第2話「親友」
長い階段を上り終え、丘の頂上にたどり着いた二人。そこには、レトロな佇まいの写真館がそびえ立っていた。入口に掲げられた大きな看板には、ノスタルジー溢れる文字で『ヒロセ写真館』と書かれている。
人のようなモノに荒らされ、カオスと化していた地上とは違い、丘の上はとても静かだった。しかし、今の状況では、この静けさも逆に不気味だ。
「フゥ~、やっと着いた……」
「ただいま……って感じだ……」
二人は、ステンドグラスの装飾が施された扉を開け、写真館の中へ入った。
「おーい! 母さーん? 誰かいるかー?」
扉を開けて第一声、拓也が問いかける。反応はない。写真館の中はあまり荒らされた様子もなく、明かりもついたままだったが、人の気配は感じられなかった。
普段、拓也は、この写真館の住居スペースで、共に写真館を切り盛りしている母親と、二人で暮らしていた。いつもなら、拓也が帰ってくれば、母親が明るく「おかえりー!」と出迎えてくれたが、今日は違う。元気な母親の姿は、ここにはない。
「誰もいないみたいだな……」
「あぁ……ホントだな……みんな、無事だといいけど……」
拓也が少し心配そうにうつむく。
すると、そんな拓也の背中を、翔太郎がバンッと叩き「大丈夫! 絶対に、みんな無事だ」と言い切ってみせた。
翔太郎の言葉に、拓也も「そうだな!」と言って、笑った。
「よーし! じゃあ、まずはここで少し休憩といくか……。体力回復しとかねぇとな……。あと、お前んち、色んなモノあったよな? どうせなら、持ち物とか装備もそろえて……」
翔太郎があれやこれや話していると、突然、背後でドサッという音がした。何事かと思い、翔太郎が振り返ると、そこには、力なく倒れている拓也の姿があった。
「拓也!!」
翔太郎は慌てて駆け寄り、拓也を抱きかかえた。
「ご……ごめん……翔太郎……」
拓也の体はものすごい高熱を発しており、顔からは汗が噴き出している。呼吸も荒く、とても苦しそうだ。意識は朦朧としている。ふと、右腕を見ると、歯型のついた痛々しい傷があった。
「お前……コレ……」
「ハァ……ハァ……さっき……囲まれた時に……やられたみたいだ……すま……ねぇ……」
「お前……何謝ってんだよ……! おい、立てるか?」
「あぁ……」
拓也は翔太郎の肩を借り、フラつきながらも、何とか立ち上がった。しかし、一歩、二歩、歩いた所で、再び倒れ込んでしまった。
「拓也!」
「翔太郎、ワリぃ……俺もう……ここまでだ……」
拓也は壁にもたれ、グッタリとしている。
「何言ってんだよ、しっかりしろ! 大丈夫、大丈夫だって……」
翔太郎は拓也を懸命に励ます。
「なぁ……翔太郎……」
「あぁ?」
「悪いんだけどさぁ……俺を…………“殺してくれ”……」
「!?」
拓也が放った衝撃的な一言。
翔太郎は一瞬、時が止まったように感じた。
「は……!? お前……何を言って……」
「ハァハァ……お前……見たんだろう……? 噛まれた人がどうなるのか……。俺はきっともうすぐ……化けモノになる……ハァハァ……そしたら……何も分からなくなって……目の前のお前を襲うかもしれない……。その前に……俺を殺せ……」
「拓也……何言ってんだよ……。そんなことねぇから……大丈夫だから……。少し休めば、絶対に良くなるって。大丈夫、大丈夫……」
翔太郎は自分に言い聞かせるように、何度も大丈夫と呟いた。
「ゲフッ! ゲフッ! ゲフッゲフッゲフッ……」
すると突然、拓也が苦しそうに、咳き込み始めた。
「おい! 大丈夫か!?」
「ゲフッ……ハァ……ハァ……。もう時間がない……俺の理性があるうちに……頼む……」
何かを悟ったように、自らの死を懇願する拓也。
しかし、翔太郎はそんな現実を受け入れられなかった。受け入れたくもなかった。
「だから、お前は化けモノになんか、ならねぇって! その傷も、何もかも全部、すぐに治るから……。おい、ベッドまで歩けるか……?」
翔太郎はそう言って、拓也に手を差し伸べる。
しかし、拓也はその手を取らなかった。
「ハァハァ……無理だ翔太郎……もう……右腕の感覚がないんだ……」
この時、拓也の目から、一筋の涙が流れた。
気づけば翔太郎の瞳からも、意味も分からないような涙が、どうしようもないほど、溢れ出していた。
「どちらにせよ、俺はもう……助からない……。二人とも手遅れになる前に……せめて……お前だけでも……」
意識が朦朧とする中、拓也は翔太郎の上着のポケットを指差す。
「さっき交番で……拾った銃があったろ……それで……俺を……」
「バカなこと言ってんじゃねぇっ! バカ!!」
翔太郎は、拓也の胸ぐらに掴みかかった。
「俺がお前を殺すなんて……出来るわけねぇだろっ!! 俺は、お前がどんな風になっても、絶対に見捨てねぇ! 俺はお前と……お前と一緒に、絶っ対ぇ生き残っ……」
「翔太郎!」
翔太郎の言葉を遮るように、拓也は声を振り絞り、名前を叫ぶ。
「ありがとう……もう、十分だ……」
拓也の優しい声。
翔太郎は言葉が出てこない。
「いつもお前はそうだったよなぁ……どんな時も俺を見捨てずに……一緒にいてくれた……どんなヘマやっても……笑い飛ばしてくれた……。だからそんなお前に……生きてほしいんだ……」
「拓也……」
呆然とする翔太郎の肩を、拓也はガシッと掴んだ。
「翔太郎……お前はよく……俺の頼みを聞いてくれたよなぁ……ハァハァ……これが“最後のお願い”だ……“俺の分まで生きてくれ”……。ハァハァ……俺の人生託せるの、お前しかいねぇだろ……」
拓也の症状は悪化し、話すのも辛そうだった。
しかし翔太郎を見つめる瞳には、強い意志が宿っている。
「……」
翔太郎は初めて、上着のポケットに手を当てた。ポケットの上からでも伝わってくる、拳銃のゴツゴツとした感触。
「拓也……やっぱり俺……嫌だよ……嫌だ……」
翔太郎の声は震えている。
「翔太郎……大丈夫だ。心配するな……。俺が背後霊になったら……お前の肩揉んでやるから……」
「バカ……お前……」
こんな状況でも、冴えない冗談を飛ばす拓也。
上手く笑うことも出来ず、ただただ下を向いていた翔太郎は、何かを決意したように「フゥ~」と息を吐くと、ポケットから拳銃を取り出した。
壁にもたれている拓也に、銃口を向ける。
拳銃を持つ手はブルブルと震え、心臓はバクバクと脈打ち始めた。
構えた銃の先で、拓也は真っ直ぐにこちらを見ている。
「頼む……翔太郎……お前の“親友”のまま……逝かしてくれ……」
拓也は優しく笑いかけた。
翔太郎の目から、自然と涙がこぼれる。
翔太郎は目をつむると、銃の引き金に指をかけた。その瞬間、翔太郎の脳裏には、拓也とのこれまでの思い出が、浮かんできた。
思えば、コイツとはいつも一緒だった。
初めてケンカした相手も、初めて夢を語り合った相手も、初恋に破れた時に慰めてくれたのも、全部拓也だった。本気で泣いて笑って、いつも隣にいてくれた。
そんなたった一人の親友を、今から殺す……
「うわぁぁぁあ!!」
気持ちが高ぶった翔太郎の、叫び声が響く。
拓也はギュッと目をつぶり、全身に力を入れ、身構える。
間もなくして、銃声が鳴る……かに思われた。
しかし、部屋に轟いたのは、翔太郎の叫び声だけで、拓也の頭が銃弾で撃ち抜かれることはなかった。
これには、身構えていた拓也も拍子抜けだ。
結局、引き金を引くことが出来なかった翔太郎は、まるで腕の力が抜けたように、ストンと銃を下ろした。
「翔太郎……お前……」
「ごめん……拓也ぁ……俺……やっぱり無理だ……」
拳銃を持つ翔太郎の手は、未だに震えている。
「何やってんだよ……翔太郎……。お前、今、撃つ雰囲気スゲえ出してたじゃん……。めっちゃ覚悟決めてたぞ……俺……」
「ごめん……マジでごめん……拓也……。俺……俺……やっぱり無理だわ! マジでごめん!!」
拓也を殺せず、どうしたらいいのか分からなくなった翔太郎は、思わず、その場から逃げ出した。
「あっ! 翔太郎! おい……!」
「ごめん! ごめんなぁ~……!」
拓也を残し、他の部屋に駆け込む翔太郎。
呼び止める拓也の声も届かず、翔太郎は部屋の扉を閉め、鍵をかけてしまった。
「ハァ~」と深いため息をつくと、翔太郎は頭を抱え、その場に座り込んだ。
(俺……どうしたらいいんだろう)
扉の向こうからは、うっすらと拓也の声が聞こえている。本来なら、部屋に立てこもっている場合ではないが、翔太郎はどうしても、現実から目を背けたくなっていた。
一人になり、少し冷静に考えてみる。
(本当なら、あそこは一発でキメるべきだったよな……。せっかく、拳銃構えるまでいったんだし……拓也も怖かったろうな……。それなのなに、俺が日和ってどうすんだよ! まったく……考えれば、考えるほど、俺ってバカだ……)
一発でキメられなかった後悔が募る。
(いや、待てよ、そもそも殺すしか、救う方法はないのか……? 何かあるんじゃないのか? 拓也を救う方法が! 化けモノにならない特効薬があるとか、ワクチン的なやつとかさぁ……単純に日光浴びたら、治るとか……って、考えても無駄か……。俺らには、時間がないんだったよ……。やっぱり殺すしかないのか……もう一回イケんのか? 俺……)
薄暗い部屋で一人、思いを巡らせる。
(はぁ……一番怖いのは、拓也本人だっていうのによぉ……何やってんだ俺は……。アイツが覚悟決めてんだ……俺が逃げててどうする……ヨシッ! やるぞ……! いやでも、やっぱり……)
中々、覚悟が決まらない翔太郎。
(いやいや、やるんだ! 俺がやる! やらないでどうする、翔太郎! 行くぞ……俺は行くぞ……この手で殺す…………やっぱり嫌だ! 殺すなんて……嫌!)
決意をしては揺らぎ……決意をしては揺らぎ……翔太郎がそんなことを、何回も何回も繰り返していると、いつしか、扉の向こうから聞こえていたはずの拓也の声が、聞こえなくなっていた。
翔太郎はハッとして、部屋に置かれた時計を見た。
なんと、翔太郎が部屋に駆け込んでから、もう一時間も経ってしまっていた。
(ウソだろ!? もうこんな時間経ってた!? 一時間も俺は悩んでたのか!? バカッ! アホ……! そんなグズグズ考えてる場合じゃねぇだろ! よーし、俺はもう考えねぇ! スパッとドアを開けて、ズドンと一発でキメるぜ……)
ようやく踏ん切りがついた翔太郎は、扉のドアノブに手をかけた。
(もうきっと、アイツ、化けモノになっちゃってるよな……。ゴメンな拓也……お前の願い通りに出来なくて……)
化けモノに変貌し、扉の向こうで暴れ回っている拓也の姿が頭に浮かぶ。
(はぁ……それにしても、俺は今から殺すのか……アイツを……。どんな理由があるにせよ、最低だな俺は……親友をこの手で殺すなんて……。拓也……助けられなくて、ごめんっ!)
翔太郎は意を決して、扉を開けた。
親友の最期を見届ける。そんな覚悟を胸に宿して……。
揺るぎない決意と共に、大きな一歩を踏み出した翔太郎。しかし、扉を開けた瞬間、体が固まる。視界に飛び込んできたのは、意外な光景だった。
「ショウ……タロウ……」
「……え?」
扉を開けた先にいたのは、もちろん拓也である。
しかし、その様子は想像していたものとは違った。暴れるどころか、チョコンと体育座りをして、大人しくしている。
拓也の額からは角が生え、こちらを見つめている瞳は赤く……いや“青く”光っていた。
その姿は、今まで見てきた化けモノによく似ている。もう、人ではなくなってしまったように思えるが……なんだろう……他の化けモノとは、少し違う気がする……。
「翔太郎……オレ……ナンカ……保テテナイ……?」
「拓也……お前……」
拓也は鋭い爪がシャキンシャキンに伸びている手で、自分を指差し、こう言った。
「オレェ……“理性、保テテルヨネェ”……?」
「……!?」




