
「レオン」
秒針が進みます。顔を上げた彼が、驚愕に目を見開きました。絶望に、その顔が歪みます。またこの地獄に堕とされるのだという絶望ではなく、愛する女がしようとしている凶行に対する絶望でした。
「ッ、やめろ、カレン、やめてくれ、何でもする、何でもするから、それだけは、やめてくれ!」
「――――何でも?」
彼は椅子から立ちあがろうとしましたが、足がもつれて転びました。床に転がった彼を、わたしは見下ろしながら、柔らかく問いました。女神のように慈悲深く、救いを与えるように。
「ああ、なんでも、なんでもするから、それだけは、…ッ、君が、君が死ぬのだけは、!」
「――――――よかった。まだ、わたしを愛しているんですね」
「ッ、当たり前だ、永遠に、君を愛している、だから……っ!」
わたしは、首に沿わせた剣に、力を込めました。
ぷつりと、皮膚が破けて血が出てきました。全く、呆れるぐらいに慣れた感触です。手は、全く震えていませんでした。
首が切られることに慣れたのもそうですが、安堵の方が大きかったのです。彼は、何度も何度もわたしを殺したくせに、わたしを失うことを恐れている。それがわかりました。それだけで、わたしには充分でした。
15時の鐘の音が響きました。
もう処刑の時間です。「これより、旧フォンセ王家最後の生き残り、第一王女カレンデュラの処刑を行う!」なんて心の中で呟いてみたりします。手が届かないぐらいの高い窓から見える空は快晴でした。
やはり、慈悲深い神は、いらっしゃるのでしょう。
わたしは、最後に彼に微笑みました。
「――――では、わたしとまた、紅茶を飲んでくださいね、レオン」
ずっと、わたしが死ぬ所を見てください。
できたら、あなたがわたしを殺し続けて、過去を悔いて、悔やんで、嘆いてください。そして、その永遠の輪廻の間。わたしが作った地獄で、わたしという、最悪の女を愛し続ければいい。
見開かれたレオンの瞳。
もう少しその瞳を見ていたかったのに、視界いっぱいを、彼の紅と違う赤が覆い隠したせいで、できませんでした。ギロチンと違って、即死までは出来ませんでした。取り返しのつかない出血の中、レオンがわたしを呼ぶ声が遠くに聞こえました。どさりと倒れて、足が、彼の靴を踏んだ後、体全体が倒れました。
そうして、今回もわたしは死にました。
――――ああ、また、彼の靴を踏んでしまいました。
ごめんなさい。わざとでは、なかったのですけれど。
ありがとうございました。
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