伝えたいことは正確にハッキリとお願いします。
人生で強盗に出会う確率を考えて見た。
どうしてそんな確率を考えるのかと言うと、現在進行形で銀行強盗に遭遇しているから――。
確率で言うなら、宝くじを引き当てるのと同じくらいかな? と黒いジャンバーに黒いパンツ、派手なステッカーが貼ってあるヘルメットを被った二人組の銀行強盗を眺める。
日本で銀行強盗など決行しても、あっと言う間に捕まるのを知っているから、実行する人もいないし、成功例を聞いたことが無い。
それに強盗するなら、地下を掘って夜中に侵入とか、映画とかでよくあるアレの方が成功しそうだ。いや、まあ、掘れるかどうかは別として、つまり確率の問題。
それにしても、ツイてないな……、と私は手に持っている羽田奈央と書いてある自分の通帳をこっそりポケットへ入れる。
私が銀行に来た理由はキャッシュカードの再発行だった。
携帯アプリで銀行取引は可能とはいえ、カードが無いのは今後も不便な気がしたので再発行の手続きに来た。
紛失に気が付いたのは、酔いから覚めた次の日だった。
部屋をどれだけ探しても鞄が見つからず、一応、警察に紛失届けを出したが、考えて見れば、自分は全てを失っていたのだ。
携帯に、免許証、診察券、キャッシュカードにクレジットカード、行きつけのラーメン店のポイントカードなどなど……etc。
家の鍵はポケットに入っていたので問題なく家には入ったのだろう。化粧も落とさず、ベッドへダイブしたことは薄っすら記憶に残っているけど、手に鞄を持っていたと言う記憶がまったくない。
結局、何処かの誰かが持って行ったということで、自分の中で決着をつけた。
けど――、まさか、銀行強盗に出くわすとは思っても見なかった。
既に、犯人の要求によりシャッターが下りているし、全員、座らされて『静かにしろ』と命令されているので、大人しくしている。
地方銀行なので規模的には、銀行員は十人居れば良い所だと思う。実際にカウンターの向こう側に寄せられている人数は七~八人くらいだ。
現状を冷静に分析をしてると、私がしゃがんでいる場所から、五脚ほど椅子を挟んだ場所にいる若い男から、くしゃっと丸めた紙が飛んで来た。
――はあ? ゴミを他人の頭に向けて捨ててはいけないと親から教わってないの?
と、丸まった紙を拾うと、そのまま男に投げ返した。
投げ返されることを予想してなかったのか、ぎょっとした顔を見せる男が、頭を横に激しく振っているのを見て、私は声を出さずに「なに?」と口をパクパクさせた。
困り果てた顔を見せる男は、今度は床を滑らすように丸めた紙を投げて来る、と言うよりも転がして来た。
私がその紙を手に取ると、男がジェスチャーで伝えて来る、この紙を広げろと言っていることが分かり、丸めた紙を広げた。
――川……?
レシートの裏側に川と三本の線が書いてある。
一体なんだ、これは、と私が凝視していると、男はニヤっと笑う。
この川という文字を私に読ませ、それで全てを伝えたつもりでいる男の顔を見て、苛立ちを覚えつつ、少し考えた。
そう、これはメッセージだ。
おそらく、川という文字に何かしらのヒントが隠されている、そう思った私はレシートの表を見た。
お、これは……、仕事帰りにたまに寄って行く『焼き鳥てっちゃん』のレシートじゃないの! と目を輝かせ、何を頼んでいるのかと人様の注文の品を探った。
――えーと、砂肝にハツに、もも肉と、それから銀杏……。
なかなか、いい趣味をお持ちで……、と焼き鳥の内容にゴクっと唾を飲んだ。
ふと、思考が『川』というメッセージからかけ離れてしまったことに気が付き、くるんと思考を巻き戻す。
一体、この文字は何を表しているのか、たった今、銀行強盗に遭遇していることを考えれば、間違いなくこの場面を打開する策なのだろうと推測した。
――川ねぇ……、どういう意味なんだろう?
まあ、普通に考えると、川ってあの川よねぇ、と街中を流れる河川を思い描くが、それと、今の現状と何の繋がりがあるのか分からず、しばし考えた。
一向に何も閃かないでいると、背後で小さく蹲る女性の気配を感じて、私は少しずつ距離を縮めることにした。
それこそ、1分に1センチ程度を地味に移動し、相手との間合いを詰める。地味にきつい動作に苦戦しながら、小声で会話が出来るところまで到達し、「あの……」と声を掛けた。
ビクっと怯えた女性は、見た目は二十代後半で自分と同じ世代かな? と感じ取れる風貌だった。
彼女にメモを渡し、それは、あっちにいる男から投げられた物だと説明し、書かれている文字に関して何か分からないかと聞いた。
「川ですか……?」
「川ですねぇ……」
「じゃあ、山でしょうか?」
――安直な!
と私は思ったが、まあ、合言葉と考えると、確かにねと思う。
山に川、それから忍者? と一人で連想ゲームをしていると、女性が「それか、さんでしょうか?」と言う。
「ああ、数字の三ね……」
三にしては左の線の斜め具合が気になるのよね、と文字の美観について悩む。女性が「銀行内で三が付く物……」と呟くのを聞き、私は率直に答えた。
「そんなもの、お金くらいしか無くないです?」
「んー……、それか、もしかして人の名前とか?」
名前ねぇ、と私は首を捻る。
まさか、あの男が自己紹介をしてきたとかじゃないよね? と紙を投げて来た男に視線を向けた。
得気に、どうよ? 見たいな顔されて、その顔に苛っとさせられながら、こちらもメッセージを送ることにした。
『川』と書かれた横に『山』と書き、男の方へ向けてコロンと転がして見る。それを受け取った男は、喜んで紙を広げたあと首を傾げた。
――やっぱ、ちがうか……。
男の様子を見て私は直ぐに山では無かったことを理解する。
まあ、現状を考えれば、そんな連想ゲームのようなことをしている場合ではないのは確かなので、となると、やはり数字の三なのかと思うが、それは、それで一体どういうことなの? と思う。
男のいる場所まで、先程の方法で1分に1センチの移動はかなり厳しい、と言うか、その頃には銀行強盗は捕まっていそうだと思う。
また男が何かを書いてメモを転がして来る。今度は分かるようなことが書いてあることを祈りつつ、くしゃくしゃのレシートを広げると『残念』と書かれていて、メラメラと心に炎が宿る。
結局、男が伝えたかったことが何なのか分からないまま、辺りを包囲していた警察に踏み込まれ、犯人たちは逮捕された。
人質も全員無事で負傷することは無かったが、貸金庫の案内人だった銀行員だけ、頭に大きなたんこぶが出来たようだった。
「一時はどうなるかと思った」
「ほんとうですね」
「それじゃあ」と人質の皆さんに別れを告げて、私は複雑な思いを抱きながら、職場へと戻った。
もちろん、仕事を放置して人質になっていたわけだから、仕事は全く進んでいなかったが、妙に優しい職場の人に助けられ、強盗に遭った時の様子など、ねほりはほり聞かれながら、無事業務は完了した――――。
今日は凄い日だったな、と人生でこんな日に遭遇する確率なんて、なかなか無いだろうし、有名な数学者でも確率の計算を放棄するだろうな、と帰りの電車に揺られながら、そんなことを考えた。
もう今日はさすがに疲れたし、早く家に帰りたかったが、こんなに疲れているんだから労いの焼き鳥でも食べて、ビールを飲んでもいいじゃない? と馴染みの店へ向かう。
その時、私の背後から「あれ?」と声が聞えて振り返って見れば、「やっぱり!」と言って笑みを浮かべている男を見て、大きな溜息が出た。
声を掛けて来たのは、今日、謎のメッセージを寄こした男だった。
私は「何でこんなところに?」と男に向かって口を尖らせた。
「んー、だって俺、あの店の常連だもん」
そう言って指さす先にあるのは『焼き鳥てっちゃん』だった。
あ、そういえば! と、あのメッセージに使われていたレシートのことを思い出し、なんだ近所の人だったのかと納得する。
ニコっと人懐っこい笑みを浮かべる男は「えーと、そういえば名前を知りませんでしたね」と自己紹介を始めた。
「山王学です、えーと……、お姉さんは」
「羽田奈央です」
「羽田さんですね、で、何してたんですか?」
「え、いや、別に……」
「あ、分かった。拾いに来たんでしょう?」
一体、何のことを言ってるのか分からないので「意味が分からない」と応える。
意味が分からないと言えば、そうだ、あの謎のメッセージの意味を聞くチャンスだと思った私は「ねー、あれって何のことだったの? 川なの? 三なの?」と聞いた。
「え……、川っす、三なんて意味が分からないですよ」
「川も意味が分からないんだけどね、で、何で川?」
「マジか……、本気で伝わって無かったのか」
いや、あれで何かが伝わっていると思えるなんて、君って凄い奴だなと私は心底感心した。
「んー」と言いながら、彼が橋の手摺りから下を覗き込みながら、「あれってお姉さんの鞄じゃない?」と言う。
「は……?」
「いや、俺この間、お姉さんが酔っぱらってここでゲロ吐いて、鞄放り投げているの見かけて、すげー女だなーって思って、でさ、その人が銀行強盗に遭遇してるの見て、何かテンション上がっちゃって――」
懸命に話を続ける男の声は右から左へと流れて行った。
そんなことより、川の隅に捨てられている緑色の鞄が痛々しくて、切なくて、胸が苦しかった。
「ねえ、もしかしてだけど、あのメッセージって川に鞄が落ちていることを教えたかったの?」
「ううん、川でゲロして鞄を投げてた人? っていう確認かな」
「……」
川と書かれていたメッセージだけで、それだけのことを読み取れというのか? と男を冷やかな目で見た。
しかも、確認? 銀行で人質になっている最中に、それを確認する気によくなったな! とヘラっと笑う男にたいして、呆れるを通り越して殺意すら芽生える。
私のメラメラと燃える心の炎を吐き出せるなら、目の前の男に吐き出したいが、そんな能力は覚醒しそうにないので、取りあえず、鞄を取りに行くことにした。
「俺も手伝うよ」
「ありがとう……」
川の下へと降りて行く時、さり気なく手を貸してもらい、鞄と中身を拾い集めている最中、山王と名乗った男は「俺、前からお姉さんのこと知ってたんだ」と言う。急に、しおらしい声を出す彼を見て、え、ちょっと待ってと思う。
――まさか私のこと好きとか……?
それは、ちょっと困るな、と思っていると、彼がニカっと健康的な歯を見せびらかしながら口を動かす。
「毎回、あの橋のところでゲロってるからさ、もう、飲むのやめたらいいのにって思ってた」
――……。
彼の言葉で、先程まで燃えていた心の炎は消沈することが出来た。
全てを拾い上げ、「それで全部?」と聞かれて頷いた。
一部、ポイントカードや化粧品は紛失してるが、財布も無事だったことを考えると微々たることだと思えた。
結局その日を境に、その山王と名乗った男と焼き鳥フレンズになった。
人との出会いや繋がりとは分からない物だな、と焼き鳥屋のレシートを眺める。
――ちょっと、飲みすぎたかも、……っっう、っぷ。
せり上がって来る何かを堪え、肩から下がる鞄をぎゅっと握り締めながら、無事に家路に着いた。
伝えたいことは正確にハッキリとお願いします~END.