第14話
「家に帰ってから、息子はこうぬかしやがった…ごめん。親父に恥をかかせて…頭に血が上ったわ…そんなことやない。おまえはイジメられてたくせに傷つく人間の気持ちがわからんのか…情けなくて、拳骨で殴った…ほんで、みっともないぐらい泣き喚いてあいつの首を絞めた…このまま一緒に死んだろ、って本気で思った」
慎二が俯く。言葉に詰まる。
「俺もそんとき考えたわ。いったいどう育てれば正解やったんや?それ以前に、俺自身どう生きればよかったんや?」
ああ、やはり。ぼくに語りかけている。健介はしっかりと旧友を見る。
「たぶん答えなんか…ないわ」
ギタリストは棺桶に花を添え、手を合わせてからステージを降りた。
同窓生ふたりのカミングアウト。いや、これは懺悔なのか?
沈黙の中、客席の紗栄が挙手をする。
「私もホントのこと言う!さっきはごまかしたけど、三年前に離婚した!」
一同が、今度は紗栄に注目する。
連鎖反応だ。
「こんな田舎生まれの育ちの悪い娘が、院長夫人なんて最初から務まるはずなかったのよ。姑との確執、病院での立ち居振る舞い、鼻持ちならないセレブ連中との付き合い…疲れ果てて、お酒に逃げて…ある日、小六の息子を…叩いてしまった…」
彬と慎二が眉をひそめる。ああ、彼女もやはり味わったのか。
「何度も何度も…何見てるんだ、あんたまで私を馬鹿にするのかって言いながら…そしたらあの子、春樹はもう私に近づかなくなって…夫や姑にもバレて…家庭裁判所からも、キッチンドランカーの女に育児はできないって…」
真弓が切ない目で紗栄を見守る。自分は子育ての経験はない。ただ、母性なら想像することはできる。胸が張り裂ける長い長い時間だったのだろう、と。
「私の父親もそうだった。気の小さい人でいつも『自分は馬鹿にされてる。イジメられてる』って…ああ同じなんだ、私もこうやって全てを壊していくんだって思ったら…またお酒に溺れて、また被害妄想に走って…イジメられてる私が、少しぐらい誰かをイジメたってバチは当たらない…」
まだ壇上にいた慎二が拳を握る。自分は似たような感情を経験している。
「ごめん!私、みんなの事も…」
ああ。もうここまできたら何もかも、か。だが、今ここで言うべきことではない。慎二は壇から飛び降りて、紗栄の前に立った。
「もうええ!」
慎二の声は囁きに変わる。
(詐欺の件は未遂や。今度は、誰も傷つけてないやないか)
紗栄の感情は踏みとどまった。
どこからともなく「みんないろいろあるって」「しょうがないよ」と慰めの声が漏れてくる。五十年生きていれば、誰しも共通体験はあるからだ。
だが壇上で冷静に見ていた真弓は、その光景に違和感を感じた。
まあまあ。人生そんなもんだって。そんな感想はなんの解決にもならない。
(…ダメなのよ、同情も同調も)
いま紗栄に必要なのは、共感ではなく反感なのだ。
真弓がおもむろにシンセを弾き始める。「Everybody Loves Somebody(誰かが誰かを愛してる)」の独奏だった。そして、演奏に乗せて語り始める。
「紗栄ちゃん。私もあるよ。全部放り出して、どっか行っちゃいたいときが」
真弓を見る紗栄、そして健介。
「でも、どっかってどこよ?ひとりで歩いたって、同じとこグルグル回ってるだけでしょ?」
冷めた口調で壇上から語りかける。
(あの女、また上から…)
やはり、こいつは私の生涯の天敵だ。
「ひとを頼りなよ…もっとあざとく、さ。それともまだプライドが邪魔をする?」
(くっそお)
「紗栄ちゃんは何が欲しいの?どうなりたいの?ミス二中とか、院長夫人とか、セレブとか?本当はさ、誰かが誰かを愛してる…それだけでよかったんじゃないの?」
(くそ、くそ、くそ)
図星だ。欲しいのはそれだけ。でも、おまえからだけは言われたくないんだよ!
「…なあんてね」
真弓が演奏を止め、さっきからずっと睨みつけている紗栄の視線を正面から受け止める。
(やっぱり、あいつ大嫌いだ)
慎二の前を通り抜けて、棺桶に向かう。
一同、紗栄の一挙手一投足に注目する。
「おい!私!いつまでも逃げてんじゃねえぞ!バカヤロー」
そう叫ぶと、指輪を外し棺桶の中に放り投げた。
「え、ダイヤだろ」「いや、なにも捨てんでも」という声にこたえるように、紗栄が客席を振り返る。
「安心して。今日のために買った模造品よ。本物はとっくに質屋」
自嘲の笑み。
「おい。葬儀屋!」
彬を睨む。
「…誘ってくれて…ありがとう」
彼女は神妙に頭を下げてから、祭壇から降りた。
客席に戻った紗栄に慎二が話しかける。
「うちの店の客に、依存症のリハビリ施設に勤めとる人がおるんや。今度紹介しようか?」
もう意地や虚栄を張る必要もない。紗栄は素直に答えた。
「…あとで教えて。春樹に会うためなら何だってするわ」
凛と言い放ち、慎二の隣に並んだ。
壇上の司会者が進行を続ける。
「…これを持ちまして献花の儀式は終了とさせて頂きます。ここからは故人の皆様の斉唱をもって、それぞれの魂を浄化し天上へと送り出しましょう」
彬に目配せされた真弓が、シンセで「仰げば尊し」の前奏を弾き始める。
初老に差し掛かった者たちの卒業の歌が始まった。。
(本当はみんなわかってる。大切なのはどう生きればよかったか?じゃない。これからどう生きればいいのか?だ。だって、人生は百年時代なんやろ?五十歳なんて、まだ折り返し地点なんやからな)