雨の日が好きな理由
[雨の日が好きな理由]
ぽつり
ぽつり
雨が降る。
私は雨の日が好きだ。
空が良く見える窓際の席で、今日の天気を確認するのが私の日課。
友達に“天気予報を見れば良いじゃない”って言われたけれど、そんなのつまらないじゃない?
同じように繰り返される毎日の中に、予測できないドキドキがあるって何か素敵。
「やーまだ!」
私を呼ぶ声が教室に響く。
その声が胸の奥にぽっと小さな温かさを灯す。
振り返ってしまえば顔に出てしまいそうで、私は努めて無表情を装う。
「なに?」
少し冷たく返したのは、心臓の高鳴りを隠すため。
声の主は隣のクラスの佐々木くん。最近また背が伸びたかな。
少し茶色がかった髪と、それと同じ色をした瞳。彼の瞳に映る自分に気付いて胸の中がざわめく。
「悪いんだけどさ、雨降ってきちゃったからまた教室を……」
「どうぞ、どうぞ使って。音楽室を使って木管でセクション練習するから」
「まじ助かる!」
吹奏楽部の私、山田唯とテニス部の佐々木淳一くん。
接点がないようで実はあったりする。
「気にしないで、大会近いんでしょ?」
「よく知ってるな?」
「この前言ってたじゃない」
「そうだっけか? まぁ、いーや、じゃあまたな!」
にかっと笑う顔に胸がきゅっと締め付けられる。
その顔ずるい。
そんな私の気持ちなんてお構いなしに、颯爽と去る背中。
私の担当はフルート、そしてパートリーダー件、木管のセクションリーダー。
放課後になると各教室で楽器ごとに練習をして、最後に音楽室に集まって演奏するのがいつもの流れ。
でも雨の日だけは、運動部も教室を使って練習をすることになり、各所で練習場所確保のために文化部との交渉が始まるのだ。
初め気まずそうに来ていた彼の姿を思い出すと、また妄想が始まりそうになるのでここはぐっと我慢。
次は確か移動教室だったから急がないと。
友達のなっちゃんが私を誘いに来てくれる。
「さっきの佐々木? あー雨降ってきたからか」
「そうそう、だから今日は音楽室使って木管でセッション練習ね」
「おっけー。顧問には言っとくね」
さすが部長、話が早くて助かる。
佐々木くんのクラスの前を通ると、彼は同じ部活の男友達と話していた。どうやら、場所確保の報告をしているみたいで、友達にグッジョブの親指をもらって嬉しそうだ。
「あ、今見てたでしょ?」
「何が?」
この気持ちを誰にも言っていないけど、なっちゃんには多分バレている。
けれど教えたくない。
好きな人を言ったら、次の日にはクラス全員知っていましたという過去のせい。
小学生なんてそんなものだと思うけれど、悲しい気持ちに年齢なんて関係ない。
「口元、緩んでたよ」
「まさか、気のせいです」
「はいはい、またいつもの気のせいね。ふふ」
この子はそれ以上踏み込まないから好きだ。
いや、それ以上。
大好き。
「佐々木ってさ、吹部の友達いないのに唯が木管リーダーってよく分かったね」
「え?」
「唯ってさ、クラスと部活で雰囲気違うじゃない? どちらかと言うと、運動部……。陸上とかやってそう」
「いやいや、どこからどう見ても儚げで可憐な少女でしょ」
「そのイメージで当てはまるのは髪が長いことくらい? でもそんな髪も全部まとめてお団子にして、豪快に笑う毒舌な少女はいませんから」
そういえば前に似たようなことを言われたのを思い出す。
フルートは小学生からやっていたから、勿論それなりに吹けるし先輩を差し置いてファーストパートを担当したこともある。
だからってそれで恨む人はいなかったし、私もその分練習に励もうとしていた。
謝るのはなんか違うし、むしろ失礼。
だったら誠実な姿勢を見せようと思い必死だった時だ。
『クラスにいる時と雰囲気が違うのな』
私に話しかけてくれたのは誰だっただろう。
もう2年前のことだし、自分のことでいっぱいいっぱいで覚えていない。
相手にも素っ気なく答えてしまったかもしれない。
1つだけ覚えているのは、その日は雨でいつもの音が出せず悔しかったこと。
ーーーーー
「あ、山田お疲れ!」
部活が終わり、なっちゃんに頼まれた忘れ物を取りに教室に戻るとふいに声をかけられた。
まさかと思い振り向けば佐々木くんがこちらに向かって来る。
不意打ちに高鳴る心臓が痛い。
止まれ、止まれ!
「いや、止まっちゃダメだ」
「ん? 何か言ったか?」
「な、何も!」
聞かれずにいて良かった。
佐々木くんは窓際まで来ると、空を見上げる。
私もつられて同じ方向を見た。
「あ、何かあの日に似てるな」
「あの日?」
どの日だ。
私は頭の中で“あの日”を探すが、どう考えても彼と教室に2人きりになった記憶がない。
「あぁ、でもあの時は部活中だったからちょっと違うか」
照れたように頭をかく姿が可愛い。
男の人に可愛いは失礼か。
私の返事を待たず、佐々木くんは話しを続ける。
「俺、物心つく前からテニスやっててさ。まぁそれなりに出来たわけ」
「自分で言っちゃう?」
「ははは……。まぁ、天狗だったんだよな。そしたら俺よりも経験年数低い奴にレギュラー取られて、悔しくて部活をサボったことがあって」
「え、そうなんだ」
「しかもレギュラー取ったそいつさ、喜びもせずに淡々と練習してんの。俺に一言もなしに」
どこかで聞いた話に私は、佐々木くんを見ると彼と目があった。
いつからこっちを見ていたのだろう。
薄暗い教室でみると、彼の髪も瞳も真っ黒に見える。
あぁ、だから思い出さなかったのか。
本当に背が伸びたね、あの頃は私とそんなに変わらなかったのに。
「そんな時、あいつと同じ必死な顔して練習する山田を見つけた」
「うん」
「思わず話しかけたら、私に出来るのは練習することだってピシャッと言われてさ。おかげで目が覚めんだ」
あぁ、だから聞いたのか。
何でそんな顔で練習するのか、ファースト取って嬉しくないのかって。
ん、まてまて。
あの時、望みの音が出なくてイライラしていたのに、それを上手いだとか綺麗だとか言ってきたからキレなかったか私。
私の動揺が態度に出たようで、佐々木くんが吹き出した。
「ははは、本当に今まで覚えてなかったんだな」
「だって! 薄暗かったし背も全然違ったじゃない!」
恥ずかしくて、私は佐々木くんに背中を向ける。
「あの時の山田は本当に、かっこよかった」
「言わないで」
佐々木くんとこんなに長く話すのは、あの日以来のことで私は恥ずかしさやら戸惑いでいっぱいになる。
どうして気付かなかったんだろう。
初めて交渉するため話しかけてきた時、気まずそうな表情は遠慮ではなく萎縮だったのだ。
あの日、私が怒ってしまったから。
「あれ以降さ、俺なりに結構頑張って全国行ったりもしたんだぜ」
「はい、知ってます」
「キャプテンにもなった」
「はい」
「キャプテンになった理由が、山田に話しかけるチャンスが欲しかったって言ったら?」
「はい?」
思わず振り返ろうとすると、佐々木くんの手が後ろから私を抱き締める。
彼からほんのり汗の匂いがした。
「山田の友達は気付いてたぞ。いつもその子と帰ってるだろ? 昇降口で山田がいないから聞いたら、ここにいるって教えてくれたんだ」
「うそ」
「ほんと」
「……恥ずかしい」
思わず声に出してしまい顔を覆う。
その時佐々木くんの手に少しだけ力が入ったのが分かった。
「好きだ」
ぽつりと雨粒が1つ落ちるかのように、優しく放たれた言葉にドキリと心臓が跳ねる。
佐々木くんを見ているだけで幸せだった。
話せるだけで嬉しかった。
でも本当は……。
「わたしも、好き」
佐々木くんの特別にずっとなりたかった。
思いきって返事をしてみたけれど彼の反応はなく、雨音だけがやけに大きく聞こえてくる。
「好き」
聞こえなかったかと思い、もう1度伝えるのと彼に正面から抱きしめられたのはほぼ同時だった。
「2回も言うのはズルい」
「聞こえてたの!?」
「噛みしめてた」
「なにそれ!」
彼の胸元に顔を埋められたので、無理矢理に顔を上げようとすると腕に力を入れられ制される。
「だめ、今すごい顔してるから」
「見たい」
「見たらキスするよ?」
言葉に一瞬詰まったが、こんな所で負けず嫌いを発揮してしまう私。
「いいよ」
その一言が終わるか終わらないかのうちに、彼の腕の力がゆるみ、私はゆっくりと顔を上げた。
そして彼と目が合った次の瞬間、彼の唇がそっと降りてきて、唇に触れた。
ちゅ
それはほんの一瞬の、優しくて柔らかいキス。触れた瞬間、胸の中で何かが弾けるような音がして、息が止まった。
唇が離れると思わず視線をそらしたが、彼は私の頬を両手で包み込んで、そっと微笑んだ。
「やっぱり、可愛いな」
そんな言葉に、胸がさらにきゅんと締め付けられる。思わず口を開きかけたけど、彼の笑顔を見て言葉が出てこなかった。
「ね、笛吹きの人ってキスが上手いって本当?」
「な、なにそれ…バカ!」
思わず彼の胸を軽く叩くと、彼は少し照れくさそうに笑った。その笑顔を見て、私もつられて笑ってしまう。
キャプテンで忙しいはずなのに、自分で私の所に頼みに来て偉いなと思ったのがきっかけ。
実力があるのに鼻にかけず練習に励む姿勢、くったくのない笑顔、どんどん伸びていく身長。
強がりな私にしては、好きと認めるまでにそう時間はかからなかった。
「あ、そういや友達から伝言。『忘れ物2人で使っていいよ』って」
「えっ!」
「まさか、忘れ物って……それ?」
私の視線に気付いた佐々木くんが、机の脇にかけてある傘を指差す。
「そうだけど……っ! いやいや違う、違わないけど」
「な、一緒に帰ろ?」
彼の言葉に、不意に胸が高鳴る。いつもと変わらない声なのに、今はまるで違って聞こえた。
ふと窓の外を見れば、雨はまだ静かに降り続いている。
傘の中、彼と二人きりで歩く姿を想像してみる。肩が触れるか触れないかの距離。きっと息が詰まるくらいにドキドキするんだろうな、なんて思うと、自然と頬が熱くなった。
「はは、唯、顔が真っ赤だ。何だか俺まで照れる」
「だって、そんな距離…ドキドキするし、それに今、名前を…!」
「うん、ずっと呼びたかったんだ。もう我慢しない」
そう言って佐々木くんは私の手を優しく握った。
「唯、一緒に帰ろう?」
「……はい」
私の小さな返事に、彼が優しく微笑む。雨の音が私たちを包み込み、世界がゆっくりと静かに流れていく。
雨の日の特別な瞬間。それは、私の心を少しずつ溶かしてくれる魔法みたいだ。
そんな魔法にかかったみたいに、私は彼の手をそっと握り返した。
雨が降る。私たちの世界が、そっと雨に溶け込んでいく。
少しだけ自分に素直になれる日。
やっぱり私は、雨の日が好きだ。
[淳一と唯]
ちなみに、唯(私)の友達は奈津美ちゃん。
佐々木くんにグッジョブをしていていたのは仲良しの櫻井君。
そのグッジョブくんのグッジョブした理由は「佐々木くんが唯ちゃんと話せて良かったな」という理由でした。
奈津美ちゃんとグッジョブくんの話は[雨降りの後で]
挿絵あり