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プラチナウインド/もうひとつのプラチナウインド  作者: shiori
プラチナウインド
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1、三重の影法師

 その知らせが最初に届いたとき、私は我が目を疑いました。


 “本当に自分が?”と心の中で叫んだと思います。


 でも、そのお誘いは始まりでもあり、別れでもあったのです。



――――いつものアルバイト先、創作料理店「ファミリア」にて。


「本当ですか?! 先輩」

「ちょっと、大きい声出さないでよ……」

「す、すみません、思わず興奮してしまって……」

「お願いだよ……、ほかの子に言えるような事じゃないんだから……」

「そうですよね……、でも大手じゃないですか、もちろん受けるんですよね?」

「そのつもりで考えてはいるんだけど……、今の自分に不満があるわけでもないから」

「そんなこと言ってると、乗り遅れちゃいますよ! こんなチャンス、そうそうないんですから」

「そうだよね……、受けてみるかぁ……」


 大手芸能事務所からのお誘い、いや、もちろんバーチャルでの活動を主とするものなのだけど、とても大きなチャンスであることは間違いない。

 オーディションを受けて合格すれば、私がアイドルに……、なぜ、アイドルかって、7期生までのこれまでの活動を見れば、エンタメは日常的にあっても、ライブとなればそれはもうアイドルそのものだ。

 横浜アリーナでの全体ライブはもちろん、個人でも頻繁にリアル、バーチャル両面でライブが行われ、その実力は誰が見ても明らかである。

 この中で私がやっていくというのは、生半可なものではないのだけど、スカウト推薦をもらってしまった以上、オーディションを断るのも考えものである。

 普通の人ならノータイムで喜んでオーディションに臨むのだろうけど、私はといえばちょっと複雑な心境だ。もし受かってしまったら私は……、今の身体を捨てなければならない。


 身体というのはもちろん、リアルの方ではなくて、ずっとバーチャルシンガーをしてきた方の身体とはサヨナラしないといけないという意味なんだけど……。


 バカなことで悩んでいるのは分かってる、でも、うまく自分の気持ちを説明できないくらい、私にとって重要な問題なのだ。


「(そもそも……、歌うこと以外に、自分は才能も取り柄もないからバーチャルシンガーをしてきたわけで……、自分にやっていけるんだろうか……)」


 複雑な心境を抱えながら、私はアルバイト先の創作料理店「ファミリア」の一番親しい同僚、水原舞(みずはらまい)に相談をしていたのだった。


 ネット活動をしていれば、名前を他に作って活動することなんて当たり前だ、本名、永弥音唯花(えみねゆいか)である女子高生の私はバーチャルシンガーとしての名前も持つ、自分に好きな名前を付けて活動して、それは徐々に浸透していき、自分の名前であるという認識が自然に働くようになる。


 いつしか当たり前のように私の中にあるもう一つの名前、それと今になってお別れを告げなければならないとすれば、それは当然寂しいことなのだ。


 でも、大手大手って言うのも何だか恥ずかしい話だなとは思う……、有名になりたいわけでも、お金持ちになりたいわけでもない。仲間だって今もたくさんいる、じゃあ何のためなのかと聞かれれば、結局何のためなのだろう? と分からなくなる。


「(昔から優柔不断なところは変わらないなぁ……、私って)」


 そもそも、仕事中に何を悶々と考えているのやら……、しっかりしなきゃ!


「先輩、あたしみたいな凡人だったら泣いて喜びますけど、先輩は先輩ですから、自分のしたいことをしたらいいだけですよ」


 そういって舞は厨房の中に入っていく。昼下がりでお客さんがいないことをいいことに仕事をサボっている場合じゃない、一番の先輩である私は私らしく、次の時間のための準備に勤しむのだった。



 結局のところオーディションを受けることにした私は、受かっても受からなくてもいいやという、ほかの応募者には大変申し訳ない心情のままオーディションを受けた。


 自分の活動が安定する前はオーディションを受けるのも珍しくなかったのだけど、いざ受けてみると、久々の緊張感だった。

 とはいえ、いかにもやる気満々な子に比べれば、私はのんびりとした受け答えをしていたのだけど、そういうところを鑑みると、それは懐かしくもあり、申し訳なくもあった。そう、本来こういうのは受かりたいと人一倍頑張っている人にこそチャンスが与えられるものであるだろうから。


 しかし、タイミングが悪いと言わざるおえないことだけど、さらに私を迷わせる深刻な知らせが届くことになった。


「フェスにお呼ばれしてしまった……」


 なんでこのタイミング? バーチャルシンガーをやってきた身としてこれ以上嬉しいことはないのだけど、私は複雑な心境だった。


「あぁーーー!! 受かっちゃったらどうしよーーーーっ!!!」

「贅沢悩みだな……、本当に」


 私は携帯を握りながら、自分のベッドに寝転がりながら足をじたばたしていた。

 そんな私の悩みを聞いて、長年連れ添ったお隣さんで幼馴染の樋坂浩二は呆れ顔で言ったのだった。


「タイミングが悪いのよ……、フェスのお誘いがあるんだったら、ちゃんと準備して臨みたいからオーディションなんて受けなかったのに」

「それも相当だな」

「だって浩二、私がアイドルみたいになっちゃうんだよ? それでいいの?」

「俺に聞かれても……、自分の事だろ」

「興味を持ちなさい、興味を、アイドルになるかもしれない子と一緒に同じ部屋にいるのよ?」

「いまさらそんな事言われましても」

 

 浩二の態度はいつもと変わらない、そんな浩二だから何でも話してしまうのだけど、そんな風に思っていることはさすがに恥ずかしくて浩二には言えない。乙女心として秘匿させてもらう。


「でも、これ以上忙しくなって、やっていけるのか?」

 

 浩二は私に聞いた、ごもっともなご意見だった。


「その時は、ファミリアでのシフトを減らしてもらうしかないのかな……、活動資金の捻出のために働いてたけど、今はもうおかげ様で随分貯金もあるし、収益化通るまで活動に集中するだけの蓄えはあるから」

「急に現実的な話をしてきたな」

「現実的な話の出来ない人がアイドルになれると思うの?」

「また夢のないことを……」

「アイドルになったら、それはもう現実なのよ、夢見る少女じゃいられないんだから」

「その計算高さ、痛み入ります……」

「大分失礼なこと考えてるでしょ……?」

「考えてない! 考えてない!」

「本当かしら……」


 壮大な悩みのわりに、いつものようにバカなやり取りをしながら夜は更けていった。


 しばらくして、オーディション結果が届き、合格と書かれた書類と、膨大な契約書やら誓約書が同封されているのを見て、私は「マジかぁ……」と、まだ現実を受け止めきれないまま呟くのだった。



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