第7話
「嬉しいわ。大会社の社長になってふんぞり返る教え子より、堀口くんのような教え子を本村も私も誇りに思うよ」
いくつになっても先生に褒められるのはうれしい。そして、恥ずかしい。彬は照れて俯く。
「…そう言えばさっき、先生の教え子たちとすれ違いましたがご焼香ですか?」
「そうそう。お葬式には行けなかったけど是非にっていう子達が、あれから毎日のようにうちに来るんだわね」
「へえ。公平先生のご人徳ですねえ」
「入れ替り立ち替り昔話をしてくれるもんだから、おかげで寂しいって感じる暇も ないんだわ」
屈託のない恩師の笑いに、つられるように教え子も笑った。
(よかった)
「特殊詐欺に注意」というチラシの束を持って、慎二が煙草売り場の前で佇む。ふだんから店頭にはいないから、家内に向けて声をかける。
「すみません。青年団の者です」
ここの店主で紗栄の母親である薫が、奥から出て来て仕切り窓を開ける。
「ああ、慎ちゃん。タバコ?」
「いや、ちょっと話が。おばさん、最近娘さん…紗栄さんに会わっせたかね?」
薫は一瞬の動揺を見せてから、黙って首を振った。
反射的にチラシの束を隠す。
「いや。今度同窓会の幹事やることになって、ほんで現住所がわかればと」
薫が顔を伏せる。
「私も、今の紗栄のことは何もわからんもんで…」
窓を閉じると、逃げるように奥へ引っ込んで行った。
「おばさん、ちょう待って!」
藤沢家には大きな庭園がある。季節ごとの花や樹木が植えられていて、これらを維持するだけでかなりの手間と金がかかるはずだ。田舎の旧家だからこその道楽なのだろう。
みたらし団子の包みを提げた彬が、真弓にあらためて感想を言う。
「相変わらず馬鹿でかい庭やな」
「アッキーとは幼稚園の頃、よくここでかくれんぼしたよね。あ、水仙」
真弓が咲きかけの水仙を見つけて、その前に屈みこむ。
「冬の花って健気よね」
彬には相槌を打つだけの知識はない。
「今日は、具合ええんか?健介」
先日彼女を送った際に、改めて伺うことを伝えて今日様子を見に来たのだ。
「朝方はよかったんだけど、何かのきっかけで急に落ち込むことがあるから」
真弓の隣に一緒になって屈む。
「彼に会ったら、絶対に励まさないでね。『がんばれ』とかタブーだから」
「え、そうなん?」
二階の寝室から、健介はその様を隠れて覗いていた。
花壇に隠れる真弓と彬を、カーテンの陰から不安そうに見ている。
真弓が彬へのアドバイスを続ける。
「それと同情も同調もダメ。大変だなとか、おまえの気持ちわかるよ、とか」
「…わかった、注意する」
「ね、アッキー…堀口くんの健介のイメージってどんな感じ?」
「バスケ部のキャプテンで成績もよくて、でもって俺らを引っ張ってバンドもやる、リーダー的存在だわな。ま、悪く言えばナルシストっぽくもあったか」
水仙の花びらを指で弾く。確か水仙はナルシストの語源だった、と思い出したのだ。
「今はただの子どもよ。おとなを見ると緊張して『でつまつ調』になるから」
「でつまつ調?」
真弓に案内されて彬は寝室に入った。
布団にくるまっているのが健介のようだ。
「あなた。堀口くんがお見舞いに来てくれたわよ」
「健介、ひさしぶり。みたらし買ってきたぞ、駅前の小倉屋の」
枕元にみたらし団子の包みを置いたが、特に反応はない。
仕方なく、ふたりして枕元に座る。
「わあ、小倉屋ってまだやってんだね」
「学校帰り、毎日みたいに食ったわな」
「夏はかき氷ね」
「うん、サイダーをシロップにして、あの頃なんであんな物が美味かったんかな?」
「きっと、みんなで食べたからよ」
などと聞こえよがしに語り、天の岩戸を開けようとする。
「堀口」
ようやく布団の中から声がした。
「…おう」
「真弓とふたりで…お、俺を殺しに来たのか?」
突拍子もない言葉に、彬が驚いて真弓を見る。
真弓がスマホに何かを書いて、彬に見せた。
〈最近の妄想。受け流して〉
どうやら、うつ病の症状の一つのようだ。
「…ふ、不倫の末に、邪魔になった夫を共謀して殺す…安っぽい…サ、サスペンス劇場だ」
「お、俺がそんなことを…」
真弓が首を振って、またスマホを見せる。
〈怒らないであげて〉
彬はつとめて冷静に、そして淡々と語り始めた。
「俺のヨメが、寛子が死んで六年経つ。ま、生きてりゃ浮気の可能性は1%くらいはあるかもな。でもな、健介」
布団の中の健介が黙る。
「葬儀屋の俺が言うのもなんやけど、天国ってあるんやぞ」
事情を知っている真弓も黙る。
「天国があって、寛子はずっと俺や娘を見守っとる。あいつが見てるのに俺が不倫?まして夫を殺す?配偶者に先立たれた人間が、どんな思いなのかわからんとでも…」
「ごめん!堀口ごめんよお…わあっ」
健介は弾かれたように布団から飛び出して、土下座しながら泣き始めた。
「いや、泣くほどの…」
感情の振れ幅に驚き、こっちが引く。
「僕、やっぱりダメでつねえ。最低でつよね。ごめんなたい、謝りまつ」
(これが噂のでつまつ調?)
固まる彬をよそに、真弓が健介を抱き寄せる。
「そんなことないよ。健ちゃんがそれだけ私を愛してくれてるってことだから、嬉しいよ…だから泣かないで…ほら、みたらし!ね、みんなで一緒に食べよ」
あやすように頭を撫でると、夫は涙声になる。
「うん…食べまつ」
彬の存在がなかったことにして、夫婦がイチャつき始めた。
何を見せられているんだか。だがしかし…。
(あれ?このシチュエーション…)
よみがえる記憶。