第5話
真弓の実家の二階。寝室のサイドテーブルで固定電話のベルが鳴っている。
布団にくるまった健介がガタガタ震え、ベッドがきしんでいる。
「ま、真弓~。早く帰ってきて~」
健介が蚊の鳴くような声でつぶやくが、助けは来ない。電話は執拗になり続けている。このままでは一階で眠っている義父母を起こすことになる。意を決して、布団にくるまったまま鳴り続ける電話をとる。
「…も、もちも…いえ、もしもし。三島です」
「…三島?あのう…藤沢さんのお宅ではなかったですか?」
「あああ、つみまてん!僕は三島でつが、ここは藤沢でつ」
布団から飛び出し、健介は受話器に向かって頭を下げた。
紗栄は卒アルの「ベストカップル」の写真をまじまじと見る。
(そうか。このふたりホントに結ばれたんだ。うわあ)
想定外のことに焦り、手にした小瓶ウイスキーを飲み干す。憧れだった男子の声がする。
「…あ、あの…どちら様でつか?」
思わずこんな言葉が出た。
「…私、善意の第三者です」
「へ?」
「お宅の奥さん…不倫してますよ!」
このふたりだけは幸せになってはいけない。アルコールの毒が紗栄をそそのかしていた。
受話器を握ったまま固まった。
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふりふり…どういうことでつか?」
通話が切れる音がして、回答は拒絶された。
呆然とする健介の耳に、車が近づく音が飛び込む。不安そうに立ち上がり、カーテンを少しだけ開ける。
夜の闇の中に、霊柩車が停まるのが見えた。つづいてふらつきながら降りてくる真弓と、彼女の身体を慌てて支える彬の姿が。
「一応、健介に挨拶してこかな」
「う~ん。今日はごめん、遠慮して。人前に出たの数か月ぶりだから興奮してるかもしれないし」
「ほうか。じゃまた、落ち着いてるときにお邪魔させてまうわ」
「送ってくれてありがと。おやすみ」
「ああ。おやすみ」
彬は手を振って、健介が眠っているであろう二階を見上げた。
その姿が、健介にはおいでおいでをする死神に見えた。慌ててカーテンを閉め、布団に潜り込んだ。
「ひいい。し、死神が不倫を連れて来まちた!」
健介はアルマジロのように丸くなった。
翌朝の堀口葬祭に一本の電話がかかってきた。
「やめる?やめるって何を」
ーあ、おめえきれいさっぱり忘れとれせんか?生前葬のことだがや…おう、嫁に話したら烈火のごとく怒り出してよ。縁起でもにゃあと。おとうちゃんにはこれからまんだまんだ稼いでまわなあかんのにと…手を握って泣くんだわ」
「おい。中年夫婦のノロケ言うために電話したんなら、切るぞ」
―まあ、待てて。ほんで、おめえらはあのあとどうしたんだて?
「ああ?」
―ほれ。ゆうべの真弓は喪服やったがや。禁断のエロスはあったんかて…。
彬はため息とともに電話を切った。
また呼び鈴が鳴り、恵が取る。
「はい…社長、お友達から2番で~す」
恵に聞かれないよう後ろ向きになり、小声で電話をとる。
「おまえな、真弓も俺もそれぞれ家庭があって、大体俺らもう五十やぞ」
―なに?やっぱなんかあったんか?」
今度は井上亘だった。
「ああもう、今度はおまえか。なんじゃ、用事は!」
―あらあら、俺客よ。こんな乱暴な葬儀屋に任せたら、火葬場で生焼きにされそうやなあ。
「用事!」
―俺やってみようかなって思って」
「何を?」
―いや、生前葬をさ。
西濃二中の屋上で話した。校舎は35年前から随分新しくなっていた。
校庭では、野球部が昼練をしている。「バッチ来い」という掛け声が遠い。
「本気か?」
「きのうのお葬式で、やっぱいろいろ考えたんだわ。今までの俺の人生、点数にしたら何点やろって。で、一晩かけて採
点してみたら…65点やった」
「職業病やな」
「可もなく不可もなく。そう思ったらえろう怖なってきたんだわ。俺可もなく不可もなく死んで行くんやなあと」
「たいがいの人間がそうやろ」
「嫁にも聞いたんや。俺何点やろ?って」
「ああ、おめえら職場結婚…公平先生んとこと同じパターンやったな」
「ウチのは国語。でな、教師の点数は教え子で決まるんだから点数なんかつけられない、とか非論理的なこと言うわけや」
「そうか?一理あると思うが」
「うん、あるような気もするわな」
「どっちだよ」
「で、今年度いっぱいで教師辞めようと決めたわけや」
「はあ?」
「優秀な教え子を輩出する塾でもやれば、俺の人生の偏差値も上がるんやないかと」
「…」
「これからは理系の時代なんや。ITでも医療介護でも理系脳、数学脳を鍛えなあかん時代なんや。それって“数学の鬼
軍曹”と呼ばれた俺の真骨頂やと思わん?」
「さあ?」