第3話
彬は手羽先「しんちゃん」喪章を外し、自分の体に塩を振ってから暖簾をくぐった。真弓、亘、前掛けを着けた慎二が奥のテーブルで昔話をしている。
「らっしゃい…って何だ、葬儀屋か」
慎二は調理場を息子・充に任せて、自分はビールを飲んでいる。
「何だとは何だ。おまえもいつか俺のお世話になるんやぞ」
言いながらテーブルに着く。
「俺車やから、ノンアルコール」
充がノンアルのジョッキを持ってきて、彬の前に置く。
「だいぶ、様になってきたなあ。跡取り息子」
「たわけ、甘やかすな。跡取らすかどうかは、こいつの精進次第だわ」
「へ。嬉しいくせに」
はにかみながら一礼して、充は調理場に下がった。
真弓がジョッキを挙げる。
「堀口くん、お疲れさま」
「公平先生に」
彬の音頭で、全員が表情を引き締めて献杯した。
手羽先を肴に、だいぶ酒が進んでいる。
「俺は店があるで行けんかったけど、どんな感じやった?」
「人気者の公平先生の葬儀にしては、ちょっと寂しかった気がせん?」
「俺は、今日はきっと教え子たちが数百人集まって、各世代の代表が感動の弔辞を読み上げて、最後は全員で『贈る言葉』を大合唱して先生を送ると思ってたけどな」
「それは数学教師・井上亘の願望やろ」
「何十年も身を粉にして、最期はあんなもんなんかなあ」
亘が溜息をつくのをきっかけに、場が少ししんみりする。
「…実は公平先生、亡くなる半年くらい前にうちにいらしてな。生前葬をやりたいっておっしゃって」
「生前葬って、要は葬式のリハーサルみたいなもんやろ?」
「形式的にはな。ただ普通の葬式とは逆で、故人の側が参列者みんなに感謝の言葉を伝えたり、カラオケやビンゴゲームとかして楽しい時間を過ごせるわけよ」
「ほんなら、ホントに死んだときは?」
「面倒な通夜とか告別式を省いて、家族だけの密葬で済ませる。聞いたら先生の身内は奥さんだけやったから、死んだあと手を煩わせたくなかったんかもな」
「で、引き受けたんか?」
「うん。いくつかプラン立てて資料は送ったんやけど、返事聞く前に脳梗塞でな…」
また少ししんみり。
「あ、思い出した。前にテレビで観たけど、有名なミュージシャンが“生前葬ライブ”いうのをやっててさ。俺てっきり引退するのかと思っとったら、その人『おかげで初心に戻れたから、新たな気持ちで頑張ります』って、その後も活躍しとったな」
「まあ確かに、人生をリセットして再スタートさせるきっかけになるのかもな」
「おもしろい。乗った!」
「は?」
「生前葬ってバラすんやなしに、いっそ死んだことにして参列者の反応を見るってのはどうや?誰が泣いて、誰が香典いくら包むか気になるでな」
「どっきり、か?」
「そんなことしたら、それこそおまえロクな死に方しいせんぞ」
「なら嫁にだけはバラしとくか。どっきりには仕掛け人が必要やもんな、ウン」
変に納得している慎二に、彬は呆れ顔だ。
真弓はみんなの会話をトロンとした目で聞いている。
「お葬式かあ。もう私らもそんなこと考える歳なんやなあ…」
言いながらその場にうつ伏していく。寝落ちだ。亘が意味ありげに彬の肩を叩く。
「ほら、送らせてやるで。焼けぼっくいに火つけてこい!」
「はあ?」
「何?ふたり、つき合ったことあるんか?じゃあ健介とは?え、どういうこと?」
「ああ、慎二は知らんかったか。中学二年の『血のバレンタインデー事件』…」
中学2年だから、36年前ということになる。
真弓が、チョコレートと手紙を彬の目の前に差し出した。
「え?俺?」
面食らった表情の彬に、真弓はにっこり微笑んで頷く。
「手紙も添えといたで、ちゃんと読んでくれなあかんよ。アッキー」
教室中の生徒が注目している。その中に健介と紗栄の姿もあり、ふたりとも険しい表情を浮かべた。
「手紙読んだら、うちに電話してね」
真弓が教室を退出した途端に、嵐のような歓声とツッコミが始まったものだ。
眠っている真弓をよそに、中年男たちは小声で話を続ける。
「へえ。ほんでほんで?」
「それで怒ったのが健介や。もともとうちらのバンドって、健介がピアノ弾ける真弓の気を引くために始めたもんやろ?俺なんか祭りの太鼓叩いたことあるいうだけでドラムやらされて、彬は左利きやからポール・マッカートニーのベースやれって」
「俺は本気でジミヘン目指してたけどな。ま、ええわ…要は泥沼の三角関係やな?」
亘が人差し指を振る。
「ノンノン。四角関係」
「四角?」