第9話
慎二は、大日交通という西濃地方にあるタクシー会社を訪ねた。
運転手の松井某が、タクシーのボンネットに業務日誌を広げて記録を調べてくれている。
「先週月曜の午後一時頃…ああ確かに俺が、新幹線の駅から宮前商店街まで女の人を乗せたことになっとるね」
「そのあとは?」
「なんかそこで荷物をピックアップして、△×ホテルで降ろしたみたいやな」
「…ホテル住まいか」
松井が、改めて慎二の名刺を確認してから言う。
「何?防犯協会やから、何かの事件?」
「や、そんな大ごとやないんやけど…」
苦笑いしながら首を振ったが、松井は興味津々の表情だった。
ビジネスホテルの紗栄の部屋には、酒瓶や空き缶が散らばっている。
宿泊客はベッドに寝転んで、死んだような目でスマホ画面を見ている。
12歳の息子・春樹との2ショット写真だ。
「春樹…ママはどこで間違えたの?」
LINEの着信音が鳴る。メールを開き、内容を確認する。
新たなる指示。一歩踏み込んだリクルート。
「…貯金ももうないし、行くとこまで行くか…もう、どうでもいいし…」
暗澹たる気分が押し寄せ、スマホを握ったまま眠りに落ちていった。
数日後。彬、慎二、亘の三人は、楽器店の狭苦しい貸しスタジオでバンド練習をした。
若い頃は寝食を忘れてとまではいかないが、渇きをいやすように練習に打ち込めたものだが…五十路のアマチュア・バンドマンはすぐに音を上げる。
「なあ。もう、ええんやないか?」
「いや。もうちょい」
折しも、レジ袋を提げた真弓が入って来た。
「お、やってるね。差し入れよ」
テーブルに飲み物やスナックを並べていく。
「おし。ちょい休憩」
「ああ、肩凝る、腕しびれる~」
三人は手を休め、好みのドリンクを飲み始めた。
「真弓、ダンナはどうや。やれそう?」
「一応楽器はふたりで練習してるんだけど、人前に出るのをまだグズってて…」
「一回位合わせときたかったけどな」
「ま、素人の余興やし。いざとなったら健介のパートも俺が弾くで」
「ごめん」
「あ、そうや。ホテルの担当者と相談して、式次第やら料理やら決めてきてな」
彬が鞄から資料を取り出して、テーブルに広げる。
「同葬会」式次第の文字が飛び込む。
「おい。誤植やない…」
間違いを指摘しかけた亘が、その意味に気づく。
「同窓会を兼ねた合同生前葬『同“葬”会』ね。いいネーミングじゃない」
「これ全部、葬儀屋が企画したんか?」
「半分は成り行き。同窓会を絡めるいうのは井上塾長の発想やな」
「塾長?」
「がっつり宣伝してええからな」
「ああ、その件なくなった」
「は?」
「やっぱ五十過ぎて再就職、しかも起業っていうのはどう計算しても、確率論的にも合理的ではないとの判断がやな…」
「おまえ、ビビったな」
「そ、そんなことよりさ、ちょっと妙な話を聞いたんだわ」
「妙ってなんや?」
「俺、幹事としてあちこち電話して出席の確認とったんやけど、何軒かから『GWにやるんやなかったの?鈴木さんって女の人からも似たような電話あったよ』って」
「…うちに鈴木なんて女子いたっけ?」
「それに同窓会の幹事は、ここ数年俺か彬の持ち回りだでな。妙やろ?」
聞き流しかけた慎二だったが、思い当たることがあり眉をしかめた。
宮前商店街。ベースギターを担いで楽器店を出て花屋の前を通りかかったとき、彬は店主に声をかけられた。
「あれ?なあにい。社長そんなもん持って、青春カムバック?」
「お、そうや。来週大きな発注があるもんで、あとでメールさせてまうわ」
商売モードに切り替わった花屋の店主が頭を下げた。
「いっつもありがとうね。堀口葬祭はどこぞの大手みたいにキックバックもないもんで、質のええ生花を出せるんだわ。花屋冥利に尽きるわ」
「持ちつ持たれつ、だで」
花屋と別れてすぐ、彬は背後に車の気配を感じた。慎二の乗るバンだ。
「葬儀屋。送ってったるわ」
「いや。うち、すぐそこやけど」
「付き合えってこと」
「…」
何か話でもあるのかと彬は助手席で身構えたが、慎二はずっと黙っている。
ダッシュボードから白いものが飛び出している。
(なんや、これ)
引っ張り出して開いてみると、ナプキンの端っこだった。以前慎二の手羽先屋で亘が書いた、中学時代の相関図だ。
見ると「真弓→堀口彬」の「→堀口彬」に×マークが付いている。
「直しといたったぞ。喪服姿の女も行けんようじゃ、その線はないわ」
「いや、どうでもええけど。なんで、こんなもん…」
ようやくきっかけがつかめたというように、慎二が話し始める。
「紗栄なあ、ヤバい事に首突っ込んどるみたいや」
「紗栄?ああ、落合さんのこと?」
もう一度ナプキンを見る。
「おばさんに…紗栄のおかあさんに聞いたんだわ」
「落合紗栄」の上にも何か書いてある。
35年前の落合家。紗栄の父親・俊樹は、休みの日には昼間から焼酎をストレートで飲みつづけてくだを巻く男だった。そして、酒乱だった。
「おい、酌!つまみも、はよ持って来い」
台所で調理する妻の顔には大きな青い痣がある。つい先ほど口答えをして殴られた痕だ。
何を言っても暴力をふるう。薫は無視して、黙々と包丁を動かすしかなかった。そうなればなったで、誰かに構ってほしくなるのが酒乱だ。
「ち!」
充血した目で、焼酎ボトルとコップを持ったまま立ち上がる。
二階には、高校受験を控えて勉強中の紗栄がいる。
ドタドタと階段を上る音が聞こえ、手を止めて嫌悪感を顕にする。ああ、またか。
「おい、紗栄!」
ドアを乱暴に開ける。
「一家の大黒柱に、酌をしろ!」
紗栄は聞こえないふりをして、ノートをとり続ける。
「無駄なことすんな。おめえは、中学出たらここで働くんやからな」
そう言って、ノートの上にコップの中の焼酎をふりかけた。
「何すんのよ!大事なノートに」
飛び退いて、俊樹を押しのけた。
「女なんやから、勉強なんかしたって意味ねえんだわ。高いカネ払って学校行かせて、どこぞの嫁になって…こっちになんの得があるんだて。それとも何か、中卒の俺に当てつけとんのか?ああん」
紗栄は、心底軽蔑し切った目で父親を睨みつけた。
「…何や、その目は。このくそ餓鬼!」
紗栄の頬を張る。
倒れる紗栄が机の角で顔を打ちつける。
さらに暴れようとする俊樹を、上ってきた薫が必死で止める―。
そんな日々だった。