第15話(最終話)
ラッパ水仙を見ながら、彬はあることに気づいた。
(あ。俺だけ、まだ献花しとらんな。てか、式次第にも入れてなかったっけ)
司会進行に手一杯で、自分も参加者だということを忘れていた。
ふとディスプレイを見上げる。
そう言えば、ここに映し出す自分の写真も全く用意していなかったなあ。
だが、なぜか。
彬の半生を示す数々の写真が、そのディスプレイに流れ始めた。
(え?)
中学時代のバンドでベースを弾く自分。
健介と真弓に振り回される自分。
サッカーに打ち込んだ高校時代。
三流大学での自堕落な日々。
特に夢を持つこともなく入社したサラリーマン時代…
(走馬灯?)
そして、亡き妻・寛子との2ショットの写真で止まった。
(ああ。そうか。あのとき出会ったんやったな)
その写真の背景は白い病棟であり、寛子は看護師の制服だ。
サラリーマンをはじめて数年経った頃、彬の父親が肺がんになった。寛子は担当看護師だった。熱心に父が亡くなるまで看護してくれた。
好きになった。
自分でも恋をするのだ、と思った。
父が亡くなった後も何度もデートを重ねた。
ディスプレイの写真が変わる。
地元のおちょぼ稲荷神社の月越参りに行ったときの写真だ。
ふたりで油揚げを奉納したり、重軽石を持ち上げたりして楽しんだ。
多くの参拝客で賑わう中、通行人に写真を撮ってもらった。その一枚だろう。
だが、なぜこのときのことが今浮かび上がるのだろう?
今度は、そのシーンが動画になって流れ始めた。
串カツ屋の店内。当時28歳の彬が、楽しそうに名物の巨大串カツを頬張る寛子に向かって話しかける。
「寛子。ごめんな」
豚肉を飲みこんでから寛子が答える。
「ん?ごめん?なにが?」
「俺の実家、こんなド田舎のちっぽけな葬儀屋なんだわ」
「謝ることやないに…でも、跡を継ぐの?」
「どうやろ。正直今みたいにサラリーマンやっとる方が、安定しとるし気も楽や。けどやっぱり親父が人生かけた場所やから。寛子は、どっちの嫁になりたい?」
寛子が苦笑する。
「え、それがプロポーズ?」
「違う違う、例え話。プロポーズは…もっとロマンチックな所で、ちゃんとするから!」
彼女は頬を染めた。
「期待しとるでね。でも、そやね…」
真顔になった。
「町の葬儀屋さん、もいいよね。私の仕事と似てる気がするし」
「看護師と葬儀屋が?いや、真反対…」
「どっちも…命を大切にするやない」
「え?」
「お父様のために毎日病院に通ってくれた彬さんも、きっとそういう人だから向いていると思うよ」
「…あ」
「私、ついていくよ」
ずっと劣等感があった。凡人中の凡人。何者でもない庶民。
特技も賞罰もない、色鮮やかさもスパイスもない人生を、認めてくれるひとがいた。一緒にいてくれる、という。
「あ、あ…」
涙があふれた。
「だ、大丈夫?」
ハンカチを出し拭いてくれる。周りの客も何事かと見守っている。だが、もう止まらない。
「…寛子。お願いがありまつ」
「うん、なに?」
そのとき浮かんだ、たった一つの願い。
「な、長生きして…長生きして…くだたい!」
「…うん、わかった」
彼女は自分の顔を両手で包んでから、子どもをあやすように抱きしめてくれた。
「一緒に、長生きしようね」
その約束は果たされなかった。
紗栄、慎二、亘、真弓、健介、彬―それぞれの「仰げば尊し」が、同葬会の会場に鳴り響いている。
真弓が健介の隣に寄り添い、手を握る。
「健ちゃんは独りじゃないから…誰も、独りなんかじゃないから…」
夫は妻の手を強く握り返す。
彬はその光景を涙目で追った。
ふと、背中に気配を感じた。
(おつかれさま)
寛子の声だ。
彬が振り返ると、娘の恵がはにかんだように彬の袖をつかんでいる。
「とうちゃん…あ。社長、やったね」
まただ。止まらない。
だが娘の前だ。心の中だけで、嗚咽した。
卒業式のような合唱が続いた。
堀口葬祭の事務所では、今日も彬が電話で生前予約の勧誘をしている。
「この生前葬っていうのがうちのイチ押しなんだわ。そうそう、終活がブームだでね…うん、その気になったらでええで…」
別の外線電話が鳴り、コンビニのおにぎりを頬張る恵がとる。
「ほ、堀口葬祭でふ…あ、ふぁい」
彬が電話を切り、恵が保留ボタンを押す。
「ひゃちょお、本村様から二番」
「…響子先生、か」
電話を取る。
「はい、先日はどうも……え?学校葬⁉」
お茶を飲む恵がむせ返るような大声だった。
本村家では、教子が亡き夫の遺影の前で電話をする。
「そうなのよ。きのう学校から電話があってね。本村の教え子たちが署名を集めてくれたみたいで…うん。四十九日を兼ねて二中の体育館でやらないかって…」
受話器を持つ彬は興奮気味に答える。。
「わあ。それは名誉なことですね。公平先生もきっと喜んでらっしゃいますよ」
―名誉なんてどうでもいいのよ。署名運動までしてくれたっていうのがね。
「そう。そうですよね」
ーでね、その仕切りを堀口くんのところでやってもらえないかと思って。
「はい、喜んで!」
そばで娘が失笑する。
(居酒屋かっつーの)
「じゃあ一度学校側も交えて、綿密な打ち合わせを…ええ、はい…」
はしゃいでいる父親をよそに、恵は頬杖をついて壁の家族写真を見やる。
(はあ。人が死んで大はしゃぎする商売って…どうなんだろね?かあちゃん)
写真の母親はただ笑っている。
窓の向こう。軒先に巣を作りに来た燕が、春の風に舞っていた。
(終)